第13話 錆びたボタン
「おかえりなさい」
「ああ。ただいま、シャル」
港から帰宅したサムタンが、昼食の入っていた手提げ籠をシャルに差し出す。受け取ったシャルはその中に彼の今日の収入があるのを見ながら、籠をテーブルに置いた。
「お茶を淹れるわ。座って」
「やあ、ありがとう」
ほほえむサムタンの足元でトリオローノがシャルを見上げる。シャルは物問いたげな目で、トリオローノに笑いかけた。
「トリオローノも。サムタンの警護、おつかれさま」
フンッとトリオローノが鼻を鳴らす。クスクス笑いながら、シャルは湯を沸かして今日の売れ残りを皿に盛り、テーブルに並べていく。はじめのころ、手伝おうとしていたサムタンは、シャルに「慣れているから自分でやっちゃうほうが楽だし、手伝われると宿賃を受け取るのに気が引けるから」と断られた。それからはシャルにまず「手はいるか?」と問い、あると答えられたときだけ手伝うことに決めていた。
「シャル」
「大丈夫」
手伝うことはあるかと問う前に答えられ、サムタンはトリオローノに苦笑を向けて、シャルのはつらつとした動きを見つめた。その唇にほんのりと好意が乗っていることに気づいたトリオローノは、思慮深い輝きを瞳に浮かべた。
「さあ、食べましょう」
テーブルの上を整え、トリオローノにも生肉と水を用意して、シャルは席に着いた。食前の軽い感謝の祈りを捧げてから、食べはじめる。
「仕事はもう慣れた?」
「そうだな……。慣れた、というか、落ち着いて対応はできているな」
「そう。ずっと部屋に閉じこもっていて、つまらなくはない?」
「ああいう静かな空間で過ごすのは、性に合っているらしい」
「そっか」
食べながら、シャルはそっとサムタンの様子をうかがった。視線に気づいたサムタンが、疑問を笑みににじませる。目配せで「どうした」と問われたシャルは、無言で首を振った。不思議そうにしつつも追及しないサムタンを、またシャルは見つめる。彼のカップが空になっていると気づいて、ポットを手にした。
「お茶、入れるわ」
「ああ、すまない」
差し出されたカップを受け取ろうとしたら、テーブルに置かれた。
(やっぱり)
その動きでシャルは確信する。サムタンは私に触れないように、意識的に距離を取っているわ。
以前なら手渡しをされていたのにと、テーブルに置かれたカップにお茶を注いでサムタンに差し出す。サムタンはシャルの指に触れないように、それを受け取った。
(シャルに触れて、精気を吸ってしまわないようにしなければ)
それを念頭に、サムタンは行動している。表面上はなにも変わりないので、シャルは「どうして」と問う機会をつかめないまま、疑問を確信に変えて胸の奥にわだかまりを育てていく。
(やっぱりサムタンは、私につきとばされたことを気にしているんだわ)
彼の腕に抱かれてなぐさめられたとき、船のイメージに両親を失った恐怖を重ねてサムタンを突き飛ばした。サムタンはなにも悪くない。悪いのは、ふんわりと包まれる感覚と船を結びつけてしまい、勝手に怯えてしまった自分だ。
それをきちんと説明したいのに、言い出すきっかけがつかめない。サムタンは年頃の娘を、なぐさめるためとはいえ抱きしめたことを怖がられたと勘違いしている。だから距離を置いているのだとシャルは考えていた。
(私のせいで、すごく気を使わせちゃってる)
どうにかして以前の関係に戻りたい。サムタンに気軽に触れてほしい。
(――触れて、欲しい?)
パッと赤くなったシャルに、サムタンは目をまたかかせた。
「シャル?」
「あ、ううん。デザートを出すのを忘れていたわね」
熱くなった頬に手を当てて、シャルはイスから立ち上がり、パウンドケーキを取りに行った。
「食事を終えてからでもかまわないのに」
「うっかり忘れちゃいそうだから」
そうしてごまかしたシャルは、足元のトリオローノに視線を落とした。
「ねえ、サムタン。トリオローノはいつも、サムタンの傍で仕事をしているの? 犬が苦手な依頼者もいるでしょう」
「ああ。僕の足元でじっとして、依頼者の傍にはよりつかないから大丈夫だ」
まさか職場に着くとすぐに、トリオローノが人の姿になって、どこかへ行ってしまうとは答えられない。――シャルは存在を信じていないのだから。
ズキ、とサムタンの胸がちいさく痛んだ。そっと指先をそこに当てて苦笑したサムタンの足首に、トリオローノが鼻先を押しつける。どうやらトリオローノは、僕の気持ちを知っているようだな。
テーブルの下に手を伸ばせば、トリオローノが頭をすり寄せてきた。指先でつややかな毛並みを味わいながら、サムタンは己の存在がいかにシャルから遠いかに歯噛みした。
(だが、だからこそできることがある)
人ではない自分だから、人ではない者たちに命じて湖の底を探索させられる。そして得られた情報はどれもバラバラだけれども、遺族にとってはパズルのピースのように、パチリとはまるもののはずだ。問題はそれらを、どう人々のところへ返すか。
「ねえ、サムタン」
「うん?」
「サムタンの住んでいた島って、どんなところ?」
「え」
彼の故郷の話を聞けば、きっかけができて謝罪と説明ができるかもしれないと、シャルは問うてみた。ただ純粋にサムタンのことをもっと知りたいとも思っている。サムタンはどんな人たちと暮らしていたのだろう。伯爵の生活など、シャルには想像もつかない。
(それに、サムタンのご両親の話なんかも聞いてみたいな)
そうすれば自分の両親の話もできて、その流れでサムタンを突き飛ばした理由を説明できるかもしれない。シャルはとにかく、サムタンとの微妙な距離感をなんとか元通りにしたかった。
サムタンはシャルの瞳を見返しながら、どう説明をすればいいのか困惑していた。人ならざる者ばかりが生活をしている島。それを吸血鬼と言っても信用しなかったシャルに、どう伝えればいいのだろう。正直に話せば、冗談ばかりだとシャルは笑いそうだ。ならばどうごまかして、島の話をすればいい。
サムタンはトリオローノの耳をつまんで、ひっぱった。グル、とトリオローノが短くうなる。
「島の生活は、そうだな。……なんというか、のんびりしていた」
「のんびり?」
「ああ。城の周りは高い木々が生い茂っていて、昼なお薄暗い城の一方だけが、広い庭園になっているんだ。早朝にそこを散策して城に戻り、書類に目を通したり本を読んだりして夕方まで過ごす。日暮れ前にまた庭を散策する。という感じか」
夜中に島のあちこちを散歩する話や、木々の深い場所を日中に歩く話はしないでおこう。そこをくわしく聞きたいと言われれば、どうしても人ならざる住人の話が絡んでしまうから。
そう判断したサムタンの言葉を、トリオローノはじっと見つめていた。
「じゃあ、いまの仕事は島の生活と変わらないのね」
「まあ、そういうことだな」
だからサムタンは性に合っていると言ったのね、とシャルは納得した。
「島には決まった人しか来ないんでしょう? その人たちとサムタンは会わないってウワサがあるけれど」
「ああ。城で働いている者が対応する。……その、専門的な知識を持った……、たとえば食材なら料理人が対応をするほうがいいだろう」
なるほどとシャルが納得したので、サムタンはホッとした。どうして立ち会わないのかなどの質問をされたら、トリオローノの話を抜きにはできない。そうなったらもちろん助けてくれるよなと、サムタンはトリオローノの耳を引っ張りながら目配せした。トリオローノは退屈そうな目でサムタンを見上げ、耳を振ってサムタンの指から逃れるとシャルの服の裾をくわえて引いた。
「あら。なぁに、トリオローノ」
ニコニコとシャルがトリオローノを撫でる。ふわふわの手触りにほほえむシャルを見つめるサムタンに、トリオローノが鋭い目を向けた。視線の理由がわからないサムタンに、トリオローノは後ろ足で首を掻き、なにかを落とすしぐさをして見せる。
「シャル」
トリオローノの言いたいことを理解して、ズボンのポケットに手を入れたサムタンは硬いものを握りしめた。
「見てほしいものがあるんだ」
そう言ってサムタンは錆びた銀の飾りボタンを取り出した。
「どうしたの? これ」
「湖の底にあったものだ」
伸ばしかけた手を止めて、シャルはこわごわとサムタンを見た。
「……どういうこと?」
かすれた声でシャルが問う。青ざめ、こわばったシャルの表情を胸に抱きしめながら、サムタンは答えた。
「島の者に沈んだ船の探索を命じたんだ。そうしたら、これが届いた」
シャルの瞳が鈍い痛みに彩られ、サムタンの胸は軋んだ。こんな顔を見たいわけじゃない。けれど彼女の助けを借りなければ、自分がしようとしていることはかなわない。
痛む瞳の奥にある悲しみをすべて、自分の胸に受け止めさせてくれと、サムタンは心の中で叫んだ。たとえ触れられなくとも、彼女の傷に薬を塗れるはずだ。痕の残る傷だとしても、治療をしないまま彼女の心を放ってはおけない。そのために僕は、2年前の事故を調べているんだ。
心で語りかけながら、サムタンは飾りボタンをシャルのほうへ押しやった。
「知恵を貸して欲しい。このほかにも引き上げたものがある。それらを持つべき人の手に返したいんだ。……そして、心にある傷に向き合ってほしい」
息を呑んだシャルは飾りボタンに触れ、焼けた鉄に触れたかのように手を引いた。
(向き合う……)
向き合って、きちんと悲しんで受け入れて――。それができない人は私のほかにも、きっといる。サムタンは港で仕事をしている間に、そんな人たちと出会って気づいたのね。
領主として、人々の心に気を配るサムタンのやさしさが、すこしさみしいと感じたシャルは苦笑した。
(私、すごくわがままな気持ちになってる。私にだけ、そんな心を向けてほしいだなんて)
「わかったわ。なにか、いい方法を考えましょう。遺品すらも帰ってこなかった人もいるらしいから、とても喜ばれると思うわ」
自分の気持ちを押し込めたシャルは、たのもしい笑みを満面に広げて請け負った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます