第9話
「─ねぇ」
どこからか声が聞こえる。
それは水の中にも浸透してくるような、はたまた空から響いてくるような美しい響き。
「聞こえている?」
……聞こえているけど、どうやら今の僕は自分の意志では動けないらしい。酷く心地良い感覚が僕を覆っているようで、僕はその、さながら天使のような声に返事をすることなくまた目を閉じる。
「─起きなさい。」
バシッ!っと脳に響き渡るような音が僕の体を巡り、僕の意識は完全に現世に戻ってきた。訂正しよう、さっきの声は天使じゃない。悪魔だ。
「痛……。何も叩かなくても良いじゃないか!」
僕はどうやら教科書で叩かれたらしい。ジンジンと痛む場所を手で押さえながら佐倉さんを睨む。
「声は掛けたもの。それで起きないのなら仕方がない。」
「いや体揺するとかしないの!?」
まさかの揺する通り越して頭叩くに直行。
考え方がおかしいですこの人。
「……起きたから良いじゃない。」
何か思うことがあったのか、彼女はふい、と顔を背け唇を尖らせる。
辺りを見渡すとクラスメイトが各々帰宅している所だった。どうやら僕は6限の途中で眠ってしまい、帰りのホームルームを完全に寝過ごしたらしい。案の定6限の日本史ノートは白紙のままだった。写さなきゃ、めんどくさいな。
「帰ろっと…」
僕はまだ眠っていたがる体をのそのそと動かし、机の隣に置いておいた鞄を掴む。
「じゃあね、佐倉さん。また明日。」
「……何を言ってるの?その台詞は私の家に着いてから言うものよね。」
彼女の横を通り過ぎようとした時、制服を引っ張られるのに加え、かなり不機嫌な目で睨まれた。怖い。やっぱり今日も一緒に帰るのか。
1度決めた事はほとんど曲げない彼女のことだから、もう何を言っても無駄だろう。僕は分かったよ…と言って不機嫌な佐倉さんの気に触れないよう、ぎこちなさMAXの微笑みを作りながら帰る事にした。
「今日は夕飯の用意をしないと行けないから、スーパーに寄って帰りましょう。」
「へぇ、料理出来るの?意外だね。」
「あなた私のことを馬鹿にしているのかしら。後で痛い目見るわよ。」
「いつも馬鹿にされているのは僕なんだけど…。」
そんなこんなで学校を出て、僕らは駅前のスーパーへと足を運ぶ。
僕はここ最近ずっと佐倉さんと一緒に帰らされていて、もはやこの状況になんの違和感すら覚えないくらい慣れてしまっている。人間の慣れって怖い。
スーパーに入ると最近流行っている曲のオルゴールバージョンが流れだし、僕は買い物カゴを一つ掴む。
佐倉さんが料理…、一体何を作るのだろうか。まぁ、見た目的には料理得意そうな顔をしているけれど。
野菜エリアを抜け、魚の売っているエリアを通り過ぎる。野菜と魚を使わない料理なのだろうか。
そんな事を考えながら付いて行くと、前を行く彼女は唐突に商品棚の間を曲がる。
曲がった先はインスタント食品が揃えてある列だった。
彼女はカップラーメンが積まれている棚の前に着くや否や、おもむろに腰を下ろすと次から次へとカップラーメンをカゴに入れていく。え……?
「ちょ、ちょっと待った。佐倉さん、何やってるの……?」
「はぁ?あなた馬鹿なの?目も見えないの?カップラーメンを入れているに決まっているでしょ。」
「いや見えてるよ!!さっき料理できるみたいな事言ってたよね!?」
「……?料理。」
彼女は何を言ってるのか分からないと言わんばかりに、自分の持っているカップラーメンを指さす。
「あの、まさかとは思うけど…カップラーメンは料理の内に入ると思ってる…?」
「……は?当たり前でしょう。」
当たり前、だと…。
いや待て、こんな人が本当に存在するとは。
「あの、ちなみに他の料理は……何ができるの?」
「カップ焼きそば?」
「いや同じだよそれ!!」
しれっと、小首を傾げながらそう告げる彼女に、僕はたまらなく突っ込む。お湯で3分5分の違いだよそれ。袋開ける回数の違いだよそれ。
「な、何よ。焼きそばもラーメンも作れるって事じゃない。」
「僕がいう料理ってのはこう、肉じゃがとかそういうやつだよ。寧ろカップラーメンが料理に入っているとは思わなかったよ僕は。」
相変わらず頭の上にはてなマークを乗せている彼女の視線は僕とカップ麺を行ったり来たりしている。
「言っておくけれど私はこれしかできないわ。だ、だいたい簡単なのだからこれで充分じゃない。」
「親は何も言わないのかこれで……。」
「うるさい。親はどうでもいいの。私が食べたいから食べる。以上。」
彼女は立ち上がり、カゴを持ち上げると すたすたと歩き始める。
「ま、待った!それじゃあ栄養取れないから。僕が作ってやるからカップラーメンはやめようか。」
「…………あなた料理作れるの?」
「それあんたが言う!?」
ジト目で見つめてくる彼女に一言言ってやった僕は仕方なく料理するための材料を買うことにした。
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