第4話 一人の英人が片腹を押さえて懸命に駆けてくる。



 マナ・ベネットは焦っていた。

 恋人が自動車を走らせること一ヶ月。助手席でそれに付き合うのにも飽きつつあったのは否定しようのない事実だ。

 どういうわけか、最近は腹が空くこともなかったから食事の心配はなかった。

 どうしても口寂しくなったらキスをねだるか、コンビニに車を突っ込ませ、車窓から飴玉キャンディーの袋を拝借した。

 ゴミは窓から捨てる。それはで、追いかけてくるポリスカーを木っ端微塵に吹き飛ばしてくれる。恋人のアクセルをそこいらの警察程度で止められるとも思えなかったが、念には念を入れた。


「それに、ほら、お巡りさんポリスマンが丸焼けになって面白いじゃない」


 バックミラーを見ながら言えば、恋人も可笑しそうに笑ってくれた。

 その表情が好きだった。子供のように無邪気な顔だ。

 ――しかし、それももう見れなくなってしまった。

 突然現れた少女と青年によって呆気なく殺されてしまった。


何よシィット、何だってのよ、もう!」


 恋人の喉笛を容易く掻き切ったのはティースプーンだった。

 否、問題はそこではない。

 恋人が死に、今、停められた車の助手席に座る自分の目の前には少女と青年、二人がいる。


「ッ、殺る気ってワケよね!」


 光のない二対の眼に射抜かれた瞬間に判断を下す。あれは、敵だ。


ごめんねソーリー鉄矢てつや、愛してたわ!」


 マナはすぐさま恋人だったモノを車外に蹴り飛ばして運転席に移る。勢い余ってドアまで吹き飛んでしまったが、仕方がなかったとコンマで割り切る。

 アクセルを力一杯に踏めば、息を吹き返したタイヤがきいきいと鳴った。

 一息にトップスピードへ。少女らへと肉薄する。


退いてちょうだいゲッッラウト!」

「わ」

「おッ」


 少女も青年も間一髪で飛び退いて突撃をかわした。

 マナは大きく舌打ちをして、すぐに気を取り直す。

 元より轢き殺そうとしたのはだ。


「グッバイ、グッバイ……! 二対一ツーマンセルなんて、相手するワケないでしょ!」


 アクセルを力の限りに踏み締める。逃げるのだ。とにかく遠くへ。

 徐々に少女らから車が距離を離していく。マナの胸に一応の安堵が吹いた。

 直後、二人の会話が風に反して聞こえた。


「追える?」

「言ったろ、元陸上部だ」


 マナは眼を見開いた。バックミラーとサイドミラー、そして己の両眼を疑った。

 走っている。青年が二本の脚で、激走する自動車に追いすがってくる。

 速い。早い。――はやすぎる。


冗談でしょホーリーシットッ! なんなのよ、なんなのよアンタ!」

「何って、ただの人殺しだよ」


 追いついた青年が事もなげに言って捨てる。

 マナがハンドルを切った。青年を振り払ってやろうと大きく車体を振る。


「お」


 かわされた。走りながら、呻りを上げる車を青年が跳び越えた。

 しかし、マナは光明を見る。跳んでアスファルトを離れた分だけ青年が減速する。


「こ、の」


 幾度となくハンドルを振り回す。右へ、左へ。ギアを壊れんばかりに使い潰し、時にはあえてブレーキを踏んで青年への攻撃を試みる。


「――ふうッ」


 しかし、総てかわされる。

 青年の動きは獣のように軽やかだった。視線は昏く、しかし鋭く。

 殺人犯ハンターであるはずの自分が殺人犯ビーストに追われる現状に、マナの背筋が冷たく凍る。一瞬でも気を抜けばハンドルを握る指先が動かなくなりそうな恐怖が胃の中で冷えていた。


死ねファックッ、死ねファックッッ。死になさいファックオフ死んでよプリーズ!」

「……メンドクセえな。ひかる!」

「はいはーい」


 名を呼ばれて、少女――光が応えた。

 瞬間、車体がガクンと異常を伝えた。マナは直感する。パンクだ。タイヤをやられた。

 確かめる術はない。だが、早々にコントロール失いスリップを始めた車が物語っている。


「よし。とりあえず、お顔拝見ーっと」


 その隙を突いて車体に取り付いた青年がフロントガラスを覗き込む。

 それがマナにはワケもなくおぞましかった。

 見知らぬ男に裸体を窃視されたような不快感と嘔吐感がこみ上げる。


「ジョウ、ダン、じゃないわよッッ」


 全身が自動車ごと回り、視界も意識も振り回される中でマナ・ベネットはこの上なく短絡的な選択をした。

 手の平をハンドルに叩きつける。

 跳ね起きたように鳴るクラクションなど聞こえず、意識を集中する。荒れたものを鎮めるのではない。怒りを、困惑を、焦りを、あらゆる思考感情を、たった一つの殺意へと純化していく。

 飴玉キャンディーを爆弾にする時とやることは変わらない。

 一切合財を木っ端微塵に吹き飛ばす、見ているだけでスカッとするような衝撃をイメージする。

 その細い指先で触れたものを爆弾に変える。


喰らいなさいなゴー・トゥ・ヘェェル!」


 今回は、車だ。

 叫んだ瞬間には爆発が始まっていた。

 内側から自動車が赤熱し、膨張して、輝く。刹那にも満たない時間の中でそれを観る。

 まるで宇宙が始まる瞬間を見ているようだとマナは感動さえ覚えた。

 勝ち誇ったようにフロントガラスを睨む。青年の驚愕に歪む顔でも見られたら気も晴れるだろうと、そう考えて。

 眼が合う。

 青年の眼は昏く、静かだった。

 爆発した――。



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