恋開き

@9mekazu

第1話 坂上日菜子

「あぁ、あたしだけって、嘘でしょお」

 日菜子が、弁当箱を片付けた机の上へ額を打ちつけると、ゴンと良い音が鳴った。

「もぅ、何やってんの? 痛くないの?」

 まだ昼食を食べ終わってなかった親友の萌が、お箸を弁当箱の上に置いて、日菜子の頭を撫でる。

「ごめんね。さっさと彼氏を作っちゃって」

「声が謝ってないよぉ~」

 日菜子は口を尖らせた顔を上げる。

「高校生になっても、彼氏がいない子なんて他にもいっぱいいるよ?」

「親友に彼氏ができたってことが問題なのよ」

「ごめんなさいね」

「顔、笑っているぅ」

 日菜子は萌を睨みつけた。萌は深々と頭を下げる。

「でもね」頭を上げた萌が、そう日菜子へ声をかける。

「日菜子も好きな男の子ぐらい、いるよね?」

「どこに?」日菜子はわざとらしくクラスを眺める。

 高校に入学してやっと三カ月。クラスの男子は、まだまだ中学生っぽい。

「あそこでカードゲームばっかしている男の子じゃないよね」

「日菜子は年上好みだものね」

「別に、年上だけってわけじゃないけれど……話がマンガとかアニメとかゲームばっかりはうんざり」

「日菜子だって、マンガ、好きでしょ?」

 萌が机に出しっぱなしの少女漫画のコミックを指差した。

「そうだけどさ。そればっかりはちょっとね。悩みとかにずばりと応えてくれたりとか、あたしを積極的にリードしてくれたりとか……年齢じゃなくて、精神的に大人の男っぽい人が好きかも」

「あっ、大人って言えば」萌は手を叩く。「田嶋くんはどう?」

「た、田嶋くん!?」

 日菜子はつい大きくなってしまった自分の声に驚き、慌てて口に手を当てた。

 教室の入り口近くに座っている田嶋の方へ、恐る恐る顔を向けた。喧しい昼休みのおかげらしく、田嶋は日菜子の声に気づかず、机に座って何かの雑誌を読み耽っていた。

「だって、田嶋くんだよ? 無口で、あまり喋らないだけで。あれは大人っぽいっていわないよ」

 日菜子は萌に顔を近づけて囁いた。

「宿泊訓練で泊まったとき、カレーの作り方もテキパキと教えてくれたし、田嶋くんのおかげでキャンプファイヤーの火つけはうちの班が一番で、先生にも褒められたじゃない。夜、テントで話したとき、ずっと田嶋くんのこと、大人っぽいって誉めていたよね」

「そうだけどさ」日菜子は口を曲げて田嶋をもう一度見る。「学校に戻ってきたらいつもの田嶋くんだもの……まるで別人」

「すっごく残念そうだ、ね」

「な、なに言ってんの!」

 萌がにやりと笑うので、日菜子は机を叩いて立ち上がった。

 さすがに田嶋も気づいて日菜子へ顔を向ける。

 首を竦めた日菜子は、おずおずと椅子に座って、机へうつ伏せた。




「親友より、彼氏を取るなんて!」

 あぜ道を自転車で走りながら、日菜子は叫んでいた。

 見渡す限りの水田。役所が休みの土曜日。どれだけ叫んでも、誰かに聞かれる心配はない。そこが、この田舎町で唯一、許せるところだ。テレビは、デジタルの世の中でも三チャンネル。雑誌の発売日は二日遅れ。携帯の電波は不満足。日菜子は深いため息をついた。

 萌は付き合い始めたばかりの彼氏と、電車で一時間三十分の街へ出かけたけれど、遊びに行くところは、おおよその見当がついてしまう。

「まっ、しかたないわよね」

 近場でちょっとしたデートなんて、中学の修学旅行で行った東京みたいなことできない。田舎のデートはちょっとした日帰り旅行なのだ。仕方ない。

 日菜子は萌の喜ぶ顔を想像しながら、親友の初デートの成功を祈った。こんちくしょう! 

「とはいえ、宿題、どうしよぉ。学校に行けば、誰か先生がいるかな?」

 数学の宿題プリントは三枚。それも両面に問題びっしり。「あぁ、だめだ。もしも数学の先生がいたら、もっと増えるかも」

 日菜子は自転車を止めて、頭を抱えた。

「誰かいないかなぁ~」友達は誰もいないのを知っているくせに、きょろきょろと周囲を見渡す。

 そのとき、意外な男の子がそこにいた。

「田嶋……くん?」

 日菜子と田嶋、出身中学は違っていた。つまり――「なんでこんなところにいるの?」

 まさかっ、あたしに会いに? なんて、ありえない。日菜子はくすりと鼻で笑う。

「田植えの手伝いかしら?」

 田嶋は、教室の半分もない小さな水田に入って、泥と格闘していた。もしかしたら、ここは親戚の水田で、その手伝いをしているのかもしれない。だとしたら、日菜子は小さい頃から、田嶋と知らない間にすれ違っていたのかもしれないのだろうか。

 そんな偶然ってあるかな? 不思議でしかたない日菜子は、田嶋から目を離せなくなっていた。

 田嶋は淡い水色のツナギと着ていた。上半身は脱いで、袖の部分を腰に巻いている。上は白いタンクトップ一枚だった。

「前からそうかなって思っていけれど……けっこう筋肉質なんだ」

 宿泊訓練のとき、ご飯を炊くための薪を運んでいた田嶋の姿と、水田に立っている田嶋を、日菜子は重ねて見ていた。

「かっこいいかも……」

 日菜子はそう言った直後、小鳥みたいに忙しなく首を動かし、周囲に気を配った。誰にも聞かれてないよね。

 ほっと胸を撫で下ろした次の瞬間だった。

「おぅーい。坂上さん!」

 すっかり黒く日焼けした田嶋が、日菜子へ向かって、大手を振った。




「けっこう、きつい。でも、楽しいかも」

 日菜子は水田の泥に足をつけたまま、あぜ道に腰を下ろした。

 眩しい陽光が目に入る。気づけば昼すぎまで、田嶋と一緒に田植えを続けていた。

「助かったよ。おかげで夕方までに終われた」

 田嶋も日菜子の隣に腰を下ろした。玉のように噴出した汗を、タオルで拭っていく。

「そんなことないよ。教えてもらってばかりで、いっそ邪魔しちゃったよ」

「ううん。こっちこそ、ジーンズの裾、ちょっと汚れちゃったね」

「こちらこそ、長くつを借りちゃって。裸足で作業させちゃってごめんなさい」

 日菜子と田嶋の目が合う。

 お互い謝ってばかりだね。そう言って、二人して笑い合った。

 日菜子は宿題のことなんてすっかり忘れて、田嶋の田植えを手伝っていた。現実逃避したかっただけかもしれないけれど、宿泊訓練のとき、田嶋に甘えていたことが心の隅に引っ掛かっていて、いつか恩返しがしたかったのかもしれない。

 こんなところで田嶋くんに出会えるなんて。日菜子は白い太陽を手で遮りながら、少しだけ、この田舎の風景に感謝していた。

 日菜子がそんなことを考えている間、田嶋は田植えの片づけをしていた。三角柱の形に組んだ竹細工の道具を水田から出して、あぜ道におく。残った苗も、購買で売るパンを入れるような箱に丁寧に戻していた。

「機械は使わないの?」

 日菜子の両親は役場で働いていて、農業をしていない。それでも、近所に農家はいっぱいあった。この季節、のんびりと田植え機に乗って道を走るおじいちゃんの姿はよく見かけられる。

「これだけ狭いと、機械は、ね」

「そんなものなの?」

「それに、こうやって昔ながらにするのも。昔だとね、近所の人と総出で田植えをしたんだよ」

「へぇ、他人の水田の手伝いをするの? それって羨ましいね」

 日菜子が正直に述べた感想に、田嶋は目を大きくした。

「ごめん。なんか変なこと言った?」

「ううん、全然。むしろ、良いこと言ったよ」

 田嶋は満面の笑みで応えた。

 あっ、宿泊訓練のときの、田嶋くんだ。日菜子はその顔が久々に見られて、とても嬉しかった。




「何もないんだけれど、これ、食べて」

 桶に氷と水が張っていて、その中から濃緑のキュウリが出てきた。

「これって? もしかして田嶋くんが作ったの?」

 田嶋はちょっとだけ口角を上げた。

「いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」

 一口、食べた直後、日菜子は頬っぺたを押さえた。

「甘い! おいしい。こんなおいしいキュウリを初めて食べたよ!」

 日菜子は田嶋へと顔を寄せた。鼻先が触れるぐらいの距離で、おいしい、を連発する。

「あ、ありがとう。……だけど、ちょっと離れて」

 田嶋の顔は真っ赤だった。

「ごめん。でもあまりにもおいしくて興奮しちゃった」

 近所の農家の人に、おいしい夏野菜をもらうこともあるけれど、日菜子はこれぐらいおいしいキュウリを食べたことなかった。

「どうやって作るの? 天才だね! ……って、田嶋くん? ちょ、ちょっと!」

 田嶋がいきなりキュウリと氷と水の入った桶へ、顔を突っ込んだ。

「ちょっと、あつくて」

 田嶋は前髪まで濡らしていた。

「実際は、農家の作っている野菜の方がおいしいけどね。俺のは……初めたばかりだし、家庭菜園だから出荷時期とか考えなくていいから、おいしく実ったときに収穫できるからかな?」

「何だっていいよ! おいしいのは間違いないもの」

「そう、かな? そんなにおいしい? だったら嬉しいな」

 日菜子の興奮は収まらなかった。

「カレーのときも、おいしかったし……田嶋くんはやっぱり天才だね! 将来は料理する人?」

「農業をやりたいんだ」

 ちょっとだけ田嶋の声が小さくなる。

 日菜子は田嶋が見つめる方向に、自分の目を向けた。茶色の水田に、規則正しく並ぶ苗が見える。

 うん、天職だよ。日菜子はそう言いかけて、口を噤んだ。田嶋の目はとても真剣で、日菜子は軽々しく相づちしてはいけないと感じていた。

「ここは、田嶋くん一人で育てているの?」

 田嶋はゆっくりと首を横へ振った。農業の勉強をするために、知り合いの農地を少しだけ借りているのだそうだ。

「俺、本当は農業高校へ行きたかったんだ。でもうちの両親は先生で、農業は大学で学べって反対されて」

「すぐに、農業の勉強がしたかったんだね」

 日菜子は、寂しそうに笑う田嶋の横顔を、眺める。

「親に、逆らわなかったの?」

 日菜子はいつもの自分を思い出した。気に入らないことがあれば、いつだって両親と喧嘩している。

「逆らわなかった」

 田嶋は水田を見つめたまま、応えた。

「真面目なんだね。それとも親孝行?」

「そうじゃないよ」

 田嶋は水田から目を離して、日菜子へ笑顔を向けた。

「喧嘩したり、怒りながら、野菜を育てると、味が苦くなるんだ」

「えっ、本当なの!?」

 日菜子の声が裏返った。

「うそ」

「……田嶋くんって学校では大猫をかぶっているのね」

 日菜子は口を尖らせた。

「ごめん。でも僕はそうだって信じているんだ。それに、口で言い返すより、おいしい野菜を作って、両親に認めてもらうべきだって思っている」

 大人だね。日菜子は胸を熱くさせながら、そう思った。

 クラスのどの男の子とも違う。田嶋くんはとても大人っぽい。


《恋開き》


「坂上さん? どうしたの? ごめん、日差しが強かった?」

 田嶋は使っていない白いタオルを折り畳んで、日菜子の頭へ載せた。

「顔が赤いよ。熱射病とか怖いからね」

 顔が赤いよ。そう言われて、顔だけじゃなくて、日菜子の全身が熱くなる。

「もう一本、冷たいキュウリをもらえる?」

「もちろん」

 田嶋からもらったキュウリの冷たさを借りて、日菜子は顔の火照りを覚まそうとした。

「やっぱりおいしいね」

 そう言う日菜子へ、田嶋はすぐに答えない。

「田嶋くん?」

「……キュウリを食べる坂上さんの顔って、やっぱり最高だね」

 田嶋は鼻の頭を指でかいた。

 日菜子はくらっと眩暈を覚えた。

 あたしを失神させて、どうするつもり? 今度は日菜子が、桶の冷たい水を手ですくうと、顔を洗った。

 そして立ち上がり、田嶋を見下ろす。

「田嶋くん!」

「は、はい?」

「これからもお手伝いに来ていいかな?」

「もちろんだよ」

 田嶋も立ちあがって答えた。

 二人は笑いあう。あまりにも楽しくて、きっと二人とも、宿題のことすっかり忘れていた。


《あとは、これからの頑張りしだい》

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