第21話 第一印象

 目覚めたシャルは、薄暗い室内に疑問を持った。たっぷりと眠った感覚があるのに、どうして室内が暗く沈んでいるんだろう。


 ベッドから降りて顔を上げたシャルは、壁の高い位置にあるちいさな窓から陽光が差し込み、きらめきながら対面の壁に窓の形を描いているのを見て、ああそうかと納得する。


(ここは吸血鬼のお城だから、光があまり差し込まないように作られているのね)


 どこの部屋もこんな造りなのだろうかと、シャルはぐるりと見回した。高い天井には森の風景が描かれている。ランプの光はあそこまで届かないはずだから、あの絵は日中の光が差し込む間だけしか鑑賞できない。太陽の光にどれほどあこがれていたのかが、切ないほどに伝わってきた。


(私たちには当たり前のことでも、吸血鬼にとってはあこがれても届かないもの)


 夜目が利くふたりを昨夜はすごいと思ったけれど、それとおなじくらい……、それ以上にサムタンは日中の世界を求めていたのだなと、天井絵を見つめるシャルは胸を熱くした。


(それを、私が可能にできるんだわ)


 ふつふつとよろこびが強い力となって湧き上がる。


「よしっ」


 気合を入れたシャルはベッドわきに置かれている着替えに手を伸ばし、トリオローノの首にかけたペリドットがドレスの上にあるのに気づいた。


「……これ」


 手の中で淡く輝く宝石が太陽の象徴、夜会のエメラルドと呼ばれる理由を思い出し、シャルは首にかけた。ランプの光でも陽光の下とおなじ輝きを放つこの石を、サムタンが持っていてほしいと言った意味。それはシャルを森の妖精と称した気持ちにある。


(サムタンは私を通して、昼間の世界を見ていたんだわ)


 ほこらしく、照れくさく、うれしくて、シャルはクスクス笑いながら着替えを済ませ、広すぎる部屋のおおきなベッドから離れて扉を開けた。


「お目覚めでしたか」


 落ち着いた雰囲気のある高音の声に足元を見ると、身長がシャルの膝くらいまでの女性がいた。青白いと言ってもいいくらいの白い肌に、明るい茶色の髪をしている女性の目は赤い。


「あなたも、吸血鬼なんですか?」


 聞いてから、吸血鬼はひとりだけだとサムタンが言っていたのを思い出す。女性は親しみのある笑みを浮かべて、いいえと答えた。


「私はドワーフよ。お城の中で働いているものは、だいたいがドワーフだわ。マイラって言うの」


「シャルです。――その、マイラさん」


「マイラでいいわ」


「マイラ。お城はこんなに広くて天井も高いのに、その……、大変じゃないの?」


 マイラはおどけた顔で肩をすくめた。


「住み慣れている、というか、生まれてからずっとここで暮らしているから、これが私にとっては普通なのよ。さあ、シャル。サムタン様がお待ちだわ。こっちへ」


「ええ」


 なるほどそうかと、シャルは納得した。生まれてからずっとしてきた生活が、その人の普通になる。恥ずかしい質問をしてしまったなと、シャルは反省した。これではまた、トリオローノに人間の認識はうんぬんと文句を言われてしまう。


「サムタン様。シャルをお連れいたしました」


「ああ、入ってくれ」


 どうぞと仕草で示されて、シャルは扉を押し開いた。目の中に緑の光が飛び込んでくる。あっけにとられるシャルに、緑の光の中でサムタンがほほえみ手を差し伸べた。


「こちらへ、シャル」


 おそるおそる足を踏み入れたシャルはサムタンの手を握った。サムタンはシャルの体を引き寄せ、抱きしめる。


「おはよう、シャル」


「おはよう、サムタン」


「僕の瞳の色は、なに色かな」


「藍色よ。とても深い藍色だわ」


「よかった」


 安堵するサムタンにシャルもほほえむ。そして室内にあふれる緑の光に視線を迷わせた。


「ねえ、サムタン。この部屋は?」


「僕の祖先が日中の森にあこがれて作った、緑の部屋だ。――木漏れ日の中はこんなふうだろうかと、想像をして過ごすために作られたものだと聞いている」


 その言葉が持つ意味の重さに、シャルは唇を硬く結んだ。この部屋はつまり、サムタンの祖先が延々と太陽にあこがれ続けた証拠なのだ。


「僕は本物の中に行くことができる。――シャル。君さえいれば」


 熱い視線にサムタンの感激の強さをひしひしと感じて、シャルは彼の手をギュッと握った。


「出かけましょう。島の中を紹介してくれるんでしょう?」


「ああ。僕が生きてきた場所を、君に見てほしい」


「そして住んでいる人たちも紹介してね。いっぺんに全員を覚えるのは無理だろうけど。ちょっとずつ、誰が誰なのか覚えていくから」


「中にはシャルを歓迎しないものもいるかもしれない。なるべく出歩くときは、僕とともにいてくれ」


「サムタンが忙しいときは?」


「ヤナがいる。ヤナは前から人間にとても興味を持っていたんだ。いつもこっそり物陰で商人の来訪をながめたり、人の目に映らないくらい上空で船が行くのを追いかけたりしているんだ」


「そうなの」


 シャルはヤナの好意的な態度を思い出し、しっかりとうなずく。


「サムタンが忙しいときは、ヤナと過ごすわ」


「必ず」


「ええ、必ず」


「それを聞いて安心をしたよ、シャル。さあ、朝食にしよう」


 背中を押されて、シャルはサムタンとともに部屋を出た。扉の前で待っていたマイラの案内で、窓のない食堂に連れていかれたシャルはランプの灯りに照らされた花や銀の食器、艶やかに光る黒檀のテーブルに目をまるくした。


「さあ、シャル」


 イスを勧められ、座ったシャルはそわそわと周囲を見回す。


「こんなに立派な部屋や食器で食事をするのは、はじめてよ」


「ここは朝食用の部屋なんだ。昼は違う部屋で食事をする。――昼食はシャルが皆に手料理を振舞ってくれるんだろう?」


「私の料理と部屋の雰囲気は合わないんじゃないかしら。なんだか気が引けるわ」


「それなら、サンドイッチにすればいい。外で食べよう。ついでに島の案内もできるからな」


「ええ、それなら」


 トリオローノが室内に入り、その後ろからドワーフの娘たちが料理を運んでくる。彼女たちは階段つきのワゴンを使って、テーブルに料理を並べた。


「わあ、おいしそう」


 豆のサラダにスープ、薄切りの燻製肉とゆで卵、パンというメニューにシャルは歓声を上げる。


「どうぞ、好きなだけ」


「いただきます」


 どれもこれもおいしくて、シャルはいちいち褒めながら食事をした。すると運んできたドワーフたちが、照れたり自慢げに胸をそらしたりする。食後の果物を食べながら、シャルはドワーフたちに「とてもおいしかったわ。ありがとう」と礼を言った。すると彼女たちは得意顔で頭を下げて、うきうきした足取りで去っていった。


「シャルは人の心を掴むのがうまいらしいな」


「どういうこと?」


「彼女たちはすっかりシャルが好きになったらしい」


「調子に乗らないよう、釘をさしておきましょうか」


 トリオローノがサムタンのカップにお茶を注ぎながら、眉間にシワを寄せる。


「褒めてもらえる機会があるのは、いいことだ。僕たちにとってはなんでもないことを、シャルが今回のように褒めてくれれば皆も励みになるだろう。――甘い、とは言ってくれるなよ? トリオローノ」


 苦言を言う前に止められて、トリオローノはますます渋面になった。たのしそうにサムタンがカップに口をつける。そんなふたりを、本当に仲良しだなぁとシャルはながめた。


「さあ、シャル。食後にすこし歩こうか。ランチは外でするから、まずは城の中を案内するとしよう。すべてを案内するには広いから、シャルが興味のある部屋へ行こう。どこか、見てみたい部屋はあるかな?」


 シャルはすかさず「厨房がいいわ」と答えた。


「厨房? どうして」


「ランチの準備をしたいもの。島にはどれくらい人がいるの? 苦手な食材とか食べられないものがある人もいるだろうから、そういうものを考えて作らなくっちゃいけないし。いまから大急ぎで仕込みをしなくちゃ間に合わないわ」


「まさか、娘。おまえは島民すべての昼食を作るつもりか?」


「そのとおりよ、トリオローノさん。まずは料理を作って、それで私という人間を判断してもらうの。おかあさんがいつも言っていたわ。食事は人をやさしくするし、料理は人柄が出るものだって。手料理を振舞って、それをいっしょに食べるということは、会話をするよりもずっと深く相手を思いやる行為だって。――だから私、腕によりをかけて料理をしたいの!」


 あっけにとられるトリオローノの横で、サムタンが快活な笑い声をたてた。


「毎日、おおぜいの客のために料理をしているシャルだから、きっと大丈夫だろう。――わかった、シャル。それなら厨房へ行こう。どんなランチができるのか、たのしみにしているよ」


「あんまり期待されちゃうと困るけど、腕によりをかけて作らせてもらうわ」


「シャルの第一印象を、島民は舌で知るんだな」


「そういうこと」


 たのしげなふたりの姿に、トリオローノはこっそりと嘆息した。

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