第3話「初恋」

「ミーン、ミーン、ミ~」


外は昨日と同じような曇一つない青空で、アブラゼミが外の暑さを知らせんばかりに元気よく鳴いていた。


そんな中、俺は昼間から誰もいない家の居間で扇風機を回して大の字になり夏休みを満喫していた…


ってのは強がりで、3年近くの間、ほとんど休日ってものがなかったので、休み方がわからず、半日もせずに時間を持て余していたというのが本当のところだ。


高校球児の間は、日曜も当たり前のように試合か練習があった。たまに雨になって日曜の試合が中止になったりすると、それでも室内練習はするのだが、だいたい昼過ぎには終わり、俺たちは滅多にない半日足らずの休みをカラオケや覚えたての麻雀などで存分に楽しんだ。


しかし今はとても休みを楽しむ気分にはなれなく、まして受験勉強などする気にもなれず、心にぽっかり空いた喪失感なみたいなものとともに、ただただボーっとしていた。


あぁ、ちょうど昨日のこの位の時間に悪夢のような空振りをしたっけか…


ZZZ…


*****


九十九里には、俺が小2の時、都心の役所勤めの公務員をしていた父親が千葉に転勤になり、そのタイミングで念願のマイホームを何十年ローンかで買い、東京寄りの千葉からアメリカ寄りの千葉に引っ越してきた。


母親は家計を助けるため日中はパートで働き、2つ下の弟は俺とは別の高校の1年生で、今頃は入部したばかりのテニス部で玉拾いをさせられてるに違いない。


*****


小1まで住んでた東京からわりと近い千葉の公務員住宅からの引っ越しが決まった時は、俺はメチャクチャ駄々をこねた。


当時の俺は団地の同じ棟の年下を連れて毎日楽しく遊び、まさにお山の大将だった。


そんな居心地のいい団地を出たくなかったからだ。


両親がようやく叶えようとしている夢のマイホームなんてことは小1の俺にはわからず、頑張って駄々をこねれば引っ越しをやめてくれるかもしれないと本気で思っていた。


引っ越しの1ヶ月位前、「海に行こう」と両親に騙されて、引っ越す予定の家に弟も一緒に連れて来られた。


厳密に言うと帰りに九十九里の海に寄ったので、騙されてはいないのだが、まだ2月の終わり頃だったので、寒くてとても海で遊ぶことなどできなく、防波堤の上で少し九十九里海岸からの波の高い海を見て帰っただけだった。

俺にしてみりゃやっぱり詐欺のようなもんだ。


だから、後々「あの時は騙された」と家族では笑い話の種として話した。


まあ、俺が親でも同じような方法で連れて行っただろう。それほどまでに俺は「引っ越し断固反対!」の看板を掲げていたからだ。


しかし、初めての九十九里でその看板を下ろさざる得なくなってしまう。


*****


新しい家になるだろう小さいながらも新築2階建ての一軒家の前で「引っ越し断固反対!」の看板をまだ掲げてる俺は、断固としてその真新しい壁の家に入ろうとしなかった。


さすがに呆れた両親は家の目の前の空き地の広場で遊んでなさいと、広場の先客である近所の俺より年長っぽい子供たちに「今度引っ越してくるから仲良くしてね」みたいなことを言って、カラーバットとカラーボールで野球をしているその子供たちに俺を紹介した。


わりと人見知りだったのと「引っ越してくるかわからないだろ」と心の中で思っていた俺は、両親と弟が家に入った後、その子供たちとは一言も話さず、広場の隅から楽しそうに、そしてやけに張り切って野球をする彼らを羨ましそうに見ているだけだった。


その野球をしている子供たちがチラチラ見ている方向をよく見ると広場にはもう1人先客がいた。


その子は俺と同じくらいの年の女の子で野球にはまるで関心がないのか、下を向き、何かの切れ端のようなもので広場の地面を何を描くわけでもなくいじっていた。


「何してるの?」


と俺は人見知りのくせに、一人ぼっちの仲間を見つけた嬉しさと、初めての土地での寂しさからか、その子に声を掛けた。


その子は、


「スイミングさぼったからママが怒ってるの」


と言って初めて顔を上げ、救世主でも現れたかのような真っ直ぐな視線で俺を見た。


上を向いたその子の顔を見たとき、その可愛さと真っ直ぐな瞳に照れて、今度は俺が下を向くしかなかった・・


そして広場の地面を見ながら「スイミング」の意味がわからないこのピンチをどう乗りきるか考えていた・・


「じゃあ一緒にごめんなさいしに行ってあげるよ」


とスイミングには触れない作戦に出た。

我ながらナイスな回答だと思ったが、


「本当?」


とその子は言って、俺は本当に初めて会った女の子が何をさぼって怒られてるのかわからないまま、その子の家の前に一緒に謝りに連れていかれることとなった。


そしてその子の家はついさっき俺が入るのを断固拒否した真新しい壁の家の隣だった・・



*****


その子のお母さんはすでに玄関の前に立っていてその子の帰りを待っていた。


「スイミングさぼってごめんなさい」


とその子が謝ったのに続けて隣にいた俺も


「ごめんなさい」


と言って頭を下げた。


すると、その子のお母さんは俺の存在に一瞬不思議そうな顔をした後吹き出して


「ずるいわね、真美」


と言い、笑顔のままキッと真美と言うらしいその子をにらんだ。


真美も悲しい顔から一瞬にして笑顔になった。


「じゃあ、隣にいるボーイフレンドに免じて許してあげるわ」


と真美のお母さんは言った。


俺は顔が真っ赤になって、冬の終わりの寒さで冷えてた体が急に熱くなった。


真美のお母さんは続けて


「僕はどこの子?」


と俺に尋ねた。


俺はまだ引っ越し断固反対の看板掲げ中だったが思わず、


「2年生になったらそこに住むの」


と隣の真新しい壁の家を指差した。


「そう、お名前は?」


「さたけ つかさ。6さいです!」


と、俺はできるだけ元気よく答えた。


きっと当時の俺は、無意識に真美のお母さんに気に入られようとしていたんだろう。我ながら打算的な子供だったようだ。


「じゃあこれから真美と仲良くしてね」


「はい、こちらこそよろしくおねがいします」


とまた打算的に、聞いたことしかない礼儀正しい言葉で答えると、真美のお母さんはまた吹き出して笑った。


俺は何だかまた照れて顔が赤くなり、それを見て真美も笑っていた。


しかし、いつの間にか野球をやめた広場の子供たちが曲がり角からこっそり見ていて、彼らの誰も笑っていないのを俺は知るよしもなかった・・


*****


東京寄りの千葉に帰る車の中で、俺はちっちゃなプライドを最大限守る言い方で引っ越し断固反対看板を下ろす宣言をした。


「僕の部屋もあるの?」


と、何度も両親に自分の部屋があるからと説得されてたので既に知っていたのだが、知らないフリをしてそっと看板を下ろした。


そして母親にスイミングの意味を聞き、


「引っ越したらスイミングやる」


と引っ越しの妥協案として自分の部屋の確保とスイミングスクールに通わせてもらう約束を取りつけた。


母親は意味も知らなかったスイミングをやりたがることを不思議がってはいたが・・


*****


引っ越してすぐスイミングスクールに約束通り通わせてもらったが、俺と入れ違いに真美はスイミングをやめていた。


後から事情を聞くと、真美は4才の時、家族で九十九里の海に海水浴に出掛け、一緒にいた真美の父親が少し目を離した隙に波にさらわれ、両親は1分ほど真美を見つけられなく海の中で溺れてしまったらしい。


特に大事には至らなかったようだが、それ以来6才まで水が苦手になって、真美の両親は毎日お風呂に入れるのも大変だったらしい。


真美の水嫌いを心配になった両親は、真美が小1の夏に開催されたオリンピックで水泳女子の日本人選手が金メダルを取った快挙で日本中が沸きかえっているとき、テレビを見て大喜びしている真美に「スイミングスクール行って真美も金メダル目指そうか?」と、ここぞとばかりに苦手な水の克服の為、真美をスイミングスクールに誘導したらしい。


真美も水嫌いを一瞬忘れ、


「うん、平泳ぎの選手になる!」


と、その金メダルを取った日本人女子選手と同じ種目をやる気マンマンだったとのことだ。


しかし、スイミングスクールのその道のプロでも真美を水泳選手にするどころか、プールに入れて顔を水につけるだけで半年を要した。


真美は今でもそうだが、小さい頃から我慢強く、ほとんど弱音を吐かない子だった。

そんな彼女がさぼったのだから、よっぽどスイミングスクールは辛かったのだろう。


真美の両親も水泳選手にする気など初めからなかったから、水に入れるようになっただけで御の字だったのと、元々海での事故に自責の念を感じていたのもあって、真美がさぼった後にやめさせたようだ。


そんなことを知らずに自分から言い出したスイミングスクールに通い始めた俺は、少年野球を始める小5まで3年間、真美ほどではないが、あまり好きじゃない水泳を続けることになった。


でも後悔はしなかった。


勉強も体育も中くらいの俺が、小学校の夏のプールの授業だけは毎年先生に誉められ、優越感に浸れたからだ。


そしてそれから、もっともっと後に水泳を真面目に3年間やってて本当に良かったと思うことになるのだから・・

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