第2話「B.BLUE」
望月の代打に俺?
確かに今日の望月はここまで2三振と全く相手ピッチャーに合ってないが、打力は俺より完全に上だ。
・・・・・
高校球児の誰もが憧れる甲子園をかけた最後の夏の県予選。
俺たちのチームは決して強豪ではなかったが、ベンチに座る勝利の女神のおかげか、あれよあれよという間に接戦を制し続け、千葉県内170校余りの中でベスト8まで勝ち進んでいた。
俺たちの高校は千葉県の九十九里海岸からほど近いところにあり、千葉の予選の高校数は全国トップクラスだ。
だから目標にするにはあまりに遠く、今までチームメイトの誰も口に出せなかった憧れの聖地
「甲子園」
ひょっとしたら・・
俺たちは、にわかにそう思い始めていた。
・・・・・
大差で負けてる9回に、3年生が監督の温情で代打で登場っていうのは、高校野球ではよくあるシーンだが、この試合は1点差でまだ6回。
これは温情でも思い出づくりでもなく、監督は俺の打撃に期待しているのだ。
代打を告げられた時は一瞬驚いたが、バッターボックスへ向かう間に、監督が俺のどんな打撃に期待しているかを理解した。
(ライト方向への進塁打)
心の中でそう呟いた。
*****
決して野球センスあるとは言えないこの俺が、野球で唯一自信があるのは、直球を空振りをしないことだ。
今までの練習試合でも一度も直球を空振りすることはなかった。
そして数日前、今と同じノーアウトランナー1塁を想定した試合形式の打撃練習で、俺はヒットよりもライト方向にゴロを打ちランナーを進めるいわゆる「進塁打」を狙い、明らかにライト方向を意識した打ち方で狙い通りボテボテのファーストゴロを打ち、ランナーを進めることができた。
それを見ていた滅多に部員を誉めることのない監督が、みんなの前で俺の進塁打を誉めた。
「今のチームバッティングはみんな見習え」と。
もちろん、この3年間で補欠の俺が誉められるのは初めてのことだ。
監督の言葉のあと、俺は目頭が熱くなるのをグッとこらえた。
本番の試合に出ることはないだろうが、3年間の練習を認められた気がして嬉しかった。
*****
ここは絶対打たなきゃ!
幼なじみでマネージャーの真美もきっとベンチで期待してくれているはずだ!
いいところ見せて喜ぶ顔が見たい。
その日は前の日の雨が嘘のように雲一つなく晴れて、梅雨の間に力をためていた夏の太陽が、グラウンドにその威力をいかんなく発揮していた。
その目が眩むほどの眩しさの中で、この大会初めてのバッターボックスに入り、ベンチのサインを見る。
「一球待て」のサイン。
やはりバントではなさそうだ。バントのサインなら望月にやらせてるはずだからだ。
一球目はストライクからボールになるスライダー。
さすがベスト8に残ってるピッチャーだ。
この切れ味鋭いスライダーは、変化球が苦手な俺には打てそうにない。
ワンボールナッシングになった速球派の浦田の次の球は、ほぼ直球に間違いないだろう。
3塁側内野スタンドの応援団も俺の名を呼び、太鼓を叩き応援している。
「かっとばせ!ツ・カ・サ!」
ドンドンドン!
言われずとも
(次の直球を打つ!)
そう心で思いながらバッターボックスを外し、ベンチのサインを見た。
サインは「ヒットエンドラン」。
ランナーはピッチャーが投げると同時に次の塁に向かい、バッターは来た球をどんな球でも打たなきゃいけないという、成功すれば一気にチャンスが広がる攻撃的な作戦だ。
ただ空振りして失敗すれば、ランナーが盗塁死してチャンスを潰しかねないリスクも高い作戦。
監督も次の球は直球でストライクを取りにくると読んだようだ。
そしてあわよくば、進塁打だけでなく、盗塁で二塁のベースカバーに入る二塁手とランナーが一塁にいるため一塁ベースに張り付く一塁手の間で大きく空くだろう、一、二塁間をゴロで抜けるヒットを期待しているに違いない。
俺はまだ6回だが、次の一球がこの試合の結果を左右する一球になることを感じていた。
バットを握る両手に力が入る。
ひと呼吸してバッターボックスで構えに入る。
そして相手ピッチャーの浦田もセットポジションに入る。
浦田はセットポジションから一度ランナーの樋口を見た後、コンパクトに足を上げ、渾身の速球をキャッチャーミットめがけて投げ込んできた!
「きた!直球だ!」
しかもど真ん中だ。
俺は無心にバットを振った。
次の瞬間、球場に響いたのは金属バットの芯でとらえた甲高い金属音ではなく、「バシッ」というキャッチャーミットの芯で捕った弾けるような捕球音。
そう、俺は初めて直球を空振りした。
ショックを感じる前に二塁に向かってスタートを切っているランナーの樋口に「頼む、セーフになってくれ」とすがる思いで二塁ベースの方を見ていた。
樋口が二塁にスライディングする。
しかし、樋口がスライディングする前にキャッチャーからのストライク送球が二塁ベース上に届いていた。
そういえば樋口はチームの中でも、1、2を争う鈍足だった・・
二塁塁審のジャッジを聞くまでもなかったが、それでも俺は祈っていた。
「捕球ミス、誤審、何でもいいからアウトにならないでくれ!」
そんな祈りも虚しく塁審の右手が挙がる。
「アウト!」
そうコールされた瞬間、二塁ベースの手前で下を向く樋口の姿が、熱さで蒸し返るグラウンドの蒸気に揺られて果てしなく遠く見えた。
それはまるで蜃気楼のようだった・・
・・・・・
その後の試合内容はあまり覚えていない。
覚えているのは、俺は空振りした後の何球目かに空振りした球と同じような直球を打ち、数十秒前に思い描いてたライト方向へのゴロを転がしたが、セカンドゴロに終わったことと、ベンチに戻った時に監督が目を合わさず
「ど真ん中だろうよー!」
と珍しく大きな声を上げ、失望をあらわにしたことだ。
試合は確か0ー3で敗れ、例年より遅い梅雨明け宣言が出されたこの日、俺たちは夏本番を前にグラウンドを去った。
・・・・・
無言の移動バスに乗り学校に戻った俺たちの最後の役割は、毎年恒例の応援に来てくれた父兄やOBを交えた校舎内での慰労会への出席だ。
3年生は、これも恒例で1人ずつ立って、3年間の思い出や感謝、または後輩たちへの言葉を残す。
まだ何も考えられない状態の俺にも、その順番が回ってきた。
席を立ち、差し障りのない感謝の言葉を言おうと口を開けた瞬間、ここにいる全員の視線を受け、なぜだか急に涙が込み上げてきた。
球場では必死にこらえていたが、もう止められなかった。
言葉ではなく、嗚咽とともにこらえていたものが全て溢れでた。
ひとしきりぶざまに泣いた後、何とか口を開き、
「すみませんでした・・」
と、差し障りのない感謝の言葉は忘れ、俺は本心を一言だけ発してお辞儀をし、そのまま俯きながら静かに席に座った。
涙で濡れた顔を両手で拭いながら上げると、同じく涙をこらえていたチームメイトもほとんどが泣いていた。父兄やOBももらい泣きしたのか、すすり泣く音が会場の教室に静かに響き渡った・・
*****
野球部員として全ての行事を終えた頃には、太陽もその日の仕事を終えたように優しい茜色になり、ほどなくして沈んだ。
(真美はどこに行ったんだろう?)
慰労会の後から姿を見ていない。
いいところ見せるどころか、これまで生きてきた中のワーストを独占するような最悪なシーンのオンパレードだったな・・
試合で俺の打席が終わった後、俺は守備につくことなく交代を告げられ、たまたま真美の近くでベンチに座っていたが、一度も言葉は交わさず、目を合わすこともなかった。
俺は誰よりも真美の失望した顔を見るのが怖くて意識的に視線を避けていた。
・・・・・
すっかり空の主役が月と星に変わって、相変わらず雲一つないその空はとても綺麗だった。
そのくらいの時間になると、みんな笑顔を取り戻し、最後の部室で荷物の整理をしながら、大学受験や入ったばかりの夏休みの話など、これから先の話をしていた。
そして、つい何時間か前に俺が泣きじゃくった話も笑い話に変わっていた。
「みんな我慢してんのに司がアホほど泣くから、みんな泣いちまったじゃねーかよー」
とチームメイトの一人が言い、みんなそれに乗っかって笑いながら自分が泣いたのを俺のせいにした。
俺は「ワリィ、ワリィ」とかゆくもない坊主頭をかきながら謝り
「今度ジュースおごるから」と続けた。
俺はみんな行くと言った海に行く約束と、そこでジュースをおごる約束を早速させられて、部室を出た。
そしていつもの帰る方向が同じ自転車通学のメンバーで帰りの自転車をこいでいた。
別れ道が近くなり、みんなまだ独りになりたくないのか、誰からともなくカラオケに行こうという話になった。
暗黙の了解でバラード禁止のカラオケ大会となり、俺は当時好きだったロックバンド[BOOWY]の[B.BLUE]という曲を熱唱した。
on the wing
with broken heat
やぶれた翼で
もう一度翔ぶのさ
そして心の中で、こう叫んでいた。
誰か泣いたことより、空振りしたことを責めてくれ!
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