第2話 声にならない
あきらをソファに座らせて、ココアを入れて持ってきた。
「あきらだってお父様が色々あって辛いんでしょう、似た者同士で上手くやりましょうよ」
隣に座り、自分用に持ってきたブラックコーヒーの入ったカップを持ち上げて乾杯の真似をすると、あきらもココアの入ったマグカップを両手で渋々持ち上げた。
「これからよろしくね」
「はい」
それから、少しカップに口をつけた後に、ぽつりぽつりと言葉を選ぶように話し始めた。
「ここへ来る前から気になっていましたの、お辛いのになぜわたしをすぐに引き取ってくださったのですか、もう星子さんにはわたしを引き取る理由はないんじゃありませんか ?」
コーヒーを一口飲んで、カップを静かにテーブルに置いた。
温まった息が部屋の空気にまぎれる。
わたしは今、冷静な顔をつくれているだろうか。
あきらをこれ以上、怖がらせないような大人な態度ができているだろうか。
生徒の相談を受けているときとか、真弓が落ち込んでいたときとか、こういうことは、よく考える。
きっと職業病だ。
「真弓がいなくなって、あきらの引き取りは真弓の実家にってなってたんだけどわたしが頼んだのよ、あなたを引き取らせてほしいって」
あきらは驚いた様子だったけれど気にせずに続けた。
「引き取る理由がいつなくなったのよ、真弓の最後の頼み事を果たさない理由のほうがないわ」
言い切ってからあきらのほうをみるとあきらはゆっくりと顔を上げた。
「あなたは素敵な人ですね」
ちょっと照れくさそう。
初めてあきらの本心が見えたような気がした。
とても、ほっとした。
「他人を素敵だと言える人は素敵な人よ」
コーヒーカップとマグカップが空になってテーブルに並んで、わたしは伸びをして立ち上がった。
「じゃあせっかくだから堅苦しいその言葉遣いやめなさいね」
相変わらず姿勢良くきっちり座ったあきらはまた上品に小首を傾げた。
「ここにいる間はお嬢様じゃないからね、学校の転校は春休みが終わってからだけど、田舎の公立高校に馴染むんだったらもっと気楽になんなきゃ」
頭の上に、クエスチョンマークが浮かんでいる。
きょとんとした顔も、上品で愛らしい。
「わたしのことは星子って呼んでね、一緒に住むし、敬語じゃなくてもいいの」
何が何だか分からないといった様子でそわそわしているあきらに
「あなたが思ってることを取り繕うことなくそのままの言葉にだしてみるといいわ、わたしはあなたの保護者でもあるけれど、とってもいい子だってわかった、友達になりたいの」
と声をかけるとやっと納得したようで、あきらが頷いた。
「わかったわ、星子」
ささやかなティータイムを終えて、
あきらを部屋へ案内した。
即席感満載だけど一応ベットとテーブルと本棚。
使っていなかった部屋をわたしなりに女子高生らしくしてみた。
あきらは予想外に大喜びではしゃいだ。
「わたし、こういう秘密基地みたいなの夢だったの」
お嬢様からしたら秘密基地レベルの広さなのは仕方ないけど、斜め上の反応にちょっと戸惑う。
夜ごはんも一緒に作った。
そこで気づいたんだけどあきらは意外と手際よく料理ができる子だ。
本人曰く、世間知らずのお嬢様じゃ困るから家事全般を中学の頃に習わされたらそう。
わたしなんて真弓と付き合うまで、自炊なんて全くしなかったというのに、やはり金持ちの教育っていうのは一味違う。
世間知らずは改善されていないとは思うけど、ここまでできるのならそれも愛嬌ってやつなのかもしれない。
夕食はオムライスにした。
これは真弓の為に何度も練習したから味には自信がある。
あきらもおいしいって食べてくれた。
久しぶりに誰かと食事をするのはとても 温かい気持ちで、心地よい。
あきらの綺麗なお嬢様の、つくられた芸術品のような顔が段々普通の女子高生みたいにほぐれていくのが可愛らしくて、見ていると幸せな気分だった。
お風呂に入って、あっという間に夜は来た。
お互いベットに入って、すっかり深夜になった頃だ。
「星子、星子」
頭の中で、微かな声がする。
「真弓……」
体がふわりと浮く感覚。
ああ、これは夢だ。
だって真弓の声がする。
夢に吸い込まれていく感覚がする。
身体が軽くて、そこにいない、わたしは夢の中にいる。
やがて真っ白な空間に包まれた。
スーツを着て、現代文の教科書を持った真弓が授業をしている。
風でページがめくれるのを長い指で押さえる、ふとした仕草がセクシーだ。
昔に一回、授業中の真弓を見たことがある。
いつもの頼りない姿とは違って、冷たい顔して淡々と授業をすすめ、生徒に注意する姿なんかも新鮮で、ある意味衝撃を受けた。
わたしは真弓のことを、朗らかで冗談を交えつつ授業するタイプだと思っていた。
その後で、意外だねって本人に言ったら、授業の内容をこなすのに一杯一杯なだけだと悔しそうにしていて、やっぱり真弓は真弓だと安心した覚えがある。
現実でもう一度くらい、こっそり見ておけばよかったかも。
あ、こっち見て笑った。
「植原先生」
ああ、学校ではそう呼ばれていた。
ときどき星子って呼びそうになって、慌てるのがかわいいの。
真弓がわたしを呼ぶと教室だった背景と生徒たちが雲がちぎれるように消えて、真弓は私服姿になった。
グレーのジャケットと白いVネックのTシャツ、細身のジーンズという、どれも春、ちょうど付き合い始めた頃よく着ていた服。
「星子」
真っ白い空間に風が吹いて、桜が舞って、真弓の元々色素の薄い短い髪が桜色を透かして揺れた。
突然に万華鏡の中みたいにキラキラ不思議な背景が現れて、混ざるように回るたび、真弓がこちらに向かって近づいてくる。
「星子」
真弓の声が二重になって響く。
変わり続ける風景に、なぜだか恐怖を感じるほどに、焦ってしまう。
真弓に話しかけようとしても声がでない。
真弓に近づこうとしても身体が動かない。
わたし自身が見ている夢だというのにもどかしいにも程がある。
「星子は素敵な人だ」
真弓がわたしを抱きしめる。
だけど真弓の腕や身体は空を切ったようで、もっと抱きしめられた感覚がほしいと思った。
「星子、俺はもう君を愛してるって言ってあげられなくなってしまったね」
そんなこと、いわないで真弓。
夢の中でわたしを愛してるって何回も言ったらいいじゃない。
そうじゃないとわたしは生きていけない。
わたしは真弓をずっと愛してるっていい続けたいの。
今すぐ消えそうな、空気のような真弓の背中に腕を回したいのにやっぱりわたしの身体は言うことを聞かないし、声だって出ない。
水の流れる音や、教会の鐘のような音が遠くで聞こえる。
「星子のことを抱きしめるのもこんなに難しくなってる」
真弓は身体を離して、わたしの肩に手を置いた。
真弓の顔が目の前にある。
色素の薄い髪と眉毛、一重のタレ目の中で潤む茶色い瞳、無駄に綺麗な形の鼻と猫に似ている口元。
こんなに切ないのに、真弓の顔が近くにあると、まるで初恋みたいに胸がときめく。
世界一のイケメンだって真弓には敵わないと思う。
「どうしたの、見惚れてたの ?」
からかうように、真弓が笑った。
「けど、ごめん星子、デートしてる時間はないんだ」
ああ、真弓が離れてしまう。
行かないで真弓。
「他にも寄る場所があるから」
真弓は跪いてわたしの手の甲にキスを落として、
「大丈夫、浮気じゃないから安心してよ、俺は星子だけさ」
なんて気取った態度をとった。
一緒に古い洋画を見たときにふざけて2人で真似して、真弓が本気でやるものだから照れてしまったあのシーン。
懐かしいな、あの日に戻りたくなってしまう。
真弓は立ち上がって背中を向けて去ってしまった。
ゆっくり歩いているように見えるのに、すごく速く。
背中がどんどん小さくなっていく。
頭が痛いほどに教会の鐘のような音が大きく響く。
「行かないで真弓」
そんな叫びもやっぱり声にならなかった。
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