9話 覚えるものは覚えないと

 さて。

 私とナジャがグランデリアのお屋敷に落ち着いて数日。行儀作法や、様々な資料のお勉強が始まっていた。

 まあ、お行儀についてはエンドリュースの家でそれなりに身に着けているので、少々厳しくなっただけのグランデリアのお作法にもすぐに慣れたわね。

 ちょっと大変なのは、例えば王侯貴族の方々の特徴を覚えなければならないこと。グランデリアは公爵家、高位の方々とのおつきあいも増える。その方々のことをきちんと覚えておかなければ、恥をかくのはアルセイム様ですものね。


「今の旦那様は、失礼ながら少々物覚えが悪うございまして。若様の方が、よく覚えていらっしゃいますのう」

「アルセイム様は、先代閣下のご子息としてグランデリアのお家を継ごうとしてらっしゃいましたもの。当然ですわ」


 私にそう言った知識を教えてくれているのは、グランデリアに長く仕えている執事のブランド。先代、つまりアルセイム様のお父上の代からこういった知識を管理しているそう。白に近くなった灰色の髪と同じ色の髭に、積み重ねた年月が見て取れるわね。

 それにしても、執事なのだから主であるクロード様についていなくていいのかしら。それを尋ねてみたんだけど。


「旦那様は自分に昔から仕えていた者を連れてきておりますでな。公式の場に出る折なぞはわたくしめが同行いたしますが、屋敷の中ではほぼそちらに任せております」


 無論、その者たちの仕事にもきちんと目は通しておりますよ、と濃い灰色の目を細めながらブランドはそう答えてくれた。なるほどね、いくら何でもこのお屋敷を1人で見ているわけではないものね。

 それにしても、クロード様。事情はどうあれグランデリア公爵の地位にあるのだから、交流を持つ相手のことくらいはしっかりと覚えていただきたいものだけれど。


「旦那様はもともと、お家の外に出ていらっしゃいましたから。若様の成人までということで呼び戻されましたから、致し方のないことでございます」

「面倒ですわね」


 先代閣下が亡くなられたとき、アルセイム様は16歳だった。この国では18歳で成人と決められており、その前に爵位を継ぐことは……後見人がいれば大丈夫、ではなかったかしら。うろ覚え、ですけれど。


「成人までほんの2年ほどでしたから、今の閣下に後見としてついていただくだけでも良かったのでは」

「奥方様が臥せられまして、若様はそちらのほうが心配でならなかったようです。家中もいろいろとごたごたがございまして、若様やまして私の手にも余るものでございました」

「そうだったんですか」


 ……何やら、面倒があったらしい。この場合の『家中のごたごた』というのはつまり、グランデリア公爵の後継者関連と見て間違いないだろう。

 クロード様初め、アルセイム様の次にその地位に近い人はそれなりにいる。ジェシカ様にもご兄弟はおられたはずだし、それ以外にも縁戚関係にある者は少なくはないはず。その中で、先代閣下の弟君であるクロード様に跡を継いでもらって一応落ち着いた、のでしょう。

 そうして、アルセイム様は今年成人を迎えられて、私を妻に迎え正式に公爵位を継ぐ準備に入られた、ということね。……クロード様、それで納得なさるのかしら?


「……申し訳ありません、口が滑りました」


 なんてことを考えながら首をひねっていると、ブランドが少し困ったような顔をして頭を下げた。あら、滑ったようには思えなかったけれど。


「口止めされているのですか」

「申し訳ありません」

「……分かりました」


 そのあたりの事情を、私には聞かせないようにしているつもりだったようね。アルセイム様、そういったお気遣いは要らないのに。

 口止めされているのであれば、もう彼はこの話をうっかり口にすることはないだろう。使用人というのは、そういう存在であるからだ。……ナジャは例外中の例外よ。そもそも彼女を本来、人間の範疇でくくってはいけないもの。


 それにしても、面倒だわ。何となく、このお屋敷の何処かに見えない敵がいるというのは分かる。空気が、そう言っているわ。それなのに、見えないのよね。

 目に見えて、殴れる敵であれば、私に敵はない。龍神様のご加護を頂いたメイスを振るって、私とアルセイム様の敵を吹っ飛ばすことなど造作もないわ。

 ……ああ、気分が悪いわね。


「主様あ!」

「ひゃっ」


 突然、ナジャが飛び込んできた。そう言えば、お部屋の掃除や荷物の片付けをしていたはずよね。何かあったのかしら。


「どうしたの?」

「えーと、ご近所のスリーク伯爵様でしたか、が突然ご挨拶に参られましたあ!」

「スリーク伯爵……ああ」


 ナジャが教えてくれた名前を、ついさっき私は資料で見ている。彼女の言った通り、領地がすぐ近くにあるスリーク伯爵家。確か先代閣下の、腹違いの妹君が輿入れした先でしたっけ。一応王家の縁戚でもあったようですけれど。

 もしかして、これは。


「ブランド」

「ご当主自身がグランデリアの跡を継ぐ、と面倒事を持ち込まれたお一人でございます」


 しれっとした顔でブランドは、教えてくれた。さすがに当人が押しかけてきたのなら、言わないわけにもいかないってことよね。

 それなら。


「ありがとう。ナジャ、ご挨拶に参りましょう」

「はーい」


 まずは、きっちりご挨拶をしておかねばいけません。アルセイム様の隣に立ち、大切な方を守るためにもね。

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