第2話 遠田克己

 遠田克己は、バカだ。


「田嶋くんを紹介しようか?」

 空の弁当箱へ手を合わせていた私へ、克己はそう言った。

「はぁ? 突然すぎて、意味分かんないんだけど?」

「だから田嶋くんのこと気になるなら、紹介しようかなって」

 克己は私の机に手を乗せて、顔を近づけた。

「ちょっと、顔、近すぎ」私は熱くなる顔を、克己に見られたくなかった。

 顔を横へ向けて教室の扉を見た。私を助けてくれそうな親友は、昼休み、先生に呼ばれてからまだ帰って来ない。私と幼馴染の親友とがこの高校に入学してまだ二週間も経っていないから、親友は職員室からの帰り道に迷っているのかもしれない。

「ねぇ、聞いている?」

 克己はいつもの純真無垢な顔を私へ向けた。

 私と克己とは通った中学校こそ違うけれど、同じ道場に通っていたから、ほとんど毎日、私と克己と鼻を突き合わせていた。今もそうだ。お互いが、目を合わせ、相手の隙を窺う。私は克己の呼吸のタイミングさえ知っている。克己だって、私のこと知っているはずだ。

 それなのに……私は考えているうちに、克己の鈍さに怒りを覚えた。

「……なんで、田嶋くんなのよ?」

 克己のキラキラと輝く瞳を見ていると、私は怒りを通り越して、呆れてしまった。

 私はもうやけくそになって克己に理由を聞いてみる。

「だって、いつもずっと、田嶋くんのこと見ているから」

 克己が満面の笑みで答えた。私の胸はぎゅっと痛くなる。

 克己が相手なら、やっぱり女の私から、誘わないとダメなのかもしれない。

 でもなぁ、やっぱり、男の子の方から告白して欲しいのに……。

 もう六年近く、克己だけを見ていた。いまさら、方針変更して、こちらから告白なんて。

 そもそも、克己の性格から想像すると、克己は私のことを好きでなくても、悪いから、と言って、形ばかりに私とつき合いそうだ。私は、そんな悲しいこと想像もしたくないけれど、否定しきれない。

 だから私はどうしても克己から、告白して欲しかった。

「ねぇ、聞いている?」

「き、聞いています」

 荒っぽい私の返事に、克己は良かったと胸を撫で下ろした。

「じゃあさぁ、明日、映画見に行こう」

「明日って、土曜日に映画?」

「そう! 最初は僕も入れて三人で。あっ、心配しないでそのあとは二人で」

「二人って克己と?」

「あははは、冗談ばっかり」克己が子犬のような顔で笑う。

「田嶋くんとだよね。じゃあ、約束したからね!」

 克己は私の返事も聞かず、良い事した、みたいな満足そうな顔で私の前から去って、自分の席へ戻る。

 最低。好きな男の子から、別の、全く知らないような男の子を勧められるなんて、私はどれだけ不幸なのだろう。




「で、ずっとあの調子なんだけど」

 私が飲み終わったジュースのストローを指でつまんだ。そのストローで二つ隣の席を差した。

 田嶋くんも、映画のパンフレットをずっと眺めながら、わかんないよ、と呟く。

 克己がチケットを用意してくれた、甘ったるい恋愛を描いた韓国映画を、田嶋くんと一緒にとにかく見た。その後、とりあえず軽く食べながら楽しくおしゃべり、という克己の指示に渋々したがって、シネコンの一階にあるコーヒーショップに寄った私は、マンゴーベースのティと、田嶋くんはラテを頼んで席につき、――現在に至る。

「物陰から小声で、一から百まで細かく指示。どこの守護霊よ」

 私はそう言って立ち上がると、つかつかと克己の席まで向かった。

「離れてないで、こっちに座ればいいでしょう?」

「だめだよ。二人の邪魔はできないもの」

 克己は首を横へ振った。目元をきりりとさせた顔は、不審者に吠える子犬みたいだ。かわいいから性質が悪い。

「あのねぇ。だったらついてくるのを止めたら?」

「そ、それは、できないよ!」

 克己が珍しく声を荒げた。高い声でキャンキャンと吠える。

「どうして? 二人っきりにしてくれるんじゃなかったの?」

「だ、だめだよ。二人っきりなんて……」

「だからどうして?」

「えっ……あのぉ、不純異性交遊?」

 何で疑問形? 私は呆れ果てた。

 私は腰に手を当て、克己に見せつけるように深く息を吐くと、元の席に戻った。

「お守も大変そうだ」

 半笑いの田嶋くんの言葉は、労りなのか、からかいなのかわからなくて、私はちょっとむかついた。克己に向かうはずだった怒りが、田嶋くんへ向く。

「笑っている場合じゃないでしょう? 田嶋くんだってどうして克己の話にのっちゃうの?」

「それは、その……」

 田嶋くんは紳士で、込み合う映画館でも、人ごみをかきわけて私の歩く場所を確保してくれた。このジュースだって二人分を頼んで持ってきてくれた。克己と違って、田嶋君は私をちゃんと女の子扱いしてくれている。

 克己は、私を女の子ではなくて、姉弟か、もしかすると母親扱いしている気がする。だから田嶋くんとのデートは私にとってとても新鮮だった。

 でも、だからこそ私はわかる。

「田嶋くんって、昔、ううん、今も彼女いるでしょ?」

 田嶋くんは、女の子に対して優しいけれど、私のことは好きじゃない。

「いないよ……好きな子はいるけど……」

 田嶋くんは体格の正反対の小さな声で答えた。

 つい私はにやりとしてしまう。

「だったらどうして今日は私に付き合ってくれたの?」

「坂上さんのこと、色々と教えてもらおうと思ったから」

 田嶋くんは鼻の頭をかきながら、絞り出すような声で言った。

「日菜子の何を?」

 田嶋くんは黙ってしまう。

 ははぁーん。私は頬を緩ませた。

「私は日菜子の親友だから、ね。いろいろと知っているわよ」

「ほんとか!」

 田嶋くんが身を乗り出して私へ迫った。

 その瞬間、二つ隣の席にいた克己が血相を変えて立ちあがった。椅子が倒れて、大きな音を鳴らした。

 克己は店にいる人たちへ何度も頭を下げる。

 何、やっているのかしら? 私はやれやれと肩を落とした。

「きっと俺たちのことを気にしているんだよ」

「どうだか……」

 田嶋くんのフォローに私は苦笑まじに答える。

「遠田は、ほら、わかっていると思うけど……」

「……わかってないわよ。だって、私に田嶋くんを紹介したんだよ?」

 田嶋くんはぶんぶんと顔を横に振った。意外とかわいいとこあるのね。私は田嶋くんの慌てぶりを微笑ましく思えた。

 けれど田嶋くんのフォローは素直に受け入れられない。

 克己が、好きな女の子を取られそうで動揺しているのか、それとも親友が他の子と仲好くなるのを気に食わないのか、まったくわからない。

「たしかにそうだけど……あんなに怖い目でこっちを見るぐらいだからさぁ」

 田嶋くんが軽く顎を横に振った。私が田嶋くんの顎が示す方向へ顔を向ける。克己は口を真一文字に閉じて、こっちを見ていた。

 気にするぐらいなら、初めからこんなこと……。そう考えていた瞬間、こんなこと企んだ克己への復讐方法を私は思いつく。

「ねぇ、取引しない? 日菜子との関係をとりもってあげるから、これから言うことを聞いてほしいの?」

「……そんな何かを企んだような顔されたら」

 田嶋くんの指摘を受けて、私は手で口角の上がった唇を下へ向けた。

「きいてくれるの? きいてくれないの?」

「とりもつって具体的にどうしてくれるの?」

 田嶋くんがか細い声だけれど、申し入れにのってきた。

「今度の宿泊訓練で、同じ班になるってどう? 班分けのとき、日菜子をそっちの班まで引っ張っていくわ。もちろん、色々な役割分担でも同じペアになれるように根回しするわよ」

「わかりました。言うこと聞きます」

「じゃあ、目を閉じて」

 田嶋くんが、目を大きくした。

「逆よ。目を閉じて。……するの? しないの?」

 田嶋くんは躊躇うものの、睨みつける私に降伏するように強く息を吐く。

「……わかった。目を閉じればいいだけなんだよな。……約束は守れ」

 田嶋くんは目を閉じた。

「開けちゃだめよ」私はそう命令しながら、田嶋くんの頬を手で挟む。

 私は一瞬だけ、顔を横に向けて克己を睨んだ。

 克己は目を泳がせる。

「開けちゃだめだからね」

 私は田嶋くんの顔を自分の方へ引きつける。田嶋くんの唇を、克己から見えない方へ寄せる。

 私は克己の潤み声を聞いた。でも、無視する。

 私は田嶋くんの赤い頬ではなく、頬を挟んでいる自分の手の甲にキスした。もちろん、その種明かしを克己へ絶対に見せないよう注意する。


 次の瞬間。店員の驚きの声。続けて、店の扉が乱暴に開く音。そして店の窓から、走り去る克己の歯ぎしりの音が聞こえそうな横顔。


 やりすぎた? 私は、ぐっと下唇を食んだ。

 自分の手にキスしただけだから、私は何も損していない。

「あいつ……泣いてたかも」

 田嶋くんの心配そうな声に、私はきゅっと冷静になった。その途端に、自分がしてしまったことに、血の気が失せる。

 私は騙された克己の気持ちを全く考えていなかった。

 振り向かせたい。そんな自分のことばかりで、克己の気持ちを、私は完全に無視していた。

 純真無垢な克己を、泣かせるような意地悪い私は、克己を愛する資格ってあるの?

「俺の冗談だったって言っておくから」

 田嶋くんの声が、あまりにも優しくて、私は涙を堪え切れなくなった。




 だから月曜日の朝、HRが始まる前に、克己が私を、屋上へ続く階段へ連れ出してくれたとき、どんな結果が待っていたとしても、泣き出しそうになるほど嬉しかった。

 あの後、私が家に行っても、電話しても、克己は私に声の一つもかけてくれなかった。

 完全に嫌われた。そう私は思っていたから、克己の怖い顔も嬉しかった。

 だから怒ってくれた方が、嫌われて無視されるより万倍もマシだと思っていた。




「僕、萌ちゃんに言わなくちゃいけないことがある」

 屋上へ出られないように鎖で閉じられた扉の窓から、眩しい朝日が差し込み、克己の背中を照らす。眩しい。反射的に私の瞼が閉じようとする。それを私は首に筋がたつぐらい必死に堪えた。克己のまつ毛の一本の動きさえ、見逃したくない。

「田嶋くんを好きなのは、いつも田嶋くんを見ているから知っていた」

 克己の視線が私を捉えて離さない。

「それで僕は、幸せになってもらえるなら、田嶋くんと萌ちゃんをひっつけようとした。親友だから、当然だと思った」

 克己が階段を一歩降りて私へ近づいた。私は制服の胸のポケットをぎゅっと握った。

 克己の、きっと次の言葉が、予想外に期待を孕んでいて、私の心臓は飛び出しそうなほど鼓動していた。


「でも、僕……萌ちゃんを田嶋くんに渡したくない。僕だけが萌ちゃんを幸せにしたい」


 克己の顔は、いつもの子犬っぽくない。男らしく、とても真剣だった。

「うそ……」

「うそじゃないよ。どうしてそう思うの?」

「だって、あんな酷い悪戯を克己にしたから……」

 克己がぎゅっと口を閉じた。

 私も何も言わず、その唇をじっと見つめる。克己の唇は、私より瑞々しい。

「ごめんね」

 克己が口を開く。

「どうして謝るの?」

「だって、萌ちゃんは田嶋くんのことが好きなんだし……僕がこんなこと言ったら、萌ちゃんが困ると思うから」

「違うよ! さっきも悪戯だって言ったじゃない。田嶋くんじゃなくて、私は……」

 私はそこで一旦言葉を閉ざす。

「ねぇ、どうして私が田嶋くんを好きだと思ったの?」

「だって、いつも田嶋くんを目で追いかけているから」

 克己が唇を食んで、悔しそうに視線を落とした。

 私は、それが嬉しくて、微笑まずにはいられない。


《恋開き》


 私は階段を一段上がり、右手を克己の頬へ添えた。克己の緊張が、頬に当てた手のひらに伝わる。

「田嶋くんの隣にいつもいる男の子は誰?」

 克己の顔は、きっと夕日みたいに燃え上った。今は朝なのにね。

 私が笑うと、克己もぎくしゃくとした笑いで応えた。


《あとは、あなたのがんばりしだい》

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