宇宙海賊のいちばん長い日

西山香葉子

第1話



 大安の日曜日を翌日に控えたある土曜日の午後8時10分。某県某市某商店街のはずれ。

「うら行け! ジャブだジャブ!」

 TVの前で座りこんで拳を振り上げ、それに向かって叫ぶ男。

『A選手ここはフックで行きましたねえ』

 TVからばすっばすっと殴り合う音が聞こえる。

 ボクシングの世界タイトルマッチの試合中であった。片方が日本人選手。彼は今劣勢だが攻撃したところ。ここはAとしておく。

 そのA選手の応援でTVにかじりついている男が1人。今のはこの男に言わせるとジャブで行くべき場面だったらしい。

 男の背後には障子の枠に紙の代わりにガラスを貼った、ガラガラ引くタイプの扉。

 TVでは、のんきな解説の直後外国人選手が日本人選手にストレートを食らわしてダウンを取った。

 その時。扉が開いて男の背後から声がした。

「鈴木ィ、客ほっといて何やってんだ!」 

「悪りィ佐藤! あとにしてくれ! おいっ、何やってんだてめえ! ジャブだろっ……あーっ!」

 実はここ、理髪店である。鈴木と呼ばれた、TVにかじりついている男が店主。30代の後半で、妻あり、子なし。TVっ子だもんで、サボっていること多し。

 佐藤と呼ばれた男は、鈴木の小・中・高校の同級生で幼なじみ。ワインメーカーに勤めている。商店街から少し離れた市営住宅在住。結構いい男。バツイチ――今は独身。

「頭やりたくてわざわざ早く帰ってきたんだコラてめえ」

「すみません佐藤さん。相変わらずTVっ子で」

 と鈴木の妻は、女の子の顔をあたっていたのから手をあげて頭を下げた。明日の花嫁であろう女の子は、可哀相に内心ビビっているだろう。

「俺だからいいけど、なんとかしませんとこの店が潰れるのも時間の問題ですよ」

「言っても聞かない人だから……ちょっと待ってくださいね」

 言われた佐藤だが、先ほど開けた時同様扉に手をかけたら。

「ちっくしょー! あの野郎!」

『A、チャンピオンの座から墜ちました!』

 カンカンカン。

 TVの中継とゴングと、鈴木の叫びが、2秒ずつ遅れて飛びだし、聞く者の耳にかぶった。

「うああああああーー!」

 応援していた選手がチャンピオンでなくなった悔しさからくる鈴木の叫びは続いている。

「ちょっとお邪魔」

 言いながら佐藤が、ガラス障子の扉の奥へ消えた。

 すると。

 ガシャーン!

 派手な、大きい音がした。

 何処にあったのか、TVにはマサカリが突き刺さっている。

「なにしやがんでえ!」

「TVがあるからサボるんだろてめえ!」

「表出ろこの野郎!」

 2人はとっ組みあいの喧嘩を始めた。無理もない話、というか、仕事をさぼってボクシング中継にかじりつくのも問題だが、テレビを壊すのはやり過ぎ、というところだろうか。


 実は本当は、地方都市の30代男性2人の喧嘩なんてのは小さいことである。

 突然だが、ここで背景を美しい大宇宙にさせていただく。

 コロンとした宇宙船の中にいるのは、目と口と手足があるのはわかるが、それ以外の器官はどうなっているのか見当がつかない、見慣れぬうちは不気味としか思えない物だった。

 口を開けた。

 何か声がする。

『あとは地球だけだな』

 そいつが言った台詞を日本語に訳するとこうなる(以下日本語訳で送る)。

『まったくです、カ―ペン将軍』

『ここをや征服っちまえば太陽系は我々の物だ。ビー』

 宅配便の運搬車両や、タクシー・バスの中には運転手の名前が書いてあることがあるが、それと同じ物がここにもあるようだ。しかも写真つきでである。

 書いてある名前は。

『カ―ペン・ターズ将軍』

『ビー・トルズ大尉』

(これも日本語に訳されたもので、実際に書いてある物はキリル文字よりも更に数倍難解だ。) 

『太陽系の完全制覇は我々の夢でしたからね』

『ま、次の目標は銀河系制圧だ……ところで地球のデータは?』

『ざっとこんなもんです』

 との前振りの後、ビー大尉はデータを全てコンピュータのような機械に映し出し、重要事項を拾って読み上げた。

 2人が顔を寄せてぼそぼそ言った最後に、カーペン将軍が、

『印刷したまえ』

 ガーガーガ―、と印刷があがってくる。

 あがった紙を手に、カーペン将軍は言った。

『我々の夢がかなう時が来た。

 行くぞ! エンジン全開、大気圏突入!』


 場面は再び、某市の先刻の理髪店。

 三十路男のつかみ合いの喧嘩は、髪をあたる方の欲求は解消されて、解決した。

 しかし、あっと言う間に着陸した宇宙人コンビは透明化してこの様子を見ていた。

 男二人の声はやたら大きくて、宇宙人ばかりか(喋る方は無理だが彼らは日本語を理解している)近所の商店主にも聞こえて、彼らを呆れさせた。

 なんとなくサンプルにしてしまった地球人たちの喧嘩を見た宇宙人は、地球人の性格を早合点し、地球征服作戦は持ち越された。


 後日。甲府市内の銭湯、「松の湯」。

 先日地球征服を見合わせた宇宙人コンビが店から出てきた。が、今日は人間の姿である。持っている洗面器には、石鹸箱とシャンプーが入っている。

 カーペン将軍は言った。

「ああ、気持ちいい。やっぱり銭湯はいいねえ」

「まったくです。将軍」

「その通り……。

 ちょっと待て! おまえ何考えてるんだ!?」

「何か不都合でも?」

 とぼけた顔のビー大尉を、

「馬鹿者! 我々が何をするためにここへ来たのかわかっとんのか!!」

「観光旅行……でしょ? 将軍」

「よく言った……」

 カーペンは、ビーの右肩をポンと叩くとスタスタ歩いていく。

 この時既に、ビーの肩は……。

 折れていた。

「あたた……将軍のバカ力……」

 ひとりごちる。

 元の姿に戻って路地裏でひと息つく彼の姿があった。

 回復が早い種族に生まれただけあって、3時間で彼の肩は治っていた。


 その頃、例の理髪店はというと、サボリ癖のあった主は、サボっている時間のほうが長くなっていた。

 妻はしっかり働いていた。

 喧嘩の爪痕はしっかり残っていて、ブラウン管にはマサカリがまだ刺さったまま。扉が開いているとそれが時折ちらりと見える。

 それでも店に客は来る。

 しかし、ちらりと見えるTVに突き刺さったマサカリ。これを見た客は恐怖に震え、その度に愛想笑いをする妻。

「こんちはー、あれ、ひとり?」

 同じ商店街で電気屋を営む田中という男が訪ねてきた。鈴木とは幼なじみだ。

「パチンコしに行っちゃった」

 鈴木の妻は、お客さんの髪をいじりながら、やつれた顔を田中に向けてつぶやく。

「うわ……これがウワサの……」

 ガラッと扉を開けた田中は、TVを見て驚く。

 そのまま沈黙の中で、お客さんの髪が完成した。


「噂ホントなのか?」

 お客さんがいなくなると。田中は聞き始めた。

「うん。ボクシング中継見てて喧嘩になって佐藤さんがね……」

「物凄い手段に出やがったなあいつ……」

 ため息をつきながら、田中は部屋に上がりこんでTVからマサカリを抜く。部品がポロポロと落ちた。

「あ、すいません田中さん」

「なんでほっといたんです」

 すると鈴木の妻は店と住居の狭間、階段になっている部分に腰掛けて、手を膝において天井を見た。

「もうね、面倒くさくなってたんです。大体、あの人達がやったんだから、あの人達が片付けるのが筋なんですもの。でも、あの人なんにもしないの。店もサボるばっかりで。だからあたしがしっかりしなきゃ……」

「駄目だよ佐知子さん」

 言って、田中は彼女の手をとった。

「出ちまおうか、この街から。一緒に」

「奥さんと英ちゃんはどうするの?」

「いいよ。今はあなたの方が大事」

「そんな……」

 抱き合う2人。


 この光景を、透明化したカーペンが見ていたのは言うまでもない。


 翌日早朝。

 朝もやの中、荷物を持って駅へ向かう、そして駅から中央線に乗り込む、二人の姿があった。

 それを宇宙人2人が見ていた。そして、2人も同じ電車に乗り込んだ。


 田中一家と鈴木が気付くのは早かった。

 鈴木は車に乗ると、物凄い勢いで中央自動車道を東へ走り始めた。


 JR新宿駅ホーム。

 駆け落ちした2人の前に鈴木が立っていた。

 あっという間に鈴木が田中の腹を刺した。


「地球人って同族で殺し合いをする奴らだったんだな。怖い怖い」

「集めたデータには入っておりませんでした。失敗でした」

 全てが済んで、今は宇宙船の中。

「帰ろうか」

「はい」


                          FIN

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宇宙海賊のいちばん長い日 西山香葉子 @piaf7688

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