第6話 少年の話 1-6 リュウ

 男の名前はリュウと言うらしい。見た目はいかにもな危ない人だけど、中身は臆病で優しいのだと奈々子さんは話した。


 覚せい剤を売るグループの一員で、奈々子さんとは昔からの幼馴染なのだという。見た目通りの中身じゃないか、と突っ込みたくなったけど、ぐっとこらえた。


 正座をしたリュウさんは

「さっきは申し訳ない」

 と土下座をした。


「リュウは歳や社会的地位関係なく、きちんと謝る人なんだよ」


 それにしたって土下座はやりすぎだろう。


「さくらのクラスメイトだと聞いたし、これから俺とも仲良くしてくれたら嬉しい」


 ぶっきらぼうに差し出された右手を振り払う理由なんてなく、俺は手を取った。


 和室は昨日と変わらず、整えられていて、違うものと言えばリュウさんの私物らしきエレキギターがあるということくらいだった。


「さくらちゃんってバレー部の加藤さんのことですよね」

 信じられない現実に戸惑いながらもう一度聞いた。リュウさんは不思議そうな顔をして


「そうだが、そんなにおかしいか?」

 そう首をかしげた。


「いや」

 俺はもう一度リュウさんの全身を見渡した。赤い長髪に180cmはあるだろう長身にシルバーのネックレスが施されている。服装は特別変わってはいないが……。


「俺ってそんなに奇抜な恰好をしているか?」

「自覚ないの、あんた。毎朝ちゃんと鏡を見なさいよ」

 見てるよお、と猫なで声に言った。


「加藤さんって恋愛の噂とかしない人だったので」

「そりゃあ俺と付き合ってるからな」

 だいぶズレた人なのだな、と納得した。


 そもそも、二十歳ほどの年齢の男性(推定)と中学二年生が付き合うのは犯罪なはずだったのだけど、そこら辺はどうなっているのだろうか。


 覚せい剤を売ってる人らしいし、法律や道徳観なんて倫理は知らないのかもしれないが。


 ちゃぶ台には葉巻が置いてある。恐らくそれもリュウさんの私物だろう。奈々子さんはちゃぶ台に置いてあるセブンスターを手に取って火をつける。


「こいつ抜けてるから、気をつけろよ。常識は知ってるけど、世間を知らねえから」

 にこにこと笑みを浮かべたままのリュウさんは、ちょこんと正座をして座ったままだ。


「怒らないんですか?」

 てっきり、世間を知らないと言われて怒ったりするような人だと思っていた。


「奈々子の言うことは正しいからね。確かに俺は世間を知らないし、ずっと裏で働いてきたから本当に何も知らないんだ」


「こいつ一応地主の息子でボンボンなんだぜ。腹立つだろ、大学も国立のいいとこに通っていたのによ」

 奈々子さんは煙を深く吐く。


「僕はこっちの世界のほうが楽でいいよ」


「だってよ、私にゃ皮肉にしか聞こえないぜ」


 無愛想に煙草を灰皿に押し付ける。俺はちゃぶ台に置いてある文庫本に目をやった。今日は本屋のブックカバーがつけられていた。


 もしかしたら、奈々子さんはかつてリュウさんのいた側の世界へ行きたかった人なのかもしれない、と思った。



 リュウさんは「ダチと飲みに行くんで」とあっさり出て行った。


 俺と奈々子さんとで二人きりになった和室は、がらんとしてやけに広く感じた。


「本を読むんですね」

 ははっと奈々子さんは笑う。


「そんなに頭が悪そうに見えた?」

 一生懸命に首を振る、


「そういう意味ではなくて。最近は本を読む人なんてあまりいないじゃないですか」

「君も読まないの」

「一切読みません。学校で強制されたときだけしか読みません」


 ふうん、と肘をつく。もったいないね、面白いのに、と文庫本を俺に渡した。太宰治の人間失格だった。ぺらぺらと中身をめくっても、やはり心ときめくものはなく、ちゃぶ台に置いた。

「太宰治なら学校で読みました。走れメロスの人ですよね」

「あれを読んだんだ。私は好きじゃない」


 俺はなんて返していいのかわからず、黙り込んだ。


「強制するつもりはないけどね。本なんて娯楽だし、楽しんで読むもんだよ」

 彼女は本を置いた。


「そうそう、伊藤君のことなんだけどさ、学校でどうなってんの」

 思わず口をつぐんだ。あの混沌とした様子をどう奈々子さんに説明すればよいのかわからなかったからだ。


「なんていいますか、噂が噂を呼んでいる状態です。売人と話していたとか虐待を受けてたとか、あとお兄さんがバイだとか」


 まじで、と奈々子さんは腹を抱えて息ができないくらい笑った。「それ、ほとんど事実じゃん」


 言葉を失った。他の三年をボコボコにした、だとかも事実なのだろうか。いや、聞かないでおこう。


「多分、流してるのさくらちゃんでしょ」

 セブンスターを口にくわえる。あの子、伊藤君のこと嫌いだったから。


「嫌いだったって、理由は?」

「さあ、私は知らないね。あの子とはあまり話さないし」

「長い付き合いなんですね」

 うん、と奈々子さんは煙を吹かす。


「そりゃ妹だし」


 え、と思わず声が出た。奈々子さんは不思議そうな顔で、俺を見る。そんなまさか、と信じられないことばかりでめまいがする。


 確かに目がくりくりと大きいところや、色白なところ、あとは髪の毛が少し茶色掛かったところそっくりだ。面影があると言えばあるような気もする。


「加藤さんは、一人っ子だといってましたけど」

「いつもそうだよ。あの子、私が嫌いらしくって」


 煙草を持ったまま、目を伏せたその表情はどこかで見た聖母マリアの石像に似ているような気がした。彼女は淡々と話す。


「私ってほら不良だし、あの子は真面目だから仕方ねえのよ。下品だし、覚せい剤なんかを売る奴とつるんでいる姉なんていやでしょ」


 なのに、リュウと付き合ってるのが不思議だけど、と肩を上下に揺らす。

「とにかく、このことはさくらには秘密だからね。あの子は神経質で怒りっぽいからさ」


 一つ、頷いた。


 俺はバレー部の加藤さんを思い出していた。ポニーテールですれ違うときにせっけんの香りがほのかに香る、清潔感のある姿を思い起こしていた。


 目の前にいる奈々子さんは退屈そうに寝転がって、蹲った。

「昔はさくらも私にプレゼントとかしてくれてたんだぜ」

 うう、と何度も唸って小さくなる。


「どうしてなんだろうなあ、リュウと付き合えるなら私と仲良くすることくらいできるだろ、あいつのほうがよっぽど不良なのに。リュウは知らねえけど私はシャブを打ったこともないんだぞ」


 面倒見の良く気の強いお姉さん、という感じなのだろうなと想像した。俺なら平気なのに、いやむしろタイプなのに。


「今日は飲みに行くかな」


 むくりと起き上がった奈々子さんは俺の腕を引っ張って、家を早々に飛び出した。

 嫌な予感がした。

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