第22話 提案

「わあ、ステキ!」


 ケンタウロスの背に揺られながら、シャルは目の前の光景に歓声を上げた。木の葉が折り重なる森の奥で、ちいさな滝が陽光とたわむれている。滝の周囲はちょっとした草原になっていて、シートを広げて昼食を取るにはもってこいの場所に見えた。


「気に入ってくれてよかった」


 おなじくケンタウロスの背にまたがっているサムタンが、笑顔をはじけさせるシャルの姿に細めた目を滝に向けた。月光の中できらめく姿はよく見ていたが、こうして昼日中の光景を目の当たりにできるとは。感慨に胸を震わせたサムタンは、シャルに視線を戻す。すべては彼女との出会いが引き寄せてくれた。胸に留まるやわらかな心地やぬくもり、心地よい高揚や、シャルと離れている間に味わう切ない愛おしさ。それらがすべて肌にしっくりとなじんで、忘れていたものを取り戻した気分になる。


 満ち足りた表情のサムタンを、獣姿でケンタウロスの後に続くトリオローノが観察する。


 滝の飛沫が水面に模様を描いている。それが見える場所まで来た一行は、草の上にシートを敷いてバスケットを置き、中身を広げた。サンドイッチに果物、クッキーと、ポットに入ったスープとお茶。

 それらを運んできた皿に取り分けている間に、トリオローノはシャルの視界から離れた場所で人の姿になり、服を着てサムタンの傍に控えた。


「やあ、おいしそうだ」


 サムタンが目を細める。シャルはケンタウロスのふたりに皿を渡した。


「お口に合うといいのだけれど」


「こんなに愛らしいお嬢さんが作った料理だ。おいしくないはずはないさ」


「おいおい、ヤニス。ずいぶんな軽口だな。彼女はサムタン様の想い人だぞ? あらぬ誤解をまねいたら、どうするつもりだ」


「そういうおまえはどうなんだ、ステリオス。彼女を背に乗せている間中、ずっと鼻の下が伸びていたぞ」


 青年ケンタウロスのやりとりに、シャルは彼等も自分を受け入れてくれているらしいとホッとした。


「ふたりは仲がいいのね」


「幼馴染だからな」


 とはステリオス。


「まあ、この島にいる連中は皆、幼馴染みたいなものだ」


 ヤニスが言うと、それを言うなら顔なじみで、幼馴染とはまた意味が違うとステリオスが注意する。どうでもいいさとヤニスはサンドイッチを口に運んだ。


「うん、おいしい」


「そうだろう? シャルは料理店を営んでいるんだ」


 なぜかサムタンが得意げに答えて、それはそれはとステリオスが眉を持ち上げる。


「その若さで店の主ということかい? すばらしいね」


「店というのは、なんなんだ。おしえてくれ、ステリオス」


「だから本を読めと言っているだろう、ヤニス。今度、城の書庫に行こうじゃないか」


「あそこは妙な匂いがするし、薄暗くてどうにも苦手なんだよなぁ」


「だったら、本をいくつか借り出してくればいい。――かまいませんか、サムタン様」


「ああ。おおいに歓迎だ。いろいろなことを知るのはたのしいぞ、ヤニス」


「私も本を読んでみたいわ。ねえ、サムタン。サムタンがどんな本を読んでいたのか知りたいの」


 そして自分と出会うきっかけになった文献を見てみたいと、シャルは願った。すこしでもサムタンを深く理解したい。彼がいままで読んだ本の、どんなところに興味を持ったのかを知ることで、サムタンの考え方のヒントが得られる気がする。どんな本のどんな文章に心を動かされたのかを教えてほしい。


「ああ、でも……。私、字が読めないから、まずはサムタンに文字を教えてもらわなくっちゃいけないんだけど」


「読み聞かせるよ、シャル。そうしながら覚えていこう」


 うん、とはにかみうつむいて、シャルは手の中のカップを揺らした。お茶の表面に映ったシャルが波立つ。


「ねえ、サムタン」


「うん?」


「人間を嫌っているっていうか、怖がっている感じがしたの。――その、誰とは言わないけれど」


「ああ」


 誰のことを指しているのか気づいて、サムタンはうなずいた。城を出立する前に島民たちを集めてシャルを紹介した。そのときに顔を引きつらせていたものや苦笑いを浮かべていたもの、あからさまに顔をそむけていたものがいた。非難めいた態度や、拒絶の言葉を呑みこんでいた彼等の様子にシャルは気づいていたのかと、申し訳なさがサムタンの胸に兆す。


(シャルはあれを、怖がっていると判断したのか)


 嫌悪ではなく、そう受け止めたシャルの感性にサムタンは感心した。きっとトリオローノもおなじことを思っている。そう考えて視線を向けると、トリオローノと目が合った。トリオローノは無表情のまま視線をカップに移してお茶を飲む。どうやらすこしずつシャルを受け入れはじめたらしいと察して、サムタンは頬を持ち上げた。


「それでね、サムタン。私、考えたんだけど……」


 シャルは悩みを指先に乗せてカップをもてあそぶ。


「うん?」


「……その、賛成をしておいてなんだけれど。島に遺族を連れてくるのは、まだちょっとはやいんじゃないかな」


 うつむいたまま視線を上げたシャルは、サムタンの反応を見た。サムタンは静かな顔で、シャルの言葉の続きを待っている。ギュッとカップを握りしめ、シャルはまっすぐサムタンに顔を向けた。


「私ひとりだけでも、あんな顔をする人がいるんだもの。大勢やってきたら怖くてしかたがないと思うの。ショック療法なんてものがあるらしいけど、それはしないでいたほうがいいんじゃないかな。……混乱しちゃって、よけいに怖くなって、理解なんてできなくなっちゃいそうな気がする」


「そうか」


 深くゆったりと、サムタンは首を縦に動かした。


「違う意見になって、ごめんなさい」


「あのときは島のことどころか、僕が吸血鬼であることすら信じていなかったのだから、しかたがない。島民の姿を見てから意見が変わったのなら、それはシャルが彼等をきちんと見てくれたということだから、むしろうれしい変更だ。――ありがとう、シャル」


 ホッとして、シャルはトリオローノを見た。薄青の瞳を細めたトリオローノが「私の意見も娘とおなじです」と、冷ややかにサムタンに告げた。


「すねるなよ、トリオローノ。おまえの意見を汲まなかったのに、シャルの意見は簡単に受け入れたと不愉快になっているんだな? 反発したのは意見者の立場の違いがあるからだ。おまえはいつも、島の安寧のためには人間と必要以上に接触するなとか、人間を危険視した発言ばかりをするから、反対したと思ったんだ。――だが、シャルは人間だ。人間の目で島に住んでいる連中を見て、意見をくれた。その違いがどれほど大きいか、わからないおまえじゃないだろう?」


 むっつりとトリオローノは押し黙り、目を伏せた。ふたりの信頼関係の厚さを感じて、シャルは軽い嫉妬を浮かべる。――でも、サムタンがさっき言ったとおり、私とトリオローノさんの立場は違うから、嫉妬をするのは違うよね。


「それでね、サムタン。遺品の受け取りのことなんだけど。場所のこととかいろいろと考えなきゃいけないわよね。――トリオローノさんは、どこで引き取りをするつもりでいたんですか」


 話を振られ、トリオローノが口を開く。


「むろん、街の代表者が選んだ場所でおこなう。ふさわしい場所はそこに住まう人間が、よくわかっているはずだからな。遺品の数はわかっているが、どれほどの人数がそれを見に来るか、こちらは想像もつかない。――ですから、私は島に人を連れてくることに反対だったのです。人数もわからないのに城の中に引き入れれば、面倒なことになることは明白ですから」


「そこは船の手配もあるし、人数の制限を設けるつもりだったさ」


「あの、ええと……。街の役員さんたちと相談をして決めるって、トリオローノさんは考えていたってことですよね。それって、その……、なにをするか報告をするのは必要だと思うんですけど。場所は私に任せてもらえませんか」


「え?」


「なに?」


 サムタンがきょとんとし、トリオローノが険しい顔になる。ちょっと引き気味にシャルは続けた。


「街の偉い人たちに話を通すのは大切ですけど、もっと……、なんていうのかな…………。引き渡しは身近な場所で、身近な人をしのべる場所がいいと思うんです。場所の提供者が納得をしてくれないと無理なんですけど、でもきっと大丈夫のはずだから」


「まぎれもなく遺族であるシャルが言うのだから、民の気持ちの代表として受け取ろう。それで? シャル。君の提案する場所というのは、どこなんだ」


 シャルは目に力を込めて、サムタンとトリオローノに考えを示した。


「ふたりも知っている、港にある広い店……。多くの街の人たちや船乗りが親しんでいる、私に料理を教えてくれたおじさんの店を借り切るの」

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