エピローグ「千の風になって」

~ 5年後 ~


その女の子は一人で泣いていた。


そこへ、その女の子の母親らしい女性が玄関から出てきて、目の前の駐車場にいる女の子に近寄った。


「…ママ。ごめんなさい。」


「愛ちゃん、おとなしくできる?」


「うん!もう何で私だけパパがいないかなんて聞かないよ。」


その女の子は凛として答えた。


「…愛。パパはね、命を懸けてママと愛ちゃんを守ってくれたのよ。」


「…いのちをかけてまもってくれた?…どうゆういみ?」


「…愛ちゃんが、もう少し大きくなって、いい子になったら、教えてあげるわ。」


「うん!あたし、いい子になる!」


「じゃあ、じいじとばあばと一緒にお昼にしましょ。」


「うん!ばあばの肉じゃがある?」


「もちろん!愛ちゃん、ばあばの肉じゃが好きだから、たくさん作ってくれてるわよ。」


「やったー!」


「でも、先にお仏壇に手を合わせてパパにお供えしてからよ。パパもばあばの肉じゃが好きだったから…。」


…………………………


司…


一緒に海に行って星空を見ようって言ったじゃない…


いっぱい映画も観るって言ったじゃない…


あなた約束したじゃない…


愛は、お義父さんとお義母さんやいろんな人たちに可愛がられて素直ないい子に育ってるわ…


どうしてあなただけいないの?…


あの子のようにあなたがいないって、駄々をこねたいのは私の方よ…


会いたいよ、司…


会いたい…


…………………………


~ 10年後 ~


「真美、良かったね。アイツ戻ってきて。」


「…10年。…長かったね。」


「…うん。今日は来てくれてありがとう、圭子、パパ。」


見た目は三十路を過ぎたくらいに見えるその美しい女性は、持っていた黒いバッグからボロボロになったキディの小さな人形を、皆に気付かれないように少しだけ取り出して言った。


「全く、10年もどこに隠れてたんだよ、司のやつ!」


「武井君も大阪から、わざわざありがとね。それにアッコも。」


「アイツらしいね、真美を待たせるの…。また性懲りもなく10年も待たせるんじゃないっての!」


一同が控えめに笑っていた。


「10年も岩場の奥に隠れてたんだって?どうして今ごろになって見つけられたんですか?」


「池永さん…。あの人が最後に勤めていた〈石巻水産〉の海女の理恵さんが見つけてくれたんです。」


「へえ。海上自衛隊の行方不明者捜索でも見つけられなかったのに…。」


「それくらい見つけにくいとこだったみたいなんです…。それでも理恵さんは、見つけるのに10年もかかってしまって申し訳ない、と謝られましたわ。10年間、彼女は海女の仕事の傍ら、ずっと探し続けてくださっていたそうです。」


「それにしても、その発見したご遺体をよく佐竹君だとわかりましたね…。」


「角谷社長…。私がいつかのクリスマスに彼に贈ったペアの腕時計を頼りに探し続けてくれていたんだそうです。彼女は私たち母娘を救ってもらった上に、司を見つけてくれた大恩人です…。」


「仕事仲間って言っても、そこまでしてくれるなんて親切な方ですね。」


「犬養さん…。理恵さんは理恵さんで司に助けられた借りがあるって言ってました。津波で私をおぶって小学校の校舎の2階の窓に向かって泳いでいる時、大きな流木から身を挺して私たちを守ってくれたと…。それを校舎の中から見ていた爽子さんから後で聞いて、私と一緒に号泣していました。そうですよね、爽子さん…。」


「…ええ。私を見捨てた挙げ句、校舎内で溺死した私の旦那とは大違い…。それに… 真美さんの前で言っていいのかわからないですけど…。彼女は海の事故で旦那さんを亡くして10年前の当時からシングルマザーでした。そして、秘かに司さんに淡い慕情を抱いていたんだそうです…。理恵さんも、今日、私と一緒にここに来るつもりでいたんですけど、どうしても仕事で抜けられないらしくて…。」


「…」


「…フフフ。彼らしいですね。そういう影のある女性を惹いちゃうとこ…。」


「…ちなちゃん。また司君と一緒にナポリタン食べたかったわね…。」


「…新メニューのガーリックナポリタン。食べてもらえないのが残念だよ…。」


「山野のおじさん…。きっと彼は天国の修斗君と、まだまだだなって笑ってますよ。」


「ひどいなあ、武志君。」


また一同が控え目に笑った。


「…あの子は幸せ者よ。…ねえ、あなた。」


「…ああ。しかし、こんなに沢山の方を悲しませて、なんて罪な愚息なのだろうか…。すみません…。皆様、本日はそんな愚息のために雪がちらつく中、お集まりいただき、本当にありがとうございました。」


「…」


「…お義母さん、お義父さん。…ご謙遜だったとは思いますが、司さんは愚息なんかじゃありません。彼は立派な息子さんで、何より私の誇りの旦那さんです。…それに、彼は死んでなんかいません…。私たちの中に生き続けるわ…。」


今度は一同からすすり泣く声が広がった。


「…私たちも昔、司君に今の真美さんと同じようなことを言われたわ。…ねっ、あなた。」


「…ああ。我々はその言葉で修斗に対する長かった自責の念と苦しみから救われたんだ…。」


「…マスター、ママ。…私もよ。私も彼の言葉に救われた…。」


「…ちなちゃん。」


そして、最後に親子3人が墓石の前に立った。


「…お義兄さん、可愛がってくれた希唯も大学生になりましたよ。」


「…つーちゃん、希唯、大人っぽくなったでしょ。大学の男の子たちから毎日のように言い寄られて大変だよ…。つーちゃんだったら希唯の彼氏にしてあげてもよかったのに…。…希唯がセーラームーンだったら、魔法で必ず甦らせたのに…。」


彼女は強気な言葉とは裏腹に、言葉を詰まらせながら、大粒の涙を流して言った。


「…兄貴。俺は兄貴が羨ましいよ…。俺が死んだら、こんなに泣いてくれる人たちはいないよ…。」


そこへ一人の男が現れ、墓石の前に花束を置いて、空を眺めながら言った。


「…俺は泣かないぞ。泣いてなんてたまるか…。向こうで神様に空振りしないように、今度はしっかり素振りしとけよ…。」


彼はそう言って、花束の横に古い金属バットを供えて去っていった。


「…樋口君。…ありがとう。」


山の上の墓場の空に、小雪混じりの冷たい冬の風が吹き渡っていた。


海からのその風は、彼らを抱きしめるかのように優しく撫でていった…


…………………………


「でも、真美さん、良かったのかい?お母さんと一緒のあそこで…。」


「…ええ、お義父さん。逆にわがまま言ってすみません。でも、彼もあそこがいいと思います。山の上のあそこなら九十九里の海を眺めながら、私たちを見守ってくれることができますから。ねっ、愛。」


「…うん。でもパパはあそこにはいないよ。逢ったことないけど、いつもここにいる気がする…。」


車の窓を少し開けて、外をぼんやり見ていた少女は振り向き、握った拳を胸の前に押し当てて言った。


「…パパ、いつもありがとう。」


少女がそう言った次の瞬間、冬の終わりの冷たい風が窓から車内に吹き込み、四人の横を通り過ぎていった。


「窓、閉めますね。お義母さん、寒いですよね?」


「私は大丈夫よ、真美さん。むしろ、吹き渡る風が今日は心地いいわ。寒いはずなのに不思議ね…。」


…………………………


…やっと会えたね、司


気づけば、私もどんどん年をとってきて、独りであの子を育てるのは大変だよ…


…できれば、一生分の奇跡や偶然を使ってでも、生きてて欲しかったけど、これで司のことを思い出にできるよ…


でも、生涯忘れることはないよ…


あなたの愛を…


愛と名付けたあの子と共に、今を一生懸命生きるわ…


だから司も、小さい頃に二人でよく見てた星になって私たちを見守っていてね…


…………………………


仏壇の前で、その美しい女性は長い黙祷が終わると、皆がいるテーブルに戻った。


傍らにいたその女性の娘らしき10才くらいの少女も、続いて黙祷を捧げていた。


「すみませんねぇ、真美さん。初めてのお墓参りに間に合わなくて。」


その初老の男は被っていたハンチングをとって言った。


「いえいえ、お仏壇にお線香をあげていただいてありがとうございました。きっと、主人も小松先生が来てくださって喜んでますわ。」


「そうだといいんですが。…ところで、私が言い出したことなんですが…。いいんですか、本当に…。」


「ええ。主人が残してくれたこの〈君の知らない物語〉を小松先生が手直しして出版していただけるかも知れないなんて、主人もきっと喜んでいますわ。」


その女性は、テーブルの上に置いてあった古いノートパソコンを大事そうに抱えながら言った。


「その判断は、ここにいる弊社の池永に任せてますから。頼んだぞ、池永。」


「はい、角谷社長!小松先生には何日カンヅメになってもらってでも、最高の作品に仕上げてもらいます!」


「…おいおい、お手柔らかに頼むよ。」


「アハハ。そのあかつきには、我がマルマングループが総力をあげてバックアップさせてもらいますから頑張って下さい、小松先生。」


「小島社長まで、そんなにプレッシャーかけないでくださいよ。」


その初老の男は頭をかきながらそう言うと、5.6人のその一同が、今度は仏壇の前で遠慮なく笑った。


「でも、彼には私の小説家生命を救ってもらった生涯の大きな借りがありますからね…。私の小説家人生の集大成としても、全力で彼の〈夢〉のお手伝いをさせていただきますよ…。」


初老の男は、急に真剣な顔をして呟くように言った。


「では皆さん、具体的なスケジュールなのですが…」


池永と呼ばれていたその男は、人数分のスケジュール表を取り出し、皆に説明を始めた。


…………………………


「ふー。やっぱりマスクしない方が気持ちいいね。」


少女は家の前の駐車場で、マスクを外して言った。


「そうね。でも、人前ではしなきゃダメよ。」


「わかってるって。みんな帰ったから今はいいでしょ。」


「ふー。そうね、やっぱりこの方が気持ちいいね。」


母親らしき女性もマスクを外して言った。


「あー、見て見て。月が綺麗だよ。」


少女が、昼間の天気が嘘のように雲一つない夜空を見上げて言った。


「…フフフ。そうね。私も愛のことをとても〈月が綺麗ですね〉だよ。」


「…ん?ママ、日本語おかしくない?」


「フフフ。まだまだパパのことで愛に話してないことがいっぱいあったわ。」


「なになに~?教えてよ。」


「うちに帰ってからね。」


「もったいぶらないで教えてよー。」


「じゃあ、とりあえず一つだけ。」


「何?」


「…ここはパパとの思い出の場所なの。」


「この駐車場が?」


「昔は広場だったのよ。」


「いつの話?」


「パパとママが6才の頃。」


「へえ。そういえば、どっちが先に好きになったの?パパ?」


「…そうみたい。そうパパの小説に書いてあったから。」


「ふーん。」


「でもね…。」


「でも?」


「…ママも初めて会った時からパパのことが好きだったの。」


「はいはい、ごちそうさま~。」


「はいはいって、愛が聞いたんじゃない。」


「はいはい。」


「こらこら。」


そう言って、その母娘はその駐車場で笑い合っていた。


「その広場だったこの駐車場に何の思い出があるの?」


「…うん。ここはね…。」


「…うん。」


「…パパとママが初めて出逢った場所なの。」


駐車場のフェンス越しに、冷たいが優しい冬の終わりの夜風が、その母娘をそっと撫でていった…。


…………………………


「う~、さむっ!」


「明日も早いし、そろそろ、うちに帰ろっか。」


「…すぐ隣だけどね。」


その母娘は二人で幸せそうに笑いながら、隣の家に帰っていった。


夜空には満天の星と月が輝き、その光はそっとその母娘を優しく照らしていた。


まるで、彼が風に乗って天に昇り、その輝く星たちの一つになったかのように…







エピローグ 「千の風になって 」




挿入歌

「千の風になって」 新井 雅史


「会いたい」 沢田知可子


「カブトムシ」 aiko


「雪の華」 中島美嘉


「夜空ノムコウ」 SMAP

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君の知らない物語~月が綺麗だね~ ナオスティン @3625

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