第2話 ナイフで腹を開き、そこにキスをして溢れる血を飲んだ。
「何にする?」
「リンゴジュースないかな?」
「ジュースはオレンジだけだな」
「ちぇ。じゃあオレンジで」
オレンジジュースとアイスコーヒーを注文すれば、ウェイトレスが再度注文を読み上げてから厨房へと向かっていった。
その顔は死にたがっていたと俺は思う。
「さすが。コーヒーとは大人だね」
「いや、ちょっと大人ぶってみただけ。コーラとかにすればよかったかなあ」
高架下の殺人現場で出会ってからおよそ15分。
殺人犯の俺と自称殺し屋の少女、
人通りも少なくない、表に面した店を明るすぎない照明がほどよく心地を生む。
調度も品良くまとまっており、全体としてシックな色合いを感じさせる店だ。
静かに時間を過ごすには絶好の場所だろう。
たいした間もなく運ばれた飲み物で乾いた唇を潤して、光が先に口を開いた。
「で、ええと。名前は
「遊ちゃんで」
「……いや、ないわ」
「だろうな。年上だからってそんないばれる人間でもないし、呼び捨てでいいよ。気も楽だ」
「ん。じゃ遊汰で。私も光でいいや」
適当な軽口を叩きつつコーヒーに口をつける。カップを静かに置いた。
口元が歪む。
「どしたの?」
「いや、なんというか。大人の階段ってハードル高えなって」
「……ははあ、ブラックは無理だったと」
ミルクを一杯。シュガースティックを一本、二本入れて、もう一度口を付ける。
「うん。まあ、これなら」
「最近さ、多いよね。殺人事件」
三本目を追加したところで光が言葉を作る。
ストローから息を吹き込み、ジュースをぶくぶくと泡立たせている。オレンジの風味がふわりと届いた。
「ああ、ニュースでもよく見るよな」
物騒だよな、と頷く。カップを持つ俺の指先には乾いた赤がこびり付いている。
「――多すぎない?」
「どういう意味だよ?」
「そのまま。最近、人が死にすぎてる。殺されすぎてるんだよ」
「よく知ってるな」
「副業柄ね。情報集めは念を入れてる。足が付いたら最悪だし」
よく分かる話だ。現に先ほど、現場を光に目撃された俺が真っ先に考えたのは殺人犯として警察に追われる可能性だった。
人殺しは、何があろうとも隠すべきものだ。
何も残さず、誰にも目撃されず。一切の証拠は消し去られなければならない。
そして、殺人を証す最大の要素とは、
「死体の数は殺人の数、ていうのは分かるよね。それが多すぎるんだ」
「ん。気にしてなかったなあ。俺は殺りたい時に殺るし」
「……一応聞いとくけど、今月何人?」
心中で指折り数える、というほどの数でもない。
「今日で二人目。俺はノらなきゃ殺らないよ。半年くらい殺らなかったこともある」
「ノったら殺りまくるってことでしょ、それ。私は今月はまだゼロ。今日が一人目の予定だったんだ」
ふと、気になったことが口を突いて出た。
「殺し屋だっけ? どういう風に仕事してんの?」
「これ」
言って、光が取り出したのはスマートフォンだった。
ピンク色に小さく花柄をあしらった、なんとも可愛らしいカバーに包まれたディスプレイには黒い背景に白い文字が書き綴られている。その画はなんとも薄暗い雰囲気を感じさせる。
「ははあ、こうやって依頼を受けるわけね」
「今時はそう珍しくもないやり方でしょ。ほら、ワタシと一緒に自殺しませんかーとかさ」
「あったあった」
「で、依頼された中でこれならいいかなっていうのを選んで殺ってる。お金はその後に、毎回違うやり方で受け取ってる」
「あ、選ぶんだ」
選ぶよ、と光が唇を尖らせた。基本的に表情に乏しい彼女だが、ようやく年相応の顔が見れた気がした。
「誰彼構わず、なんてとこまで行く気はないよ。遊汰だって選んでるんでしょ」
「だな。でも、最近はそんなやつばっかじゃない?」
「多分。少なくとも私はそう思ってる。事件の数が多いってことはそれだけ多くの死体が見つかってるってこと。考えなしが多いんだと思う」
「……俺も、人のことは言えないけどなあ」
女性を殺してからそろそろ30分になる。もう誰かに発見されただろうか。隠しもせずに放置してきたのだからすぐに見つかるとは思うが。
「素手で腹を貫通、なんて。お巡りさんも苦労しそうだしとりあえずはいいでしょ」
光が片手をぷらぷらと振ってみせる。
俺は爪の隙間に指を這わせる。血痕のざらざらとした、固まった粉のような感触が少し癖になる。
「やっぱ分かるか」
「似たやつは初めて見たって言ってたからね。ピンときた」
そうだ。俺は女性を素手で殺した。
首を絞めたわけでもない。腹を一息に貫いたんだ。
凶器を用いない、殺せるから殺す、人でなしの業――。
「私も、できるよ。遊汰とは多分違うけど、普通じゃできないこと」
少し身をこちらへ乗り出して、光がそう囁いたのと同時、
――――。
爆音が轟いた。
振り向く。幸いにもここは窓際の席だ。ガラスごしに外の様子に眼をやる。
「どこだ?」
「あれ!」
少し離れた向こうの交差点、光が指差した先には凄まじい勢いで爆走する一台の自動車だった。
一瞬だけ視界を掠めた程度の速度は通行人をいとも容易く肉塊に変えていた。
一つや二つ、ではなさそうだ。
「どうしよ?」
「止める。あんま派手にやられると
「同感。脚、どう? 速い?」
「学生時代は陸上部だ」
心底どうでもいい
俺たちの会話から、あるいは車の轟音から異変に気がついた客が増え、カフェの中も次第にざわつき始めた。
ガラスごしの外から、かすかに悲鳴が聞こえる。
伝票を手に取る。
「お代は俺が出す」
「自分の分は自分持ちでもいいよ、フリーター?」
「女子高生に奢れないほど狭量じゃないつもりだよ」
言いながら値段に眼をやる。
やっぱり自分持ちで。その言葉を必死に飲み込んだ。
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