第5話恩返し
「よお! バイト帰りか?」
「ん、木島か」
振り向くと、同級生がニヤニヤと笑って立っていた。
縁の太い眼鏡を掛けた背の低い彼は、何やら英語が書かれたTシャツを着ていた。何て書いてあるのかと僕は目を細めたが、意味がある英文には思えなかった。
せかせかと短い手足を動かして駆け寄ってくる木島を、僕は一応立ち止まって待った。
あまり話したことはないが、良く僕のことを気が付いたものだ。
近付いた彼の手には、パンパンに詰まったビニール袋。
「あ、気になる?」
じっと見たつもりではなかったが、気付かれてしまった。
僕はばつが悪い思いで頭を掻き、とはいえ気になるは気になるので、正直に頷いた。
「何か買ったのか、木島。それ、ホームセンターの袋だろ?」
「ん、まあね。頼まれちゃってさ」
「ふうん」
そのホームセンターは、駅からかなり離れた場所にある。住宅地の真ん中で、僕の家からもそれなりに遠い。
時刻は、9時過ぎ。
閉店も近いような時間に、いったい何を買いにいかされたのか。
僕の疑問を感じ取った、と言うよりは、言いたくて堪らないというように、木島は袋の中身を見せてきた。
「何これ。毛糸? 木島の母ちゃん、編み物でもしてるのか?」
「母ちゃんじゃないよ。親は今日、旅行に行ってるんだ」
「え、じゃあ、お前のか?」
別に男が編み物をしても構わないのだが。違和感は、ある。
こればかりは、男女平等とはいえ難しい感覚なのではないか。
信仰の問題だろう。世間の男が女性に対して抱いている、在りもしない幻想と理想の偶像崇拝だ。
神と同じ。
それそのものを見たことがなくとも、男らしさ女らしさは人々の心の中に染み付いている。
「ちがうちがう、そんな女みたいな真似するかよ!」
僕の、顔も見えない誰かへ向けてのフォローが無かったことになった。
木島は袋の口を閉じると、ニヤリと笑った。
「僕じゃないし、家族のでもない。誰に頼まれたと思う?」
「バイト帰りて疲れてるんだ、ナゾナゾなら別な人としてくれよ」
「詰まんねぇヤツだなー。まあ、いいか。ふふふ、聴いて驚くなよ………俺にも春が来たんだ!!」
頭の中にか。
喜ぶ同級生を前にそう
「彼女でも出来たのか?」
「未だだよ、けど、ふふ、もうすぐさ」
「ふうん」
「何だよ、驚かないの?」
驚くなって言ったじゃないか、驚いてほしいならそう言ってくれ。
聴いて驚け。
視て、笑え。
まあ、僕もこいつも華の男子高校生、それも二年生だ。
来年には受験だなんだと忙しくなるのだろうし、今のうちに彼女が欲しいと思う奴も多い。………らしい。
女子もそう思っているのなら、まあ、成立するのは不自然じゃあない。
気になるのは、【御使い】の件だけれど。
「それでその、彼女候補さんに頼まれたのか? こんな時間に、毛糸を? ………何に使うんだよ」
「何ってそりゃあ、決まってる。恩返しさ」
そう言って、木島は得意そうに笑った。
【恩返し】
「なんだよ、それ」
「ふふ、お前さ。【鶴の恩返し】って、知ってるか?」
「知ってるけどさ、それが?」
あれだろう。
助けた鶴が、旗を織りに来るやつ。
「【旗】じゃないよ、【機】。それじゃあフラッグじゃないか、どこのお土産屋だよ」
「解ったよ、それで、それが?」
「だから、それだよ」
どれだよ。
「恩返しに来たんだよ、鶴が」
………。
「やっぱり春が来たのか、お前の頭に………」
「何言ってんだよ、良いか? 昨日の夜のことだよ」
学校からの帰り、木島は、家の近所の寺で、鶴を見たのだと言う。
白い羽をばたつかせて、玉砂利の上で悶えていたのだそうだ。
心優しい――そう言った。臆面もなく、そう言ったのだ――木島は慌てて駆け寄り、鶴を介抱した。
そして、今夜。
「ドアをノックされてさ、何事かと思ってみたら、居たんだよ! 鶴が!」
「………それはシュールな絵だな」
「いや、昔話みたいに女の人になってたよ? それがいわゆる大和撫子っていうのかな、黒髪で、大人しそうな美人でさ。もう僕ドキドキ!」
………まさか。
「え、上げたの、家に? 見ず知らずの人を? お前しか居ない家に?」
「見ず知らずじゃあないよ、助けた鶴だよ」
「自己申告だろそれ?! 大丈夫なのかよ」
「大丈夫大丈夫。で、恩返しがしたいって。けど、ウチ機織り道具とか無いし。で、毛糸買いに来たって訳」
鶴の恩返しって、糸使うの?
羽を抜いて、織るんじゃなかったかな?
「これで、何か作ってくれるんだろうなぁ。それにもしかしたら、もっと違う恩返しもしてくれるかも………!」
ひひひ、とイヤらしく笑う木島を、僕は眺めた。だいぶ、可哀想な人を見る目になっていたと思う。
仕方がないじゃないか。可哀想なやつだもん、こいつ。
「おっと、早く帰らないと! 家で一人じゃあ、寂しいだろうしね!!」
「一人?! ………あぁ、もういいや。気を付けてな」
駆けていく木島を見送って、僕はため息を吐いた。
明日は、学校でさぞかし面白い話が聞けるだろう。
「………うう………」
やっぱり。
蒼白な、血の気の引いた顔色で机に突っ伏す木島を見て、僕はため息を吐いた。
級友たちも同じ考えなのか。
遠巻きに、彼の様子を眺めている。
僕はゆっくりと、木島に近付く。
気が付いて、木島も顔を上げた。泣きそうというか、寧ろ、泣いてる。
「帰ったらさ、鶴さん居なくなってて。部屋、荒らされててさ、通帳無くなってた」
「うん、だろうな」
「親もすげえ怒ってるし、恩返しどころじゃないよ! 完全に仇で返されたよ!!」
一応、恩返しだけど。
ただし、【恩を仇で返した】ってやつだけれど。
僕はスマートフォンを取り出し、検索しておいた画像を木島に見せた。
「お前の見た鶴ってさ。これ?」
「え? ………そうだけど」
「だからだよ」
そう言って、僕は笑った。
その鳥は、鷺だったのだ。
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