第2話 少年の話 1-2 混乱



「伊藤が自殺したって嘘に決まってんだろ。わざわざ学校で?」


 隼斗はホームルームが終わってすぐに、俺と信司のいる窓際の席にまできて眉をひそめた。


 一階の空き教室前にあるブルーシートと、それを調査する警察がいたことから、皆「本当に事故なのか?」と疑がわれだした。

 昼休憩頃には、自殺なのではないか? と騒がれだした。


「田中がゴリラと話しとったで、悲惨な姿やったって」

「にしたってよぉ、伊藤が自殺する理由なんて何もないだろ」

「隼斗、おめえ焦ってるんか? 最近ニュースでよういじめ自殺について報道しよるもんなあ」


 隼斗は黙り込んだ。信司はこうやって隼斗を攻めているときが一番楽しそうだ。


「だいたい、わしらは中学生やねん。もしもわしらが伊藤を殺すまで追いつめていたとしても実名報道はありえへんし、法律が守ってくれるんや。だから、隼斗、そんなびくびくせんでええって。あほらしいわ」


 饒舌に語る信司に逆らえず、隼斗は縮こまってこくこくと頷いた。「気にしすぎだよな、そうだよな」


「あんたら、伊藤君のことを何か知ってるの?」

 俺らの輪にバレー部の加藤さんが割り込んできた。

「田中に聞いたんだけど大変らしいよ。電話が鳴り止まないんだって」


 バレー部の加藤さんは長いポニーテールをゆらゆら揺らしながら、身振り手振りを加えてコメディアンのように話す。彼女も学年では有名な女子で、男女問わず様々な生徒から人気を集めている一人だ。


「そんなに大々的に報道してるのか」

「よくわからないけど。そこら辺は先生教えてくれなかったわ。マスコミに何か聞かれても黙ってろとはいわれたけど」

「わしもテレビデビューできる日がきたか」

「余計なことはしないでよね。来年受験なんだから」


 バレー部の加藤さんは隼斗の肩を叩いて、大丈夫よ、と励ましている。


 こうやって半ば傍観者となった俺は、報道や自殺という単語を聞いてからずっ怯えていた。


 いじめ自殺報道から、加害者の家族や住所を割り出すネットの祭りを目の当たりにしていたことも理由の一つで、本当のことをいうと、俺もその祭りに参加していた。だから、もしも炎上してしまったら信司の言う「法律」なんてものが通用しなくなっていることを身を持って知っている。


 だいたい、法律の脆弱性なんてものは両親を見ていればわかることだ。


「蓮も怯えとるんか?」

「少しだけな。やっぱ、怖ええよ」


 信司と俺は保育園からの幼なじみなので、本音も多少は口にできる。隼斗は小六の秋にこの街に引っ越してきてからの仲だから、信司ほどは仲良くはない。


「蓮は大したことしてへんし、もっとひどいことした連中おるやろ。せやから平気平気」


 伊藤がクラスで浮いていたことは二年五組のクラスメイトの過半数は知っている事実だ。担任の田中も目撃しているはずだ、第一、田中もいじりの対象だったけれど。


「もう少しで授業始まるから戻ろ? 信司の言うとおり、気にしたって私らには何もできないし」


 まもなく授業のチャイムが鳴り響いた。いつもと同じ平凡な音のはずなのに、今日だけは特別煩わしいものに思えた。



 三時間目の体育の前の数学の授業で提出物を集めていたら、授業に遅れてしまいそうになっていた。いつもは隼斗や信司と行動するのだが、今回ばかりは先に行ってもらった。


 学校の昇降口は明かりもなく、薄暗かった。すのこはがたがたと不安定でささくれたっていて、生徒数も無駄に多い中学だから無駄に広い。教室を移動している女子が大きな声で、誰かの噂話をしている様子を横目で見てから靴を脱ぎ捨てた。


 下駄箱は三番だ。嫌な数字だといつも思う。井上だから一番になることはない。二番になることはときどきあるけれど、伊藤のせいで三番だ。


 俺は下駄箱にシューズをしまおうとしたとき、奥の方にきらきらと光る白いものを発見した。正方形の袋に入れられたその岩塩のようなものを手に取ろうとしたとき、一緒に十桁の数字が並んだ紙もあった。おそらく、誰かの携帯番号だろう。しかし、どうしてこんなものが俺の下駄箱にあるのだろうか? 


 二番の下駄箱はからっぽだった。もしかして、誰かが間違えたのではないだろうか? なんて思ったけど、間違えでこんな無意味なものを入れるだろうか。とりあえず、俺はその岩塩のようなものと紙を体操着のポケットへ入れた。



 伊藤について、知っていることはあまりない。


 とにかく伊藤はのろまで、放つ言葉は一つ一つ誰かの気に障るようなものだった。どうしてこいつはのろまなのか、と思うことはあったが、いじめたことはなかったし、興味もなかった。


 信司は時々、伊藤をいじってた連中と混じっていじってはいたが、そのいじりといっても自殺するほどのものではなかったはずだ。


 靴を隠したり、伊藤を転ばせたり、本当にそれくらいだった。俺は参加はしていないが、遠目でバカやってるなと眺めることはしていた。


 道徳の教科書では、俺のような傍観者もいじめに荷担していることになるらしいけど、五人かそれ以上の人数が寄ってたかってからかってる様を間近で見たことがあるのか、と俺は筆者に問いただしたい。おそらく、傍観者もいじめっこだとかいう大人も、いじめっ子側に回るはずだ。


 そもそも、こんなからかいにすら耐えられないのなら、彼らにいじられなくても、伊藤はいつか自殺を選んでいたのではないか。


 そりゃあ、頬を三十発叩かれたとか、自殺の練習と称したリンチにあっていたとか、そのレベルならば俺も同情するし、「自殺を選ぶのもやむを得ないほどのいじめ」だと思うのだけれど。




 俺と隼斗と信司は部活動に所属していない。ただそれぞれ理由が異なっている。


 俺は一度入部していたが、先輩と揉めあってしまって自主退部し、そのまま面倒だから、どこにも所属していない。


 信司は中学生なのに、どこかでアルバイトをしているらしい、「部活をする時間がもったいないやろ」と話していた。


 隼斗は母親が教育ママで、塾を掛け持ちしていて部活をする暇がないのだという。

 昔は強制的に部活をしなければならなかったと、担任の田中は言っていたが、今では隼斗のような理由で帰宅部の生徒も多い。子供にその気はなくても、意識がすこぶる高い親はいるし、全員が中学受験をできるわけでもないから、高校受験にかけるしかないのだ。


 バレー部の加藤さんは地方大会レギュラーレベルだ。しかし、部活に打ち込んでも誰もが大会レギュラーなんて不可能だ。加藤さんレベルならばスポーツ推薦も確実なのだろうが、そんなのはごくごく一部の優秀な生徒だけの話だし。


 俺たちが帰宅しようとしている途中に、生徒指導のごつい顔の先生に引き留められた。奴は、


「お前らは帰宅部だろ、ちょっとこい」


 となんとも心外な言葉を吐いたのだ。これが生徒指導の先生じゃなければ、俺らは嫌みの一つでも言えたのだが、いかんせん生徒指導の先生だと内申に関わってくるので逆らうことができなかった。しかも、今日の場合は逆らった方が損だということも薄々わかっていた。


 そんなこんなで、放課後の保健室に俺たち三人はほぼ強制的に連れられた。保健室の先生は三十歳ほどだが、目の保養になるほどの美人で、白衣を椅子に掛けて椅子に座って事務作業をしていた。生徒は俺たちしかいなくて、少しほっとした。


 ソファの腕おきに腰をかけた先生は、保健室の先生がわざわざ用意した、三つのパイプ椅子に俺らを座らせてぎろりと睨みつけた。いや、多分先生には睨みつけたという自覚は一切ないのだろう、日頃から目つきが悪く、俺たちの間じゃゴリラというあだ名をつけられている。先生は薄い唇を舐めた。


「他の先生には公言しないから、正直に言いなさい」


 俺たちは目で確認し合う「完全にいじめっ子扱いじゃねえか」「公言しないなんて嘘に決まってるだろ」「何も言わんほうが身のためやな」


「何やってるんだ。返事くらいしろ」

「僕らは何もしてません」


 信司は真剣な顔で、腕を組む。


「大体、どうして僕らが真っ先に疑われなきゃならんのです」


 先生は黙り込んだ。ばつが悪そうな顔をして、なぜか悔しそうな顔をしていた。悔しいのは、目立っているからという理由だけで疑われてる俺たちのほうだ。


「お前らが、素直に認めないことが、残念だよ」


「何を言ってるんですか」

 隼斗は先生の言葉に被せた。


「やんちゃはしてるが、やることはやって正義感のある奴らだと思ってたんだが」

「だから、何やって聞いとるやろ」

 先生はつばを飲み込み、苦しげな表情で言った。


「伊藤の親御さんから言われたんだよ、いじめに遭っていたと。日記に書かれていたそうだ」


 俺たちは、目を見開いた。それぞれ同じことを考えていたはずだ。


「お前らの名前が書いてあったらしいぞ。窓から突き落とされそうになったとか」


「んなことした覚えがねえよ」

 俺はつい、カッとなって叫んでしまった。


 保健室の先生もぎょっとした顔で俺たちの方を見た。


「いじめをする側は自覚がないものなんだ。よく思い出せ」


 ばかばかしい、ばかばかしい。結局、俺たちの言葉は微塵も信じる気がないだけじゃねえか、事態を収束させるために、嘘をつかせてでも言わせようって魂胆かよ。冗談じゃない。


 信司は立ち上がった。同じことを考えたのだろう、学生鞄を持ち上げて、先生を一目見た。


「くだらない話するだけやったらもう帰りますわ。さようなら」

 俺と隼斗も後に続いて、名前を呼ぶ先生を後に、保健室を立ち去った。


 

「あのゴリラは何がしたかったんや」


 学校の門をでてすぐに、信司は吐き出した。我慢していたのだろう、俺と隼斗も続いた。


「俺も超不快だったわぁ、ちゅーかいじめたとするなら、俺ら以外も結構いたよな」

 隼斗は心底腹立たしいのか、握り拳のままだった。


「うちのクラスのオタク連中のほうが大概酷かったぜ。確かに、体育の時信司が言い寄ったときはひやひやしたけどさ、あれはいじめではないだろ」


 そう、今年のクラスマッチリレーの時に、伊藤があまりにも脚が遅かったので信司がしびれをきたして言い寄ったことがあった。


 といっても、リンチをしたわけでも殴ったわけでもなくただ「本気で走ってるのか?」とちょっとした圧力をかけただけで、その後伊藤の足の遅さは天然だということが判明して、信司は軽くだが謝りもした。


 信司はどちらかというと面倒見も良いほうなので、謝った後、伊藤に走り方を教えたりなんかもしていた。それが自殺に結びつくとは到底考えられないのだ。


「伊藤についてはできるだけ触れないほうが良さそうだよなぁ」

 隼斗の言葉に俺と信司は大きく頷いた。ろくなことにならないことは目に見えているし、いくら探ったところで伊藤が死んだ理由は見つからないだろうと、俺たちは薄々感じていた。


「来年は受験なのに、勘弁してほしいぜ」

「受験あるし、学校の評判が下がるのは嫌やもんなあ」


 俺たちじゃなかったら、ゴリラの言うことをハイハイと頷いて泣き寝入りをしていたことだろう。学校側からすれば、生徒が学校内で自殺しただなんてことをおおっぴらにしたくはないだろうし、いじめならいじめでさっさと発覚させてしまったほうが楽なのかもしれない。恐らく、生徒の親からも電話がきているのだろうし、それっぽい理由を明確にしておいた方が。納得できて安心なのだろう。


 自殺した原因が全ていじめなはずがないのだ。中学生が自殺したからと言って原因がいじめしかないなんてことはありえないわけで、もしかしたら親が原因かもしれないし、好奇心のなれの果てかも知れない。そんなのは当事者にしかわからないことで、もう確認を取ることができないことでもある。


 待てよ。あの、白い塩のような物質は、本当に塩や安全な食物なのだろうか。

 

 しかし、もし覚せい剤だったりすれば死体解剖すればわかることだ。じゃあ、あの白いものは一体……。


 上の空の俺の肩を叩いたのは信司だった。


「お前、やっぱ臆病なんだな」


 伊藤の下駄箱で見つけたものについて、言うか悩んだ。でも、信司や隼斗に言ってしまったら、最悪取り返しのつかないことになるかもしれない。俺は唾を飲む。


「いや、なんでもねえよ。そういや、明日は漢字の小テストだったよな」

 信司は困ったような顔で笑った。そうやな、勉強しなきゃならんわ、と頭を掻き毟った。


 俺は幾度も考えた。それは伊藤が死んだ理由について、伊藤がどんな奴だったか、伊藤の下駄箱にあった紙に記されていた文字列を。


 あの電話番号に電話をかけたらどんな人が出てくるのだろう。考えるだけで、僕はどのテレビアニメを見るよりもワクワクした。非日常のど真ん中に自分が存在しているということを夢想するだけで、たまらなく興奮した。しかし、恐れもあり、一歩先へ踏み出す勇気は持ち合わせていなかった。


 中途半端だということは、俺が一番わかっている。中途半端から抜け出したい思いと、ぬるま湯に浸り続けていたい気持ちがせめぎ合っていた。


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