植原星子の保健室

桜井琥珀

第1話 見惚れる

「わたしの顔に何か付いていますか」

 小首を傾げて聞いた少女にいいえ、と答えた。

 毛先を内巻きにしたハーフアップの黒髪がよく似合うお嬢様。

 外国人みたいに彫りの深い目元を二重まぶたの綺麗なラインと長い睫毛、黒い大きな瞳がより華やかに飾っている。

 白い肌、高い鼻も、薄い唇も作り物みたいに整っていて、よく言う〝お人形さんみたい〟って言葉がぴったり。

 だからつい、数秒顔に視線がいったままぼーっと見惚れてしまった。

「すみません、しばらくの間お願いいたします」

 上品な笑顔を浮かべた少女の母は少女とともに頭を下げた。

「お願いいたします」

 2人の深々としたお辞儀に申し訳なくなってこちらも頭を下げた。

「責任を持ってお嬢様をお預かりします」

 2人は頭を上げて、顔を見合わせて頷いてから、母親だけが外へ出て行った。

 玄関のドアが閉まるのと同時に急に静かな空気が漂う。

「お母様とのお別れ、ずいぶんあっさりだったけどあれでいいの」

 しばらく会えないというのに一言も別れの挨拶を交わさなかったのが気になった。

「ええ、昨夜は夜通しお話をしたから、もう話すことなど思いつきません」

 何かを心に決めてきたというか、硬い意志を持っているように見えた。

 もしかしたら、単に緊張しているだけかもしれないけれど。

「そう、じゃあ、あがって」

 前にスリッパを揃えたが、玄関先にとどまったまま、

「その前に自己紹介をさせていただけませんか、あんまり話し込むとタイミングを見失います」

 と言って、一礼をした。

 育ちが良いにも程があるくらいだと思う。

 16歳にして大人っぽすぎる彼女に、やっぱりお嬢様は違うなと思いながら、言う通りに自己紹介をしてもらうことにした。

「お母様から聞いているかも知れませんが、花園あきらです、お世話になります」

 もう一度下がった少女の頭をぽんぽんとなでて

「あきらね」

 とわたしが呼ぶと花のように上品ふふっと笑って返された。

「あら、何かおかしい ?」

 彼女はさらに笑った。

「すみません、そのような呼び方で 家族以外からお話されたことがありませんのでうれしくってつい」

 わたしからすれば何が面白いのかは本気で全くわからないが、あきらにとって呼び捨てで呼ばれることは相当珍しくおかしいことなのだろう。

「そういうの、一般の女子高生の間じゃ『何それ嫌味っぽい、ウケるー』っていうから気をつけなさいね、しかも内心ウケてるわけじゃないし」

 冗談交じりに注意したら、あきらは

「気をつけます」

 と笑い涙を指先で拭った。

「わたしのことも教えなきゃね、わたしは植原星子よ、あだ名が春から転入する高校の、保健室の先生やってるの、そして今日から貴方の保護者代わりよ早くあがりなさい」

「素敵な名前ですね、では失礼します」

「どうも」

 あきらはきれいに靴を揃えてスリッパを履いた。

 さぁ、そろそろ、お嬢様のあきらがなぜわたしの家にやって来たのか話そうと思う。

 わたしは先ほどあきらに名乗った通り、この田舎の高校で養護教諭をやっている。

 つまり、保健室の先生だ。

 わたしには彼氏がいる。

 同じ勤め先の年下の国語教師。

 新戸部真弓という名前も似合う、ヘラヘラしてなよっとした女っぽいやつ。

「転校してくる生徒を、星子の家に住まわせてあげてほしい」

 そう、真弓から頼まれて、最初はわけがわからなかった。

 なんで見知らぬ生徒をわたしが面倒みなきゃならないのって。

 でも、真弓の話を聞いていくとなぜわたしに頼んだのかがわかった。

 真弓の家系は真弓の両親も、祖父母も教師という教師一家だ。

 転校してくる生徒は、真弓の祖父の教え子の娘らしい。

 真弓の祖父の教え子、つまり転校生の父親はうまく行っていたグループ会社が倒産し、恩師であった真弓の祖父に、こう相談した。

「娘の通う私立の高校は東京では有名なお嬢様学校で、このまま通わせてやることはできないが、有名すぎるグループ会社の娘が都内の学校へ転校すると変な噂がたっていじめられては困るから、落ち着くまで信用の置ける先生に引き取ってもらって、田舎の自分の母校学校に通わせてほしい」

 その母校というのが、わたしと真弓のつとめる、県立立川高等学校。

 真弓は祖父母、両親のいる実家住まいで、さすがに若い男性教師と女子生徒が同居というわけにもいかないので、真弓の恋人であり、保険医であり、同性であるというなんとも都合のいいわたしに白羽の矢が立ったというわけだ。

 もちろんその転校してくるこというのがこの、花園 あきら。

 結構かいつまんで話したけどわかっていただけただろうか。

 あきらがここへ来た理由だけならややこしいながらも、まだこうやってさらりと説明できるのだが、事態はさらにややこしい事情を孕んでいる。

「この人……」

 リビングに上がるなり、周りをキョロキョロと見渡していたあきらがあるものを目に留めて、ゆっくり近づいていった。

「お父様から聞いているでしょう ?わたしにあなたを引き取るように言った人よ」

 あるものとは、リビングにいつも飾ってある、真弓の写真だ。

 彼氏の写真を部屋に飾るなんて昔はありえないと思っていた。

 真弓と付き合う前のわたしがもしこの光景をみたら、信じられないし気持ち悪いと言うと思う。

 もともと、ベタベタくっつきたいたちでもないし、四六時中彼氏の顔が見たいような乙女でもない。

「素敵な方ですね」

 写真が置いてある低い棚の淵に指をかけて、膝立ちをして目線をぴったり真っ直ぐに写真に合わせたあきらが、小さな声で写真の中に語りかけていた。

 微笑ましく見守りながら、ちょっと自慢したくなる。

「いい男でしょ」

 わたしはあきらの横で少しだけ腰を曲げて上から覗き込むような姿勢をとった。

 真弓の顔がよく見える。

 わたしとは反対に、真弓は写真写りが良いから羨ましい。

 写真の中の平たいおでこを、デコピンをするみたいに叩いた。

 真弓はヘラッとした猫みたいな口で笑っている。

 一般的にはイケメンというほどでもないけれど、わたしはこの口が真弓の顔で一番お気に入りのパーツだ。

 見つめていると思わずため息が出た。

 そこで、突然にはっと気づいたあきらが膝立ちのままで、立っているわたしを見上げた。

「すみません、あの、私……お顔を見ておきたくてつい噛り付いてしまいました」

 青ざめた顔で慌てている。

 察しがついたわたしは即座にフォローを入れた。

「いいえ、いいの」

 落ち着かせるために、あきらの綺麗な髪をやさしく撫でる。

 あきらが取り乱したのには理由がある。

 あっけなくて、最初は実感がなかったくらいだけど、真弓はほんの一ヶ月前にこの世からいなくなってしまったのだ。

 しかし、わたしのため息はあきらが思ったであろう、悲しみから来たものではない。

 そんなに昔の写真ではないのに、ただすごく、懐かしくて恋しくなった。

 写真の中の真弓に見惚れていたのだ。

 それだけ。


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