第20話 島へ

 細い月が雲に見え隠れしている。街が深々しんしんと寝静まっている時刻に、シャルとサムタンは手を取り合い、トリオローノの先導で街のはずれをめざしていた。


「段差があるぞ、シャル」


「ありがとう。――こんなに暗いのに、よく見えるわね」


「僕は吸血鬼だからな。トリオローノも夜目が利く」


「狼だからね?」


 うなずきながらシャルはほほえんだ。彼女の目では、夜に沈んだ世界は見えづらい。足元など、ほとんど黒に塗りつぶされてわからなかった。それをサムタンが手を取り腰を支えて導いている。


 ふたりとも、闇に沈むよう暗い色の服を身にまとっていた。シャルはチュニックワンピースの下に、父親のズボンを穿いている。裾をうんと巻き上げてウエストをひもで縛っても、ぶかぶかなそれが気になって足取りが普段より怪しくなっていた。その上で暗い夜道を歩くのだから、視界に不足のないサムタンからすれば危なっかしくてしかたがない。そこで彼はシャルの手を取り、腰に腕を回して目的地まで行くことに決めたのだった。


「ごめんなさい、迷惑をかけて」


「しかたがないさ。シャルは日中を生きる種族だから」


「サムタンもこれからは、そうなれるんでしょう? その、私がいたら」


 遠慮がちに付け加えたシャルに、サムタンは相好を崩した。


「ああ、そうだ。シャル、君がいれば僕は日中も外に出ていられる。日の光を気にしなくても、街中や森の中、ほかにもいろいろな場所へ行けるんだ」


「しかし、サムタン様。それに慣れて注意を怠らないよう、お気をつけくださいませ。いつでもその娘がいるとは限らないのです」


「わかっているさ、トリオローノ。シャルがいるときにしか、日中の外出はしない。だが、慣れてきたら瞳が赤に変わるまで、外で過ごすこともできるんじゃないか? …………むろん、完全な赤になる前に建物の中に戻れるよう、気にしながらの行動になるが」


 話している最中にトリオローノの瞳が鋭く細められたので、サムタンは苦笑気味に後半を付け足した。トリオローノは不快とあきらめを半々に混ぜた息を漏らして前を向く。


「あまり楽観をしすぎないことです。これからのことは、まだなにも決まっていないのですから」


「だからこそ、希望を夢に描くんだ」


「それをとがめているわけではございません。そのぶん不安も同等にお持ちいただきたいと申し上げているのです」


「トリオローノ……、さんの言うとおりだわ」


 浮かれるサムタンをシャルは危惧した。あの日、吸血をしなくてもよくなったと知った瞬間から、彼はずっと上機嫌でいる。それに水を差すつもりはないが、無茶をしやしないかとシャルはハラハラしていた。


 そんなシャルに、サムタンは首をかしげる。


「どうしてトリオローノに‘さん’をつけるんだ? いままでは呼び捨てだっただろう?」


「それは……、ただの大きな犬だと思っていたから」


 シャルは顎を引いて、闇に浮かぶトリオローノの銀髪に目を向けた。長身のサムタンよりも、頭ひとつぶんは大きく肩幅も広い成人男性を気軽に呼び捨てにしていた上に、頭をなでたり抱きついたりしていた。その記憶を消し去りたいと恥じ入るシャルに、サムタンはますます首をかたむけた。


「そんなに気にする必要はないだろう、シャル? トリオローノは狼の姿で現れたのだから、シャルが犬扱いすることは想定済みだったはずだ。――そうだな、トリオローノ」


「……狼、と言われるかとは思いましたが。まあ、犬と思われていたほうが都合がよかったので、気にしてはおりません」


 硬く平坦なトリオローノ声に、そこを気にしていたのかとサムタンはおかしくなり、申し訳なさに身を縮めるシャルを引き寄せた。


「狼と認識されなかったことが不満らしい」


 クックッと鳴るサムタンの喉に鼓膜をくすぐられながら、シャルは困った顔をした。


「でも、狼だってわかったら騒ぎになっていたと思うの。だって狼はおそろしいもの」


「――おそろしい? こちらからすれば、人間のほうがよっぽどおそろしい存在だと言わせてもらおう。娘、なぜ狼がおそろしい」


「だって、とても大きいし牙は強いし羊やヤギや、ときには人だって襲うでしょう」


 フンとトリオローノが鼻を鳴らす。


「羊やヤギを襲うのは、食事のためだ。人間も動物を襲うだろう? 人を襲うのはこちらが危険を察知するか、縄張りを荒らされたときのみだ。進んで人間にケンカを売るような奴は……、まあ、いないと断言はしないが稀だな。だが、襲うに足りる理由がある。わざわざ危険に身を投じるバカはいない」


 冷ややかなトリオローノの声に避難の気配を感じて、シャルはサムタンの服を強く握った。


「そう……。そんな理由で、狼は人を襲っていたの」


「害意を感じなければ人を襲わない。食ってもうまくはないし、食いづらいからな。むしろ遭遇しないようにする」


「私たちが一方的に怖いものだって決めつけていただけなのね」


「サムタン様」


 トリオローノが立ち止まり、振り返る。


「これが人間の認識です。自分に非があるとはみじんも考えていない。サムタン様はこういう種族と理解しあいたいとおっしゃっているのです。言葉が通じるなら理解しあえる、などと楽観なさらないでいただきたい。あなた様の判断は、島に住まうものたちすべての命を動かすのです」


 厳しい視線がサムタンからシャルに移動する。サムタンはトリオローノの切りつけるような視線からシャルをかばった。


「おまえが魔女狩りの二の舞になると危惧をしているのは、重々承知している。僕だってすべての人間とうまくいけるとは考えていないさ。人間同士であっても思想の違いで争うと、書物で読んだ。異種族同士が理解しあうことの困難は、これでも承知しているつもりだ。――だが、それでも僕は、島を理解してくれる人間が必要だと思う。これからますます、そういう人間の手助けがなければ生きづらくなる。いつまでもコソコソと息をひそめて過ごすのは、苦しいだろう」


 平行線のままの意見に決意を込めたサムタンの、シャルの手を取る指に力がこもった。シャルはサムタンの覚悟が自分に流れてくる錯覚を覚え、気を引き締める。これから島へ行き、空想上の存在だと思っていたものたちと対面する。その反応をきっと、ふたりは今後の参考にするだろう。そして私の覚悟は試されるのねと、シャルは気持ちを奮い立たせた。


(サムタンと共にいたいっていうことは、そういう、人……、ではないけれど、そういう相手と過ごすってことだものね)


 目に力を込めたシャルを一瞥し、トリオローノは背を向け歩き出した。サムタンに導かれ、シャルは淡く夜気に浮かび上がる銀髪を見つめる。まずは彼に認めてもらわなくては。


 到着したのは、街から一時間ほど歩いた先の森の入り口だった。ちょっとした草原になっているそこは、湖とも面している。そちらは崖になっているので、こんな時間に訪れる人間は万が一にもないと断言できる場所だった。


「もうすぐ迎えが着ます」


 言いながらトリオローノは空を見上げた。雲の隙間からチラチラ覗く月で時間を計っているらしい。緊張と不安で身を硬くしたシャルの肩を、サムタンはそっと抱いた。見上げたシャルに、サムタンが視線で「大丈夫だ」と告げる。僕がいるからと態度で示すサムタンに、シャルはほほえんだ。


 しばらくすると、大きな羽音がふたつ聞こえた。シャルは空を見上げ、二羽の鳥を見つけた。どんどん近づいてくるそれは鳥と呼ぶには大きすぎた。シャルが両腕を広げたよりもまだ大きい鳥影に月光が当たる。


「っ!」


「ハルピュイアのイオセフとヤナだ」


 驚いたシャルの耳元に、サムタンがそっとささやいた。船が苦手なシャルに湖を渡らせるには、ハルピュイアに運ばせればいいと提案したのはトリオローノだ。まずは人の形をしていないものと会わせて反応を確かめたいのだろうとシャルは察した。なのでそれを了承し、空を行くので穿きなれないズボンを身に着けた。


 ここで怖気づくとサムタンとの間に見えない溝ができる気がする。ハルピュイアなら絵本でも見たことがあるし大丈夫だと、シャルは予想外の大きさに驚く自分をなだめた。


 イオセフとヤナのふたりは、悠々と舞い降りてきた。大柄な人間の上半身に、腕は翼だ。下半身は猛禽類のそれで、夜目にも羽のふわふわとした感じが見て取れた。


「これが、サムタン様の見つけた人間か」


 口を開いたのはイオセフだった。クセのある硬そうな黒髪に、金色の瞳をしている。ずいっと顔を寄せられて、シャルは緊張にひきつりながらも笑顔を浮かべた。


「ふうん……? ずいぶんとひ弱そうだな」


「ちょっと、イオセフ」


 ゆったりとした巻き毛のヤナがとがった声を出す。


「そんなにジロジロと見るもんじゃないわよ。怖がっているじゃない。――まったく。失礼な男でごめんなさいね、人間の娘さん。私はヤナ。こっちはイオセフよ」


 人好きのするヤナの笑顔に、シャルは仲良くなれそうな予感を覚えてサムタンの腕から彼女の前に出た。


「シャルです。……ええと、ヤナさん。よろしくお願いします」


「あらやだ。そんなにかしこまらなくってもいいわよ。気軽にヤナって呼んで? たぶん、人間の年齢で言うと、私はあなたとおなじくらいの年頃になるはずよ。仲良くしましょう」


 そう言って右の羽を差し出され、握っていいものか迷いながらシャルは手を伸ばした。


「あ。羽の内側は触らないでね。手の甲で羽の外側を触るかんじで」


「こ、こう?」


 シャルは言われるままに、羽の先に手の甲を当てた。さらりとやわらかな肌触りに、もっと触れていたくなる。


「そうそう。人の手脂で羽に風が通りにくくなることがあるからね。これから私たちに触るときはそうやって手の甲で触れるか、手袋をして触ってくれないか。めんどうだろうけど、よろしく頼むよ」


「飛べなくなると困るものね」


 どうやらヤナは自分を受け入れてくれるらしいと、シャルは胸をなでおろした。


「イオセフだ。なんでも、うまい料理を作るらしいな? ぜひ食べたい」


「すごく庶民的で簡単な料理だけれど、それでいいなら島についたらすぐにでも作るわ」


 差し出された羽に手の甲を当てて、シャルはにっこりした。絵と本物とではインパクトがまるで違うが、歓迎的な態度に緊張がほぐれる。


「それだとシャルがしんどいだろう? 部屋は用意させてあるから、着いたらすぐに眠って、ぐっすり休んでから朝食を作ってもらうというのはどうかな」


 サムタンの提案に、それでかまわないとイオセフがうなずく。


「それでは、出立いたしましょう。娘はヤナの脚につかまれ」


 言いながらトリオローノはイオセフの脚を掴んだ。サムタンがもう片方の脚を掴んで、シャルは胸元で手を握った。


「ふたりも……、大丈夫なの?」


「このくらいの重さ、わけないさ。さあ、あんたもヤナの脚に掴まりな」


「ええ」


 おそるおそるシャルがヤナの脚を掴むと、イオセフはさっそく羽ばたき浮き上がった。安定した彼の飛翔にシャルは胸をなでおろす。ほんとうに、ふたり分の重さなどわけないらしい。


「さあ、私たちも行くわよ。落ちないように、脚に抱きついていなよ」


「よろしくね、ヤナ」


 しっかりとシャルが脚に抱きつくと、ヤナがイオセフを追って空に舞う。


「わあ……」


 みるみる遠ざかる地上に目をまるくし、視界に滑る湖面をながめて、シャルは自分が風になった気がした。


 消え入りそうに細い月が、淡い光で彼らを包む。

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