ヒステリックブルーにさよなら
柊ユキ
第1話 少年の話 1-1 はじまり
至って普遍な日常を迎えた朝はいつもより朝日が射していた。何もないとは言い難いけれど、非日常があるわけでもない。平凡な地方都市に訪れる朝は、やはり平凡なものだった。
平凡というと聞こえはいいが、悪く言えば中途半端なのだ。特別良いところがなければ、特別悪いところもない。退屈な街である。
こんな街だから、クラスメイトの女子の中では東京に憧れる連中もいるが、そんなのは少数派で、ほとんどはこの生ぬるい街に満足している。
そもそも、上を目指してる子供は中学受験をさせられているから、半端者ばかりが集まっている。それが棲み分けなのだろうし、世の中はそういう風にできているのだろう。
こういう俺の考えは特殊だと様々な人に言われたが、そんなことはない。
ただ、知りすぎただけだ。母が不倫したり、リストラされてしまった父が放心状態になっている様子を間近で目にすれば、将来の夢なんて語れるはずがない。
俺はいつも通りに学校に到着して、二年五組の教室へ向かった。俺らの学年は他に比べておとなしい、と先生は週に一度は口にするが、よくわからない。
「今日も蓮は早えな」
蓮というのは俺のことだ。教室の一番前の席に脚を投げ出して、行儀悪く座っている友人の隼斗は機嫌良く続けた。
「今日さぁ、宿題忘れたんだけど写させてくれね? 内申に響くのは嫌だからさぁ」
目を伏せて、いいよ、と答えた。宿題をしている以上、ノーはありえない。
「サンキュ、今度ジュース奢るよ。蓮は真面目だから助かるわ」
「真面目じゃねえよ、俺は塾行ってないから、宿題をする時間があるだけだよ」
「ふうん、でもお前は成績良いよな、羨ましいぜ」
後で貸すから、と俺はひらひらと手を振りながら自らの席へついた。廊下側にいた隼斗を一瞥すると、バレー部の加藤さんと他愛ない話をしていた。俺は静かに席につき、俺の前の席でふて寝している信司に声をかける。このいつもの流れは毎日繰り返されるはずだった。
「今日は伊藤休みなの?」
俺の斜め下の席に座っている信司は舌打ちをした。「あいつをいじるの楽しいんやけどなあ」
彼は元々標準語で話すのだが、中学に上がってから似非関西弁を話しだした。以来、関西弁キャラとしてクラスの人気者となっていた。
朝のホームルームは誰もが気だるそうにしている。今日は担任がいない、会議で遅れるとクラス委員が言っていた。
「この前はちょっとやりすぎじゃなかったか」
俺はあくまでも軽口を叩く感じで言った。信司は、
「おめー優しすぎとちゃう、伊藤みたいな甘ちゃんは俺たちみてえなクラスのリーダーが躾にゃダメなんよ」
「信司は正義感が強いな」
有り合わせの言葉を繕った。
「やろやろ? 尊敬してもいいんやで」
「調子乗りすぎだから」
俺と信司は腹を抱えて笑った。すると教室の入り口付近にいるバレー部の加藤さんが
「あんたらうっさいよ。坂本さんの声が聞こえないじゃんか」
と大声を上げて、俺と信司は黙り込んだ。
委員長は教壇の横に立って、生徒会や体育祭の報告をしているが、後ろの席にいる俺たちには聞こえないほど小さな声で話している。
「委員ちょの声が小さすぎて聞こえませーん、雀の鳴き声みたいな声じゃあ後ろにまで届かへんで」
信司はクラス中に響くほど大きな声で言った。クラス中の男子たちは爆笑した。俺も、一緒に笑う。委員長はもじもじしながら焦っているので
「このバカのことは気にしないで続けてください」と俺はフォローした。
そんなバカなことをしていたら、教室の扉が勢いよく開かれた。つかつかと大きな足音を立てて入ってきた担任の田中の顔は、怒っているのか悲しんでいるのかがよくわからない表情をしていた。今日は珍しく、ぼさぼさの整えられていないミディアムヘアが一つに束ねられていた。
「あのババア、離婚でもしたんか」
信司は小さな声で俺に声をかけた。いや、確か田中は独身だったはずだ。
「ちょっと坂本さんは席に戻って」
「残念なお知らせがあります」
教壇に立った担任は俯きがちになって顔を隠した。
「伊藤君は今朝、事故で亡くなりました」
クラス中はざわつきだした。信司はうそやろ、とにやにやして俺をじっと凝視した。俺はただ、平穏な表情を保ちながら、嘘だろ、とつぶやくことしかできなかった。
伊藤が事故で死んだ。その事実はたちまち学校中で話題となった。
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