第7話死者の報復
朝、学校に着いた僕は、いつものように下駄箱に向かった。
靴を脱いで手に持ちながら、自分の下駄箱を開ける。古い金属製のそれは、少し変形しているらしく開き辛い。
だがそれも、いつものことだ。僕は力を入れて、歪んだ下駄箱を引き開けた。
そして、固まった。
僕の下駄箱の中には、同級生が詰め込まれていた。
【死者の報復】
「………石田か」
「やあ」
ずるり、と軟体動物のように下駄箱から這い出てきたのは、同じ学年の石田だった。
髪はぼさぼさ、眼窩は落ち窪み、元々あまり健康的ではなかった肌は、青白さを通り越して土気色だ。
寧ろ、何か透けているような気さえするが。
「石田、お前、もしかして死んだのか」
「あぁ。昨日、自殺したんだ」
そうか、と僕は頷いた。
「悪いんだけれど、ちょっと退いてくれないか。靴をしまいたいんだけれど」
「淡々としているなぁ君は」
「驚いても良いけれど。悲しんだり憤ったりするほど、僕らは仲良しではなかったじゃあないか。………恨まれるほど、仲が悪かった記憶も無いけれどね」
「恨む? もちろん恨んでいないよ。君はいつもそんな風に他人に無関心で、それが逆に有り難かったくらいさ。挨拶を普通に出来るのは、君くらいなものだったからね」
「じゃあ、何をしに来たんだ?」
僕は首を傾げた。
幽霊になるのなら、何かしら未練が有ってのことだろうと思ったのに。
石田は頷いた。
「もちろん、未練は有るよ。………実は僕は、虐められていたんだ」
「そうか」
僕は上履きに履き替えながら頷いた。
石田は不満そうだったが………しかし昨今、虐めは社会問題であるし、誤解を恐れずに言うならありふれている。
「そうかもしれないが、少しは驚いてもらえないか」
「君のような未来溢れる少年が自ら命を絶つのに相応しい事情が、虐めとは驚いたよ。才能の欠如に絶望したのかと思っていた」
「解った。話を続けよう」
続けてくれなくても良いのだけれど。
「君は死んだんだぞ、石田。僕に恨みを晴らす腹積もりで無いのなら、こんなところに留まっていないで、早く成仏してさっさと生まれ変われよ」
「そうはいかないよ、未練が有る」
「本当に?」
「当たり前だろう、虐められて自殺まで追い込まれたのだぞ?」
「ふざけている訳じゃあ無いよ、良いか、真剣に聞いているんだ。………本当に、未練が有るのか?」
教室へと向かう階段を登りながら、律儀に背後からついてくる石田に、僕は強めの口調で尋ねた。
飛べば良いのに、階段を駆け上って来た石田は、僕の口調にびくりと足を止めた。
「良いか、僕は大嫌いな言葉だけれど敢えて言うぞ? 君のために、聞いているんだ。虐められて自殺したんだ、恨むのは当たり前だ。問題は、それが本当に君の未練なのかということだよ」
「それは、どういう………」
「………君さ、クラスの連中の顔と名前は一致するか?」
不意を突かれたように、石田は押し黙った。視線が虚空を彷徨い、やがて目を大きく見開いた。
僕は頷いた。
「同学年8クラス全てとは言わないよ、同じクラスの男女含めて35人。君を除けば34人だ、どうだい、言えるかい? 言えないだろう」
「それは………これは………?」
「呑み込まれつつあるんだよ」
僕はさっさと階段を上る。
石田は、もうそうするしか無いというように、よろよろと僕の後をついてくる。
「【悪霊】って、知っているだろ? それだよ、君の未来は。………死ねば、人はどんどん薄れていく。自分が、消えていくんだよ。そうしてただ恨みだけが残って、凝り固まって悪霊になるんだ」
「け、けど、僕は!」
「だから、早く成仏して生まれ変われと言うんだよ。………もし未練を持つのなら、確り持っていないと無くしてしまうぞ」
人のせいで、死んだのだ。
せめて死んだ後くらい、自由になるべきだ。
「………」
石田は、しばらく黙って、そうして急に消えた。
僕はため息を吐いて、教室へと向かった。
「………」
数日後。
いつもの制服姿のまま、僕は地元のお寺の前でため息を吐いた。
「………やってくれたな」
あれでそのまま成仏してくれるとは、思っていなかったが、まさか、ここまでするとは。
目の前では、クラスメートの1人の葬式が行われている。
今、僕は記帳を待っているところだ。
「………ふふふ」
「石田」
学校関係の最後尾に並んだ僕の真横に、ふわりと、石田が舞い降りた。
「どうだ、僕は、やってやったぞ」
「お前、まさか………」
「ふふふ、ちょっとだけ、本当にちょっと驚かしてやったら、ふふふふふ、あいつ車道に転びやがった!!」
列が進む。
歩く僕に、石田は滑るようについてくる。
その足は、もう地面に着いてさえいない。
「これで、満足か。お前の未練は晴れたのか?」
「まさか。知っているか、虐めは1人ではやらないんだ。三宅に佐川、清水も、皆皆許さない!! 僕は誓ったんだ。これが、僕の未練だ!」
石田がふわりと浮かび上がる。見上げる僕を嘲笑うように、その儚い姿が闇に消えていく。
不気味な笑い声を残して虚空に消えた石田を見送り、僕はため息を吐いて呟いた。
「馬鹿だな、本当に馬鹿だな、お前は。これ以上、もう何処にも逃げられないぞ」
僕は視線を前へと戻した。
丁度、本堂から、死んだ苛めっ子が鬼のような形相で浮かび上がるところだった。
まあ、と僕は肩をすくめる。
頑張って逃げることだ――死物狂いに。
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