第11話 新たな仕事
お店の定休日。
帳簿づけをしていたシャルは、計算を終えてため息を吐いた。
「ちょっと、厳しいかも」
つぶやいて胸元に手を当てる。服の下にある硬く冷たいものを感じて、またため息。
「サムタンに知られたら、これを売れって言われちゃうかなぁ」
「なにを売るんだ?」
ひょいと背後からのぞかれて、声が出ないほど驚いたシャルの横に腕を伸ばし、サムタンは帳面を持ち上げた。
「サ、サムタン。買い物は終わったの」
頬をひきつらせるシャルに、サムタンはニッコリする。
「ああ」
「もっとゆっくり、散策もついでにしてきたらって言ったのに。ずいぶんはやいのね」
サムタンはおどけた顔をして、買い物籠や手提げ袋をテーブルに乗せた。
「わあ! どうしたの、これ?」
渡した金額ではとても買えない量の果物や野菜、肉、魚だけでなく、お菓子までもが並んでいる。おどろくシャルに、サムタンはニコニコと首をかしげた。
「市場を歩いていると、店の人々がいろいろとくれたんだ。シャルと3人で食べろとな」
サムタンは足元のトリオローノに向かって、いたずらっぽく片目を閉じた。トリオローノはフスンと鼻を鳴らす。
「なんだか、ちょっと不機嫌ね?」
「子どもたちに撫でまわされていたからな。まあ、そのおかげもあって、いろいろともらえたんだが」
「そっか。おつかれさま、トリオローノ」
シャルにねぎらわれたトリオローノは、ジロリと目を向けるとテーブルの下にうずくまった。よっぽど疲れたのねと、シャルは目元をなごませる。シャルの意識がトリオローノや籠の中身に向けられている間に、サムタンはサッと帳簿に目を通した。
「これは、僕たちがここに来てから……というか、トリオローノの食費が収入を圧迫しているね?」
あっと思い出して手を伸ばし、帳簿を取り返そうとするシャルから、サムタンは軽々と逃げて手を上げた。長身のサムタンにそうされると、イスかテーブルにでも乗らない限りシャルには届かない。シャルは叱られた子どもみたいな顔をして、うらめしそうにサムタンを見た。
「圧迫しているってほどではないわ。収支のバランスが拮抗しているというだけよ」
「だが、それだと困るだろう。たとえば、ちょっとどこかにお茶をしに行く、という余裕がなくなってしまう」
「もとから、そんなに外に食べに行く生活をしていないから、そのくらい問題ないわ。休憩したいときは、お店で出すケーキの切れ端とかを食べていたし」
「そういう意味で言ったのではないよ、シャル」
わかっていて、わざと言っていたシャルはむくれた。
「いざというときに使えるお金を置いておくと安心だろう?」
シャルはそれを、両親を失ったときに実感していた。店を再開するときに、シャルがひとりでも切り盛りしやすいよう、好意で改装費を出してくれた常連客たち。再開が軌道に乗るまではと、仕入れ値を安くしてくれた市場の人々。そして再開するまでの食費など、住み込みで料理修行をしろという言葉でサポートしてくれた食堂の店主。そういうあたたかな境遇に恵まれていなければ、いまの生活はなかったと、店の経営に慣れてきたころにシャルは気づいた。その恩返しをしたいと思いつつ、できないままでいる。その気持ちがあったから、シャルはサムタンを拾う気になったのだった。
シャルの気遣いをありがたく思いつつ、サムタンは帳簿の中身に意識を向けた。
(やはり、なにか仕事を見つけるべきだな)
ここでサムタンが働きはじめてから、客あしらいの効率がよくなったからなのか、わずかに売り上げは伸びている。けれどそれは微々たるもので、サムタンの食費はともかくトリオローノの食費を充分に賄えるほどではない。
「シャル……」
「売らないわよ」
言いかけたサムタンを遮って、シャルは胸元を握りしめた。そこにある宝石を思い出し、サムタンは苦笑した。すっかり彼女に預けていることを忘れていた。
「これを売るような店は、このあたりにはないし。それにこんなにキレイなもの、売っちゃうなんてもったいないもの」
「そうじゃない、シャル」
全身に警戒をみなぎらせるシャルに、サムタンは柔和な声をかけた。
「働きに出ようかと言いたかったんだ」
「そうなの」
ホッと気を緩めたシャルに、「うん」とちいさく返しながらサムタンは帳簿に目を落とした。
「だが、僕にどんな仕事ができるのか、さっぱりわからないな。いままで目にした仕事は船の荷運びか、品物や料理を作り、それを運び、提供するというものだが」
「サムタンが大きな荷物を運ぶ姿なんて、想像もできないわ」
すらりとした長躯のサムタンが、見た目よりもしっかりとした男らしい筋肉質な体をしていると知っている。けれど船の荷運びをしている屈強な男たちと比べると、サムタンはとても細身に見えた。なにより荷運びが似合わない。
想像に笑うシャルに、サムタンは不思議そうにまばたきをした。
「ああ、ごめんなさい。ちょっとサムタンに荷運びは似合わないなと思ったの」
「笑うほど、おかしいか」
「そうね。ひかえめに言っても、笑うほどおかしいわ」
「そうか。だが、僕はなにかを作ったことがないんだ。なにかを運ぶぐらいしか、できそうな仕事は思いつかないな。――ところでシャル」
「なに?」
「この、数字のほかは絵記号にしている理由を教えてくれないか」
「えっ?」
「帳簿は絵記号で示すものなのか? たしかに、わかりやすくていいだろうが、文字を書くほうが楽だと思うが」
「ああ、そうか。サムタンは字が書けるのね」
「どういうことだ」
「文字を書ける人は、すくないのよ。読める人もね」
言われて、サムタンは町の風景を思い浮かべる。看板はたいていイラストで、文字が書いてあるものは珍しかった。店のメニューは口頭で教えられるか、食べたいものを言って、それがあるかを確認した。
「言われてみれば、街中であまり文字を見なかったな」
「でしょう。読み書きができる人は貴重なのよ。船の荷下ろしのときには、荷物のリストを読み上げる仕事をする人がいて……」
言いかけて、シャルはサムタンを見た。
「それなら、僕にできる仕事だな。それは、誰に言えばはじめられるんだ?」
やる気に満ちたサムタンを見て、シャルはちょっと考える。
「前に行ったお店、おぼえてる? 2階から港をながめた――」
「もちろんだ」
「船乗りがおおぜい利用している店だから、あそこに相談すればいいと思うんだけど」
「そうか。それなら」
テーブルの下に寝そべっていたトリオローノが、むくりと起きてサムタンの足元に立った。
「ああ、トリオローノ。僕がすぐに行きたがると思ったんだな」
つい、と鼻先を動かして、トリオローノはシャルに扉を示した。さっさと行くぞと言われた気がして、シャルは苦笑する。
「トリオローノは、ほんとうにかしこいわね」
「トリオローノだからな」
どういう意味かとは聞かず、シャルは気乗りがしないまま港へ向かった。
(サムタンが外で働いたら、私はまたひとりでお店を切り盛りしなくちゃいけないのね)
それがちょっぴりさみしいから、帳簿のことは内緒にしておくつもりだったのに。見つかってしまってはしかたがない。なによりサムタンが働くことに意欲的だ。それを個人的な感情で妨げるのはよくない。
(仕事が終わったら、帰ってくるんだし)
帰ってくる、という言葉が不確かなものだと知っているシャルは、ゾクリとした。
「シャル?」
「なんでもない。ちょっと、お昼前だから忙しくてお邪魔になるかなと思って」
「ああ、そうか。これからお昼時で忙しくなるんだな」
シャルのごまかしに気づかずに、サムタンは店の前で立ち止まった。繁忙時間が過ぎてから、出直すべきか。しかしそれだと日光の強い時間帯となる。できれば午前中のうちに話を済ませ、昼間は日陰で過ごしていたい。
そんなサムタンの思考に気づいたトリオローノが、ドアを前足で掻いた。
「あら。もしかしてトリオローノ、またおいしいお肉がもらえると思っているのかしら」
犬扱いされてカチンときたトリオローノは、サムタンの声を真似て自己弁護する。
「悩んでいないで、さっさと入ろうと言っているんだ」
「そっか、そうよね。せっかく来たんだし、忙しそうならお昼を食べながらお店が落ち着くのを待てばいいし……。トリオローノはお留守番になるけれど、それでいい?」
クォン、とトリオローノは返事をして店の角に行き、うずくまった。それを見て、シャルは扉を開ける。
「いらっしゃい。ああ、今日はそっちは定休日だったね」
従業員がシャルとサムタンに愛想のいい笑顔を向ける。
「ええ。それで、ちょっと相談もあってご飯を食べに来たんです」
「あら、そうなの? それじゃあ2階のあの席で待ってて。あの大きなワンちゃんも来ているんでしょう? おいしいお肉、出しておくわね」
「やあ、すまない」
礼を言うサムタンに、「きっちりお代はもらうわよ」と笑いかけて、従業員は奥へ入った。シャルがサムタンをうながして、お気に入りの席に座るとほどなく店主が現れた。
「すみません。忙しい時間帯に」
「なに、いいさ。たまには店主も客の視点で店の様子を確認しなくちゃならないからな」
そう言って豪快な笑みをシャルとサムタンに等分した店主は、彼を追いかけるように運ばれてきたエールとジュースを受け取り、いくつか食事を注文した。
「サムタンだったか。飲めるんだろう?」
シャルの前にはジュースを置き、サムタンにはエールを差し出した店主は、遠慮するなと歯をむき出して笑う。受け取ったサムタンと乾杯をして、半分ほどエールを飲んだ店主はテーブルに肘をついた。
「で? 相談っていうのは、なんだ。ふたりの結婚式をここでしようって話か」
「えっ」
ガハハと笑う店主に、シャルが真っ赤になって頬をふくらませる。
「そういう話じゃないんです。サムタンの仕事のことで――」
むくれながらも手短に、ここに来た経緯を説明された店主は「なるほどな」と腕を組んだ。
「読み書きができるんなら、それを活かす仕事に就いたほうがいい。そうすりゃあ、あの犬っころも贅沢な肉が食えるってもんだ」
(トリオローノが聞いていたら、怒るだろうな)
そっと胸中で笑いながら、サムタンはうなずいた。
「それで、ここに来ればそういうツテがあるのではないかと」
サムタンに目配せされて、シャルが言葉を引き継ぐ。
「ねえ、おじさま。そういう人を求めている船主かなにか、知らない?」
ふうむ、と店主が腕を組む。
「船主は大抵、そういう連中と契約しちまってるしなぁ。……ああ、そうだ。それなら、代筆役をやっちゃあどうだ」
「代筆?」
「そう。手紙を出したくとも書けない奴がいる。手紙をもらっても、読めない奴もいる。そういう連中の手紙を書いたり、読んだりする仕事だ」
「ああ、そっか」
顔を輝かせたシャルが手を合わせた。
「遠くにいる誰かとやりとりをしたくても、文字が書けなくて困っている人はいるものね」
「そう。どうしても手紙を書いたり読んだりしなくちゃいけないって奴は、ここから馬車で1時間ほど離れたところにある街に頼みに行くんだが、そういう仕事をしている奴はすくないからな。けっこう待たされて大変なんだ。それがここでできたなら、馬車で行かなくてもいいってことで、いままで出したくてもしなかったって連中が利用するかもしれない。うまくいくかはわからないが、やってみる価値はあるぞ」
どうだ、と視線で問われて、サムタンは「ぜひに」と答えた。
「そうなったら、場所が問題だな。手紙なんて個人的な内容がほとんどだから、ひと目につかない、声も漏れ聞こえない場所がいい。――そう、教会の懺悔室のような場所だ」
「もし誰もこなかったら、ランプ代がかさんで大変じゃないかしら」
「それはつまり、窓がすくない場所、ということか?」
顔をしかめたシャルにサムタンが問うと、店主がひょいと眉を持ち上げた。
「おまえさんは、懺悔をしたことがないんだな」
「店主はあるのか」
どちらとも取れるあいまいな顔で、店主は肩をすくめた。
(窓のすくない部屋で仕事ができる)
なんてありがたい環境なのかとサムタンはよろこんだ。
「ぜひに、その仕事がしたい」
「なら、場所はどうにかツテを頼って探すとしよう。なるべく港の近くがいいな。船便で荷物や手紙が行き来するから、依頼者もふいっと立ち寄りやすいだろう」
この話はそこで終わり、店主のふるまいで昼食をたのしんだシャルとサムタンは、ゆっくりしていけと席を立った店主の言葉に甘え、日差しが落ち着くまで過ごさせてもらうことにした。
「ずっと閉じこもっているなんて、気がふさぎそうだわ」
仕事が見つかったのはいいけれどと憂うシャルに、大丈夫だとサムタンはほほえむ。
「トリオローノがついていてくれるから、問題はない。それに、依頼者がいるのだから閉じこもっているという感じは、しないはずだ」
「でも」
「それに、そういう環境だと、伯爵としての仕事もできるからな」
前にのめって声を潜めたサムタンに、ああっとシャルは声を上げた。
(そっか。サムタンは伯爵様だったわ。だから字の読み書きができるのよ)
すっかり忘れていたと表情で告げるシャルに、サムタンは苦笑する。
「これでも、きちんと仕事をしているんだ。近隣との交易許可や、街の税制管理あたりをな」
「ごめんなさい」
真っ赤になってうつむくシャルに手を伸ばしかけたサムタンの脳裏に、青ざめて震えるシャルの姿が浮かぶ。サムタンは指を曲げて、触れたい衝動をこらえた。――また、精気を吸ってしまうかもしれない。
「あれ? でも、書類とかそういうものは、どうするの。島に届けられるんでしょう」
「島からこちらに届けてもらっているんだ」
「誰に?」
「ハルピュイアに」
伝説上の生き物の名を出されて、シャルはあっけにとられてから吹き出した。
「やだ、サムタン。人間の腕は翼にはならないわよ」
吸血鬼を信じていないのだから、ハルピュイアを信じないのも無理はないと、サムタンはすこしさみしく苦笑した。
(きっと、腕を翼にするくらい機敏に移動ができる船かなにかのことね)
そう解釈したシャルは、あれっと気づく。
「家出をしてきたのに、お城の人に見つかってしまったのね」
「残念ながら、そのとおりだ。だが、これも勉強のうちだといって、許可をしてもらった」
「そう。よかったわね」
その人に滞在費だと言ってお金を渡されなくてよかったと、シャルは胸をなでおろす。もしそうなったら身分を感じて、こうしてサムタンと気軽に会話なんてできなくなる。サムタンもそれを思って断ってくれたのだろうか。
ペンダントのやりとりを思い出して、シャルは服の上からペリドットを握った。
「その人にご挨拶をしたいわ」
そしてサムタンのことを聞いてみたいとシャルは思う。
「ああ、いずれ紹介するよ」
そう言って、サムタンはそっと窓の外を見下ろした。トリオローノがのんびりと日陰で過ごしている。
「お仕事が見つかって、よかったわね」
「これからは、胸を張って過ごせるな」
「なあに、それ? なにか遠慮をしていたのなら、気にせず言って」
「ああ、いや。そういう意味ではないんだ」
「じゃあ、どういう意味?」
「シャルと対等でいられそうだ、という意味だ」
きょとんとしたシャルは、ふうっと笑みをこぼした。
「雇われ者って立場から、昇格できるって言いたいのね」
「居候から、同居人に格上げになるってことだ」
クスクスと笑みを絡めて、ふたりはなんとなく乾杯をした。
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