第18話 あれは可能性の話で

 サムタンはトリオローノの背中からイスの上に移動し、シャルにベッドに座るよう勧めた。シャルとサムタンの間にはトリオローノがいて、観察する目でじっとシャルを見つめている。


 サムタンは簡潔に、子どものころから吸血行為に嫌悪があったこと。それをしないでいられる方法を探していたこと。古い書物に、ある相手を見つければ、それをしないでいられるようになるとの記載をみつけたこと。そして、その相手を探すために島を抜け出たことを話した。


「ある相手って?」


 シャルはそこが知りたかった。


「見つけたんでしょう? さっき、おそらくそうだって言ったものね」


 サムタンは肯定とも否定とも取れる動きで首を動かした。


「それは誰なの?」


 腰を浮かせたシャルに、トリオローノがうなる。シャルは緊張を吐息で抜いて座り直した。


「教えられない相手なのね」


 それは君だとサムタンは言いたかった。愛を知った吸血鬼は、血を求めなくとも生きていける。その相手がシャルで、僕はとてもうれしい。それと同時に、とてもつらいんだ。血を求める代わりに、精気を吸ってしまうのだから。――触れれば、無意識に。


(愛の蜜というのは、精気のことだった。これが花の蜜と蜂のような関係であれば、僕はシャルと過ごしていられるのに)


 花の蜜を蜂が奪っても、花は死なない。けれど精気を奪われたシャルは、文字通り枯れてしまう。血を吸い尽された生き物のように――。


 サムタンは相手の負担にならない程度の吸血を心がけていた。だが、吸いすぎた場合に生き物がどうなるかを、幼少のころに書物の挿絵で知った。そして血を飲まない吸血鬼もそうなるのだと、トリオローノに教えられた。思えば、あれから自分は吸血を嫌悪しはじめたような気がする。


「その相手を、島に連れて行くの?」


 きっとそうだろうと、確信をもってシャルは問う。どんな条件を満たせば、その相手になれるのだろう。――私が、その相手になれればいいのに。


「……いや。ああ――、そうだ」


 歯切れ悪くサムタンは答える。正直に言えば、シャルは連れて行かない理由を知りたがる。


「どんな人なの?」


 会わせてくれと言っても無理そうだ。サムタンは相手が誰かを隠そうとしている。ならばせめて、どんな人なのかを知りたい。――シャルはまっすぐサムタンを見つめた。


「ひと言で説明すれば、陽だまりのような人だ」


 サムタンは目を細めた。いまにもゴロゴロと喉が鳴りそうな表情に、シャルの心は熱い嫉妬と冷ややかな悲しみに襲われた。そんな顔をさせるほど、あたたかな人とはいったい誰だろう。自分の知っている相手だろうかと、シャルはいくつかの顔を脳裏に浮かべる。それとも、仕事をしている間に知り合った人なのかしら。


 トリオローノは、ついっと鼻先を動かしてサムタンを見た。


「サムタン様。今宵こちらを去るのであれば、そろそろ支度をいたしませんと」


「ああ、そうか」


 名残を瞳に乗せて、サムタンはシャルを見た。


「帰るの?」


「島に人を迎える準備も必要だからな」


「その……、さっき言っていた人も今夜、いっしょに島に行くの?」


「いや」


「そうよね。こんなに遅い時間だし」


 窓の外に視線を投げたシャルの目に、またたく星が映る。街はもう寝静まっていて、起きている場所といえば港の酒場くらいだ。


「ねえ、サムタン」


「うん?」


「島には、サムタンのほかに吸血鬼はいるの?」


「いや。僕だけだ」


「トリオローノみたいな人は?」


「人狼は数人いる」


「ほかには?」


「ハルピュイアや人魚、ケンタウロスあたりがわかりやすいか。ほかにも、いろいろと」


「人間は?」


「ひとりもいない」


「そっか」


「ああ」


 すこしでも長くサムタンを引き止めておきたくて、シャルは話題を探した。


「ええと、その人たちが協力をして、湖の底から遺品を引き上げてくれたのよね」


「思いついたのは、シャルのおかげだ。人ならざるものであるからこそ、できることがある」


「すごいのね」


「もちろん、彼等にもできないことはあるさ。人魚は陸を歩けないし、ケンタウロスは高い木の実を取ることはできない。――人間は道具でそれらを可能にする。すごい種族だよ」


「種族、か。そうね。ひとりひとりは、できることできないことがあるけれど、種族で見ればそうなるの……、かな」


「サムタン様、そろそろ」


 トリオローノが会話を遮る。サムタンもシャルと別れがたく、会話を続けていたかった。


「わかっている、トリオローノ。――シャル。さっき君が言ったように、種族として見ればできることと、個々の能力は違う。考え方も違っている。だから」


 言葉を切ったサムタンは、トリオローノに視線を置いた。


「僕は誰か、ひとりでもいいから、人間の理解者を得たいと考えている」


 トリオローノはじっと、氷の瞳でサムタンを見返した。


「そう怖い顔をしないでくれ、トリオローノ。おまえの言いたいことは耳が痛くなるほど聞いているから、覚えているさ。けれど、さっきも言っただろう? それをシャルにも知っていてほしいんだ。僕が島に遺族を迎えたいのは、島のみんなに人間を間近で見てもらいたいからだ。人間と接触をしたことがあるのは、人の姿になれる一部のものだけだからね」


「人間がどういうものかを、まず島の住人に知ってもらおうというわけね?」


「そういうことだ。島になにかあったときに、協力をしてくれる人間が必要だと、僕は思っている。そしてその逆もしかりだ。今回の遺品の引き上げを、いい前例にしたい」


「私は反対をしているのですがね」


 トリオローノは硬い声で嘆息した。


「人は異物を排除しようとする。島にきた人間が規定を守らず、あるいは島の住人が注意を無視した場合、どう対処なさるおつもりですか」


「可能性を否定して、いまの状態のままで過ごすことが決していいとは言えないだろう、トリオローノ。時代は変わる」


「変わるからこそ、より慎重にしていかなければならないのです」


「……あの。さっき言っていたサムタンの見つけた相手は、どういう意見なの? その人はサムタンたちのことを知っているのよね」


 おずおずとシャルはふたりの会話に入った。


「それは……」


 なんとごまかせばいいのか。サムタンはトリオローノを見た。トリオローノはやれやれと首を振る。


「シャル。よければ島に来てくれないか。島民と会話をして、意見を聞かせてもらいたい」


「私が?」


 サムタンの見つけた相手を差し置いて、自分でいいのだろうかという不安と驚き、頼りにされた誇らしさで、シャルの声が高くなった。


「ああ。島の皆とシャルを会わせたいんだ。僕を拾い、世話をしてくれた人を紹介したい。それに、シャルの手料理を城の調理係に教えてやってほしいんだ。――島でも、シャルの味をたのしめるように」


 永遠の別れになるのかと、シャルは下唇を噛んだ。島に帰ったら、もう料理を食べには来てくれないのね。


「シャル」


 唇を引き結び、シャルは目を閉じた。サムタンの育ってきた場所を見たい。彼のまわりにいる人たちと会ってみたい。サムタンのことを、もっと深く知りたい。


 そう願うシャルの脳裏には、島と港をへだてている湖面が浮かんでいた。陽光をまぶしてきらめく、おだやかで人々の生活には欠かせない場所。けれどそこを渡るには、船に乗らなければいけない。


 ゾクリと悪寒に見舞われて、シャルは自分を抱きしめた。肌が細かく震えて、足元がゆらめく。


「シャル?」


 あの時とおなじだと、サムタンは気づいた。自分を突き飛ばし、おびえ青ざめていたときのシャルと。――しかし、なぜだ。なぜ彼女はいま、そんな状態になっている? 僕は触れてはいないのに。


 シャルは恐怖に涙を浮かべ、それでも強気な光を瞳に乗せて言った。


「サムタンがずっとそばにいてくれるのなら、私……、船に乗るわ」


(とても怖い。けれどサムタンがいてくれるのなら、きっと大丈夫。ひとりでは無理だけど、サムタンが傍で支えてくれるなら)


 サムタンはとまどった。どうしてシャルはそんなことを言うのだろう。


「ええと、シャル……」


 困惑する黒猫のしっぽがせわしなく動く。シャルはふっと頬をなごませた。


「私ね、船が怖いの」


「――え?」


「事故のあった日から、夢で見るのよ。おおきな船に穴が開いて、どんどん浸水して沈んでいく夢。あるいは、急に高波に襲われて、船が転覆しちゃう夢。私は乗っていなかったのにね。――それから、船に乗るって思うと足がすくんで、怖くて怖くて仕方がなくなるの」


 すうっと深く胸に息を吸い込んで立ち上がったシャルは、深々と頭を下げた。


「だから、ごめんなさい」


「えっ?」


「前に、サムタンを突き飛ばしてしまったことがあるでしょう? あのとき、なんだかボートの上でゆらゆら揺れているみたいな気分だなって思って、そうしたら急に怖くなってしまったの。ちゃんと理由を言ってあやまらなきゃって思っていたのに、なかなか言い出せなくて。ほんと、ごめんなさい!!」


 顔を上げ、説明をしたシャルはふたたび頭を下げた。サムタンはポカンと口を開けてシャルを見る。グルグルと頭の中でシャルの言葉とあの時の様子が渦巻き、そこにトリオローノの声がかぶさった。


――皮膚表面にある精気をゆっくりと体内に取り入れる。それをサムタン様は、習得なされたのではありませんか?


「なあ、シャル。その……、さっき僕を抱き上げたとき、なにも異変はなかったのか?」


「さっき?」


「僕の目が青くなったと言ったときだ」


 質問の意図がわからなくて、シャルは首をかしげながらも「別になにもなかったわ」と答えた。サムタンはトリオローノにじろりと目を向ける。トリオローノは澄ました顔で答えた。


「私はあくまで、可能性をお伝えしたまでです。あのとき、もしや、と申し上げたはずですが」


 断定はしていないと言うトリオローノから、そうっとシャルに視線を戻したサムタンは唇を迷わせた。


(僕は、シャルの精気を吸っていない――? それなら、あの心地は……)


 サムタンの視界は明るく広がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る