第4話塵紙配り

「………はあ? 何ですか?」


なんだってパードン?』というのは非常に失礼だから止めなさいと教え込まれたのは、私が中学くらいの頃だったと思う。

 嫌みで皮肉げで、とにかく相手を苛々とさせるからと、英会話がまるで似合わない筋骨逞しい男性教諭は言っていた。

 米国でそんなことを言ったら撃ち殺されても文句は言えないぞ、とも。

 当たり前だ、言えるわけがない。何しろ、撃ちんだから。


 とにかく失礼なのだとだけは、私の脳裏に刻み込まれた。

 それはそれで義務教育の成果ではあるだろうが、しかし、こうして口にしてしまうのだから無意味だったのかもしれない。


 幸いにして、相手は日本人であった。日本人は撃ち殺すことはまずない。


 相手はニッコリと微笑み、親切にももう一度、同じことを繰り返してくれた。


!!」








【塵紙配り】








 同じことを同じように言えば、結果もまた同じだ。私は再び眉を寄せ、同じように首を傾げた。


 いや、もちろん言っている意味は解るのだけれど。祝福されているらしいことは良く解るのだけれども。

 問題は、それが何に対しての祝福なのかということだ。

 


「だからこそですよ! 貴女は、!!」

「………はあ?」


 3度目だ。

 仏でも怒るところだが、相手は怒らなかった。もしや神か。あなたが神ですか。


 相手――ティッシュ配りのバイトなのだろう、カゴいっぱいのポケットティッシュをぶら下げた少女が、はつらつと笑う。

 羽織っている白いロングパーカーが大きすぎて、手元がほとんど見えていない。身長も小さく、浮かべている笑顔もあって子供っぽくて可愛らしい印象だ。


 少女は、ニコニコ笑いながら私の手元を指差した。


「ほら、【当たり】ですよ!」

「え? あ、本当だ」


 もらったティッシュを良く見ると、普通提供などが印刷されている部分に大きく【当たり】と印字されていた。


「だから、おめでとうございます!!」

「………」


 だからって、どういうことだ。

 何かくじ引きやら福引きでティッシュを貰うことはあるだろうが、貰ったティッシュが当たりなんてことは無いだろう。

 寧ろ、ティッシュは外れだろう。


「えっと、その、当たり? 何かその、貰えたりするの?」

「え? 別にありませんよ?」


 無いのかよ。

 ティッシュ2コ貰えるとかじゃあ無いのかよ。


「えっと、そういうのが良いですか? 勿体無いと思いますよ。これは、

「幸運の?」

「はい! これを貰ったってことは、貴女に幸運の資格が在る、ということです。きっと、良いことがありますよ!!」


 幸運の資格が、ね。


「そうなるように、私が作りました!」

「自作っ!?」

「ただただ、与えられた運命を受け取るのは詰まらないでしょう? だから、こういう当たりとかが在ったら面白いかなぁって思って、私が作りました!」


 いかがですか、と微笑まれ、私は苦笑する。

 まあ、確かに。ただティッシュを貰うよりは、何もなくとも当たりと言われた方が気分は良いだろう。


「ありがとう、大切に使うわね」

「はい!!」


 鞄に仕舞いながら、私は思わず笑みをこぼした。

 こういう、配るだけの仕事でも、工夫をする子はいるものだ。これならつい、手に取ってしまうかもしれない。


 振り向いてみると、小柄な彼女の姿は雑踏に紛れてしまい、もう見ることも出来なかった。





「それで、結局。何か良いことは有ったのですか?」


 鍋をつつきながら、僕は尋ねる。


 ポトフ、と言っていた。


 先週のはウインナーだったが、今日は厚切りベーコンとキャベツが入っている。

 要するに、肉と野菜が入ったスープならなんでもポトフということだろう。僕は料理にうるさい方ではない、作った人がポトフと言うのなら、それはポトフなのだ。


 僕がバイト先から貰ってきた、賞味期限ギリギリアウトの食パンを千切って浸しながら、お姉さんは首を傾げる。


「そうだね、面接は割りと手応えがあったかな。緊張しないで話ができたと思うよ」

「それって、幸運なんですか?」


 実力を発揮できた、というだけではないのだろうか。


 

 何が起きても、ほらあの時言っていたでしょうと言われたら、全てその幸運のお陰に成ってしまうのだ。

 仕事を辞めてから、お姉さんは再就職に向けて頑張っていた――本棚にもそういう本が多く並んでいたし。


 その努力の一切を、【幸運】は呑み込んでしまう。


 僕の言葉に、お姉さんは呆れたように片眉をついと上げた。


「夢の無い考え方をするよね、少年。君、友達居ないだろう」

「別に………普通には居ますよ」

「どうだかね」


 拗ねるように鍋に視線を落とした僕を、面白そうにお姉さんは笑う。

 キャベツもベーコンもウインナーも、たとえトマトが入っていても、本人がポトフと言うのならポトフだ。

 幸せも、【幸運】も、本人が良いのなら、それで良いのかも知れないなと、僕は夢も無く思った。


 だとしたら、少女は神様なのかもしれない。

 こうして、人に幸運を作り与えたのだから。


「あ、あとお金拾ったよ」

「それは、確かに幸運でしたね」

「届けたから、一寸ちょっとしたお礼に成ったけれどね。まあ、一週間は好きな物を食べられそうだよ」


 それはまた、結構な額だ。

 羨ましいような、勿体無く思ってしまうような――人としては正しいにしても、そうか、届けてしまうのかあ。

 それもまた、お姉さんらしいけれど。


「ねぇ、何が食べたい?」


 机の上で行儀悪く両肘を突いて、お姉さんが顔を覗き込んでくる。

 僕は少し悩むように、パンでスープを掻き回して、それからやっと、答える。


 お姉さんは僕の答えに、やれやれとばかりに肩をすくめ、おいおい全く夢が無いなぁと笑った。





 学校からの帰り道、僕はバイト先へと歩いていた。

 夕方、帰るために駅へ向かう人と、帰るために駅から出ていく人との群れに紛れ込みながら、歩くような速さアンダンテで歩く。


「どうぞー!」


 明るい声に、ふと足を停める。

 いつの間にか、目の前にポケットティッシュが差し出されていた。


 見ると、随分サイズの大きな白いロングパーカーを着た少女が、ニコニコ笑いながらティッシュを差し出している。


 その屈託の無さに、僕はティッシュを受け取った。明るく元気な様子の彼女は、見ていて何やら微笑ましく思ってしまう。

 次の人も、そうだったのだろう。

 急ぐように足早に、僕の後を歩いていた中年サラリーマンも、差し出されたティッシュをひょいと受け取っていた。


 おや、と僕は立ち止まった。


 迷惑そうに僕を追い抜いた彼を見送り、それから、振り返る。

 振り返り、其処に居た彼女に声を掛けた。


「ねぇ、君。今のティッシュは………」

「あ、見えちゃいました?」


 ぺろりと舌を出す彼女に、僕は頷いた。

 僕の次に渡されたティッシュは、


 男の人は何の疑問も抱いて居なかったようだから、敢えて言わなかったけれど。

 少女は、あらまぁと言うように目を見開いていたので、気になったのだ。


「あれはですねぇ、私が作りました! 【外れ】ですね!!」

「………外れ?」

「はい! ほら、人生ただ配っている物を受け取るだけでは退屈でしょう? だから、作りました! !!」


 無邪気に笑う少女。その笑顔と話す内容とのギャップに、僕はゾッと背筋を舐め上げられたような気分になった。


 途端に、背後から轟音が響いてきた。


 続く悲鳴に、慌てて振り返る。

 少し先、横断歩道で、誰かが車に牽かれたらしい。飛び込んだぞという叫びが、悲鳴の中から沸き上がる。


 まさか。

 固まる僕の耳元に、そっと、誰かの声が置かれる。


「人は、役割を果たすだけ。そこから逸脱するには資格が要るのよ。


 それは、幸運か、それとも不運か。

 決めるのは、誰だ。


 立ち尽くす僕の回りを、雑踏が踏み荒らしていく。

 立ち尽くす僕はもう、少女の顔を思い出すことは出来なかった。

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