第6話労働者ノ薦メ
「おいーっす」
何処か間延びした、間の抜けた声。
レジから顔を上げると、目の前に、見慣れた顔があった。
僕もいつものように、軽く頭を下げる。
「………お疲れ様です、先輩」
「相変わらず元気ないな、コンビニとはいえ客商売だぜ? 笑顔見せなきゃな」
先輩………学校でいうような意味ではなく、単に、駅前のコンビニでのバイトを僕より長くやっているという意味での【先輩】は、ニカッと歯を剥き出して笑った。
僕より今のところ5歳くらいは歳上な筈なのに、そうして笑うと随分と幼く見える、不思議な人である。
長い黒髪をオールバックに固めていたり、耳や唇にまでシルバーのピアスを着けていたり、身に付けているのはピッチリとした黒い革製品だったりと、まるでロックスターのような風貌だ。
実際歌ってはいたらしく、「スターじゃねぇけど、ロックではあるぜ」と言っていたから、きっとロックなのだろう。
僕はよく知らない。
歌もあまり聞かないし。
まあ、気の良い人だ。
初めて見たときは死ぬほど怖かったけれど悪気は無いようだし、勤務態度は至って真面目だし、話も面白い。
勤務時間が深夜で、僕とは一時間ほどシフトが被る。曜日回りも似ているのか、僕が出勤する殆どの日に、先輩と出会すのである。
それで、ということなのかは解らないけれど、いつもこうして構ってくれるのだ。
駅のもっと近くにコンビニが出来たこともあって、かなり暇になったこのバイト。先輩との会話は、いつしか給料と同じくらい楽しみになっている。
今日は何の話をしてくれるのか。
僕の期待を知ってか知らずか。先輩はニカッと、あどけない笑みを浮かべると、僕にギュッと顔を寄せて小声で呟いた。
「………今日は、お化け見た話してやるよ」
颯爽とバックヤードに消えていく先輩を見送りながら、僕は、思わず吹き出した。
【労働者ノ薦メ】
「おいおい、随分と軽いリアクションじゃねえか」
制服に着替えてきた先輩は、ニヤニヤと笑っている僕を軽く睨んだ。
レザーパンツも、先の尖ったブーツも履き替えているし、アクセサリーも外している。流石真面目だ。
「だって、お化けでしょう? いやあ、どうもそういうのは」
「お前は、あんまり怖くない系か?」
「まあ、そうですね。怖くない系です」
「俺もだ」
でしょうね、と僕は肩をすくめた。
先輩なら、お化けが出てきても多分ビビらないだろう。寧ろ髪を前に垂らして「呪いのビデオ」とかやってたし、親しみの方が強いんじゃないだろうか。
「その方が話しやすくて助かるけどな。いちいちキャアキャア言われちゃあ、店長に怒られちまう」
「どうもっす」
先輩はレジに入る。
僕は雑誌の整理に向かいながら、「それで」と尋ねた。
「どんなお化け見たんですか?」
「あぁ………テケテケってやつだ」
「てけてけ? 可愛らしい響きですね」
「なんだ、知らねえか。俺がガキの頃には、けっこう話題になったんだけどな」
ある時、一人の少女が電車に轢かれた。
下半身切断という大事故で、即死の筈が、何故か彼女は息があって、駆け付けた鉄道警察に言った――「私の足は何処にあるの?」。
「この話を聞いたあと、ソイツの元にはテケテケが現れて、足を奪われちまうんだとさ」
「………恐いしグロいですね。お化けっていうか妖怪じゃないですか? それに、何で【テケテケ】なんて可愛らしい名前なんですか? 足無しとか、足もぎで良いじゃあないですか」
「どっちかっつうと
ならカツカツとかじゃあないのだろうか。
テケテケって言われると、なんかこう、小さい子供が懸命に歩いているような響きだけれど。
「ま、とにかく。それだよそれ。事故なのかなぁ、駅の踏切に、上半身が転がってたんだよ。オッサンだったけど」
「オッサン………」
何となく残念だ。
本当に何となくだけど。
「何て言うかさ、あぁいうの初めて見たときって、恐いとかより先に呆然としちまうもんだな。悲鳴とか叫ぶより、ポカンとしちまうっていうか………」
「あー………なんか、解ります」
お化け屋敷で人が悲鳴を上げるのは、そんな余裕があるのは、「お化けが出る」と解っているからだ。解っているから準備ができて、お化けが出たとき用の
日常、例えば駅の踏切で。
唐突にお化けを見たら、その時はきっと、あまりにも予想外過ぎて何も反応できないだろう。
あ、居た。
そんなことを感じる程度だ。
「その方がマシだったぜ? 俺なんか間抜けにもさ、『大丈夫ですか、そこ危ないですよ』なんて言っちまった。ったく、大丈夫も何もねぇよな、死んでるんだから」
「あはは………」
笑いにくいブラックジョークだ。先輩が言うと、尚更笑いにくい。
曖昧に笑ってお茶を濁すと、僕は先を促す。
「そしたらそいつが、ふわっと浮き上がってさ。ボタボタと、血だかなんだか解らねぇような赤黒い塊を落としながら、ニヤリと笑うんだ。ぐちゃぐちゃになった髪の間から、血を滴らせながら、ニヤリと笑うんだよ。そんで、何て言ったと思う?」
「さあ」
「『お気遣いどうも』だとさ! はっ、笑っちまうよ、頭まで下げやがってさ」
それは、笑えるかもしれない。
日本人というやつは、死んでまで礼儀正しいのか。
「俺はでも、少しゾッとしたよ。何て言うのかな、言葉が通じたことが、会話が出来たことが、そいつが確かに其処に居るって証明したみたいで、急にな。ああ、気のせいじゃないんだってな」
「成る程。そうかもしれないですね」
お化けを見たら無視しなさいというのは、そういう意味があるのかもしれない。
話さなければ、気付かない振りをすれば、自分を騙せるのかもしれない。
少なくとも話してしまえば――言い訳は出来ない。
「俺はもう、情けないけどぶるっちまってさ。へたりこまないように堪えるので必死だよ。多分――座っちまったら、もう声も出せなくなる気がしてな」
「そうですね。そういうとき弱気を見せちゃうと駄目だって、よく言いますし………」
「だろ? だから、俺は腹に力入れてさ、ギロッて音が出るくらい、そいつを睨み付けた。けど、意味無かったな。そいつ、さっさと何処かに行こうとしたんだよ。んで、声をかけた」
フワフワと浮きながら立ち去ろうとするそいつに、余計なことをしたものである。
去るものは追わず。
それが何よりだろうに。
「『どこ行くんですか』ってさ。多分、まだ麻痺してたんだな、病院行かなくて良いのかなって思ってたんだ。そしたらそいつ、何て言ったと思う?」
「うーん、うるせえなとかですか?」
「ガラ悪いなぁ、違うよ。もっと異常なことだよ」
異常………。
先輩の話で、これ以上に異常なことが起こり得るだろうか。
少し悩んで、僕は諦めた。5分悩んで解らなければ、何分迷っても同じだ。
「そいつはな、こう言ったんだよ。『仕事があるので』ってさ」
「………」
「いや、おかしいだろ? 死んでんだぜ? 今さら遅刻も無いだろ、休めよ! 安らかに眠れよ! ………何て言うかさ、今の日本はおかしいなってさ。死んでまで、働かなきゃって思うなんてさ。馬鹿だぜそんなの」
「………そうですね」
「おっと、そろそろ時間か。んじゃ、お疲れさん」
お疲れ様です、といって僕はバックルームに下がり、着替えながらため息を吐いた。
先輩にも、困ったものだ。
笑えない話だ――特に先輩の前では。
男性用の更衣ロッカー室には、1枚の写真が貼られている。先輩が、富士山で撮ったという御来光だ。
明るい初日の出を背に、先輩があどけない笑みを見せている。
………この写真を撮って1週間後。
先輩は、バイク事故で帰らぬ人となった。
誰もが涙し、別れを惜しみ、そしてだからこそ驚いた。
………次のシフトで、普通に出勤してきた先輩を見たときに。
それから、3ヶ月。
先輩は、まだ真面目に働いている。
誰も、彼の死を教えないまま、自分を騙しているのだ。
「いらっしゃいませー!」
明るい声を背に、僕は足早に店を出た。
日本人は、死んでまで日本人だ。
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