第5話 太陽の象徴

 買い物から帰ったシャルは、おずおずとサムタンに宝石を差し出されて首をかしげた。


「これは?」


「僕たちの生活費として、シャルに受け取ってほしいんだ」


 シャルは怪訝に顔をゆがめた。サムタンは生活のお金がいると言ったとき、ルビーのついたシルバーのカフリンクスを出した。それはつまり、その時はこのネックレスを持っていなかったということよね?


「これ、どうしたの?」


「えっ」


「昨日は、これを持っていなかったでしょう」


「あ、それは――」


 サムタンは足元にいる狼姿のトリオローノを見た。トリオローノはじっとサムタンを見上げている。こういう時にこそ、声真似をしてうまい理由を言ってくれ。どうして黙ったままでいるんだ。


 なんと言ってシャルを納得させればいいのか。悩むサムタンにシャルが「トリオローノのものなのね」と手のひらを合わせた。


「え。ああ、そうなんだ」


 ぎこちなく安堵しながらサムタンが笑みを向ければ、そっかそっかとシャルはトリオローノの頭をなでる。


 ネックレスを首輪代わりにする人がいるって聞いたことがあるわ。これはきっと、それなのね。着けているって気がつかなかったのは、長い毛に隠れていたからだわ。


「だからシャル。これを受け取ってくれないか」


 とにかくシャルに、これを受け取ってもらわなければ。サムタンはネックレスを差し出した。これを宿代にしてもらわなければ、トリオローノに城に連れ戻されてしまう。


 シャルは手のひらにネックレスを握らされた。コインよりも大きな緑の石は、ひんやりとしている。


「……キレイ」


 思わず漏れたシャルの感想に、うん、とサムタンはうなずいた。


「太陽の象徴とも言われている石なんだ」


「どうして?」


 ふ、とサムタンの笑みが凪いだ湖面のように静かになった。さみしさを連想させる笑みに、シャルの心がスウッと引き寄せられる。


「夜になればわかるさ」


 吸血鬼の僕や人狼であるトリオローノにとっては、皮肉のような宝石だ。サムタンはゆっくりと目を細めた。太陽の光を含んで深緑色に輝くペリドット。夜会のエメラルドという異名を持つこの石は、ランプの灯りでも昼間と変わらぬ輝きを放つ。そびえる大木に囲まれた、どれほどの晴天であってもどこかに薄暗い場所を残しているリスタムン島。城のそこここに闇が溜まり、昼なお暗き場所で生活をしている僕らのあこがれであり、皮肉でもある石は、明るい陽射しに輝く草木の色を教えてくれる。だからこそ城を作った先祖は、この石を薄く切り出し窓にはめ込んだのだろう。――城には緑の間と呼ばれる、ペリドットを窓材とした部屋があった。その部屋に差し込む陽光を遮らないように、その方角に庭園が造られている。


 サムタンはある程度の日光に耐性があるが、先祖の中には直射日光に耐えられない人もいたらしい。そのうちの誰かがあの部屋を作ったのではないか。そうして昼間の光を疑似的に味わっていた。サムタンはそう考えていた。


 あの部屋の存在が、サムタンにはとても悲しい。どういう理由で、自分はある程度の日光が平気なのかは不明だが、血を吸わない吸血鬼になれたなら、自分の子孫はあの部屋を作った先祖のように、日光にあこがれて日々を過ごさなくてもよくなるのではと、シャルの手の中で輝く新緑の宝石を見つめる。


 僕が朝日から昼になるまでの数時間と、夕方になるころなら太陽の下に出ても問題ないのは、そういった先祖の努力があったからなんじゃないか。血の味が苦手な理由も、そのあたりが関係しているのかもしれない。


 ペリドットの輝きの奥に考えを沈めるサムタンを、シャルはトリオローノの首筋をなでながら見つめた。彼の表情から、この石がとても重要な意味を持つものだと伝わってくる。カフリンクスを受け取らなかったのに、それよりも大切そうなネックレスをもらうなんてできやしないと、シャルはネックレスをトリオローノの首につけた。ペリドットが白銀の毛並みから見え隠れする。やっぱり長い毛におおわれていたから、見えなかったのね。


「こんなに高価そうな宝石、私が持っていても意味ないし、売れる場所なんてわからないからトリオローノが守ってて」


 なでられたトリオローノは、フンと鼻を鳴らした。それが意味のある主張なのか、たんなるシャルへの了解の返事なのかをサムタンは判断できなかった。


「トリオローノの食費を心配したんでしょうけど、大丈夫よ。そのぶん、しっかりサムタンに働いてもらうから」


 きっとサムタンは庶民の食事の金額を知って、それで宝石を私に渡そうと考えたのね。伯爵様のサムタンからすれば、サンドイッチの代金はとんでもなく安いと思って当然だもの。トリオローノの食費は、正直に言ってちょっと大変そうだけど、出せないほどじゃないし。……口に合わないって食べてくれなくて、もっと高いものを買わなきゃいけなくならなければ、だけど。


「いや、シャル……。やはりその宝石は受け取ってくれ」


 サムタンは冷ややかなトリオローノの視線に、内心で冷や汗をかいた。彼が出した条件は、サムタンの待遇を変えることだ。ペリドットにどれほどの価値があるのかはわからないが、トリオローノの言動から察するに、売ればトリオローノの考えるサムタンにふさわしい扱いを得られるだけの金額にはなるらしい。僕は働くつもりだけれど、それをトリオローノが承知しないで、城に連れ帰ると言うのなら我慢をするしかない。目的を達成するまでは、島の中に閉じ込められたような生活に戻るわけにはいかないからな。


「トリオローノの食費を心配しているのなら、気にしないで」


「そうじゃないんだ」


「じゃあ、なあに?」


 どう説明をしたものかと、サムタンはトリオローノを見た。彼は自分で考えろと言いたげに、サムタンから視線を外す。トリオローノにとっては、シャルが受け取らないほうがいいのだから、助けてくれないのは当然だろう。そうとわかっていても、ちょっと恨みがましい気持ちになりつつ、サムタンはトリオローノの首からネックレスを外した。


「僕の気持ちの問題なんだ。シャルにこれを持っていてほしい。売らなくてもいいんだ。……ただ、これを感謝のしるしとして受け取ってくれないか」


 とにかくシャルに持っていてもらう。それを目的にしようと、サムタンは言い方を変えた。


「感謝のしるしと言うのなら、言動で示してもらえばいいわ。こんな高価なもの、持っていたら緊張しちゃう」


「シャル」


 肩をすくめたシャルを見て、サムタンはそうだと思いついた。さっと腕を伸ばして、シャルの首の後ろでネックレスの留め具をはめる。


「とても似合うよ」


 突然のことで、とっさに反応しそこねたシャルはまばたきをし、サムタンのほほえみをながめて我に返ると頬を染めた。


「お世辞が過ぎるわ」


「心底の感想だ」


 実際、彼女にはとてもよく似合っていると、サムタンは目を細めた。キラキラと輝くペリドットと、シャルの瞳はよく似ている。光の加減によって淡くも深くもなる木の葉色の瞳だ。ふんわりとしたクセのある茶色の髪は、どっしりとしながらも風になびく木の葉を守る枝色をしている。シャルをはじめて見た瞬間に浮かんだ森の妖精のようだという感想が、ますますサムタンの心に深く根づいた。日の光をいっぱいに浴びて、のびやかに生きている木々の化身。シャルはまさしく、僕たちのあこがれる太陽の象徴かもしれない。


「サムタン……?」


 やわらかな瞳で見つめられ、シャルはどぎまぎした。サムタンってば、急にどうしちゃったのかしら。ちょっと遠い目をしているみたいだけど、誰かを思い出している……、とか? このネックレスは、はじめからトリオローノのもではなくて、もともと誰かのものだったのかも。その誰かを、ネックレスをかけた私を見て思い出しているのだとしたら――。


 ズキリと胸の奥が痛んで、シャルは心の中で首をかしげた。サムタンが私を通して、違う誰かを見ていると思っただけで、どうして胸が痛くなったんだろう。ああ、そうか。その人はいなくなった人なんだって思ったからだ。


 シャルの手が持ち上がり、無意識にペリドットを握る。


 自分の両親とサムタンが思い出している見知らぬ誰かを重ねてしまったから、心が痛くなってしまったんだとシャルは考えた。あくまでも想像だけれど、おだやかなサムタンの視線は見知らぬ誰かに注がれたもの。このネックレスはその人との思い出の間に、トリオローノがいたから首輪代わりにしていたのかも。そんなに大切なものなら、ますます受け取るなんてできないわ。


 シャルがネックレスを外そうとすると、その腕をサムタンが止めた。


「そのまま、ずっと身に着けておいてくれないか」


「えっ」


「いいだろう、トリオローノ」


 サムタンは羨望をにじませた笑みでトリオローノを見た。これは彼女に持っていてもらおう。いや、持っていてもらいたいんだ。彼女は僕たちの希望である気がする。いや、希望そのものになってもらいたい。僕の望みをかけた出奔先がここだったのも、なにかの導きではないか。そんな気がするんだ。――吸血鬼が「なにかの導き」だなんて、妙な言い方だとは思うが、そんな気がしてならない。なあ、いいだろう? トリオローノ。


 瞳に言葉を乗せたサムタンを、トリオローノはじっと見つめた。サムタンはしゃがみ、トリオローノの耳にささやく。


「社会勉強だと思って、しばらくの滞在を許可してくれないか。あの島の中での生活しか知らないなんて、問題だと思うだろう? 話があるなら後で聞く。むろん、こちらの話も聞いてもらうがな」


 ささやき声はちいさすぎて、シャルの耳には届かなかった。このネックレスの持ち主だった人の話でもしているのかしら。その人はどんな人? なんだかすごく知りたい。


「ねえ、サムタン」


 うん? と顔を上げたサムタンの袖を、トリオローノが噛んで引いた。


「ああ、ちょっと二階に上がってきてもいいかな。すぐに降りてくるから」


「え、ええ……」


 それじゃあ、と言ったサムタンがトリオローノを連れて階段を上がる姿を見送り、シャルは「ふうっ」と息を吐いた。手の中の宝石は窓から差し込む光を含み、内側から輝いている。ぬくもりはないけれど、森の中にいるみたいだとシャルは思った。


「どんな人が、これを持っていたのかなぁ」


 わざと声に出したシャルはネックレスを外そうとして留め具に触れ、考え直して胸元に隠した。


「ポケットに入れておこうと思ったけど、首から下げて服の中に入れておくほうが安全よね」


 落としてもすぐに気づけるし、と服の上からペリドットを押さえたシャルは、よしっと気合を入れて購入してきた食材の下ごしらえに取りかかった。


 階段を上ったサムタンは階下から聞こえる物音を気にしながら、部屋に入ってトリオローノに向き直った。


「僕はこのまま、シャルに教えられながら働く。さっき、そう決めた。いくらトリオローノでも、これだけは許可してもらうぞ」


 語気強く言い切ったサムタンに、トリオローノは狼の姿のまま深々とため息をついた。


「なにか問題があってからでは遅いのです。サムタン様」


「トリオローノの提案をシャルが吞んでいたら、問題が起こっていたんじゃないか?」


「どういうことです」


「今朝知ったところなんだが、このあたりの人間が朝食に使う金額は、僕が知っているものとは桁が違っていた。あの宝石を売れる場所があるかどうかは知らないが、もしもシャルがどこかへ売りに行ったとしたら、どうしてこんなものを持っているのかと聞かれるはずだ。そして僕のものだったと知られたら、どうなる?」


「サムタン様の身分を問われるでしょうね」


 そうだ、とサムタンは得意顔をした。


「そうなれば騒ぎになる」


「レムン伯爵と知られれば、このようなところにはいられなくなります」


「そのとおりだ。だから……」


 そこまで言って、サムタンは口をつぐんだ。まさかと言いたげな顔で、まじまじとトリオローノを見る。


「シャルを利用して、僕を城に連れ戻そうとしていたのか」


 ニヤリと狼の口の端が持ち上がり、牙がのぞいた。


「ああ、トリオローノ」


 サムタンは片手で顔をおおい、悩ましく眉根を寄せた。


「本気で、ここで働くおつもりなのですか。サムタン様」


「ウソや冗談で島を抜け出すなんてことが、できると思うのか。――僕は本気だ。この店にたどり着き、シャルに拾われたことは偶然じゃない」


「なにか、その根拠となるものでもおありですか」


 油断なくトリオローノが匂いを確かめ視線を走らせる。


「急に警戒をしだして、どうしたんだ?」


「なにかの罠がこの家にあるのではと思ったので」


 はは、とサムタンは軽く笑い飛ばす。


「そんなものは、ありはしない。僕がこの家にたどりついたのは、空腹時にいい匂いを感じて、ふらふらとその方向に導かれたからだ」


「それを偶然ではない、とおっしゃるのですか」


 呆れつついぶかるトリオローノに、うーんとサムタンは腕を組み、右手を顎にそえた。


「なんと言えばいいのか……。強く望んでいたものを引き寄せたんじゃないかと思ったんだ。強い願いはかなうものだと、いつか読んだ本に書いてあったからな」


「それは、そのようになるよう望んだ本人が行動をし、結果を出したからです。願い、望むだけでかなうなどありえません」


「そう。だからだよ、トリオローノ」


 たのしげにサムタンは人差し指を立てた。


「僕が行動をした結果、ここにたどり着いてシャルと出会えた。つまりこれは、僕が引きよせたことなんだ。だから、偶然ではないんだよ」


「そんな言葉を使って、私を説得なさるおつもりなのですね」


「説得じゃない。トリオローノがずるい計算で僕を連れ戻そうとするのなら、僕はそれに立ち向かうと言っているだけだ。僕はここで気のすむまで過ごす。いままでは、そうするつもりという消極的な気持ちだったが、おまえのせいで気が変わった。納得をするまで、あるいはシャルに追い出されるまでは、僕はここで暮らす。いいな」


「そんなことが可能だと思っておいでですか」


「可能か不可能かなんてことは、問題じゃない。やるかやらないか、だ」


「執務はどうなさるのです」


「ここですればいい」


「ここで?! そんなことができるわけがありません」


「それをどうにかするのが、執事であるおまえの役目だろう。僕はシャルに仕事をもらってくる。トリオローノはおとなしくここで過ごしていろよ」


「サムタン様?! おまちください」


 すばやくドアを開けたサムタンは、階段を軽快な足取りで降りながら考える。僕は偶然にここに来たわけじゃなく、自分でこの場所にたどり着くように引き寄せた。きっとそうだ。そうに違いない。だとしたら、この場所は僕にとって出発点であり転機でもある。


「シャル」


 はずんだ自分の声に、サムタンはにっこりした。


「さあ、僕に仕事をくれないか」


 やる気に満ち溢れたサムタンの姿に、シャルはおどろき笑顔になった。


「トリオローノはどうしたの?」


「部屋にいるよ。仕事が終わるまでは、おとなしくしているように言ってきた」


「そう。それじゃあ、……の前に、ネックレスを返さなくっちゃ」


「たのむから、それは君が持っていてくれ」


「でも」


「お願いだ、シャル」


 じっと見つめられ、シャルはうなずいた。なにか彼なりの気持ちの切り替えか、思いつくことがあったに違いない。だってサムタンの目は、とても真剣なんだもの。


「わかった。でも、あくまでも預かるだけだから。これを売るつもりはないからね」


「充分だ。さあ、シャル。僕はなにをすればいい?」


 シャルは胸に触れるペリドットの冷たく硬い感触をたしかめてから、サムタンに指示を出した。

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