episode1 借金と尾行は計画的に
借金である。
まだ記憶も戻っていない、自分の状況もよく分っていない状況でエメラインは借金を背負うことになってしまった。事の起こりは昨日…。
「防具ですよ、防具」
アルは当然、といった顔でエメラインに言った。
「だってあなた、防具何もつけてないじゃないですか。防具を着けないで私を護衛できるんですか?」
ここは炭鉱の村の近隣にある、通称「鉄の村」。炭鉱の村で採掘された鉱石を鉄に加工する
前日酒場の2階に泊めてもらったエメラインは、翌日アルと共にこの村にやってきた。
まだ『護衛』の内容について詳しく聞かされていないのだが、彼女の装備に不安を覚えたアルが「せっかく鍛冶の村に来たんだから装備を調えろ」とうるさいくらいなのだ。しかしエメラインが皮製品の胸当てや小手を選ぼうとすると、
「ここまできて皮ですか。ここは鉄の村なんですよ」
ときた。鉄製品は決して安くはない。彼女のポケットに入っていた金貨も多くはないのだ。
結局なるべく値段を抑えた鉄製品の胸当てと皮の小手を買うことになった。胸当てが45,000ゴールドで、小手が2,000ゴールド。彼女の手持ちは3,000ゴールド。胸当てだけが突出した金額になってしまったが、アルに言わせると『安物買いの銭失い』なのだそうだ。
この村で売っている胸当ては、200,000ゴールドくらい出せばそこそこの品質でデザインもオシャレなものが買える。しかし今の彼女にそこまでの余裕なんてあるはずもなく。そして、この45,000ゴールドという値段の胸当てを、払えるはずもない金額で買えたわけというのが……
「ということで、毎回報酬から5,000ゴールド差し引かせていただきますから」
当然のことだが、アルが代わりに支払った。
彼が店の前で高級そうな財布を出したのを見たとき、エメラインは(あ、この人お金持ちだ……)と思った。それと同時に彼女は、人の買うものに口出しするなら買ってくれればいいのに、なんてケチなんだ、とも思っていた。
***
アルとの旅は1日目にして問題だらけだ。
夕方、そろそろ明日に備えて寝る場所を探そうということになり、アルが見つけた宿が…
「はあ?」
エメラインは宿の前で立ち尽くしてしまった。どう見ても古い宿。そこまで酷いわけじゃないから文句も言えないけど、見た感じ決して高くはない宿だ。彼女は無言でアルを盗み見ると、特に不満もなさそうである。むしろ当然といった感じだ。
さっきの財布を見る限り、彼は貧乏ではない。45,000ゴールドの胸当てをさっと買ったり、200,000ゴールドの製品が普通、なんて言ってのけたりする。その彼が、なぜこの宿を選ぶのだ。別に高級宿にしろとは言わない。だいたい着ているタキシードも旅芸人の衣装にしては高級そうだ。管理だって大変だろう。安宿に泊まって汚れたらどうするつもりなんだろうか。
ごちゃごちゃ考えていると、アルはさっさと宿を取ってしまった。
「さ、あなたも疲れたでしょう、今日のところは休みましょうか」
アルが宿の階段を上った。
きしむ階段。
そしてたどり着いたのは、一つの扉。
「えっ……部屋、別々じゃないの?」
「ええ。一つしか取れなかったんですよ、まぁよくあることですから今回は我慢してください」
部屋の中は6畳程度の広さにセミダブルのベッドがひとつあり、机と椅子、そして木の床に水の入ったたらいとタオルが置いてあった。トイレは外で共同、風呂はない。どう考えてもひとり用の部屋だ。
とりあえずエメラインは手荷物を床に置いた。アルはジャケットを壁のハンガーに掛けてネクタイを緩めている。
「ふう、お疲れ様でした。一休みしたら食事に行きましょうか」
「はぁ…」
ベッドに腰をかけてリラックスしているアルの笑顔がまぶしい。……借金がなければ。
エメラインは椅子に腰をかけ、さっきから気になっていることを聞けずにいた。言おうか迷っていると、アルが先に口を開いた。
「その剣、美しいですね」
エメラインの剣は机に立てかけてあった。
「さぁ……? 綺麗……なのかな。私にはわかんないわ。どうしてそう思うの?」
「普通の剣とは違うオーラがありますね。何か、秘めたパワーがあるのかもしれません」
「そう……」
「興味なさげですね。記憶がないと言いますけど、剣術はどうなんですか?」
「なんでそれを今聞くのよ。私を雇ったときに確認してよね」
「いやあわかりませんか? ノリですよ、ノリ」
「……」
「早くその剣を抜いたところを見てみたいものです」
アルは楽しそうに勝手にしゃべっている。いい気なものだ。
結局エメラインは何も言い出せず、外に食事に出ることになった。驚いたことに、アルは再びあのタキシードをきっちりと着直したのである。
「前から思ってたんだけど、その、似合うよ? けどその格好、窮屈じゃない?」
「これは僕のお気に入りなんですよ」
そう言うとアルはエール酒に口を付け、のどを鳴らして美味しそうに飲む。つまみは鶏のトマト煮込みだ。エメラインは酒場おすすめの特製ミネストローネとかりかりに焼いたバゲット。トマトの良い匂いが店中に漂っている。どうやらこの店の料理はトマトがメインのようだ。というか、この町の特産品がトマトらしい。一歩外を出ると露店や市場はトマトだらけだ。
「けど管理とか……第一、シャツとかどうするの? 白いとすぐ汚れちゃうでしょ?」
「僕は汗なんかかきませんよ」
エメラインは冷めた目でアルを見ながら(嘘をつくな嘘を!)と思った。
「ふーん。アルって人間じゃないんだ?」
一瞬目を丸くしたアルだったが、声を出して笑い出した。
「あっはっは、面白いことを言いますね。汗をかかない人間がいると言ったらどうします?」
「いるわけないじゃない」
「どうでしょうね……? それに、あなた私の外見にばかり意見しますけど、自分はどうなんです? せっかく綺麗な金髪をお持ちなのによくこんなみすぼらしい格好できますね」
「失礼ね!」
「あ、怒った」
アルはにやりと笑ってフォークとナイフを手早く動かし、鶏のトマト煮込みを口に運んだ。アルに習い、エメラインもぷりぷりしながらスプーンでミネストローネを口に運ぶ。
たしかに彼女はあまり良い格好とは言えない。黒のニットの上着とシンプルなパンツにロングブーツだ。それぞれそんなに高いものでもない。
「ところで護衛ってどんな仕事なの?」
「詳しくは明日、わかりますよ。腕試しにちょうど良いと思います」
「……? 私はあなたを護衛すればいいのよね? なにか仕事があるの?」
彼女が食事に集中するアルをのぞき込んでいると、不意に背中をとんとんと叩かれた。振り向くと、口ひげを蓄えた中年男がにこやかに笑っている。
「お嬢さんそこの彼氏と付き合ってるの? よかったら私たちとお酒を一緒に飲みませんか?」
「え、いやそういうわけじゃないけどあの……」
事情を説明するちょうど良い言葉が思いつかず、エメラインは一瞬口ごもってしまった。すると中年男は前のめりになって彼女に迫ってくる。顔が少々赤い。男は酔っているようだ。
「私はそこのテーブルで友人と飲んでるんですよ! こっちに来ませんか!」
ちらりと中年男が指さす方向を見ると、同じような男達が円卓を囲んで楽しそうに酒を飲みながら、チラチラとこちらを見ている。
店に入ったときにそれほどでもなかった客の入りは今最高潮になっているようで、店内は客でごった返していた。店員の元気の良い声と客の談笑の声ががやがやと場の雰囲気をいっそう盛り立てている。
そんな空気もあってか、彼女はなんとなくきっぱりと断るようなマネができず、曖昧に濁しているうちに中年男に腕を捕まれた。その瞬間、
「彼女は僕の妻ですがなにか?」
黙って食事していたはずのアルが、中年男を見もせずにそう言ったのだ。
『妻』という言葉が効いたのか、中年男は「ああ、そうだったんですか、ではまた……」と、頭に手を当てて引け腰に、仲間のいるテーブルへ逃げ帰っていった。
***
店を出てからしばらくアルもエメラインも無言だった。
辺りはすっかり暗くなり、気のせいか人影も少ない。ついついエメラインはアルの様子をチラチラうかがってしまう。
(妻……ねぇ。まさかあんなこと言うとは思わなかった)
エメラインの胸がドキドキしていた。ふと、これから帰る宿のことを思い出す。ベッドはひとつ……まさかこの男は私を本気で……? まだ初日なのに……? そんなことを考えて赤くなったり青くなったりひとりで混乱していると、彼らの後ろに50メートルほど離れた路地から急に大きな炎が上がり、悲鳴が聞こえて振り返った。暗いはずの夜道が炎の光で明るくなっている。近隣の家々から住人が出てきて騒ぎになり始めた。
「アル、大変よ! アル!」
「行きますよ」
「だってほら見て! 火事よ!」
「いいから来てください」
「消火を手伝ってくるわ!」
「やめてください。燃やしたのは僕なんですよ」
エメラインは真顔のアルと路地の炎を代わる代わる見ていた。状況がよく飲み込めない。
「え……? だって私ずっと一緒にいたじゃない。火を付けているところなんて……」
「鈍いですねぇ、魔法ですよ。炎の魔法で追っ手を焼きました」
「追っ手……?」
アルは再び宿に向かって歩き始めた。火事に後ろ髪を引かれつつ、エメラインも彼の後を歩き出す。突然の事実に、かなり動揺していた。
「あ、あ、あなた、魔法使いなの……?」
「あれ、言いませんでしたっけ?」
「初耳よ!」
「まぁあんまり人に言うとろくな事が無いので、普段から言わない癖があるんですよね。それは悪かったと思います。それより、あの追っ手は知り合いだったんですか?」
「追っ手って誰よ」
「さっき絡んできた酔っ払い連中ですよ。酒場のなかではさすがに人に聞かれるので言いませんでしたが、彼らのあれはナンパじゃないです。見覚えはないんですか?」
「さぁ……」
エメラインは陽気に話しかけてきた中年の男達を思い浮かべていた。彼らが追っ手……しかも、エメラインの。何のために?
「……記憶がないんでしたね。男達は複数いましたし、しかも屈強。戦い慣れた感じでしたね。だから変に絡むより黙ってこちらから攻撃を仕掛けた方が得だと判断しまして。ずっと黙っていて申し訳ありません、長い呪文だったので……」
「……呪文唱えてるようには見えなかったけど」
「口の中で唱えてたんですよ。結構集中するから疲れるんですこれでも。とにかく、あなたが喪失した記憶にはなにか重大なものが含まれているようですね。身辺には気を付けてくださいよ」
まだ誰かに追われてるような怖さを肌に感じながら、エメラインはアルの後に付いて宿の部屋に戻ってきた。部屋に入ると、窓から入る月明かりが机に立てかけてある剣を照らし出し、怪しく光ってなにかをアピールをしているように感じた。
(もしかして、追っ手の目的は私の持っている剣……)
ふとそんな予感めいたことを考えていると、アルはさっさと上着をハンガーに掛け始めた。
「もう休みますよ。そうとわかったら明日は早めに動きますから。あなたの追っ手に私の仕事を邪魔されたくありませんしね」
「えっあっ、えっとその……」
アルは慌てているエメラインを苛立たしそうに見た。
「まったく! あなたがもっと毅然としてくれないと追っ手も撃退できないんですよ! なんですかさっきの酒場での狼狽ぶりは!」
「いやその、そうじゃなくて……」
「あっ……」
ネクタイを外してスラックスを脱ごうとボタンに手をかけたとき、アルはエメラインが言おうとしていることにようやく気づいた。横を向いたエメラインの顔は明らかに困っている。
「だからその、私はどこで寝れば……?」
アルは口元をひくつかせながら腕を組んだ。
「……そうでした。いつも雇う護衛は男が多いものですから考えなしでしたね……。仕方ないですから、」
気づいてもらえてホッとしていたが、次の瞬間エメラインの顔は蒼白になった。アルは腰に手を当ててため息一つ付くと笑いながら、
「一緒に寝ましょうか」
と、言ったのである。
「な……ななな、何考えてるのよ!!!」
「ベッドが一つしかないんじゃ他にどうしようもないじゃないですか。宿の毛布を借りても僕はこの硬い床の上には寝ませんよ」
非常識なことを平然と言うアルに、エメラインは頭痛がした。
「そ、そうかもしれないけど……でも私はこれでも年頃の女なのよ!? お、男と一緒のベッドに寝れるわけないでしょう!?」
「そんなこと言ったって、僕がベッドに寝てあなたを床に寝かせたら、なんだか僕がとんでもないろくでなしみたいじゃないですか」
エメラインは頭を抱えた。さっき酒場で中年男から庇ってくれたとき『僕の妻』などと言われて一瞬でもときめいた自分が本当に馬鹿みたいに思えてくる。どうしたらこんな人間が出来上がるのか。
「あーもうわかったわよ! ちょっと宿の主人に言って馬小屋にでも泊めてもらうから。それでいいでしょう?」
「僕がそんなに信用ならないんですか?」
エメラインの発言にちょっと怒ったのか、不満そうな顔のアルが出て行こうとする彼女の手首をつかんだ。手首をつかまれて振り向くと、アルは笑顔で言った。
「あなたが奥の窓側に寝てくださいね。僕は人を
彼の強引さに毒気を抜かれたエメラインは、ため息をついた。
「次からはちゃんと部屋をふたつ取ってよね。着替えるからあっち向いてくれる?」
「お安いご用です。……あ、ちょっと待ってください」
「なによまだ何かあるの?」
「今回は特例ですが、次回から部屋代は各自持ちですよ」
エメラインは再び頭痛がするのを感じた。
(こんなんでやっていけるのかしら……)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます