第72話「海に抱かれて」
俺と真美は覚悟を決めていた…。
俺は水中で最後のキスをしながら、今までの真美との思い出が、走馬灯のように頭の中を巡っていた。
(回り道したけど、最後は真美と結ばれて、最期の刻もこうして繋がったまま一緒にいられるなんて、俺の人生幸せだったな…。)
そう思いながら水中を沈んでいると、真美がさらにぎゅっと俺を抱きしめた。
〈私も幸せだったよ〉
俺には真美がそう言っているかのように感じた。
(ただ、生まれてくるはずだった我が子に申し訳ないな…。ごめんね…。せめて、一度でもいいから会いたかったな…。)
その時、水中から何かが俺たちに触れた。
次の瞬間、力強い勢いで水上に引き上げられた。
「ぷはー、ハァ、ハァ、ハァ。」
俺と真美は水上で大きく息をした。
「あと少し!二人とも頑張って!」
俺たちを水上に引き上げたのは理恵だった。
顔を出した水面で、俺は理恵と目を合わせた。
(…理恵!真美と俺たちの子を頼む。俺は一人でも大丈夫だから。)
理恵は俺の言いたいことが分かったように無言で頷き、真美を背中に背負い再び校舎の2階の窓に向かった。
俺も平泳ぎで後に続いた。
校舎まで目前のところで、後ろから大きな流木が、ちょうど理恵と真美の方向に向かっていた。
背後からくるその流木に理恵は気づいていない。
俺は平泳ぎからクロールに変えて彼女たちに追いつき、その流木の前に出て、間一髪、体当たりでその向きを変えた。
次の瞬間、右腕に激痛が走った。
見ると流木の枝が刺さっていた。
校舎の2階の窓には爽子がただ一人待っていた。同じように避難してきた他の人たちは屋上に行ったようだ。
理恵と真美が先に着き、真美と理恵を俺が順番に肩車し、爽子に引き上げられて二人は校舎の2階の窓から中に入った。
(助かった…。理恵、ありがとう。)
俺は中に入った二人を見て安堵するとともに、真美とお腹の子を救ってくれた理恵に心の中で感謝した。
「司、よく頑張ったな!今引き上げるから!」
理恵が、校舎の窓から俺に言った。
真美が心配そうな眼差しで、真っ直ぐ俺を見ていた。
ふと、真美と出会った時のことが脳裏に甦ってきた。
スイミングスクールをサボって、家に入れず所在無げにしていた真美の姿が…。
あの時の…
俺を見る真っ直ぐな眼差しに、俺は一目惚れしたんだ…。
そして今でも…
俺は嫌々だったけど、幼い頃スイミングスクールに行っていて、この時本当に良かったと思った。
何故なら俺は、俺の人生で一番惚れて愛した人とその人との間に授かった宝物を守れたのだから…。
…………………………
「どうした!?その右腕!」
理恵は俺の差し出した右腕を見て、驚いて言った。
俺も校舎の中に入ろうと、理恵の差し出す手に自らの手を伸ばしたその瞬間だった。
激流がそれまでとは逆方向から襲ってきた。
「いやぁ!!!つかさぁ!!!」
俺は一溜りもなく、再び濁流の中へ戻された…。
もう、右腕には全く力が入らなく、その激流に抗う体力は俺には残されていなかった。
最期に見たこの世の光景は、最愛の人が泣き叫ぶ姿だった…。
そして、俺は流されながら、もう真美や生まれてくる我が子には会えないことを悟った…。
…………………………
再び襲った激流は、津波の引き潮だった。
俺は生きているのか死んでいるのか、自分自身わからなかったが、引き潮に戻されて石巻港沖合いの海の中にいるようだった。
そして俺は、憧れの海に抱かれて失望の〈マリンスノー〉になったんだ…。
…………………………
真美とお腹の子は無事だったのかな…
理恵や爽子、漁港の仲間もみんな無事なのかな…
両親や弟家族は俺がいなくなって悲しんでいるのかな…
そうだとしたら、みんなごめんね…
俺はもう死んだみたいだよ…
また… みんなに会いたいな…
完
挿入歌
「海 その愛」 加山雄三
「マリンスノウ」 スキマスイッチ
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