野球戦士ランサム ―異世界編―

小駒みつと&SHIMEJI STUDIO

第1話 ランサム大地に立つ

 例年よりも暖かい冬の事を、所沢に古くから住む人間は「定重様の銀杏狩り」と言う。

 これは戦国時代に武蔵国を治めていた上杉家家臣・大石定重に因み、彼が領主であった頃は冬でも銀杏が散りきらぬ程に温暖であったという。

 2015年、冬。この年も、そんな冬だった。

 プロ野球はシーズンオフに入っていたが、助っ人外国人コーディ・ランサムは自主練の為に球場へ来ていた。前シーズンは思うような活躍が出来なかったランサムだったが、確かな手応えは感じていた。

「バスケス、もう一球投げてくれないか?」

「OKコーディ、でもこれで最後にしてくれよ」

 共に自主練に付き合ってくれたチームメイト・バスケスは、ランサムがとんでもない強打者として成長しているのを誰よりも感じていた。自慢の150キロを超えるストレートも、決め球のチェンジアップも軽々とスタンドに運ばれた。

 ランサムは間違いなく、人類を超越したバッターとなりつつあった。

「ラストボールだ、行くぞ!」

「ああ! いつでもいいよ!」

 L型防球ネットの後ろに立ち、そしてバスケスはこの日最後にして最高のボールを投じた。

(どうだ、インハイ150キロの、渾身のストレート! これは打てまい!)

 後に球団職員が語った話によれば、この時のバスケスのボールは160キロを超えていたという。

 しかし。

「見える……見えるぞ! ボールが止まって見える!」

 覚醒したランサムには、もはや蝿が止まりそうな速度にすら感じられた。

 そして知覚には遅すぎるボールとは対象的に、あまりにも高速な自身のスイング。

 ランサムのバットに弾かれたボールは所沢特有の乾いた風を裂き、場外にまで飛んでいった。


「もう勘弁してくれランサム、自信がなくなっちまう」

 そう言い残しバスケスが帰った後は、ピッチングマシーンを使って打ち込んだ。ホームランの感触を、体に刻みつけておきたかった。

 何時間打ち続けただろうか。

 日が沈んでも気温は下がらず、まるでランサムの熱いハートが、埼玉全域に伝播しているかのようだった。

「精が出るな、ランサム」

 マシーンのボールが尽きた頃。誰もいない筈のダグアウトから声がした。

 見ると、選手が一人バッターボックスへ向かって歩いて来ている。

「君は……確かセラテリ」

「今年から私も西武の一員なんだ。まぁ、外国人枠に入れれば、だけどね」

 日本のプロ野球では、外国人は四人までしか一軍登録が出来ない。“助っ人”として呼ばれた後も、熾烈な競争があるのだ。

「頑張ればきっと入れるさ。僕だって去年は数字を残せなかったけど、成長出来た。コーチからは70本塁打は確実と言われている」

「そうか……そうだランサム。君のバッティングをもう少し見せてもらえないか? 参考にしたいんだ」

 そう言いながらセラテリは、手に持っていた三つのボールを見せた。

「三球だけでいいからさ」

「もちろんいいさ。ちょうどボールが尽きた頃だったんだ。セラテリ、マシンにボールを入れてくれ」

 マウンドに向かったセラテリ。ピッチングマシーンにボールを入れた。

 少し調整したのか、コースは多少変わっていたが、それでもランサムは三球とも難なくスタンドインさせた。

「ありがとうランサム、勉強になったよ」

 バッターボックスのランサムと握手をするセラテリ。

「汗を拭いてくれ」

 言いながら、ランサムのヘルメットも取った。

「このくらい何でもないさ。これから一緒に頑張ろうセラテリ!」

「あぁ…………すまない、ランサム」

「謝る事なんてないさ。野球を愛する仲間じゃないか」

「いや、本当にすまない……本当に……」

 不自然な程に謝るセラテリを訝しんだ、その瞬間だった。

 ランサムは、頭部に強い衝撃を感じた。

(……な……!)

 それが硬球だと気付いた時には、ランサムの体は既に制御を失い倒れ始めていた。

「すまないランサム、君程の強打者がいては、私にはチャンスが回って来ないんだ……」

「セラ……テリ…………」

 血飛沫で視界は赤く染まる。

 ランサムは、意識を失った。






 ――それから何時間、いや何日経っただろうか。

「……そんな! オウカちゃんが試合に出られないなんて……」

 何処かから響く声で、目を覚ました。女の声だった。

 暫く天井を見上げてから、自分がベッドに寝かされていた事に気付いた。頭を動かし周りを見回す。頭上には窓がある。レンガ造りの小さな建物のようで、暖炉も焚かれていた。その素朴な佇まいは、ランサムに故郷のアリゾナを思い起こさせた。

 ランサムが体を起こすと同時に、声の主が部屋に入ってきた。

 少女だった。年の頃は、ミドルティーンだろうか。

「あ……良かった、気がついたんですね」

 長いブロンドのハーフアップ、青い光彩。見慣れないのは、その長く尖った耳。

「ここは……」

「無理に動かないで。傷に障ります」

 ベッドから下りようとするランサムを、少女は抑える。

「頭から血を流して倒れていたんです、無理はしないで下さい」

「ここは所沢病院かい? それに君は……」

 故郷を思わせる家の中で、ランサムは幼少期の記憶を思い出していた。

 子供の頃に読んだJ・R・R・トールキンの小説「指輪物語」の挿絵で、同じような耳を持つ種族を見た。

「エルフ……」

「ええ、私はエルフです。貴方は人間ですか? 見たところ王族ではないようですが……」

 からかわれているのかとも思ったが、彼女の眼は澄んでいた。嘘を吐くような人には見えない。

 ランサムは窓の外を見た。広い草原に、遠方に霞む山々。そしてその上に、島が浮かんでいる。

 目を疑ったが蜃気楼などでもない。大きな島が、確かに空に浮かんでいた。

「あれは一体……」

「あれは……」

 少女が視線を落とした。手を震わせている。

「……あれこそが、邪悪帝国“鷹の国”です……。去年優勝し権力を得ると、途端に圧制を……」

「ちょっと待って、優勝って?」

「決まっているでしょう、“野球”です。知らないのですか? ……貴方、もしかして記憶が混乱しているのですか?」

「い、いや僕は……」

 と、その時。

「マキータさん! 何してるんですか、鷹の国との試合始まってしまいますよ!」

 家の外から声がした。

「話はまた……すぐ帰ってきますから」

 そう言うと、部屋の隅に置かれていたエナメルバッグとバットケースを持って、彼女は家を出ていった。

 その背に、ランサムは彼女の悲壮な覚悟を見て取っていた。




「マキータさん、早くワイバーンに乗って下さい! ただでさえオウカさんの欠場で不利なのに、マキータさんまで遅れたら洒落になりませんよ」

「ごめんなさいアキヤ。急ぎましょう」

 犬耳を生やしたアキヤと呼ばれた少女、そして広げれば5メートルを優に超えそうなワイバーンの翼。ランサムはそれを見て、ここが異世界である事を確信した。

 だが、それは今些末な問題に過ぎない。異世界、それがなんだというのか。マキータという命の恩人が、とかく悲壮な覚悟で試合に臨もうとしている。コーディ・ランサムという男はそれを放っておける程、義に薄くはない。

「僕も行こう」

「!」

 家の外に出てきているランサムに驚いたマキータ。アキヤはアキヤで、マキータの家から人間の男が出てきた事に驚いて固まっている。

「気持ちは嬉しいです、だけど野球は命をかけた激しい戦い……素人の貴方では」

「大丈夫」

 言いながらランサムはマキータのバットケースを開いた。思った通り、野球用のバットとボールが入っている。バットは自分で持ち、ボールはマキータに渡した。

「何をする気ですか?」

「いいから、ボールをこっちに投げてみてくれ」

 ランサムはバットを構えた。余りにも堂に入った構えに、半信半疑だったマキータも思わずボールを放っていた。

 そして。

「!」

 草原の草が凪ぐ程の強さ、そして精密さを備えたスイング。打たれたボールは、遥か彼方に飛んでいった。

「得意なんだ、野球」






 ――鷹の国ヒューマントラフィックドーム。

 空に浮かぶ帝国“鷹の国”の都市部中央に建設された、収容人数およそ四万人の巨大な球場。人身売買オークションの利益で建てられた、邪悪帝国の象徴的建造物。

 ドーム球場だが開閉式天井で、この日は屋根が開かれていた。

「遅いですわマキータ! 早く投球練習始めますわよ!」

 三塁側ベンチに入ると同時に、耳を劈くようなハイトーンボイスが聞こえた。声の主は、バロック調のレース服には似合わぬ大きなキャッチャーミットをはめている。

「ごめんなさいシルヴィ。でもその前に、紹介したい人がいるの」

 言われて、ランサムは一歩前に進み出た。

「だ、誰よこの人……うちの国にまだ男性が残ってらしたの……?」

「いえ彼は……その、何ていうか……」

「そうか、自己紹介がまだだったね」

 ランサムは、シルヴィと呼ばれた銀髪ウェービーヘアの少女の前に膝をついた。地面は泥砂で汚れていたが、そんな事ランサムは気にも留めなかった。

 そして、シルヴィの手を取る。

「僕の名前はランサム。コーディ・ランサムだ」

 シルヴィは、顔を上げたランサムと目が合った。

 その紳士的で、まるで気高き騎士の如きランサムの振る舞いは、シルヴィの心をときめかすには充分だった。




 試合時間が迫り、ベンチにはスターティングメンバーが集まっていた。

 青い肌をしている者、竜の様な尾を持つ者、翼の生えた者……様々な種族がいたが、それぞれに共通している事があった。

「どうして女性ばかりなんだ……?」

 ランサムが思わず口に出した何気無い疑問。それが聞こえたのか、竜の尾を持つ少女が勢いよく立ち上がった。

「おいなんだとテメェ! 女ばかりじゃ勝てねえとでも言いたいのか! 新入りの癖に俺らにケチ付ける気かよ!」

 ズカズカとランサムに歩み寄り、メンチを切る。

「いや、そういうつもりでは……」

「だいたい男なんか信用できねえだろ! 金に目が眩めば平気で裏切る癖に! あぁ!? その前に今俺があんたを追い出そうか!?」

「や、やめてください!」

 止めに入ったのは、アキヤだった。

「すいませんランサムさん、これには理由があるんです。アサミラ先輩も落ち着いて下さい!」

 ちっ、と舌打ちをして、アサミラは戻っていった。ベンチに座った後も依然不機嫌そうにしていた。

「す、すまない。何か僕が不用意な事を言ってしまったみたいで」

「いや、ランサムさんは悪くありません。悪いのは……みんな鷹の国なんです」

「どういう事だい?」

「この世界では、権力の有り様を全て野球で決めるんです。優勝した国は、大陸連合の議長を務める……つまり大陸の政治を好きに出来るって事です」

「そうなのか……でもそれがこの女性ばかりのチームと何の関係が?」

「それなんです。鷹の国はその権力を得る為に、手段を問わず勝とうするんです。優秀な選手を強引に引き抜いたり、ボールの反発係数を変えたり……。僕達の国、ツツーミ王国ヴェストレーヴェは昔は強豪だったんです。だけど、優秀な選手はどんどん亡命して……そしてとうとう、女性選手しか残らなくなってしまったんです」

「そんな……僕の愛する野球を、自らの欲望の為に冒涜するような行為だ……」

「今日負けたら、僕達は最下位に転落……そのままシーズンを終えればどんな目に合うか……」

「だからマキータはあんなに覚悟を決めて今日の試合に……許せない……鷹の国、絶対にやっつけてやる!」




 午後六時。日が沈み、外野席の巨大な燭台に炎が灯される。

「プレイボール!」

 ヒューマントラフィッキングドームに審判の声が響いた。と同時に、観客席から四万の観衆の割れんばかりの雄叫びが響いた。その殆ど全てが鷹の国応援団である。

 先攻はヴェストレーヴェ。一番バッター、センターアキヤ。

 鷹の国のピッチャーはオーク族の男だった。豚のような顔に緑色の肌、半裸で巨体だった。

 対してアキヤは華奢な体つきで、汚れた麻の服に軽鎧をつけていた。

 そして、第一球。

「危ない!」

 ベンチから声が響いた。しかし間に合う筈がない。アキヤはまだ観衆の雄叫びが静まらない中で、硬球を肩に受けてバッターボックスに蹲っていた。

 初級デッドボール。急いで救護班が治療に向かう。

「悪いねぇ、手が滑っちまった」

 相手の投手は悪びれる様子もない。

「わざとですわ……」

 ベンチでシルヴィが言った。

「あのキャッチャー、ミットを構えてすらいませんでしたわ。完全に死球のつもりで投げたのですわ」

 ベンチには怒りの感情が充満している。もちろん、マキータも。

「ランサム……これが、鷹の国のやり方なのです……」

「許せない……なんて卑劣なんだ、鷹の国!」

 アキヤは何とか立ち上がり、一塁に向かう。

「でもそれは、自信の裏返しでもあります。例え先頭打者を出したとしても、彼等は後続を抑える自信があるという事……そしてそれだけ、私達が格下に見られているという事……」

 そのマキータの言葉の通りだった。

 二番マロン、三番アサミラと連続で三振に切ってとられた。二人とも、オークが力任せに投げる速球にバットが掠りもしない。

「ちっ、情けねえ」

 ベンチへの戻り際、アサミラはランサムとすれ違った。

「ありゃ人間如きじゃ無理だ。今のうち逃げたほうが恥かかなくていいぜ?」

「平気さ」

「け、強がりやがって」

 バッターボックスに向かうランサム。

「おいランサム、お前鎧は?」

「そんなもの必要ない」

 身を守るものはヘルメットのみ。正気の沙汰じゃない……アサミラには、彼がトチ狂ったようにすら見えた。

「オウカの代わりだから四番だけどよ、失敗だろうな」

 ベンチに戻ったアサミラが毒づく。

「そうでしょうか。私には、可能性はゼロではないと思えます」

「何言ってんだ、パニクって鎧すら忘れてんじゃねーか。オークのボールにビビって逃げ出すかもよ? 人間なんてそんなもんだ。あいつがヒット打ったら裸踊りでもしてやんよ」

 ランサムがバッターボックスに入った。オークは、少し驚いたような、或いは馬鹿にしたかのような見開いた目を向ける。

「おいおい、四番が人間かよ。いつもなら俺と同じオーク族のオウカ・ワーリが四番だったじゃねぇかよ」

「彼女は欠場だ。前の試合で膝に自打球を受けてしまったらしい」

「へぇ。まあ俺は構わないがね」

 ピッチャーがセットポジションを取った。そして出鱈目な投球モーションで、ランサムの胸元インコースに速球を投げ込んだ。

「ストライク!」

 インコースいっぱい、判定はストライク。

「おいおい、逃げるどころかボールが見えてないんじゃねーか?」

 微動だにしなかったランサムを見て、アサミラはそう言う。それは概ね、投げた本人、さらには球場にいる殆どの観客、選手達と同じ感想だった。

「今のコース、俺の手がちょっと滑れば死球だな」

 ランサムが、マウンドに目を遣る。その眼は恐怖どころか、溢れんばかりの闘志に燃えていた。

「なんだぁその眼は? 俺のボールを見て頭がおかしくなったか?」

「喚いてないでとっとと次を投げてこい。君のボールはもう見切った」

「あぁ?」

 挑発的にも取れるランサムの言葉で、オークの怒りに火が付いた。キャッチャーからボールを受け取ると、すぐに投球動作に入った。

「人間風情が面白ぇ……打てるもんなら打ってみやがれ!」

 力任せに投げる超速のストレート。だがランサムは、その速球を脅威には思わない。

 投球を見て気付いた事がある。確かにスピードのある豪速球ではあるが、“ノビ”が無い。所謂棒球である。

 オーク族の指は、太く短い。さらに多汗である。故にボールの縫い目に指が充分に引っかからず、回転がかからない――僅か一球でそこまでの分析を終えている。

 そんなボールが、野球を極めた史上最高の強打者コーディ・ランサムに通用する筈がなかった。


 球場に、木製バットの心地よい音が響いた。

 弾き返された白球が、空高く飛んで行く。

 静まり返る鷹の国応援団。

 にわかに沸き立つ三塁側ベンチ。

 呆然とするピッチャー。

 ランサムだけが、この状況を当然の帰結だと知っていた。

 白球は、やがて場外に消えていった。

「ホ、ホームラン……ホームランですわ! 50試合ぶりの先制点ですわ!!」

「ランサム……」

 悠然とダイヤモンドを走るランサム。

 彼の伝説は、今日この瞬間より始まるのだった。

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