第12話「圭子の夢は夜開く?」

「ここ、大川んち?」


看板に「圭子」って書いてあるのに愚問だが、一応聞いてみた。


「うん、知らなかった?うちの母親がアタシが生まれてすぐ始めたの。まったくいい迷惑だよ、店にアタシの名前つけてさー。」


と言っていたが、まんざらではなさそうな様子だった。


後から聞いた話だが、圭子の父親は圭子がまだ母親のお腹にいるときに浮気して、圭子に一度も会わずに出ていったらしい。


圭子の母親は女手一つで生まれたばかりの娘を育てるためにこのスナックを始め、この世で一番の宝物の名前を店の名前にしたと物心ついた圭子に話したそうだ。


そういえば、小学生の頃、当時は意味がわからなかったが圭子のことを「圭子ママ」と言ってからかってた奴がいたのを思い出した。


しかし、圭子はからかわれても、毅然としていた印象があった。


そんな想いの詰まった店の名前を圭子は迷惑と言いながらも顔は嬉しそうだった。


「誰かいるの?」


扉の向こうへ行きかけた圭子に俺は尋ねた。


「今日は常連さんたちと毎年恒例の花火に行ってて誰もいないよ。」


もちろん、俺はスナックに入るのは初めてで、スナックという場所は大人の世界だと思っていたので、圭子の後ろについて扉の向こうへ行った時、少しだけ大人の世界が知れる気がしてわくわくしていた。


「おっ、カラオケあるじゃん!」


「お客さん、一曲百円ですよ。」


「圭子ママ」は笑ってそう言った。


「金取るのかよ。」


「ええ、うちも商売なんで。でもお客さん初めてなんで今日はサービス!」


「圭子ママ」は成りきって楽しそうにカウンターに入って何かを作る準備を始めた。


「始めはビールですか?」


「ウイスキー、ロック、ダブルで!」


俺は「圭子ママ」のママゴトに付き合ってテレビで聞いたようなセリフで答えた。


「お客さん、イケるクチですね。」


と言って圭子は本当にウイスキーのボトルに手をかけた。


「冗談だよ、冗談。麦茶か何かある?」


「烏龍茶ならあるよ。」


「じゃあそれで。」


喉が渇いてた俺は出てきた烏龍茶を一気に飲み干し、おかわりした。


当時は烏龍茶が今ほど一般的じゃなかったから、俺は烏龍茶を初めて飲んで、まずいお茶だなと思いながらも2杯目に口をつけた。


「何か烏龍茶ってあんまうまくないね。」


とカウンターの中で野菜を切っている圭子に話しかけた。


圭子は大笑いしながら


「アタシの特製だから。」


と言ってガスコンロに火をかけた。


「特製?」


「うん、だってウイスキーの烏龍茶割って言ったでしょ。アタシもいただいてまーす。」


と圭子は茶色に光ったグラスを片手で軽く持ち上げて笑った。


「マジかよ!」


その時既に俺は2杯目も半分以上飲んでいた。


「大丈夫、大丈夫。薄めにしといたから。」


と言って、圭子はフライパン片手にポーチからタバコを取り出し、コンロの火でタバコに火をつけた。


俺は少し酔いが回ってきて、頭がふわっとしはじめ、もう圭子が何をしようが構わなくなっていた。


カウンターからは焼きそばの匂いがしてきた。


(結局どう転んでも、今日焼きそばを食べる運命だけは決まってみたいだな)


と思いながら俺は自嘲気味に笑った。


「吸ってみる?口紅ついてるけど。」


圭子は吸っていたタバコを俺に差し出した。


焼きそばの匂いで、また真美や樋口の発言を思い出してた俺は酒の力も手伝って、圭子のやることだけでなく、自分のこともどうでもいい気持ちになり、黙って吸いかけのタバコを受け取った。


そしてそのタバコを通じて間接キスすることを許した圭子に、特別な感情を抱きはじめたことを俺は否定できなくなっていた。


「ゲホッ」


(大人はこんな煙のどこがうまいんだろう?)


と思いながらも、カッコつけてウイスキーの烏龍茶割とタバコを呑み干した。


「おまちどおさま。」


と言って圭子は焼きそばを俺の前に置き、自分の分も持ってきてカウンターの俺の横に座った。


「いただきます。」


俺は作りたての湯気があがる焼きそばを一口食べた。


(メチャクチャ旨い…)


焼きそばが好きな俺は、どこへ行っても大体焼きそばがあれば頼んでいたが、結局ソース焼きそばで「マルちゃんの3食焼きそば」を越える焼きそばはないと確信していた。


しかし、圭子の焼きそばはその「マルちゃん」を越えた。


俺はこの店に来て、初めて旨いものを口にした。


「メチャクチャ旨いよ。」


「でしょー、内緒だけど小学生の頃からここで作らされてるからね。」


と圭子は得意気に笑った。


俺はあっという間に平らげて、隣の圭子を見るとまだ半分も食べてなかった。


圭子の食べ方は俺と違って上品で、俺は知らず知らずの内にふらついた頭でぼんやりしながら、その食べ方に見とれていた。


「ずっと見られてると食べづらいんですけどー。」


と圭子は怒った顔を作って言った。


「ゴメン、ゴメン。いやー旨かった。ご馳走様でしたー。」


と言って、俺はカウンターを離れて後ろのテーブル席の長椅子に仰向けになった。


今の俺にはこの非日常的な時間と空間が嫌な事全てを忘れさせてくれるようで心地よかった。


少しして洗い物をする音がして、その音も何だか心地よく、俺を眠りに誘った…


*****


「お客さーん、寝たら財布からボッタクリますよー。」


耳元で圭子が囁いた。


俺はハッとして起き上がって、左手につけてる安物のデジタル時計を見ると、寝てたのはほんの5分ほどだった。


そんな短い時間だったが、俺は夢を見た。


嫌な夢だ。


夢の中で樋口と真美が俺に結婚の許しを得ようと頭を下げていた。

何故だか俺は真美の父親になっていて、結婚させたくないが何も言えないでいるといった場面で現実に戻った。


「何か、しかめっ面顔して寝てたよ。あっ、烏龍茶と烏龍ハイ、どっちがいい?」


と言って圭子は、茶色く光るグラスを2つ差し出した。


「烏龍ハイで。」


と言って俺は烏龍茶ハイを受け取り、半分位まで一気に飲んだ。


「本当にイケるクチだねえ。」


圭子は残りのグラスの方を一口飲んだ。


「大川は烏龍茶でいいの?」


俺は一緒に飲んでほしい気持ちの表れでそう聞いた。


「けいも飲んでるよ。本当は両方とも烏龍ハイでしたー。」


と楽しそうに笑いながら言った。


いつの間にか圭子は結構飲んでるみたいだった。


俺は圭子が自分のことを「アタシ」ではなく「けい」と呼びはじめたことが嬉しかった。


「騙したな!」


「だってやけ酒に付き合ってもらいたかったからさー。」


ゲーセンにいた理由もそうだったが、圭子の心情は俺と写し返しのようだった。


「やけ酒って、家垣のこと?何で別れることになったの?」


どうでもよかったはずの圭子の別れ話を俺は聞いた。


「・・処女はめんどくさいから嫌なんだってさ。誰かとヤってから来いってさ。」


俺はフツーに喧嘩別れしたんだろうと思っていたから、その別れの理由に驚き、返してあげる言葉が見つからなかった。


それに圭子は男の噂が多かったから、勝手に処女ではないと思っていた・・。


「本当はこないだ海に行った時、初めて処女だって話したら、がっかりされて、浜辺に出て声かけてきた適当な男とヤってこいって言われて・・。で、浜辺に出たんだけど、凄く悲しくなって、涙が止まらなくて、海に入って人のいないところまで泳いだら、足がつっちゃって・・。本当のこと言うと一瞬そのまま死んでもいいやって思ってたら司に助けられた。」


と圭子は目を赤くして話を続けた。


「マジかよ。何でそれで花火一緒に行こうとしたんだよ。」


と俺は家垣はもちろん、圭子にも憤りを感じて尋ねた。


「だって小学生の頃からアイツが好きで、振り向かせようといろんな男と付き合ったけど、初めての人はアイツに決めてたから・・。ヤってきたって嘘ついて花火一緒に行こうとしたけど、色々つっこまれたらバレちゃって・・」


「アイツのどこがいいんだよ!顔か?圭子ならもっとイイ男見つかるだろうよ!」


俺はもう憤りを隠さず怒鳴った。


「アイツ、小学生の頃にアタシがしばらくクラスの女子に仲間外れにされてたときに、仕切ってるやつに何か言ってくれて助けてくれたんだよね・・。本人は覚えてないって言ってたけど。」


と圭子は俯きながら言った。


俺は酔っていてもすぐに過去の記憶が甦ってきた。


(それを家垣が言ったと嘘ついたのは俺だ・・。何て余計なことをしてしまったんだ・・)


俺はさっきの怒鳴った勢いと正反対に圭子より深く俯いた・・


「何で司が俯いてんの?」


俺と圭子は親近感を覚えて徐々に下の名前で呼ぶようになっていった。


「・・ごめん。小学生の時、それ言ったの俺なんだ。俺じゃやめさせられないと思って家垣の名前使って嘘ついた。余計なことして本当にごめん・・」


俺はもし本当に海で圭子が死んでいたらと思い、余計なことを言ったことを心から後悔した。


「・・そっかぁ、そうだよねー。アイツとほんの少ししか付き合ってないけど、チョー俺様でそんなことするタイプじゃないもん。よかったー、アイツにアタシのバージン捧げなくて。」


と圭子はこぼれ落ちそうな涙を浮かべたまま笑顔で言った。


俺は圭子が怒ってないようだったのでほっとした。


「じゃあ、けいは司に二度も助けられてたんだね。ありがとう。お礼、焼きそばじゃ足りないね。」


「焼きそばで十分だよ。二度目は俺が余計なこと言わなければ、起こらなかったことだろうし。」


圭子は俺が言い終わらないうちに、今まで俺に見せたことのない濡れた表情で、体と顔を俺の近くに寄せてきた。


「ちょっと待って。」


と言って俺は圭子を止めた。


真美にしろ圭子にしろ、毎回女にイニシアチブを取られるのは俺のちっちゃな男のプライドが許さなかった。


「お礼とかお詫びとか抜きに、俺は今、圭子とキスしたいからキスをするよ」


と言って俺は圭子を抱き寄せて、歯が当たらないように唇を重ねた。


圭子は重ねた唇から舌を出して俺のそれに絡めてきた。


俺も圭子の舌の動きに合わせて自分の舌を動かした。


少しして圭子は唇を離して、


「上手じゃん。したことあるの?」


俺は、一瞬真美のことを思い出したが、「真美も樋口としたんだろ」と自分に言い訳しながら、圭子の質問には答えず、黙って再び圭子を引き寄せさっきより激しく舌を絡ませてキスをした。


今度は俺の動きに合わせて圭子が舌を動かした。

そしてキスしながら海で感じた圭子のプロポーションを、服の上から触って確かめた。


5分以上はそうしてただろうか、圭子は俺から離れて、


「これ以上したら、唇がいかりや長介みたいになっちゃうよ。」


と言って笑い、


「そろそろお母さん、お客さん大勢連れて帰ってくるよ。毎年花火のあとはこの店満員御礼だから。花火の酒や簡単なつまみはサービスで用意して二次会をこの店でやって倍返しさせるっていうお母さん得意の悪徳商法だから。」


と言って、さらに嬉しそうに笑った。


圭子はさらに続けて、


「アタシね、将来この店継ごうと思ってるんだ。」


と言って残ってた烏龍ハイを飲み干した。


「だから、今からお酒を鍛えてんの。」


と空になったグラスを片手で上げてウインクした。


「そうなんだ。きっと圭子はいいママになるよ。でもまだ未成年なんだからほどほどにしなよ。あと勝手にウイスキー入れたりするのはやめろよな。」


と言って自分が程よく酔っているのを棚に上げて俺も笑った。


「じゃあ、そろそろ帰るよ。」


と俺は正直まだ帰りたくなかったが、圭子に帰宅を促されたと思ってそう言った。


「本当にもう帰りたいの?」


と言って圭子は俺にくっついてきた。そして俺のはいてるジーンズの上から膨らんだ下半身を触ってきた。


「こんなになってたら帰れないでしょ。あっ、御一行が帰ってきたね。」


と言ってまた濡れた表情で艶っぽく笑った。


外からは複数の大人達の酔って楽しそうな笑い声が近づいてきていた。


同時に俺の決断の時間も近づいていた。

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