第15話 打ち明ける

(どうしよう)


 シャルは自室のドアを閉めて寄りかかった


(大丈夫って言っちゃったけど……、私……)


 怖い、と奥歯を噛みしめてこぶしを握る。けれどサムタンがいてくれる。だからきっと大丈夫。


 シャルは深呼吸をして、淡く震える自分をなだめようとした。想像するだけでおそろしいことに賛成をしたのは、サムタンと共にいればあるいはと希望を持ったからだ。このままではいけないと、自分でもわかっている。けれどどうしても、ひとりでは逃げてしまう。だからサムタンとなら……、彼がそばにいてくれるいまのうちに、立ち向かって乗り越えよう


 そう決意をしての承諾だったのだが、はやまったのではとも思う。


(怖い)


 シャルはうずくまった。船に乗るなんて、想像するだけで恐怖に足がすくんでしまう。でも、サムタンがいるから。ひとりじゃないから……。このチャンスを逃せば、いつまでも引きずってしまいそうだから。だから――。


 そう思って、シャルは笑顔で「いいアイディアね」とサムタンに答えた。


 そう。


 実際に、とてもいいアイディアだと思ったのだ。リスタムン島へ人々を連れて行き、遺品を引き取ってもらう、という案は。


 レムン伯爵の存在を人々に身近に感じてもらえば、吸血鬼なんていうバカバカしいウワサ話も消えてなくなるし、存在を知られればサムタンも交流がしやすくなるんじゃないか。そう言うと、サムタンはすこし悲しそうな顔で「そうだな」と笑った。


(どうしてサムタンは、あんな顔をしたのかしら)


 会話の最中は、船に乗るという恐怖を表に出すまいと必死だったので気にしなかったが、振り返ると彼の表情は不思議に感じる。同意をされたのに、どうしてあんな表情を――?


 反対をしてほしかったのだろうか。島の誰かと相談をして、そういう提案をされて、それを私に披露して、反対をされたら代案をと考えていたのかもしれない。そしてその代案こそがサムタンの望む方法だったとしたら、彼の反応もうなずける。


 もう一度、サムタンと話をしたほうがいいかもしれない。そう思ってシャルは立ち上がった。ドアを開けて廊下に出る。話を終えてそれぞれの部屋に戻ったのに、やっぱりもうちょっと話を聞きたいと言うのは妙だろうか。本当は船に乗るのが怖くて、それを知られたくなくて早々に話を切り上げた。そう正直に伝えて、サムタンが悲しそうな顔をした理由を教えてほしいと言えばいい。――したいことはわかっているのに、なんだか気おくれしてしまう。


 シャルはノックをしかねて、ドアの前で立ち尽くした。どうしよう、と悩む耳にボソボソと話し声が聞こえる。


(え――?)


 どういうことだろう。家の鍵はかけたから、部屋の中にはサムタンとトリオローノしかいないはずだ。けれど、会話が漏れ聞こえてくる。


 はっきりとした声ではないが、サムタンがひとりでブツブツしゃべっている感じもしない。あきらかに別の誰かが部屋の中にいる。


 けげんに思いつつ、シャルはドアに耳を押しつけた。


「対応のできる人数は限られておりますので、遺族のすべてを島に上げるわけにはまいりません」


「だが、なるべく多くの人を島へ案内したい。――なんとかならないか?」


「島に上げるだけでも、私は賛成しかねております。島の者たちも賛否両論。歓迎をしていない者もおります」


「それはわかっている。理由も重々承知済みだ。だが、いつまでも隠れ住むわけにもいかないだろう。……理解者は必要だ」


「そのようなものがいなくとも、この160年の間、なんの問題もなくやってこられました」


「これからはそうじゃないかもしれない。僕たちの存在が伝説となればなるほど、より身を潜めて生きていかなければならなくなるだろう。そんなときに、協力者がいるといないのとでは生活がうんと変わるとは思わないか」


「ですから、協力者などいなくとも、きちんと節度を守って過ごしていれば問題はございません。こちらの素性を明かすほうが、ずっと危険が増すのです。――魔女狩りのように、人は異物を排除しようといたします。それも、圧倒的な容赦のなさで」


「魔女狩りの話は書物で読んだ。まったく愚かな行いだ。個ではなく種族で判断し、偏見を持つというのは……。だが、きっと楽なのだろうな」


「そういうものだと、くくってしまえば理解がしやすいのです。ですから、我々もそのように扱われるものと認識し、ゆめゆめご油断なされませぬよう対応をしていただきたいのです」


(いったい、どういうことなの?)


 ドアにぴったりと耳を当てたシャルは、会話の内容を把握しようと思考を巡らせる。サムタンが悲しそうな顔をしたのは、島に人を連れていくことを、会話の相手が承諾していないからなのか。反対意見を押し切り説得する憂鬱のために、あんな表情を浮かべた……、という結論はどうにも納得しきれない。なにかほかに理由がありそうだと、シャルは耳をそばだてた。


「僕はレムン伯爵として、領主として民と接したい」


「あなたはレムン伯爵として、島に住まう人ならざるものたちの安寧を守らねばならないのです」


 緊迫した空気がドアの向こうから伝わってくる。シャルは息を詰めて、ふたりのやりとりを聞き続けた。


「なあ、トリオローノ。僕は、理解者はかならずいると思うんだ。……もし島になにかあったとき、助けを求められる誰かを外に作っておくことは大切なんじゃないか?」


「いいえ、サムタン様。あなた様は人間というものを、少々甘く見られておられる。あの娘はサムタン様が吸血鬼だと頭から信じておりません。だからこそ親切にしているのです。吸血鬼の存在を信じていたなら、あなた様の心臓に杭を打ち込んでいたでしょう。いえ、その前に追い出していたはずです。大声で叫び、恐怖もあらわに」


「シャルはそんなことはしない」


「どうして断言できるのです。――サムタン様。それはあなたの願望でしょう? あなたはあの娘に理解されたがっている。はじめて会話を交わした人間だから、情が湧いてしまったのでしょう。それをどうこう言うつもりはございません。ですが、情を判断に混ぜるようであれば、このトリオローノはサムタン様がいくら望まれようとも、全力を持って阻止させていただきます」


 シャルは耳を疑った。


(トリオローノ? 会話をしている相手が、トリオローノだっていうの? それに、吸血鬼って……。まさか、そんな――)


「可能性を否定していては、なにも成しえない。そうだろう、トリオローノ。すべての人に僕たちの存在を理解し、受け止めてほしいと言っているわけじゃないんだ。ただ、数名……。そう、数名でいい。理解し、協力し合える相手がいれば、もっと豊かな生活ができる。そうは考えられないのか」


「…………そこまでおっしゃるのなら、サムタン様。ためしてみましょう」


「え」


「きゃっ」


 いきなりドアが開かれて、シャルは慌てた。強い力で腕を掴まれ、部屋の中に引きずり込まれる。


「……シャル」


「外で、話を聞いていたようです」


 目をまるくしたサムタンは、シャルが痛みに顔をゆがめているのに気づくと、すぐにトリオローノの腕に手をかけた。


「離せ、トリオローノ」


 素直に従ったトリオローノからシャルを守ろうと腕を伸ばし、触れる寸前でサムタンは動きを止めた。


(触れたら、精気を吸ってしまう……、かもしれない)


 指を握り、サムタンはシャルの顔をのぞきこんだ。


「大丈夫か、シャル」


「ええ……」


 掴まれた腕がすこし痛むけれど、シャルはうなずいた。そして自分の腕を掴んだ青年を見上げる。


(この人、いったいどこから入ってきたの?)


 長躯の青年は威圧的な瞳をシャルに向けていた。これほど存在感のある人が、家に入ってきたことに気がつかないなんておかしい。シャルはまじまじと青年を見た。髪はトリオローノの毛並みとおなじ色をしているし、瞳もそうだ。さっきサムタンがトリオローノと呼んだのは、あだ名だろうか。それとも犬が青年に似ていたから、おなじ名前をつけたのか。――そういえば、トリオローノの姿が見えない。もちろん、犬のほうだ。


 シャルはキョロキョロした。


「なにを探している、娘」


 青年の声の圧力に、シャルはビクリと肩をすくめた。たしなめようとしたサムタンは、トリオローノの名を呼びかけてためらう。――シャルは犬の姿の彼しか知らない。


「どうなさったのですか、サムタン様。どうぞ私の名を呼び、お咎めなされませ。そうしようとなされたのでしょう? どうして呼ぶのをおやめになられたのです」


「それは……」


 視線を落としたサムタンと銀髪の青年を見比べて、シャルはどうすればいいのか考えた。


「あの、ええと……」


 おずおずと青年に声をかけたシャルは、鋭い瞳におじけながらも問いを発する。


「あなたは、どなたですか? どうやってこの部屋に入ってきたのか、教えてください」


「どうやって? 私がこの部屋に入る姿を、あなたは見ていたんですがね」


「えっ?」


「サムタン様。理解をされたいと思うのであれば、これはいい機会だと正体を明かしてしまえばよろしいではありませんか。……あなた様と私で、変化をして見せればいい」


「……っ」


 苦悶の顔でサムタンはシャルを見た。シャルはわけがわからず、胸元で祈るように指を組む。


「…………サムタン、この人はなにを言っているの?」


「さあ、サムタン様。ご決断なされてください」


「僕は……」


 理解のできない状況に怯えるシャルを見つめて、サムタンは唇を引き結んだ。


(たしかに、トリオローノの言うとおりかもしれない。……ここで僕とトリオローノが獣の姿となれば、シャルは僕たちの存在を信じざるを得なくなる)


 ぐっと体に力を込めて、サムタンは湧き上がる拒絶への恐怖を押さえた。ここでためらっては、トリオローノを説得できなくなる。


「シャル」


 哀願の瞳で、サムタンは笑った。


「どうか、驚いても声を出さずにいてほしい。……僕は君に危害を加えない。それを信じてくれないか」


「よくわからないけれど……、わかったわ。声は出さない」


 張りつめた空気に、シャルは身をこわばらせた。サムタンは窓際に行き、トリオローノを傍へ呼んだ。


「よく見ていてくれ、シャル」


 目顔でトリオローノに合図して、サムタンはまぶたを閉じた。シャルの視線を感じて、不安にかられる。


(大丈夫……、シャルは約束をしてくれた)


 もしも彼女がひどく怖がったなら、すぐに窓から飛び出そう。シャルに迷惑をかけないように。


 一抹の不安を抱えながら、シャルはサムタンと青年を見つめた。ふたりの体がふいに歪んで、見間違いかとまばたきをしている間に衣服が床に落ちる。


「――え?」


 シャルの頭は目の前の光景に真っ白になった。呆然とする彼女を、銀毛の狼と黒猫が見つめている。

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