百鬼夜行奇縁

橘 泉弥

百鬼夜行奇縁



 家に帰ると、また鯛焼きが浮かんでいた。今年も来たか。僕は半ば肩を落とす。

「へい兄ちゃん、百鬼夜行見に行こうぜ」

 今人気のクロワッサン鯛焼きという奴なのか、彼の皮はふっくらというよりパリパリしている。中の餡が透けて見え、かなりおいしそうなのだが、捕まえようとするとうまく逃げるので食べられない。

「今日はレポート書かなきゃいけないから」

 適当にあしらって家に入る。

「冷たい事言うなよ、おいらと兄ちゃんの仲だろ」

 鯛焼きはふわふわと後をついて来た。

 数年前から夏になると現れるこいつは、何かと百鬼夜行に誘ってくる。疲れた僕の幻視なのか、それとも妖怪の一種なのか分からないが、どうやら憑りつかれてしまったらしい。僕はここ数年、夏の間だけこの鯛焼きと二人で暮らしている感じだった。

 夕飯の時も、鯛焼きは僕の前を漂い続ける。

「行こうよ。楽しいぜー百鬼夜行」

「そう。じゃあ君一人ででも行ってくるといいよ」

「つれねえなあ」

 僕は正直、百鬼夜行なんかに興味はなかった。家でゲームをしている方が面白いし、ストレス解消にもなる。レポートや宿題も多い時期だから、構っていられない。

 鯛焼きを無視してパソコンに向かっていると、電話が鳴った。実家からだ。

「もしもし母さん? ……うん、元気だよ。そっちはどう……そっか、相変わらずだね」

 先週末に電話をしそこなったから、心配になって掛けてきたのだろう。

「ご飯? ちゃんと食べてるよ……うん、大丈夫」

 電話の間鯛焼きは黙っていたが、切ボタンを押したとたんまた喋りだした。

「いーなーお袋かー。おいらもしばらく会ってないなー」

「君にも母親がいるのか」

「当たり前だろ。生き物にはみんな親がいる」

 鯛焼きって生き物だったのか。新たな発見をした気分だった。

 レポートに追われていると、時間が過ぎるのはあっというまだ。すぐにテスト期間が始まり、レポートの期限も秒読みになる。とある教授が毎日期限まであと何日のメールを送って来るのだが、カウントダウンが怖いので止めて欲しいと思う。



 夏のクロワッサン鯛焼きはしばらく家で漂うだけだったが、前期最後の日、とうとう家の外までついて来た。

「へへん、外に出るのは久しぶりだ」

「迷子にならないようにね」

「鯛焼きは迷子にならないさ。喧嘩して海に逃げ込んだりはするけどな」

「お腹の餡子が重いだろうね」

 彼と一緒だと、普段の世界が少し違って見えた。

電車の中吊り広告は百鬼夜行を宣伝していたし、駅の壁にもがしゃどくろが大きく、その後ろに舌を出した提灯や猫又が可愛く描かれた百鬼夜行のポスターが何枚も貼ってあった。路線図やビルの看板も、みんな百鬼夜行の宣伝で、まるで社会全部が僕を百鬼夜行に誘っているみたいだ。

「そもそも、百鬼夜行って何なんだい?」

 昼休み、僕は鯛焼きしかいない教室で訊く。

「お、興味が湧いて来たのか? いいねえ兄ちゃん」

 彼曰く、百鬼夜行とは妖怪たちの一大イベントだそうだ。日本人の阿波踊りや花笠音頭と同じく、行列を組んで夏の空を練り歩く。メンバーに選ばれるのは近所の妖怪たちにとって名誉なことらしい。

「見てみたいだろ?」

「……うん、まあ」

 あまりにもしつこく誘われるから、せっかくだし見てみようかという気になってしまった。わざわざ出かけるのは面倒臭いが、百鬼夜行を見る機会なんてそうそう無いだろう。案内係もいる事だし、夏の思い出として一度くらいはいいかもしれない。

「お、やっと見に行く気になってくれたか。さすが兄ちゃん」

 鯛焼きは僕の頭上を跳ねる様に泳ぎ回る。

「今日の百鬼夜行は渋谷だぜ。行くかい?」

「渋谷か……」

 それなら学校から歩いてすぐだ。今日でテストも全部終わるし、悪くない。

「何時から?」

「兄ちゃんが到着する頃からさ」

「そう」

 百鬼夜行と言うからには夜の行事だろう。僕は五限が終わった後校門を出て、いつもと逆の左側へ歩を進める。いくつかの十字路を過ぎ宮益坂を下れば、もう渋谷駅だ。

「ハチ公広場からよく見える」

「ありがとう」

 言われた通り人ごみの中ハチ公の下で待っていると、やがて何処からか囃子が聞こえてきた。ピーヒャラテンツクテンテケテンと日本人の奥底に染みついた音の流れが、段々大きくなる。

「来るぞ」

 鯛焼きが弾んだ声で言う。

 囃子が一際大きくなり、町の灯りが吸い込まれていく空から鬼が数人現れた。ケラケラと笑いながら空を歩いていく。それを皮切りに、次々と妖怪が現れた。首のない馬や人の顔が付いた燃える車輪、長い舌を出す妖怪もいる。

そんな者達に混じっていたから、鼻の長い赤ら顔の山伏姿にも、最初は違和感を覚えなかった。

「……天狗は百鬼夜行にいていいのかい?」

「妖怪も神も異形も幽霊も、下手すりゃ仏だって、この国じゃ似たようなもんだからな」

 青行燈や山姥、河童たちも楽しそうに行列を組んで歩いている。大きな一つ目の小僧や蛇女は人間たちを脅かそうと地面近くまで出張って来るが、誰にも見えていないようだ。

十二単をまとった美しい女性は果たして神か仏か妖怪か。

 頭の長い笑顔の老坊主がいた。さすがに福禄寿ではないだろうと思ったが、鯛焼きの言葉を思い出し冷や汗が出る。

「神様達もやりたい放題だな」

「今年はまだ大人しい方さ。一昨年なんか、十二神将が揃ってたぜ」

「それはまた、神か仏か妖怪か分からない方々だね」

 山童、狗神、絡新婦じょろうぐも姑獲鳥うぶめ、野寺坊、高女、鉄鼠、黒塚、鎌鼬、牛鬼、赤舌、青坊主……

 見越入道や餓者どくろは空を覆う程大きい。次々にやって来る異形の者達に見入り、僕は時間を忘れた。

 ついでに人間のふりも忘れて首を伸ばしかけ、慌てて襟足を掴む。

 突然空から何か降って来た。見ると子鬼が一人地面で転んでいる。まだ小さな子供なのか、その鬼はきゅわきゅわと泣き出してしまった。

 僕は仕方なく人ごみをかき分けてその鬼に近付く。

「鬼なんだから、泣いちゃ駄目だよ」

 赤い手を優しく掴んで立ち上がらせ、虎の毛皮についたごみを払ってやる。

 子鬼は直ぐに泣き止んだ。空中に上がり、しきりに僕の手を引いて空を指さす。

「きゅきゅ、きゅわんわ」

「一緒に来て欲しいみたいだぞ」

 鯛焼きが翻訳してくれる。

「いや、遠慮しとくよ」

 僕が首を振ると、子鬼は僕を振り返りながら百鬼夜行に戻って行った。

 最後に囃子の演奏隊が通り過ぎ、百鬼夜行が終わる。

「おいらもそろそろ帰るか」

 鯛焼きがひょいと高く飛んだ。

「妖界に帰るのかい?」

「ああ。もうすぐ盆だしな。盆と正月に帰らないのは親不孝だぜ兄ちゃん。一緒に来るかい?」

「いや、もう少しこっちに居るよ。大丈夫、お盆には帰省するから」

「そうかい。じゃあな」

「じゃあね」

 こうして、夏のクロワッサン鯛焼きは去って行った。

僕は一人家へ帰り、布団に寝そべる。

今日はこちらに来て初めてあんなにたくさんの妖怪を見られたから、楽しかった。人間界、特に都心には同胞が少ないから、この頃寂しくしていたのだ。

何年か振りに首を伸ばすと、何だか家族が懐かしくなった。

今年は早めに実家へ帰ろう。あの百鬼夜行に飛頭蛮ろくろくびはいなかったから、来年は応募してみるのもいいかもしれない。あの鯛焼きは、見事僕に百鬼夜行を魅せたと言っていいだろう。



次の年、鯛焼きはやって来なかった。もっと話したいと思っていたから残念だったが、きっと彼は今年も元気にやっているだろう。誰かに憑りつき、毎日のように誘うのだ。

「百鬼夜行見に行こうぜ」

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