第5話「天体観測」
真美との天体観測が決まってからの俺は、ぼーっとしていた昼過ぎまでの俺とはまるで別人のように活発に動きはじめた。
まずヨダレのついた顔を洗い、次にわりと近所に住んでるクラスメイトの武井に電話した。
「確か、持ち運びできる望遠鏡持ってたよね?今日だけ貸してくんない?」
*****
武井とは小中高と同じ学校だが、同じクラスになったのは、高校に入ってからが初めてで、野球部の練習のない中間、期末テストの間は一緒に自転車で帰って、武井の家で出題されそうなとこの授業のノートを見せてもらったりした。
武井は樋口の真面目にクソがつくほど真面目な性格で、授業の内容だけでなく、先生が試験に出るぞと言ったところは〈出るぞマーク〉がしてあり、また重要なところや分かりづらいところは自分の言葉で分かりやすく解説してあった。
生来の打算的な性格から俺はそのノートを〈パーフェクノート〉と呼び、武井を喜ばせては試験の度に拝借していた。
初めは〈パーフェクノート〉が目的で近づいた俺だったが、すぐに武井の人のいい性格に惹かれ、武井は俺のどこを気に入ったのかわからないが、お互いが親友と認めるのに時間はかからなかった。
だから武井には唯一、真美への想いを打ち明けてた。
しかし、武井が俺に勉強以外の事に関して、的確なアドバイスをしてくれたことはなく、俺もそれは期待してなかった。
それでも何でも武井に話せるのは、何の話でも俺の味方でいてくれるからだ。
俺はどんなもっともらしいアドバイスより、武井がただ味方してくれることの方が嬉しかった。
*****
「貸すのは全然いいけど、子供用のちゃちいやつだよ?」
「あぁ、それでもないよりマシだから今から借りに行くよ」
「なんかムカつくなあ。で、ナニ覗くんだよ」
「星だよ星!決まってるだろ。お前、望遠鏡を覗きに使うって発想がヤバイぞ!」
「・・それが人にものを頼む言い方か?」
「わかったよ。武井君が今では覗きで使ってる子供用のちゃちい望遠鏡をどうか貸して下さい。」
「絶対貸さない!」
と武井と電話でこんなやり取りをした後、武井の家に行き、真美とのいきさつを話して散々謝った後、子供用のちゃちい望遠鏡を借りた。
そして借りた後に、
「海岸に覗きに来るなよ、望遠ノゾキ魔!」
と俺は望遠鏡を奪われないようにしっかりガードした状態で笑いながら捨て台詞を吐いた。
「受験生にそんなヒマあるかよ!女に堕ちて試験にも落ちろ!」
と武井が珍しくうまいことを言ったが、言い終わらない内にニヤけた顔だけ武井に向けて俺は自転車をこぎ出していた。
きっと、クソ真面目な武井は俺の三文芝居と違ってちゃんと勉強するに違いないだろうと俺は思っていた。
こぎ出した自転車から後ろを振り返れば、武井が寂しそうな顔で俺を見送ってたことに気が付いたかも知れないが、青春爆走中の俺は前しか向かずに自転車を全力でこぎ、次の準備に向かっていた。
*****
(7時58分か…もうすぐ約束の8時だな)
俺は安物のデジタル腕時計で自分が約束の場所に遅れなかったことを確認した。
武井の家を出た後、俺は駅近くのカジュアル服のチェーン店に行き、安いTシャツを何枚か買った。
当時の俺としては相当の出費だったが、休みがほとんどなかった俺は、私服をあまり持ってなく、また坊主頭でファッションなんて興味もなかったんで、持っているシャツと言えばユニフォームの下に着るアンダーシャツ位だったからだ。
わざわざ新しいTシャツを買ったことが真美にバレないように、たたんであった折り目をわざとクシャクシャにして着ていった。
俺が海岸から程近い約束の場所についてから2分後の8時ちょうどに真美が来た。
「望遠鏡なんて担いでどうしたの?」
と真美は挨拶も抜きに質問してきた。
「そんなもん、星や月がよく見えるようにに決まってんでしょ」
「そっか、でもあんまりよく見えすぎちゃうと見なくていいものも見えちゃうから、私はそのまま見るよ」
俺は真美が喜ぶ姿を期待してたので、少しガッカリして、真美の含みのある言い方にこの時は気付いてやれなかった。
とにかく、担いできた子供用の望遠鏡はその名の通り、はしゃぎ過ぎてる夏の子供のような俺専用の望遠鏡になった。
*****
海岸の浜辺についた俺たちは、昔のように浜辺に大の字になり、予報通りの雲一つない満天の星空と満月の月を眺めながら、たわいのない昔話などをした。
しばらくして俺は上半身だけ起こして、俺専用の子供用望遠鏡で星や月を見た。
やっぱり子供用なので、星はあまり大きく見えなかったが、月は太陽の化粧の下にある素顔を見せた。
その素顔はクレーターで荒れ果てた大地でできた夢も希望もないようなただの不気味な球体だった。
そしていつかのテレビで言ってたように地球への化粧もしたことない月の裏側は、もっと起伏が激しく険しい表情であることを俺に納得させた。
望遠鏡を覗き、しばらく黙っていた俺に
「だから言ったでしょ」
と真美は言ったが、俺は意地を張って
「現実に目を背けたら本当のことが見えてこないだろ」
と自分でもよくわからないもっともらしいことを言った。
「珍しく深いこというね」
と真美はどこか寂しそうな笑顔で言った。
俺はこれから告白しようとしてるのに、変な空気にしたくなかったので、いつもはスルーするところを
「珍しくは余計だろ」
と軽めに笑顔で返し、再び砂浜に背を合わせ、大の字に寝転んだ。
俺と入れ違いに上半身だけ起こした真美は俺を見ながら
「ごめん・・」
と、はにかんで真美の方こそ珍しく素直に謝った。
そのはにかんだ顔を星空を背景にローアングルから見た俺は、
(このままずっと二人でいれたらいいのに・・)
そう感じると同時に、胸の鼓動が熱く、そして速くなるのを感じた。
背景の星空にはいつの間にか分厚い雲がかかりはじめていた。
俺はその熱く速い鼓動を抑えるのと、明るい空気に持っていけるように、真美が笑いそうな前の日の号泣自虐ネタを次の話題に選んだ。
「いや~、それにしても昨日は一生分泣いたなー、マイッタマイッタ、一生の不覚!」
と笑いながら言った。
真美は雲に隠れた夜半(よわ)の月を見ながら、
「そんなことないよ」
とだけ優しい口調で言った。
「そういえば、昨日の慰労会のあとはすぐ帰ったの?」
俺はどうにか話をつなごうとそう続けた。
「うん、みんな司のせいで泣いてたから声掛けづらくて先に帰ったよ」
と、いつもの笑顔と真美節が戻ってきてホッとしたのと同時に、昨日の空振りと号泣シーンを思い出した。
(初めての空振りをまさかあの場面でするとはな・・)
笑わせようとした自虐ネタで墓穴を掘り、思い出してやるせない気持ちになってまた涙が溢れてきた。
真美は寝転んでる俺を上から覗きこむようにして
「また泣いてるの?」
とまた優しい口調で言った。
「雨だよ、雨!」
と声の震えをできるだけ抑えて答えた。
浜辺には予報外れの雨がポツポツと降り始めていた。
「浅倉南ならこんな時優しくキスしてくれるんだけどな」
と俺はアニメのワンシーンを思い出しながら、自分の涙をごまかすために冗談を言った。
次の瞬間、寝転んで曇天の夜空をただ見ている俺の視界に、あたかも雲に隠れた夜半の月が現れるかの如く、真美の整った丸い顔が広がった。
驚く暇もなく、真美はその柔らかい唇を優しく俺の唇に合わせた。
ほんの数秒だったが、悠久の宇宙の時間の如くゆっくり長く感じた。
(何が起きたんだ?)
俺は頭のパニックをおさめるのにさらに数秒を要した。
俺は初めてのキスが望んだ相手と、受け身という望んだ形ではなかったが達成できたことをようやく理解した。
しかし、その記念すべきシーンの一部始終を防波堤の向こうから大人用の望遠レンズでとらえられてることに俺も真美も気付きようがなかった…
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