第6話 強がりのかけら
「ふうっ」
昼の繁忙期を乗り切ったシャルは、残り少なくなってきたランチメニューを見て、食堂に向かって声をかけた。
「サムタン、ちょっと来て」
食堂フロアで持ち帰り客の対応をしたり、代金を受け取ったりしていたサムタンは客との会話を切り上げて、調理場へ入った。
「なにか、運ぶものでもあるのか?」
「ううん。お昼ごはんよ。お腹空いたでしょ」
シャルがテーブルに焼き魚とスープ、サラダとパンを並べると、サムタンは目を輝かせた。
「客とおなじものだ」
ウキウキと席に着いたサムタンに、シャルは茶を淹れる。
「もっと別のもののほうがよかった?」
「いや。皆がとてもおいしそうに食べていたから、気になっていた。――シャルのぶんは、並べないのか?」
テーブルの上には、ひとり分しか用意されていない。シャルが自分の昼食を並べる気配もないので、サムタンは首をかしげた。
「私は、作りながらちょっとずつつまんだから、大丈夫。これからティータイムの準備もしなきゃならないし」
そう言いながら、シャルは寝かせておいたパウンドケーキを取り出し、カットした切れ端をサムタンの前に置いた。
「お城では、どんなものを食べていたの?」
働くシャルの姿を見ながら、サムタンは思い出す。
「どんな、と言われても……。パンとスープ、サラダ、メインと果物だ」
「ふうん。基本はおなじなのね。でも、食材とかソースとかが違うんでしょう?」
「味は違う。だが、それをどう説明すればいいのか、わからないな」
トリオローノならばわかるだろうかと、サムタンは考える。しかしシャルは彼が人狼だとは知らない。トリオローノも正体を明かしたがらないはずだし、あとで話を聞いてシャルに伝えようか。
「私の料理はとってもシンプル。香草を混ぜた塩を振りかけて焼くだけよ。それか、小麦粉をまとわせて揚げるように焼くくらい。食材も手に入りやすいものだから、サムタンの舌には物足りないかしら」
そう言いながらもシャルは手を止めない。クルクルと手際よく動いて、残っていた客から食堂との窓ごしに空になった皿と料金を受け取ったり、クリームを泡立てたりしている。
快活に動き回るシャルを見つめながら、サムタンは食事をした。これほどたのしく、おいしい料理ははじめてだ。シャルは俺の舌には物足りないのではと言っていたが、そんなことはない。にぎやかな雰囲気と、シャルの踊るような働く姿が料理の味を引き立てている。
城での食事とは大違いだと、サムタンはスープに口をつけた。財政帳簿などにも目を通しているサムタンは、自分の食費がどれほどのものかを把握していた。客が支払った代金をまとめても、サムタンの1回分の食費にはならない。それほど食材を厳選し、凝った調理をしていても、昼でも薄暗いステンドグラスに日の光を遮られた食堂で、ただひとり静かに食べる食事の、なんと味気ないことか。それをまざまざと感じたサムタンは、やはりこの場所にたどり着いてよかったと、誰に対してかわからない感謝とともに料理を味わった。
調理場はサムタンの部屋の半分もないほどに狭く、どれもこれも古びている。けれど丁寧に使い込まれていて温か味があった。レンガ造りのしつらえは、どれもこれも手入れが行き届いており、窓から差し込む光の中でやわらかな雰囲気をかもしている。その中でワンピースの裾を足首にまとわりつかせながら、笑顔をきらめかせて働いているシャルの姿は、木漏れ日に戯れる小鳥のようだ。
小鳥のシャルに狼のトリオローノがなでられていたのかと、サムタンはクスクスと肩を震わせた。
「どうしたの? いきなり笑いだして」
「いや……。シャルはとてもたのしそうに働くから、それを見ていたら僕も愉快になってきたんだ」
「私、そんなにたのしそうにしてる?」
「ああ、とても。まるでダンスをしているみたいだ」
立ち上がったサムタンは、シャルの手を取り腰に腕を回して引き寄せた。
突然のことに目をまるくしたシャルに、サムタンはほほえむ。
「今度は、子リスみたいだな」
「えっ?」
「シャルはとても興味深い」
なにがそんなにサムタンをたのしませているのか、シャルには見当がつかない。だって私、いつもどおりにしているだけだもの。でも、庶民の暮らしを知らないサムタンからすれば、見るものすべてが珍しいのかも? だからこんなに、はしゃいでいるんだわ。
サムタンの体が揺れて、シャルは足を前後に動かす。音楽もないのに踊りはじめたサムタンは、ダンスなどしたことのないシャルをリードし、調理場の中を滑るような足取りで移動した。
サムタンの広い胸に包まれて、シャルはポウッとなった。サムタンのぬくもりがシャルへと流れてくる。生まれたての日光みたいな笑顔だな、とシャルは彼を見つめて思った。紫の瞳が、今朝よりもすこし赤味が強くなっている。なんて不思議な瞳かしら。太陽の位置とともに、サムタンの瞳の色は変わっていくんだわ。夜になればまた、ルビーのような赤色に見えるのね。
「シャル?」
あまりにも熱心にサムタンの瞳を見ていたので、呼びかけられたシャルはびっくりした。体を硬く震わせたシャルに、サムタンは目をまたたかせる。
「どうした」
「あ、ええと……。瞳が朝よりも赤みがかってきているのが、不思議だなって。夜になったら、また赤に見えるのかなと思って、気になってしまったの」
瞳に心を奪われていたなんて、恥ずかしい。言ってから頬を染めたシャルは、サムタンの笑顔がスウッと消え失せたことにおどろいた。
「サムタン?」
「ああ、いや」
ふっと顔をそらしたサムタンはシャルから離れ、テーブルに戻ってカップに口をつけた。消えたぬくもりがなぜかさみしくて、シャルは彼の変化の理由を考える。
(なにか気に障(さわ)ったんだわ。なにがサムタンの笑顔を消してしまったのかしら。もしかして、瞳の色はサムタンにとってコンプレックスなのかもしれない)
他人がいいと思っていても、本人がそう感じてはいないケースはままある。人と自分が違っていることがイヤだったり、誰かに言われたことがきっかけで気にしてしまったり。だとしたら、悪かったなとシャルは反省した。けれどサムタンの瞳を、私は心の底からステキだと思ったんだもの。もしかしたらサムタンは、私が好奇心やからかいの意味で瞳を見ていたと受け取ったのかも。だったら、そうじゃないって伝えないと。
「あの、サムタン。私ね、サムタンの瞳はとってもステキだなって思って、それで見ていたの。だって、光の具合で色が変わるなんて、不思議だし魅力的だなって。だから――」
「うん。ありがとう」
祈るような恰好で眉を下げ、必死に言ってくるシャルの姿にサムタンの胸が疼いた。僕が機嫌を損ねたと心配をしているんだな。そんなつもりはなかったのに、なんて顔をしているんだ。いや、あの表情をさせているのは僕の態度のせいか。僕がシャルを不安にさせて、言い訳じみた言葉を紡がせている。
「シャル」
不安げなシャルにほほえみかけて、サムタンはなんと言えば彼女を笑顔に戻せるのかと考えた。
「僕の瞳を褒めてくれたのは、シャルがはじめてだよ。ありがとう」
瞳の色を褒められても、うれしくもなんともない。サムタンにとって色の変化は、吸血をしなければならないバロメーターだからだ。赤味が強くなればなるほど、吸血鬼としての飢えが強くなる。夜になればまた、血を求めなければならない。
ゾッと悪寒に見舞われて、サムタンは頭を振った。いまはそのことを考えないでいよう。それよりもシャルの笑顔を取り戻すのが先決だ。
礼を言ったサムタンが笑顔をこわばらせ、頭を振る姿を見てシャルの胸が痛んだ。やっぱり瞳はサムタンのコンプレックスなんだわ。私、不用意に彼を傷つけてしまったのね。でも、私にとっては本当にステキな瞳なんだもの。サムタンがどうして自分の瞳を嫌っているのか、その理由を知りたい。そうすれば、ちょっとはなぐさめられるかも。――でも、余計なお世話かしら。
ふたりは顔を見合わせて、ぎこちない笑みを浮かべた。どちらもが相手を気遣い、けれどどうしていいかわからないでいる。
微妙な空気に包まれていると、「おーい」と客から声がかかった。
「はーい!」
返事をしたシャルが窓から客の注文を聞き、サムタンは食堂フロアに戻った。客でごった返していた店内は、片手で数えられるほどの人数しか残っていない。サムタンが空いているテーブルを拭いていると、さきほどシャルに声をかけた客が話しかけてきた。
「なあ、アンタ。見かけない顔だな」
客はシャルの父親とも言えそうな中年の、身幅のガッシリとした男だった。肌はよく日に焼けて浅黒く、髪は短く刈られている。
「昨日、この町についたばかりだ」
「へぇ?」
男は無遠慮にサムタンをながめまわし、フンッと鼻を鳴らした。
「なんて名前だ」
「サムタン」
「ふうん? 俺はダズだ。ダズ・イミア」
セカンドネームをどうしようかと、サムタンは迷った。言わないでおけるなら、それでいい。しかし男の目がフルネームを言えと言っている。なにか適当な名前を言わなければと思うのに、これといったものは出てこない。
「サムタン・モリトゥ。彼は遠い親戚なの」
料理を手にしたシャルが、ふたりの会話に割って入った。男に料理を差し出しながら、サムタンに笑いかける。
「うんと遠い親戚だから、めったに顔を合わせなかったのよ。まだ男か女かはっきりしないくらい、ちいさな子どものころに会ったっきりってくらい、遠い場所に住んでいたの」
「へえ?」
男がサムタンとシャルをジロジロと見比べる。
「似ているようには、思えねぇがな」
「あら。似ていない兄弟だって、いるでしょう? 私とサムタンが似ていなくても不思議じゃないわ」
「まあ、そりゃそうだが。……そんな奴が、なんだってここにいるんだ?」
「私を心配して、来てくれたのよ。うんと遠いところだから、私がどうしているのかを知るまで時間がかかっちゃったの。それから、こっちに来るまで時間がとってもかかって、昨日やっと到着したってわけ」
ふうん、とダズはスープをすすりながら考える顔をした。
「するってぇと、ふたりが船で行こうとしてた場所ってのは、この優男の住んでいた場所ってことか」
なるほどなと勝手に納得したダズは、気の毒な顔をした。
「久しぶりに会えると思っていた親戚が、船ごと沈んじまったなんて、とんでもねぇことだったなぁ。アンタにも悔やみを言っておくぜ」
サッとシャルの顔色が変わる。サムタンはあいまいな笑みを男に向けて、シャルの背を押し調理場に戻った。
「シャル」
気遣うサムタンの声に、シャルは唇を引き結んで精一杯の笑顔を浮かべた。
「あの、ごめんなさい。ウソをつくつもりじゃなかったの。――本当は、両親とも……」
湖に沈んだとは口に出せないシャルの肩を、サムタンはしっかりと抱きしめる。
「言わなくてもいい」
ふわりと包まれて、シャルの目頭が熱くなった。泣いちゃいけないと思うのに、涙がにじんでしまう。
「なにをガマンしているんだ、シャル」
泣いてしまえばいいのにと、サムタンはシャルの耳にささやいた。シャルはサムタンの胸に額を押しつけ、ちいさくうめく。
「お店、あるから」
働かなくっちゃ、食べていけないから。弱った心を立て直そうとするシャルのつぶやきを、サムタンは強く抱きしめた。すっぽりと腕の中におさまってしまう細い肩は、ずっと悲しみの重みに耐えているんだな。
「大丈夫。すこし、休んでおくといい」
サムタンはシャルをテーブルに着かせると、店の扉のプレートをオープンからクローズに変えた。最後の客には料理を提供しているから、あとは代金を受け取るだけでいい。それなら僕でも可能だ。シャルは両親の死を受け入れられないんだろう。受け入れる暇がなかったのかもしれない。とにかく、シャルはいまとても悲しんでいて、それから目をそらそうとしている。自分の感情から逃げたがっている。それがいいことだとは思えない。シャルが悲しみと向き合える余裕を、なんとか作ってやりたい。
そのためにサムタンができることは、店を閉めて仕事を休ませる以外になかった。料理ができればいいのだが、お茶すらも淹れられない。トリオローノならばできるのにと、サムタンは天井を見上げた。人の姿のトリオローノをシャルに紹介して、彼もここで働かせてほしいと言ってみようか。そうすればシャルをもっと休ませられる。トリオローノは嫌がりそうだ。狼姿のトリオローノがいなくなれば、どこに行ったのかと問われるし、おなじ名前となれば変に思われる……、か。
「なあ、にいさん。ええと、サムタン」
考えに沈んでいたサムタンは、ハッと顔を上げた。バツの悪そうな顔をして、ダズが手招いている。近づくと空いている隣席に座るよう示された。
「なんか、悪かったな。不用意なこと言っちまって」
「ああ、いや」
「あの子はさぁ、けなげにがんばってて、見ていてたまに痛々しくなるんだよ。店を再開したのだって、ちっとはやすぎるんじゃねぇかって言い合ったりしてたもんだ」
目元を暗くしたダズに、サムタンは身を乗り出して話の続きをうながした。
「いきなり両親が死んだって聞かされても、信じられるもんじゃねぇからな。遺体も上がっていねぇんだ。葬式は常連客たちが仕切って済ませたけどよ、シャルは心のどこかでまだ生きているんじゃねぇかと思ってる。本人からそう聞いたわけじゃねぇが、態度を見ていりゃなんとなくわかるさ」
サムタンは相づちを打ちながら、ダズの言葉を聞いていた。
「なんとか思い切り泣かせて、真実を受け止められるようにしてやりてぇんだが、シャルは見かけよりもずっと強がりだからよぉ。親戚なら素直になれるかもしんねぇ。シャルのこと、よろしく頼むぜ」
肩を軽く叩かれて、サムタンはしっかりと笑顔でうなずいた。
「僕でできることなら、なんでもするつもりだ」
「おお、おお。俺たちも協力できることがあれば、なんとかするからな。犠牲ンなったのは、シャルの両親だけじゃねぇ。あちこちに遺族がいるんだ。まだ、たった2年しか経ってねぇから、誰もが多かれ少なかれ傷を負ったままでいる。――いわば、この街全部が遺族みてぇなもんだ。だからよ、遠慮せずになんでも言ってくれ」
ダズの気持ちに胸を熱くさせて、サムタンは「ありがとう」と答えた。じゃあなとダズが代金を支払い、店を出ていく。
(この街全部が遺族)
そんな事故があったと、サムタンの耳には入っていなかった。必要のない情報だと、誰もサムタンに伝えなかったのだろう。おかしな話だとサムタンは皮肉に鼻を鳴らした。統治している僕が、この街全体にかかわる問題を2年もの間、なにも知らずにいたのだからな。
あとでトリオローノに質問しようと思いつつサムタンが調理場へ入ると、シャルは流し場で鍋を洗っていた。
「シャル」
「ごめんなさい、サムタン。ちょっと情けないところを見せちゃったわね。でも、もう大丈夫だから」
「シャル。店のプレートを閉店にしてきた。今日はゆっくり休むといい」
「だめよ。休んだら、そのぶん収入が減ってしまうわ」
「1日くらい、平気だろう?」
「居候がいるから、よけいに休めないのよ」
いら立ったシャルの言葉に、サムタンは息を呑んだ。シャルは自分の言葉におどろき、クシャリと顔をゆがませてうなだれる。
「……ごめんなさい」
気にしていないと首を振りながら、サムタンはシャルの肩に手を置き抱き寄せた。ちいさな子どもにするように、リズミカルに背中を叩く。
「なあ、シャル。そんなにひとりでがんばらなくても、いいんじゃないか。誰かを頼るとか、甘えるとか、そういう方法を取って自分を守ることも大切だろう?」
「私は、ひとりだもの」
両親がいなくなって、家族はもう誰もいない。街の人はとても親切にしてくれるけれど、彼等には彼等の生活があるし、大切な人がいる。それなのに甘えるなんてできやしないと、シャルは自分に言い聞かせてきた。自分を食べさせるために、自分でなんとかしなくちゃいけない。泣いているヒマなんてない。そう、泣いているヒマなんてないのだ。
「シャル」
やわらかなサムタンの声が、シャルの耳を打つ。
「がんばりすぎないことも、大切だ。それにいまは、ひとりじゃない。僕がいる。お茶を淹れることすらできないけれど、掃除をしたり代金を受け取ることはできる。それにこうして、シャルを抱きしめて会話だってできるんだ。――シャルはひとりじゃない。ひとりじゃないことを、まずは知ってくれないか」
甘い言葉にシャルの胸がいっぱいになった。ひっこんでいた涙がまた浮かんで、シャルは唇を噛んだ。
「でも、お店が……。せっかく作ったケーキが、無駄になるわ」
「それは後でなんとかすればいい。いまは気持ちをごまかさないで、泣いてしまえばいい。……シャル」
髪にキスをされて、シャルは両親を思い出した。両親はいつもシャルを抱きしめて、たっぷりと甘やかす声で名を呼びながら髪にキスをしてくれた。
「……ふ、ぅう」
ボロボロと涙があふれ、サムタンのシャツに吸い込まれる。気持ちを抑えきれなくなったシャルを、サムタンは彼女が泣き止むまでしっかりと抱きしめ、静かに髪をなで続けた。
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