第3話 青梅夕陽

 五年竹組の教室に、僕のクラス、梅組のフミ先生がいた。

「竹本先生じゃないんだ」

 帰りなさいのチャイムが鳴ったから、一緒に遊んでいたアキちゃんたちとわかれて、運動場から梅組の教室へランドセルを取りにもどろうとしていた僕は、とっさに教室のドアの裏へかくれた。だって、フミ先生の前で、ひーくんが元気なさそうに立っていたからだ。

 きっと、怒られているんだ。僕は声を出さないように、くちびるをぎゅっと合わせる。

 そして僕はとっさにかくれた。見つかったら、一緒に怒られちゃうかもしれないから。

 どうして僕は、ランドセルを教室へ忘れちゃったんだろう。おかげで、アキちゃんたちと一緒に帰れなくなっちゃったし、こんなことになっちゃうし……。

 ひーくんのことはよく知らないけれど、宿題を忘れたとか、教室のそうじをさぼったとか? 

「……でも、へん、だよ、ね……」

 僕は、かってなことをする口を、あわてて手でかくした。

 でも、やっぱり、へんだ。

 竹組の竹本先生が怖い顔で、うで組みをして、ひーくんをにらんでいるならわかるけれど。やさしいフミ先生が、わざわざとなりの組のひーくんをしかるなんてありえるかな。

 とっても気になってしまった。

 僕は、にげればいいのに、教室のドアの裏で、そのままいることにした。ひーくんに悪いと思ったし、フミ先生に見つかってしかられるのもいやだけれど、気になってしかたない。

 でも、さっきみたいに声を出したら、まずいよね。音はたてないようにして、聞かなくっちゃ。

 僕は、まずドアへ手のひらを押しつけた。ちょっとドアが揺れたけれど、音はしなかった。僕は息を止めて、耳をゆっくりと、ゆっくりと、ドアへ当てた。

 ……なんだけど、そんなことしなくても、二人の話声はろうかまで聞こえてきた。

「どうして梅組のちーちゃんをいじめちゃうのかな? ひーくん。先生にだけ教えてくれないかしら?」

 ひーくんってイジメっ子だったっけ? ひーくんは竹組だから、いっしょに遊んだことないけれど、すっごく友達が多い子だって言うし……。そんな子が梅組の、ちょっと無口で、泣き虫の、ちひろちゃんをいじめたりするのかな? 

 僕はつい、ドアから顔を半分だけ出して、教室の中をのぞいた。窓に大きく映る真っ赤な太陽のせいで、教室はオレンジ色だった。

 フミ先生が、黒板横の大きなテレビの前で、ひーくんと向き合って立っていた。それを見つけたときちょうど、フミ先生はオレンジ色のスカートを手で押さえながら座り込んで、ひーくんと目を合わせた。

「だって……」ひーくんはまぶしそうにしながら、太陽のある窓へ顔を向ける。ちょうどフミ先生へ横顔を見せるようなかっこうになる。「ちーちゃんがおれのこと……」

「おれ、なんて言っちゃだめだよ。僕っていわなくちゃ」

「……僕のことちーちゃんがムシするから……」

「だから、いじめ……」そこでフミ先生がちょっとだけニコリとした。「だから、ちーちゃんの髪や手を握っちゃうんだね」

「僕も悪いって思っているけれど……どうしてもしちゃうんだ」ひーくんはそう言うと、フミ先生へ叫んだ。「僕! いじめなんてしたくないのに! どうして! 僕って悪い子なの?」

 するとフミ先生は、ひーくんの頬を手で挟んだ。

「悪い子なんかじゃないわよ。先生は、ひーくんがどうしてそんなことしちゃうのか、わかったかもしれない」

「えっ! 教えてよ! フミ先生、教えて!」

 ひーくんがフミ先生の服をつかんで引っ張った。

 フミ先生は服をつかむひーくんの手へ、そっと自分の手をのせた。

「それは、ね。ひーくんが、ちーちゃんのこと好きだからなんだよ」

 フミ先生がそういったとき、ひーくんはバクハツした。

 本当にドカンしちゃったわけないんだけれど、ひーくんの首とか手とか、太ももなんか、太陽より、真っ赤だ。

 ひーくんはフミ先生の服をはなして、ちょっとだけフミ先生からはなれた。

「ぼ、ぼく……さ、さよなら!」

 ひーくんはそういうと、教室から飛び出した。

 ドアに立っていた僕にだって気づかずに、ろうかを走っていく。

 フミ先生は、ひーくんがいなくなった教室で、なんだか楽しそうにほほえんでいた。

 すきだから、いじめちゃう。……本当にそうかな?

 にげるひーくんを見れば、フミ先生の言っていたことが正しいんだってわかる。

 でも僕は、おかしいと思った。

 すきだから、いじめちゃう。

 やっぱり、そんなのおかしいよ。フミ先生はまちがっている。

「ゆーくん?」

 名前を呼ばれてドキリとした。

 僕はいつの間にか、ドアから体を出していた。いまさらかくれても、おそい。だから僕は、フミ先生の前に進み出た。

「どうしたのゆーくん? そんな怖い顔して……あっ、ごめんなさい。驚いたのかな? さっきの聞こえちゃったんだね。でも、ひーくんのために秘密にしてあげてね」

 僕は口を強くとじたままで、なにも答えなかった。

「それとも……ごめんなさい。もしかしてゆーくんもちーちゃんのことが好きだったのかな? 大丈夫。先生はもう何も言わないから」

「そうじゃない!」

 フミ先生がぎゅっと肩をすぼめた。

「もぅ、突然大きな声を出さないでね。……それって、どういう意味?」

「僕は、アキちゃんのことがすきだから……」

「そうなんだ」

 フミ先生がむねに手をあてて、大きく息をした。

「じゃあ、どうして怒っているの?」

 僕はフミ先生を見上げる。

「だって、フミ先生は、うそを言っているから」

「うそ?」

 フミ先生の目が大きくなった。目が夕陽色に、赤く光った。

「だってすきだから、いじめちゃうなんてうそ」

「どうしてそう思うの?」

 フミ先生が首を横へかたむける。

「僕はアキちゃんのこといじめないよ」

「それは良いことよ。好きな子には優しくしてあげないと」

「ちがう!」

 フミ先生の顔がやさしくなくなった。

「アキちゃんに、すっごく、すっごく、やさしくしてあげたい。なんでもしてあげたい。でもね、なにもできない。ひーくんみたいに手を出したり、かみをさわったりなんてぜったいにできない。いつも見てるだけ。ううん、それだって、アキちゃんと目があっただけでも、僕は顔をそむけちゃう。なにかしたら、アキちゃんが困っちゃうかもしれない。そしたらアキちゃんが怒っちゃうかもしれない。いまは、とっても、とっても、アキちゃんと仲良しのなのに。

 だから、なにもしない、きらわれるかもしれないから。

 だから、すきだったら、なにもできないんだよ。

 だから、すきだからいじめちゃうなんてうそだよ!」

 ひーくんはきっと、ちひろちゃんのこと、きらいだから、いじめているだけだ。

 僕は一気に言ったから、息ができなくなって、せきこんだ。

「大丈夫?」

 フミ先生が、僕の背中をさすってくれる。

「ごめんなさい」

 僕はやさしい顔にもどったフミ先生へ、あやまった。

 きっとうそつき呼ばわりされたフミ先生は怒るって僕は思った。

 でも僕が頭をあげたとき、フミ先生はほほえんでいた。

「フミ先生?」

「ひーくんと、ゆーくんが違うのはね」

 フミ先生はそういうと、僕のほおを白くて細い指でおす。

「違うの?」

「そう違うの。ひーくんはちーちゃんのことがすきだけれど……」


≪恋開き≫


「ゆーくんはアキちゃんと恋をしているんだよ」

「コイ?」

「そうだよ。だからアキちゃんとこのままの仲良しでいたいから、なにかするのが怖いんだと思う。でもね、アキちゃんは、きっとゆーくんが目を逸らさずに自分だけ見ていてくれたり、手を握って二人だけで一緒に帰ってくれたりする、それを待っていると思うよ。もっと仲良しになりたいから」

「もっと仲良しになれるの?」

 僕のしつ問にフミ先生は答えなかった。そのかわりに、フミ先生は、うらやましいね、と肩をすくめた。


≪あとは僕が、かっこういい大人になるだけ≫

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