エメラインの剣

西湖 鳴

序章

 気がつくと、酒場のカウンターに突っ伏して寝ていた。


 それ以前のことを思い出そうとすると、ズキンと頭痛がする。あたりを見渡すと、まだ外は明るい。どうやら夕方のようだ。マスターは奥のキッチンでディナーの仕込みをしているのか、シチューの香りだけを漂わせて姿は見えない。

 エメラインは座っていたスツールからのろのろと降りると、頭をかき、自分はなんでここで寝ていたんだろうと再び考えていた。一歩踏み出そうと右足を出した時、彼女は自分の腰になにかぶら下がっていることに気がついた。

 ……剣だ。

 それはエメラインの足首くらいまである長い剣だった。でも刀身は細く厚みもほどほど。重さもそれほどでもない。今まで腰にぶら下げていることに気づかなかったくらいだ。

 なぜそんなものを持っているのかしばらく考えていると、キッチンからひげもじゃの屈強な男が出てきた。

「目が覚めたか?」

 エメラインはコクンと頷いた。男はてきぱきとした仕草でカウンター越しに少々濁った水を差しだす。

「悪いな、しばらく雨が続いたから濁りがとれないんだ、それで我慢してくれ」

「あの…私なんでここに…」

 言いかけると、マスターは言葉を続けた。

「なんであんなにずぶ濡れになってまで逃げていたのかは聞かないよ。よっぽどの事情があったんだろうからな。それ飲んだらとりあえず落ち着いて行く先を考えるといい。坑夫たちが飲みに来るまでにはまだ少し時間がある」

「坑夫…?」

「ここは鉄鋼石の採掘を生業とする村だ」


 そう、ここは鉱山の麓にある村の酒場。屈強で土と泥にまみれた男達が豪快に酒を飲む場所なのだ。こんなところに細身の女が一人でいても目立つだけだろう。それだけではない。野蛮な男達に目を付けられたらその身も決して安全とは言えないのだ。

 酒場のマスターはそこまで心配して早くこの場を去るように促していた。しかし…

「あの、私覚えてないんです」

「ん?」

「だから、どうしてここにいるのか、その前の記憶が…」

「はあ?」

「その…どうしたら、いいんでしょうか…?」

 マスターは困惑した様子でエメラインを見ていた。

「何にも覚えてないのか? 名前も?自分が何者なのかとか、出身とか」

「名前はわかります。けどそれ以上は…」

 二人は沈黙してしまった。数秒たったのち、マスターはため息をついて皿を磨き始めた。

「お前さんは早朝に坑夫たちが朝飯を食って鉱山に向かった後、ふらっとやってきてここで酒を飲んだんだよ。そしてそのまま寝ちまった」

「……」

 エメラインの目には、せっせと皿を片付けるマスターの男が不機嫌そうに見えた。

「なんか疲れてる様子だったぜ、あんた。なにかに追われてるって感じで逃げてきたように」

 エメラインはこの男に助けを求めたかった。

 記憶喪失状態でもうすぐやってくるであろう荒々しい男達と同じ空間にいる勇気は無い。だけど、ここを出た後、どこへ向かえばいいのかすらわからないのだ。

 でも…この雰囲気。おそらくこの男は彼女に救いの手をさしのべるつもりはない。皿洗いでもウエイトレスでもなんでもやるから何日かいさせてもらえないか…のどまで出かかった言葉を飲み込んでしまった。

 とりあえずこの店を出てみよう、なんて考えないでもないが、なぜか外へ出るのは躊躇われた。無くしたはずの記憶が、そうさせるのか……。

「行き場がないなら、僕が雇ってあげましょうか」

 うつむいて考え込んでいると、不意にそんな声がした。声の主は奥にある薄暗い客席にひとり座っている男。自分以外にも人がいたことに驚きながらも、エメラインは奥のテーブルに目を凝らせた。


 空はじわじわと夕闇に支配されつつある。もうすぐ坑夫達がやってくるだろう。薄暗いテーブル席の壁にあるランプが、男の顔に陰を作りカウンターからは見えない。

「どうしたんですか?」

 わざとなのか、男は席を立つこともなく座っている。その声は落ち着いているがしゃべり方は決して優しくはない。警戒しながらゆっくり近づくと、薄闇からその姿が露わになった。

「…誰なの?」

「僕ですか? 僕は名も無いただの吟遊詩人ですよ」

 男はそう言うとにこりと微笑んだ。

 見た目は誠実そうな、優しそうな外見をした男だった。背は高いが細身で、炭鉱の酒場に似合わないパリッとしたタキシードを着こなし、濃茶の髪も整えて、軽薄な印象は一切受けない。でもエメラインを見る彼の目からはとても挑戦的な何かを感じた。

「そいつは旅芸人だ。ここで日銭を稼ぐようなケチな男だぞ。気にすんな」

 不意に大きな声でマスターは言った。男は心底つまらないといった顔でマスターをにらむ。

「旅芸人…?」

 問いかけるエメラインを無視して、旅芸人の男は立ち上がった。

「マスター! なんで言っちゃうんですか。せっかく面白くなりそうだったんですけどねぇ」

「あいにく詐欺は見過ごせないタチでね。バニーガールでもやらせるつもりだったのか?」

 腰に手を当てて呆れたように男を見るマスターに、男はにやりと笑ってエメラインを見た。

「まさか。ま、助手には違いないですけどね」

 彼女が困っているのをわかってて利用している男にエメラインはイライラした。

「ちょっと、あんたいい加減にしなさいよ。もういいわよ、ここを出ればいいんでしょ。なんだか私ここに居ちゃまずいみたいだし…」

「やれやれ短気なお嬢さんですねぇ…ちょっと待ってください」

 嫌になって出て行こうとする彼女を男は冷静に引き留めた。

「なんですか? 旅芸人さん」

 皮肉交じりに返事をすると、男はまいったな、といった顔で頭をかいた。

「雇いたいというのは本当ですよ。僕はアルフレッド。アルと呼んでください」

「私は…エメライン」

「エメラインさん、雇って良いんですね?」

 あくまでもまじめな顔で彼女を見るアルに、エメラインは気圧され気味だ。

「な、何をすれば良いのよ」

 内心エメラインは、(芸人…やっぱりバニーガールだったらどうしよう)と考えていた。しかしその答えは予想に反したものだった。

「僕の護衛ですよ。その腰の剣は飾りじゃないですよね?」




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