第三幕


 第三幕



 ボール紙で出来た外箱を開けると、中から現れたのは外箱の半分程度の大きさのビニールパック一つと、真空パックされたポリ袋が四つに、紙パックが一つ。それらの中からまずはビニールパックを開き、中から二重構造のポリ樹脂製のカップと、そのカップよりも一回り小さな真空パックを取り出す。そしてカップの内側に真空パックの中身のフリーズドライされた食材とたっぷりの水を入れ、カップの内側と外側の間にある狭い隙間にも、蓋付きの注ぎ口から少量の水を注ぐ。するとカップの隙間の中で発熱剤が水と反応し、見る見るうちにフリーズドライされていた食材が温まって、食欲をそそる香りを周囲に漂わせ始めた。

 そして待つ事三分で出来上がったのが、インゲン豆とジャガイモとブロッコリー、それに角切りにされたベーコンの塊がゴロゴロと入った、チリコンカン風のスープ。とは言ってもスープの中に具が浮いているのか、具の隙間にスープが浮いているのかが分からないほどの具沢山な代物で、かなりの食いでがありそうなボリュームに見える。そして一口食べてみると味はトマトソースがベースで、それに塩胡椒と少量のニンニクと唐辛子が入っており、ややピリ辛の味付けだった。

 この具沢山のスープを、真空パックのポリ袋から取り出した、腐敗を防止するために水分が完全に抜かれた無塩クラッカーと一緒に食べる。更にスープの味に飽きた時には、真空パックをもう一つ開けて、常温のローストチキンを齧れば良い。そして残った二つの真空パックには、食後のデザートとしてドライフルーツがたっぷりと、ナッツ入りの巨大なチョコレートバーが待ち構えていた。

 今朝から何も食べていなかったタツキは、デザートを少しだけ残した以外には、その全てを食べ切った。だがハッキリ言ってこの戦闘糧食MREと言うヤツは、一食分にしては冗談かと思う程の量である。そして何よりもその摂取される総カロリー値はとんでもなく高く、たった一食分でも、成人男子が必要とする一日分を充分に補えてしまうのではないだろうかと思う程の脂質と糖質の塊である事は想像に難くない。勿論それだけ、最前線の兵士の疲労が凄まじいと言う事なのだろう。だが痩せっぽちな小食の日本人であるタツキにとっては、この量なら一日に二食か、なんなら一食でも充分に思えた。

 また蛇足だが、彼が一つだけ気になったのが、これらは水が充分に供給されている環境下での摂取を前提にしている事である。そのため砂漠での長期行軍には向かないのかもしれないと、タツキは素朴な感想を抱いた。食事はたとえ一日や二日くらい抜いたところでどうとでもなるが、水ばかりは丸一日飲まなかっただけでも、砂漠では命取りだ。無駄遣いは控えたい。

 ちなみに最後に残った紙パックの中身は、世界中のどこにでも売っている、普通のオレンジジュースである。

「ふう」

 一食分の戦闘糧食MREを食べ終えたタツキは、一息つくと、パンパンに膨らんだ腹をさすりながらオレンジジュースの残りを飲み干して人心地付いた。今現在の彼は、歩行戦車のコクピットの外に出て、その鋼鉄の巨体が作り出す日陰の中で遅い昼食を摂り終えたばかりである。

 タツキは別に閉所恐怖症ではなかったが、それでも狭いコクピットの中に閉じ篭っていると次第次第に陰鬱な気持ちになって来るので、食事の時間くらいは広い戸外に出て晴れ晴れとした気持ちで摂食行動に勤しみたかったのだ。それに自分達が置かれた地理的状況を、肉眼で確認してみたかったと言う意図もある。

 しかしコクピットの外に出てみたところで、周囲はやはり見渡す限り赤茶けた岩と砂ばかりの、代わり映えのしない砂漠地帯。今現在、タツキと彼の歩行戦車が休息を取っているのが少し小高い丘の上であるにもかかわらず、地平線の先にもまだ、目的地である北の街道は見えては来なかった。

「もう一度確認するけどさ、僕達が進んでいる方向は、間違ってはいないんだよね? それとそもそも、目的地がどこなのかもさ」

 戦闘糧食MREに付属していた使い捨ての歯ブラシと一回分の練り歯磨き粉で歯を磨き終えたタツキが問い、それに対して歩行戦車のAIが、外部スピーカーから答える。

「はい。GPS機能の破損により、当機の正確な位置は依然として判然としませんが、方角に関しては、問題無く目的地へと近付いている事を保障いたします。また、ドローンからの情報を現在解析中ですので、少々お待ちください」

 そう言い終えた歩行戦車の本体の頂上部からは、一本のケーブルが伸びていた。

 軽量だが頑強なカーボン繊維でコーティングされたそのケーブルは、歩行戦車の頂上部から上空へと一直線に伸び、その先端は遥か霞みの彼方に消えて肉眼では確認出来ない。しかしタツキが見守っていると、次第にその先端部に接続された何物かが下降を始め、その姿を露にする。やがてケーブルを完全に巻き取られて歩行戦車の頂上部にゆっくりと着陸したのは、小型の有線式無人偵察用ドローンだった。

 上空から敵の配置や詳細な地形を確認する目的で、このタイプのドローンは、新自連の歩行戦車には標準搭載されている。また敵のジャミング下や無線傍受下でも問題無く活動出来るように、有線式が採用されていた。そして本体内にドローンを格納した歩行戦車のAIは、改めて報告を再開する。

「ドローンによって周辺一帯の地形を三次元スキャンしたデータを、私のHDD内にプリインストールされたカザフスタンの地形データと照合し、現在地の特定を試みました。しかし残念ながら、私が所有するデータは市街地とそれを繋ぐ街道に関しては非常に詳細なのですが、如何せんこのような無人の砂漠地帯のデータは仔細を欠き、現在地の確定的な特定には至りませんでした。それでもいくつかの候補を比較してみましたところ、ここはウラル川の西に位置する砂漠地帯で、北の街道までは最短で約六十㎞、最長では約百五十㎞程度と考えられます。またウクライナとの国境を直接目指した場合には、最短で西に約百六十㎞、最長で約三百二十㎞程度でしょう。おそらく私がこの地に作戦行動を執るべく送り込まれた際には、より仔細な地形データをインストールされた筈なのですが、なにぶんそれらのデータは消去されてしまい、私の有するデータは五十九日前にアップデートされた状態に戻ってしまっております。ですので残念ながら、これ以上正確な現在地の特定は出来ませんでした」

「つまりは照合するデータが不足しているから、周囲を偵察しただけじゃ、ここがどこだか分からなかったって事でしょ?」

 よく喋るAIだなと思いながら、タツキが要約した。

「そうです。その上で再度確認させていただきますが、カザフスタン共和国政府が現在、新生ソヴィエト連邦の勢力下にあると言う情報に間違いはありませんね、タツキ?」

 歩行戦車が問い、タツキは答える。

「それは、間違い無いよ。少なくとも昨日の今日で、いきなり情勢が変わっていなければね。それにバイコヌールも接収されたって、確か父さんが言ってたし」

「そうですか。バイコヌールの宇宙港も、現在では新生ソヴィエト連邦の支配下にあるのですね。するとやはり、新自由主義国家連合軍の防衛ラインが、私が認知しているデータよりも大幅に後退している事は間違い無いでしょう。おそらくはウクライナとの国境線か、それに近いラインにまで、前線は移動している筈です。また同時に、カザフスタン共和国内に設営されていた各所の基地や施設は破壊されたか、これらも接収されたと考えるのが妥当かと思われます。これらの情報から総合的に判断して、我々がこれからどこを目的地とするのかを、改めて決定する必要があるでしょう」

「それはつまり、どう言う事?」

 今度は、タツキが問う番だった。

「つまりはですね、タツキ。これまではあなたに忠告した輸送機の軍人の助言に基き、北の街道を目指してここまで来ました。しかし現在最良とされる選択肢としてはもう一つ、ここから西へと進み、隣国ウクライナとの国境線を直接目指すルートも考えられると言う事です。確かに北の街道を目指せば、おそらくは西進するルートよりも早く、何らかの公的機関に遭遇する事によって、あなたの身柄を引き渡す事が可能でしょう。しかしその場合はタツキ、あなたにどのような処遇がもたらされるのかの保障が、今一つ曖昧です。最悪の場合はウクライナへの移送ではなく、アスタナに送還されて、長期間拘留される事も考えられます。逆にウクライナとの国境線を目指し、国境に近い地点で公的機関に身柄を引き渡した場合の方が、ウクライナに入国出来る可能性が高まる事も考えられます。ただしその場合は、より最前線に近い関係から、戦火に巻き込まれる可能性もまた高まりますが」

「なるほどね。要するにさ、北に行って早めに新ソ連軍に保護されるのと、西の国境まで進んで新ソ連軍に保護されて国境を越えられる可能性を高めるのと、どっちの方がより良いかって事でしょ?」

 ペットボトルの水をグビリと一口飲み下してから、タツキは問うた。

「そうです。どちらにせよ残念ながら、あなたの身柄を新生ソヴィエト連邦の公的機関に引き渡した後の私は、戦利品として鹵獲される事となるでしょう。しかし今はタツキ、あなたを安全に新自由主義国家連合の勢力圏に送り届ける事が、私に課せられた最優先事項ですので、それは考慮する必要はありません。それとこれはあまり推奨出来る提言ではありませんが、ウクライナとの国境線付近が混戦状態だった場合には、どさくさに紛れる形で、あなたの身柄を直接新自由主義国家連合の公的機関に引き渡す事が出来るかもしれません。勿論その場合には、あなたの命を危険に晒す可能性も高まるために、あくまでも選択肢の一つとして心に留めるだけにしておいてください」

「嫌な選択肢だね。……成功した場合には、万々歳なんだろうけどさ」

「そうです。あなたは直接ウクライナに脱出出来ますし、私も即時戦線復帰が可能な案です。勿論、それ相応のリスクを負う事となりますが」

「それでさ、僕達はこれからその三つの内の、どの案で行くのかな?」

 タツキがコンコンと、歩行戦車の頑強な装甲に包まれた脚の一本を拳で叩きながら問うと、AIは返答する。

「どの案を採択するかの決定権は、タツキ、あなたにあります。私はあくまでもAIに過ぎず、意見具申する権限は認められていても、最終的な決定権は常に人間に委ねる事が義務付けられています。そして今ここでそれを行なえる人間は、残念ながらタツキ、あなたしか存在しません。熟慮の上、ご判断を願います。勿論判断に必要な情報とアドバイスは、可能な限り提供する事を、お約束いたします」

「ええ? いや、だってそんな。僕はこの土地についても、戦争の事についても何も知らない、只の民間人だよ? それにまだ十八歳の子供なんだから、そんな事をいきなり決めろって言われたって、どうする事も出来ないよ」

 突如として全権を委ねられて、タツキは狼狽した。しかしそんな彼を他所に、歩行戦車のAIは淡々と応える。

「そうは言われましても、残念ながら機械である私には決定権がありませんので、あなたの判断に任せるしかありません。それにタツキ、あなたが十八歳の子供でしたら、私はまだ製造出荷されてから百四十二日しか経過していない赤ん坊です。それに、ご安心ください。あなたの決定に対して、私は一切の不平不満を訴えずに、全力でサポートする事を保障いたします」

「そんな……。いや、ホントにそんな事をいきなり言われたって、僕は一体どうしたらいいのさ……」

 これまでの人生の、全ての決定権を他人に委ねる事によって、責任を回避する生き方を選んで来たタツキ。彼には、突然の、それも命をも左右しかねない重要な選択に決定を下すだけの勇気は無かった。十歳の時に両親が離婚した時も、十三歳の時に父親が突然カザフスタンに移住すると言い出した時も、只々周囲の大人の言う事に盲目的に従う事によって、自己保身を図って生きて来たのが今のタツキなのだ。そんな彼に出来る事と言えば、返答を先延ばしにして、逃げ道を探す事しか無い。

「ちょっと待って……。ちょっと待ってよ……」

「大丈夫です。私は、いつまでも待ちます。ですが決定までに時間がかかれば、それだけあなたが生き永らえる可能性が低下いたしますので、可能な限り早期に決断を下す事を推奨いたします」

 機械相手では、逃げ道は無かった。

 タツキは頭を抱えて、困惑するのみ。すると歩行戦車のAIが、そんな彼を見かねた訳でもないのだろうが、語り始める。

「決断を下すまでに時間がかかりそうですので、その間に、私の損耗状態と物資の残量に関しての現状を、改めて報告させていただきます。もしよろしければ、今後の行動指針を決定する判断材料として、有効活用ください」

 何を言い出すのかとタツキが不思議そうに見つめる眼前で、AIは続ける。

「私が機能停止に陥るに至った敵軍の高出力EMP弾頭による攻撃ですが、どうやらこれは当機のリアフレーム下部、人間で言うところのお尻の下に位置する辺りで爆発したと考えられます。その証拠に、爆発予測地点に近い私の第五脚と第六脚、つまり後ろ脚二本の感圧センサーのおよそ半分が、電子回路を焼き切られた事により機能しておりません。勿論その程度の損耗では当機の機動性にさしたる障害は発生いたしませんので、ご安心ください。また崖下に落下した際に加わったと見られる負荷により、第一脚と第三脚の発砲チタン製の基礎フレームに、若干の歪みが生じております。ですがこちらも現在は姿勢制御プログラムに修正を加えたために、問題は生じておりません」

 語り続けるAI。タツキには、その本体最前面に配置されたメインカメラが、自信満々に笑っているようにも見えた。

「ですが残念ながら、ここからは悪い報告になります」

 そう言うと、一泊の間を置くAI。またしてもタツキの気のせいかもしれないが、抑揚の無い筈の合成音声が、その声のトーンを一段下げたように思われた。

「当機の本体リアフレーム下部に収納されていた通信モジュールが完全に破壊された事により、現在外部ネットワークとの通信が一切不可能となっている件は、既に報告済みですのでご了承いただけている筈です。しかしこれに加えて、通信モジュールの直上に収納されていた十九基のバッテリーパックの内の、実に十七基の破損が確認されました。そのため、現在の当機は、恒常的な電力の供給に支障が生じております」

 この報告に、タツキは狼狽して問う。

「十九基の内の十七基が破損してるって事は、それじゃあ残りのたった二基しか、まともに使えるバッテリーが無いって事なの?」

「そうです。残念ながら」

「それじゃあ、その残り二基のバッテリーだけで、この歩行戦車はあと何日間動き続けられるのさ?」

「その点は、ご安心ください。当機の装甲は非常に優秀な複合素材で構成されており、内蔵された発電パネルが太陽光を電力に変換して、バッテリーパックに蓄える機能を有しております。そのため、現在の天候の様な強烈な太陽光が降り注ぐ環境下であれば、丸一日以上悪天候が続かない限り、日中は常にフル充電の状態を維持する事が可能です。ですからタツキ、あなたが危惧されているように、あと何日間で動けなくなると言うような事はございません」

「なんだ、そっか。それじゃあ、たいした問題じゃあないんだね」

 ホッとして、胸を撫で下ろすタツキ。しかしそんな彼に対して、歩行戦車のAIは尚も語り続ける。

「そうです。しかし、さすがに最大で二基のバッテリーパック分の電力しか使用出来ないとなりますと、行動に幾つかの制約を受ける事となります。まず第一に、夜間の行動の制限です。先程申し上げました通り、現状の天候であれば、当機は日中、常にフル充電の状態での行動が可能です。ですが夜間ばかりは、さすがにそうは行きません。日中に蓄えた電力で夜間も移動を継続する事は勿論可能ですが、その場合はたとえ電力消費を最大限に抑制したとしても、未明から早朝にかけての時間帯に電力が底を尽きます。それにたとえ底を尽かずとも、日付が変わる深夜帯には、戦闘を行うに充分な電力は残されてはいないでしょう。また日中に関しましても、常に不測の事態、特に新生ソヴィエト連邦の正規軍との遭遇戦や、民兵組織とのゲリラ戦に対応するための電力を、一定値ばかりは蓄えておく必要性を提言いたします。ですので、夜間の行動は、残念ながら推奨する事は出来ません。そして第二に、日中の行動に関しましても、ある程度の制限を設けたいと提言いたします」

「制限?」

「そうです。現在の当機の移動速度は、最も電力の消費効率が良い速度を維持しております。具体的に言えば、単位時間あたりの消費電力量と蓄電量が等数、つまりはイコールになる速度です。勿論これ以上の速度で強行軍を行い、目的地への到達時間を短縮する事も可能です。しかしその場合は、先にも述べた通り、敵軍との不測の遭遇戦の際に対応するだけの電力が維持出来るか否かに不安が残ります。ですので、進捗に多少の遅れが生じる事を前提とした上で、現状の移動速度を維持する事を推奨いたします」

 長々と語った後に、歩行戦車のAIは了承を求める。

「以上のニ点に関しまして、私の提言を了承していただけますでしょうか、タツキ?」

「ちょっと待ってくれよ。お前の説明は一々長ったらしい上に、やたらと面倒臭い言い回しばっかりで、分かり難いんだよね」

 タツキは歩行戦車に向かって嘆息しながら、自分自身にも噛み砕いて言い聞かせる目的で、AIの提言を要約し直す。

「つまりは、残り二基分のバッテリーの中身を出来るだけ消費したくないから、夜間の移動は行なわないし、日中の移動も速度制限を設けるって事でしょ? 分かったよ、それに関しては異論は無いから、了承するよ」

「ありがとうございます。これで電力の残量に関しましては、憂慮する事無く作戦行動の継続が可能となります」

 歩行戦車のAIはそう言ってから、暫しの間を置いた後に、報告を継続する。

「次に物資の残量に関してですが、水と戦闘糧食MREに関しましては、コクピットのメインパイロットシートの下に四日分から五日分が格納されているようです。それと未だ正確な量は確認されておりませんが、おそらくはコ・パイロットシートの下にも、同量程度が格納されているものと推測されます。ですのでタツキ、搭乗者があなた一人であれば、あと十日間は水と食料に困る事は無いでしょう」

 とりあえずは脱水と栄養失調で干乾びて死ぬ可能性は低そうな事を報告されて、タツキは安堵する。

「最後に武器弾薬の残量に関してですが、こちらは電力とは対照的に、豊富な備蓄が確認されております。誠に不甲斐無い事ですが、おそらくは丘の上での戦闘では一発の銃弾も発射する事無く、当機は崖から谷底へと転落したのでしょう。そのため当機が搭載している7.62㎜バルカン砲、12,7㎜バルカン砲、20㎜機関砲、120㎜多目的滑腔砲、多目的ミサイルサイロ、そして主武装である60㎜レールガンに至るまで、その残弾数は百%が維持されております。ですので、たとえ不測の遭遇戦に際しましても、当機はカタログスペックと同等程度の戦果を上げる事を、ここに保障いたします」

 感情の伴わない平滑な合成音声であるにもかかわらず、何故だかどうして、まるで褒めてくれと言わんばかりの口調に聞こえる歩行戦車のAIの言葉。だがその自信も、どうやら完全無欠なものではないらしい。

「ですが残念ながら、主武装であるレールガンは射出時に多大な電力を消費するために、現状のバッテリー残量では無闇に乱射は出来ません。たとえ日中でも一発か、せいぜい二発の連射が限界かと推測されます。どちらにせよ、当機が単独行動を継続する限りは、無用な戦闘は避けた方が賢明でしょう」

「言われなくても分かってるよ、そんな事は。僕としたって、そんな血生臭い戦闘に巻き込まれるのは、まっぴら御免だからさ。これから先も、出来るだけ安全な旅路を約束してほしいね」

「なるほど、了解いたしました。可能な限り戦闘を避けた、安全なルートを選択する事を念頭に置いて、行動いたしましょう。それではタツキ、そろそろ我々が目指すべき目的地の選別に、結論は出ましたでしょうか?」

「それは……未だもう少しばかり、待ってくれないかな? そんな重大な事、急には決められないよ」

 会話の趣旨を唐突に本題に戻されて、タツキは再び狼狽しながら、返事を先延ばしにした。彼は自分に課せられた選択の結論を導き出すどころか、今の今まで、自分自身に決定権が委ねられている事実すらも忘却していたのだ。つまり、それ程までにタツキの責任感は希薄なのであるが、機械はそれを察しない。

「そうですか。それではもう暫し、結論を待つ事にいたしましょう。最善の選択に至るためには、時として時間が必要でしょうし、後悔しないためには熟慮が肝要です。そして提言させていただきますが、そろそろ日没の時間が近付いております。本日は見晴らしの良いこの丘の上を臨時のキャンプ地として、野営するのは如何でしょうか? 勿論野営とは言いましても、当機のコクピット内で就寝する事をお勧めいたしますが」

 AIにそう告げられて、タツキはようやく、つい先程まで天空を焦がしているとばかり思われていた太陽が、既に大きく西の空へと傾いている事実に気付いた。おそらくはもう半時と経たない内に、空は宵闇に包まれ始めるだろうし、体感気温も徐々にではあるが確実に下がりつつある。上半身は素肌にパーカー一枚羽織っただけのタツキは、若干の寒気を覚えた。

 湿度の低いこの地では大気中に熱が蓄積されないために、たとえ初夏の季節であろうとも、陽が沈むと同時に気温が急激に低下するのだ。

「分かったよ。それじゃあ食事も終わった事だし、今日はもうこれで、眠らせてもらう事にするよ」

 そう言うとタツキは歩行戦車の本体脇のタラップを登り、再び搭乗ハッチを手動で開けてからコクピット内に潜り込むと、メインパイロットシートに腰を下ろした。そして彼を待ち構えていたかのようなタイミングで、AIは外部スピーカーから機内スピーカーへとその出力を切り替えて、再び語り始める。

「お帰りなさいませ、タツキ。少々狭いですが、シートのリクライニングを最大限まで倒せば、そこそこ快適に寝られるものと思われます。それからコ・パイロットシートの後方のカーゴ内には、防寒用の毛布が収納されている筈ですので、就寝の際にはそれをお使いいただくと良いでしょう。また蛇足ですが、毛布の隣のカーゴ内には、護身用のカービンライフルと自動拳銃オートピストルも収納されております。ですので、万が一夜中に排尿等で当機の外に出る際には、携行すると良ろしいでしょう。それでは、良い夢を」

 言われた通りにカーゴから薄っぺらい毛布を引っ張り出すと、デイパックを枕代わりにして、可能な限り背もたれを後方に倒したシートに横になるタツキ。彼は掛けていた眼鏡を歩行戦車の操作パネルの上に放り出すと、毛布に包まって、就寝の体勢を取った。それと同時に、コクピット内の照明が自動的に落ちて、仄かに周囲が見渡せる程度の光量となる。

「良い夢を、か。そんなもの、見れる訳が無いじゃないか。それにこれから進む目的地に関してだって、僕が決めなきゃならないんだろ? 一晩中悩み続けて、寝不足になるに決まってるよ」

 女々しく愚痴をこぼしながらも、タツキは眼を閉じる。そして僅か一分後には、既に彼は寝息を立て始めていた。避難のために早朝から叩き起こされ、乗っていた輸送機が墜落し、この時間まで幾度にも渡って死線を彷徨わされたタツキ。運命に翻弄され続けた今日の彼は、それほどまでに疲労していたのだ。

 夢を見る事も無く、只々深く静かに、タツキは眠り続ける。そんな彼を、省電力のステルスモードへと移行した歩行戦車のAIが、静かに見守り続けていた。


   ●


「タツキ、早急に起床願います。緊急事態が発生しました」

 相変わらずの抑揚の無い合成音声に起こされたタツキは、目脂にまみれた眼をこすりながら、半ば寝惚けた精神状態のままでコクピットの寝床から上体を起こした。搭乗者を戦闘の衝撃や慣性重力から保護する目的のパイロットシートは予想以上にクッション性が高く、寝心地は決して悪くはなかったらしい。その証拠に、タツキは椅子で寝たにもかかわらず関節や筋肉に痛みも残らず、AIの音声で起こされるまではぐっすりと熟睡する事が可能だった。

「え? 何? 何だって?」

「緊急事態です、タツキ。早急に、覚醒願います。そして、正面のメインモニタをご覧ください」

「緊急事態ねえ……。で、メインモニタがなんだって?」

 大きなあくびをしながらパイロットシートのリクライニングを元に戻したタツキは、正面の操作パネル上に放ってあった眼鏡を掛け直してから、その操作パネル上部のメインモニタを見遣る。

 果たしてそこに映し出されていたのは、今現在タツキ達が居る丘から見て南東方向の、さほど高くもない只の岩山。しかしその岩山の向こう側から、一筋の黒煙が上空へと立ち上っているのが眼に止まる。

「あれは?」

 ようやく寝惚け眼から覚醒したタツキが問い、歩行戦車のAIが答える。

「今から六分程以前に、山向こうの平原より二度の爆発音が発生し、同時に黒煙が確認されました。またその直後に、散発的な銃声と思しき破裂音も、合計で三十二回確認しております。岩山が邪魔でスキャンが出来ないために確証は得られませんが、常時モニターしております地表の震動から推測するに、複数台の車輌と、おそらく一輌か二輌の歩行戦車が移動している可能性が高いでしょう」

 淡々と語る、AIの合成音声。しかし眼と鼻の先で戦闘行為が行われている可能性に、タツキは否応無しに緊張を強いられる。

「それで、僕達は一体、これからどうするのさ」

「当機は現在ステルスモードですので、ここに留まってさえいれば、発見される可能性はほぼゼロと考えてもよろしいでしょう。ですが警戒対象の正体が依然として不明であり、また如何なる事態が発生しているのかも不明である以上、一切の行動を起こさずに見過ごすのは得策とは言えません。そこで意見具申いたしますが、警戒対象にこちらの存在を悟られない範囲にまで接近し、偵察行為を行う事を提言させていただきます。仮に警戒対象に友軍が含まれていた場合には、タツキ、あなたを無事に公的機関に引き渡す事と、私が即時戦線復帰する事と言う二つの目的が、早期に達成される可能性が考えられるからです。是非ご検討の程を、お願いいたします」

 AIはそう言うと、タツキの返答を待つ。

「それもやっぱり、決定権は僕にある訳?」

「そうです。私はあなたの決定に従うまでです、タツキ」

 前日に引き続き、またしても重責を担う立場に立たされた事実に、深く嘆息するタツキ。そして彼は、逡巡する。危険を承知で前進するか、それとも安全第一で留まるか。最悪の場合には藪をつついて蛇を出す結果にもなりかねないが、今は早期に身の安全が確保される可能性に賭けたいのもまた、偽らざる事実だった。

「……その偵察行為とやらは、安全なんだよね?」

「はい。ステルスモードを維持し、警戒対象に音や震動を感知されない程度にまで移動速度を抑制すれば、発見される可能性はまずゼロと言ってもよろしいでしょう。我々の身の安全は、保障いたします」

「分かったよ。それじゃあ、その警戒対象とやらに接近して、偵察してみてくれないか。言っておくけれど、あくまでも安全第一でね」

「了解しました。それでは、偵察行為を開始いたします」

 そう言うと、歩行戦車はゆっくりと稼動し始めた。車輌で言うところの徐行運転に近い状態で、速度と震動を極力抑制しながら、野営地としていた小高い丘から南東の岩山を目指して移動を開始する。脚部の稼動音も、殆ど聞えない。そしてその途上で、タツキは尋ねる。

「ところでさ、今、何時なの?」

「残念ながら、当機は依然として外部ネットワークとの接続に不備が生じているために、正確な現時刻は分かりかねます。ですが日没と日の出の時刻から逆算するに、およそ午前九時十四分頃ではないかと推測されます」

「と言う事は、昨夜眠りに就いたのが日没とほぼ同時刻だから、僕は半日以上も寝ていた事になる訳だ」

「そうです。大変深く眠られていたために、充分な疲労の回復が必要であろうと判断して、自発的に起床されるまで待つつもりでおりました。ですがこのような緊急事態が発生したために、急遽覚醒願った次第であります」

 AIと会話を交わしながら、タツキは再び、大きなあくびをする。十二時間以上も寝た結果として、肉体の疲労は充分に回復した筈なのだが、如何せん精神的な疲労の方はと言えば、まだまだ完全には回復していないようだった。特に昨日から決定を求められている、これからの目的地の選別に関して思いを巡らせると、にわかに頭が痛くなる。

 タツキがそんな事に思い悩んでいる内に、やがて彼の乗った歩行戦車は丘を下り切ると、岩山の陰からその向こうの平原が見渡せる位置にまで到達した。そしてそこで何が行なわれているのか、その事実を知る。

 まず最初に眼に止まったのは、黒煙を噴き上げて炎上する、中規模なサイズの民間のトラック。そのトラックは砂漠の平原上で横転しており、荷台の積荷が、それを覆う幌ごと燃え続けている。そして次に、その周囲を囲む三輌の戦闘車輌と一輌の歩行戦車が、タツキの注意を引いた。だがその場における最大の問題点は、車輌の数や状態ではなく、そこに居並ぶ人間の立たされた状況にある。

 タツキは改めて、自身が乗る歩行戦車のモニタ越しに、その光景を見遣った。

 炎上するトラックの脇には十名ほどの非武装の男達が一列に並んで跪かされ、それを自動小銃で武装した別の男達の一団が、ぐるりと取り囲んでいる。更に女性と思しき衣服に身を包んだ人影が四名ほど、跪かされた男達とは少し離れた位置で、やはり武装した男達によって拘束されていた。

「どうやら、爆発音と黒煙の正体は、地元の民兵による民間人への攻撃だったようですね。おそらく使用されたのは、旧式のロケット砲でしょう。まずは先制攻撃として民間人を乗せたトラックが砲撃され、その後に両者が小火器で応戦し合った後に、民間人側が降伏したものと推測されます」

 コクピット内のメインモニタに映し出された眼前の状況を、タツキの乗った歩行戦車のAIは淡々と解説した。その解説によれば、跪かされた男達は民間人であり、それを取り囲む武装した男達は、地元の民兵だと言う。そして拘束されている四名の女性もまた、跪かされた男達と行動を共にしていた民間人なのだろう。

 この緊迫した状況を前にして、タツキはゴクリと唾を飲み込んでから、問う。

「これさ、一体、何が起こっているの? それでこの後、この一列に並ばされた人達は、一体どうなっちゃうのさ」

「あくまでも推測ですが、おそらく民間人側は、避難民か行商人か、もしくは移動する遊牧民の様な一団でしょう。ここ中央アジアの砂漠地帯においては、それらを狙った民兵による略奪行為は、決して珍しくはありません。そして今後の展開を推測しますと、民間人側は金品を略奪された後に、身代金目的の人質としての価値が無いと判断された男性は殺されて、女性は人身売買目的に誘拐されます。誠に残念ですが、我々が期待していた友軍の車輌ではありませんでしたね、タツキ。それでは速やかにこの地を去り、移動を再開いたしましょう」

 相も変わらずの抑揚の無い合成音声で状況説明を行なった後に、退去を進言する歩行戦車のAI。そしてその言葉に、タツキは異を唱える。

「残念ですがって、そんな事を言っている場合じゃないだろう? 本当にお前の言う通りに事が進むとすれば、これからあの民間人の人達は殺されるか、もしくは誘拐されるんだよね? 助けようとか守ってやろうとか、そう言う事は思いつかないのか?」

 直情型の性格ではないタツキにしては珍しく、声を荒げて問い質した。だがAIの言葉は、常に冷淡である。

「何故でしょうか、タツキ。我々には彼らを助ける理由も、守るだけの義理も、一切存在しません。むしろそれらの行為は我々を危険に晒し、物資を損耗させるばかりで、大変に非合理的です」

「だけどお前は、僕の事は助けてくれたじゃないか! ならどうして、彼らは助けられないのさ?」

「それはタツキ、あなたが新自由主義国家連合の、国家構成員だからです。もしもあそこで民兵に拘束されている彼らもまたそうであるのならば、私は彼らを助ける事に、やぶさかではありません。ですがカザフスタン共和国が新生ソヴィエト連邦に与した以上は、私には不利益を被ってまでも、カザフスタン人を守る理由が存在しないのです。むしろそうする事によって、タツキ、あなたの身の安全が脅かされる事の方が、私にとってはより危惧すべき事態だと考えます。ですからどうか、ご了承ください」

 立て板に水とばかりに、機械的な正論を、とうとうと並べ立てる歩行戦車のAI。対してタツキは、感情論以外での反証の術が見出せずに、言葉を失って口篭る。

 そうこうしている内に、不意にパンと、乾いた銃声が一発鳴り響いた。同時に跪かされていた男達の内の一人が、頭の半分を腐ったトマトの様に弾き飛ばされて、地面に力無く崩れ落ちる。武装した民兵の一人が、無抵抗の民間人を射殺したのだ。

「ほら見ろ! 僕らがこんな事をしている間にも、何の罪も無い人間が撃ち殺されたじゃないか!」

「はい。それが何か、問題でしょうか? 彼らは共に戦闘地域の住民であり、その交戦に関して、我々が介入する義務は生じません」

 感情的になるタツキとは対照的に、AIの吐き出す言葉は、常に無感情であり続けた。そしてその間も、パンパンパンと民兵の持つピストルの銃口からは銃声と共に鉛球が次々と吐き出され、その度に跪かされた民間人の男達は、力無くその場に崩れ落ち続けた。それと同時に、拘束された四名の女性達の悲痛な叫び声が、歩行戦車の機内スピーカー越しにタツキの耳にまで届く。

 文字通りの、まさに見てはいられない凄惨な状況を前にして、タツキは歩行戦車のAIに再び問う。

「彼らを助ける事は、出来ないの?」

「タツキ、あなたがその旨を私に命令すれば、勿論それは可能です。ですがその場合には、我々が相応のリスクを負う事を、充分に覚悟してください。私はあくまでも、あなたの身の安全を最優先に行動しているだけに過ぎません。またそれに伴わせて、現在進行している事態に水を刺すと言う事がどのような結果を招く事になるのか、その点に関しても充分なご検討を願います」

 タツキはその言葉を受けて、心の中で小さな天秤を思い浮かべた。天秤の片側の秤の上には、自分自身の命と、身の安全が乗っている。そして反対側の秤には、自分とは一切の関係が無い赤の他人の命と、彼らに対する責任が乗っていた。果たしてそのどちらを、より重要と見なすべきか。これまでの人生における全ての重要事項の決定権を他人に委ね、ひたすらに責任を回避する事によってのみ身の安全を図って来たタツキにとっては、その答は至極明白であった。

「……逃げよう。あの人達には悪いけど、この場から、速やかに去ろう」

「了解しました、タツキ。当機はこの地を去り、とりあえずは眼前の民兵の乗る歩行戦車のセンサー類の知覚領域外へと、速やかに脱出いたします」

 僅かな悔恨の念を抱きながらも、それでも自らの身の安全と責任からの逃避を第一に考えたタツキは、この場からの逃走と言う決断を下した。そんな彼の眼前では引き続き、跪かされた民間人の男達が、民兵の手によって頭を撃ち抜かれて死んで行く。だがその最中にも、タツキの乗った歩行戦車は、その場を離れるべく一歩を踏み出した。

 だがその一歩が、思わぬ事態を招く。

 タツキの乗る歩行戦車が足を乗せた岩が砕け、ガラガラと大きな音を立てながら崩れ落ち、歩行戦車もまた大きく体勢を崩してその足を地面に打ちつけた。するとほぼ同時に、民兵の乗る歩行戦車のセンサーカメラがこちらを向く。そして車外に出ていた民兵達もまた、タツキ達の方角を見据えて自動小銃を構え、何事かを大声で叫び始めた。どうやらこちらの居所が、彼らに悟られたらしい。

「おいちょっと! これは一体、どう言う事だよ!」

 吠えるタツキ。だが歩行戦車のAIは、悪びれた様子も無く淡々と答える。

「申し訳ありません。昨日も申し上げました通り、当機の第五脚と第六脚の感圧センサーには現在、重大な機能的欠陥が生じております。そのため、接地時の重量負荷の分散に、残念ながら失敗いたしました。結果として発生しました破砕音と震動を、民兵の歩行戦車に感知されたものと考えられます。どちらにしても、こちらの存在と位置を察知された事は明白でしょう」

 そうしてタツキとAIとが歩行戦車の中で言葉を交わしている間にも、ピストルを手にした民兵は、そのペースを上げて跪かせた民間人の男達の頭を次々と撃ち抜く。やがてその全員が地面に横たわる物言わぬ死体と化した後に、タツキ達に向けて自動小銃を構えながら何事かを叫ぶ、おそらくはリーダー格と思しき民兵の男。彼の構えた自動小銃から、パパパパと四発の銃声が轟くと同時に、発射された銃弾がタツキ達が身を隠している岩陰へと着弾した。

「どうするんだよ! こっちの居場所がバレちゃったじゃないか!」

「繰り返し謝罪申し上げますが、誠に申し訳ありません。どちらにせよ、こちらの所在が警戒対象に知られた以上は、民兵が和解に応じる可能性は小数点以下の確率です。ですので、逃走か交戦以外に、選択肢は存在しないでしょう。それではその二択の内の、どちらを採択いたしましょうか、タツキ。ちなみに今しがたの民兵の攻撃は7.62㎜ライフル弾によるものと思われますので、当機の装甲には、かすり傷を付ける程度の危険性しか有りません。ご安心を」

 焦るタツキとは対照的に、AIは冷淡さを隠さない。そしてその間も民兵達は何事かを叫びながらこちらに向けて進行を開始し、とうとう彼らの操る歩行戦車までもが、こちらに火器の照準を合わせながら移動を始めた。

「さて、どうしましょうか、タツキ?」

 平滑な合成音声でAIが訪ねて来る間も、民兵の歩行戦車が、こちらに向けて散発的な発砲を継続する。どうやら向こうは、まだこちらの正確な位置が割り出せていないらしく、その射撃は精密さを欠いていた。

「推測されるに、未だ民兵の攻撃はこちらの位置と規模を特定するための、探索射撃の段階に過ぎません。危険性は低いものと判断します。そこでタツキ、引き続きあなたの判断を仰ぎますが、逃走と交戦のどちらの選択肢を採択いたしましょうか? ちなみに交戦を選択した場合には、八十九%の可能性で我々が勝利する事を、保障いたします」

 つい今しがた重大なミスを犯したばかりのAIの言葉を、一体どこまで信頼していいものか、タツキは逡巡した。だが同時に、もう一つの可能性についても問う。

「それじゃあ、逃走を選択した場合には? その場合には、どの程度の可能性で逃げ切れるのさ」

「逃走を選択した場合には、短期的に見れば、七十二%の確率で民兵の探知圏外へと到達出来る事が予想されます。ですが残念ながら、当機のバッテリー残量には重篤な制約が存在しますために、長時間に渡る最大出力での逃走行為の継続は出来ません。ですので、民兵が執拗な探索行為を行なった場合には、バッテリー切れを起こしたところを鹵獲される可能性が考えられます。以上の事から、長期的見地による意見具申をさせていただきますと、交戦を選択される事を推奨いたします」

 決断を求められたタツキは、改めて、コクピットのメインモニタに映る民兵の歩行戦車に眼を向けた。そして彼は、気付く。見たところ新ソ連製の、それも型遅れの旧式機らしきその車体には、三日月と獣をモチーフとしたエンブレムが描かれている事に。

「あれは……。僕達が乗った輸送機を撃墜したのと同じ民兵の……」

 よく見れば、民兵達が乗って来たと思しき三輌の戦闘車輌にも、同様のエンブレムが見て取れた。そしてタツキの脳裏によぎるのは、今は亡き父の顔と、敵討ちの一語。

「……決めた。やっていいよ、交戦だ。僕らの身の安全が確保されるまで、攻撃する事を許可する」

「交戦の命令、了解いたしました。それでは当機はこれより戦闘モードに移行いたしますので、タツキ、あなたはパイロットシートに腰を下ろして、シートベルトをしっかりとお締めください。暫しの間、銃声と震動により多大なご迷惑をおかけいたしますが、ご了承願います」

 タツキの要請と許可を快諾した歩行戦車が移動を開始し、身を隠していた岩陰から平原へと進み出た。そして横方向への回避行動を執ると同時に、その装甲の一部が開くと、格納されていた機銃等の内装火器がその姿を白日の下に晒す。

 戦闘モードの移動速度は、これまでの歩行状態とは比べ物にならないほど高速かつ俊敏だった。だが高度な姿勢制御機能により、その震動は最低限度に抑制されている。しかしそれでも強烈な横方向への慣性重力に、タツキは言われた通りにきつくシートベルトを締めていながらも、座席上で満足に身動きも取れずに翻弄されていた。

 タツキの乗る歩行戦車を肉眼で確認した民兵の男達は、各々が手にした自動小銃を乱射する。その銃弾の内の数発が直撃して、微かな被弾音が、コクピット内のタツキの耳にも届いた。だがさしたるダメージは無いらしく、歩行戦車は動じない。しかし次の瞬間にはガガガガガと、今度は比較的大きな衝撃と被弾音が連続して鳴り響いた。

「敵歩行戦車よりの機銃攻撃を受けました。しかし12.7㎜口径程度では当機の装甲を貫通する事は出来ませんので、ご安心を。それでは反撃として、まずは一番面倒な相手と予測される敵歩行戦車の足を止め、その後に制圧いたします」

 AIがそう告げた直後に、ドンと一際大きな破裂音と衝撃が、タツキの鼓膜と三半規管を襲う。それと同時に120㎜多目的滑腔砲から射出されたのは、徹甲榴弾APHD。それは空気を切り裂きながら直進すると、狙い通りに民兵側の歩行戦車の前脚を、人間で言うところの膝関節から破砕した。更に続けてもう一発、今度は装弾筒付翼安定徹甲弾APFSDSが射出され、初弾で機動性を失った新ソ連製の歩行戦車本体を、その厚い装甲ごと貫通する。そしてとどめとばかりに射出された成形炸薬弾HEATの発する高熱が、既に機能停止に陥っていた敵歩行戦車の装甲に大穴を穿って、爆発させた。

 決着がつくまでに要された時間は、僅かに十秒程度。それはまさに、圧倒的勝利としか言いようがない結末であった。

「敵歩行戦車の沈黙を確認しました。内部の熱放射量から判断しまして、パイロットも死亡したものと想定されます」

 最初の砲声に驚いて耳を塞いでいたタツキに、AIは淡々と報告し、更に続ける。

「それでは、次いで脅威と考えられます、対空機関砲を装備した敵戦闘車輌を制圧いたします。装甲も薄いようですので、20㎜口径で充分でしょう」

 相変わらずの横移動を継続しながら、タツキの乗った歩行戦車は本体上部装甲から展開された20㎜機関砲の速射を、民兵が乗る三輌の装甲車輌に浴びせかけた。チタンコーティングされた直径20㎜の鉛球を、豪雨の雨粒の如く叩きつけられる戦闘車輌。それらは次々とスクラップと化すと、やがて積んでいたガソリンに引火して、小さな爆発と共に炎上し始める。すると炎に巻かれた運転席から、火達磨になった人間がもがき苦しみながら車外へと脱出し、地面の上で火を消そうとのた打ち回った末に、その動きを止めた。また運悪く射線上に立っていた数人の民兵達も、血と肉の飛沫となって弾け飛ぶ。

 文字通りの戦場と化した平原に、不意に女性の絶叫がこだました。何事かと思ったタツキは、コクピットの全周囲モニタの声がした方角へと眼を向ける。するとそこに映っていたのは、何事かを叫びながら、こちらへと駆け寄って来る女性達の姿。どうやら拘束されていた四名の民間人の女性達が、民兵達の虚を突いて逃げ出し、タツキの乗る歩行戦車へと助けを求めているらしい。

「あの人達は殺すなよ!」

「はい。非武装の民間人を理由無く殺す事は軍規にも抵触いたしますので、そのような非合理的な行為には及びません。ご安心ください」

 タツキの要請に、歩行戦車のAIは淡々と応えた。だが次の瞬間、女性達を取り逃がした民兵の男の一人が、彼女達に対して手にした自動小銃を乱射する。すると背後から銃弾の雨に晒された女性達は、次々と倒れ伏した。

「そんな……」

 眼前で無抵抗の女性達が息絶える様に、タツキは絶句する。しかしその間も、彼の乗る歩行戦車は無感情に、対人武装である7.62㎜バルカン砲によって、未だ銃を構えている民兵達を淡々と射殺して回っていた。そして歩行戦車相手では適わないと悟った何人かの民兵達は、銃を捨てると、クルリと背を向けてその場からの遁走を開始する。流石にそれらの敗走兵までは、歩行戦車も手を出そうとはしない。だがバルカン砲の銃口はそちらに向けたまま、AIは問う。

「タツキ、逃走する民兵達の処遇は、如何いたしましょうか。彼らから我々の所在と構成が、何らかの敵対勢力に発覚する可能性、及びに増援を呼ばれて報復行動に移行される可能性が考えられます。この場で即時射殺し、それらの可能性を一時的に排除いたしましょうか。判断を願います」

「殺さなくてもいいよ。逃げる人間まで殺してちゃ、こっちの夢見が悪い。それにあくまでも、僕らの身の安全を確保する事が目的だったんだからさ」

「了解いたしました。追撃戦は、行ないません。これにて、状況終了シチュエーションアウトとなります。それでは移動の再開を提言いたしますが、北の街道を目指すか、それとも直接国境線を目指すか、どちらを目的地として選択するかの判断に結論は出ましたでしょうか」

 内装火器を装甲内に収納しながら、戦闘モードを解いた歩行戦車のAIは、タツキに問うた。しかしその問いには返答せずに、タツキは搭乗ハッチを手動で開くと、歩行戦車の本体上へと登り出でる。そして折り畳み式のタラップを下ってから砂漠の平原に降り立つと、ぐるりと周囲を見渡した。

 小規模ながらも、そこに残されていたのは、戦場の残滓。

 黒煙を噴き上げながら炎上する、民間のトラック一輌と、民兵の戦闘車輌三輌。化石燃料は積載していないために炎上こそはしていないものの、成形炸薬弾HEATの爆発によって溶け落ち、白煙を噴き上げて崩れ落ちた民兵側の歩行戦車一輌。それらの周囲に散らばるのは、大小様々な口径の火器によって半ばミンチ肉の様に砕け散った民兵達の死体と、一列に並んで頭を吹き飛ばされた民間人の男達。そして血の海の中で折り重なるように倒れた、四名の女性達。

 凄惨な光景が広がる平原は、不気味なほどにまで静まり返っていた。

「うっ!」

 前日の輸送機の墜落現場を思い出したタツキは、突然の吐き気に襲われると、その場にうずくまって胃袋の中身を盛大に地面にぶちまける。

「おげっおげええぇぇぇ……」

 輸送機の墜落現場では我慢出来た吐瀉が、この場では、とてもではないが我慢する事など不可能であった。それもその筈、あの場とこの場とでは、状況がまるで違う。墜落現場におけるタツキは、あくまでも、一方的な被害者側の立場だった。だがこの小さな戦場においてのタツキは、たとえ本意ではなかったとしても、加害者側の立場である事に間違いは無い。民間人達はともかくとしても、少なくとも民兵の男達に関しては、自分が歩行戦車に交戦を命じたからこそ、今この場に死体として転がっている事は紛れも無い事実なのだから。

 それらを自覚したタツキは、胃袋の中身を全て吐き出し終えると、着ているパーカーのフードを頭からすっぽりと被った。そして眼と耳を塞ぎ、ガタガタと震えながら呟く。

「僕のせいじゃない。僕は何も見てないし、何も聞いてない。僕のせいじゃないんだ。絶対に、僕のせいじゃないんだ」

 呪文の様にブツブツと、現実逃避と責任回避の言葉を呟き続けるタツキ。その姿は地面に転がる死体よりも無様だったが、それを責める者は、この場には居ない。歩行戦車のAIもまた、彼に対しては何も語りかけずに、只々静かに沈黙を守る。

「あ……痛た……」

 不意にか細い声が、沈黙に包まれた戦場跡に微かに流れ渡り、それを歩行戦車の集音マイクが拾った。そして未だに耳を塞いでブツブツと呟き続けるタツキに、AIは彼に聞こえる程度の声量で報告する。

「タツキ、どうやら民間人に、生存者がいるようです」

 その言葉を聞いて、タツキは顔を上げた。すると確かに、背後から自動小銃の乱射を受けて倒れた四名の女性達の内の一人が、ゆっくりと立ち上がろうとしている。それは見たところ、地元の民族衣装に身を包んだ、未だ若い少女。彼女は覚束無い足取りながらもその身を起こすと、自分のすぐ背後に倒れていた別の少女の元へと駆け寄って、跪いた。その姿を見たタツキもまた立ち上がると、彼女の元へと駆け寄る。

「ザーラ! ザーラ! しっかりして、ザーラ!」

 起き上がった少女は、倒れ伏した別の少女の血にまみれた手を握りながら、絶叫していた。しかしザーラと呼ばれた倒れ伏している方の少女は、未だかろうじて息はあるものの、既に致命傷らしい。そのため口の端から血の泡を漏らすばかりで、意味のある言葉を発する事は出来そうになかった。そして少女とタツキの見守る前で、ザーラと呼ばれた少女はゴボリと血の塊を吐き出し、その息を引き取る。

「そんな、そんな、ザーラ! お願い、眼を開けて!」

 ボロボロと涙を零しながら、絶叫する少女。しかし、ザーラが眼を覚ます事は無い。

「ああ、ザーラ、そんな……。そうだ、伯母様! ニサ!」

 少女は再び立ち上がると、更に後方に折り重なるように倒れていた、別の二人の女性の元へと駆け寄る。タツキもまた彼女の後を追ったが、既にこちらの二名も息絶えていて、ザーラと同じく少女の呼びかけに応える事は無かった。

「そんな……。そうだ、お父様は、それに兄様達は!」

 今度は、民兵によって頭を撃ち抜かれた男達の方角へと、少女は駆けて行く。しかしもう、タツキは彼女の後を追いはしない。あの男達が既に死んでいる事は、火を見るよりも明らかだったからだ。

 少女から距離を置き、平原を見渡して嘆息するタツキ。そんな彼の背後から、大きな影が接近する。

「さて、タツキ。それではそろそろ、移動を再開しましょう。北の街道と西の国境線、どちらを目的地といたしましょうか」

 その六本の鋼鉄の脚でタツキの元まで歩み寄って来た歩行戦車のAIが、まるでそれしか喋れないオウムの様に、同じ質問を繰り返した。

「……そうだな、もういい加減に、どっちを目指すべきなのか決めなくちゃな。いつまでもこんな所に居たって、水と食料が無駄になるだけだしさ」

 タツキもまたそう言うと、未だ嘔吐の不快感が残る口元をパーカーの袖で拭いながら、歩行戦車のタラップを踏んでその本体上に乗った。そして搭乗ハッチの手動式開閉ハンドルに手をかけると、それを横に九十度回してロックを解除し、開け放たれたハッチからコクピットに潜り込もうする。そんなタツキを見て、今しがたまで父か兄と思しき死体に覆い被さって泣いていた少女が、声を上げる。

「あの、お願いします、助けてください! 見ず知らずの方にこんな事を頼むのは失礼だと分かっていますが、どうかお願いします! 助けてください!」

 少女の言葉に、搭乗ハッチから歩行戦車のコクピットへと潜り込みかけていたタツキは、足を止めた。そして再び歩行戦車本体の上に立つと、眼下の少女に問う。

「助けてって言われたって、もう助けたじゃないか。そりゃあ、流石に全員の命を救う事は出来なかったけれどさ。それでも、キミは生きている。充分に助けただろう?」

「はい、勿論それは、感謝しています。でも、お父様も兄様達も死んでしまって、あたし一人では、これから一体どうしたらいいのか分からないんです! どうか、お願いです! あたしも一緒に連れて行ってください!」

 タツキに向かって大声で懇願しながら、彼の元へと歩み寄って来る少女。彼女の真っ赤に泣き腫らした眼には更に涙が浮かび、その表情は悲痛である。

「参ったな……」

 タツキは歩行戦車本体の上に座り込むと、頭を抱えた。確かに自分も一度は、彼女ら民間人を見捨てようとする歩行戦車のAIに対して、声高に抗議した身に他ならない。だがしかし、その抗議が一体どのような結果を自分自身にもたらすのかにまでは、考えが至らなかったのもまた事実。助ける事ばかりを考えて、助けた後の事にまでは、気が回らなかったのだ。

 目の前で起こっている事態に対して感情的になるばかりに、その後に負うべき責任から眼を背けるのは、責任能力の無い子供のする事であって、いい歳をした大人のするべき事ではない。勿論タツキは、未だ若干十八歳の、子供とも大人とも言えない年齢である。だがそれでも、その行為はあまりにも愚か過ぎ、そして気付くのが遅過ぎた。

「お前はさ、どうしたらいいと思う?」

 タツキは歩行戦車の上部装甲をゴンゴンと叩きながら、AIに意見を求めた。

「そうですね。現状、我々には彼女を保護する法的義務は、発生しておりません。彼女が新自由主事国家連合の国家構成員である事が証明されるか、公的機関が発行した難民証明書を所持していれば話は別ですが、そうでなければ我々には一切の責任が発生いたしません。よって、この場で彼女の保護要請を拒否したとしても、後々に何かしらの過失を追求される可能性は、極めて低いものと考えられます。ただしタツキ、あなたが彼女を保護しろと命令するのであれば、私は当然ながら、それに従うまでですが」

「結局は、またしても僕に全てを決定しろって事か」

「そうです。残念ながら」

 歩行戦車の本体上で、タツキは再び深く嘆息する。その一方で彼と歩行戦車の目前にまで歩み寄って来た少女は、まじまじと、言葉を話す機械を物珍しげに見つめてから口を開く。

「今のは、この戦車が喋ったの? それとも、中に乗っている別の人が喋ったの?」

 そう問いかけて来る少女の姿を、タツキは改めて観察する。

 見たところタツキとそう変わらない年頃の、肌が若干浅黒い、おそらくはウズベク系かタジク系の少数民族と思われる少女。しかしその整った可愛らしい顔立ちは、どちらかと言えば白人に近く、スラブ系の混血である可能性をもうかがわせる。そしてアジア人にしてはやや長身のタツキよりも頭一つ分は小柄で、今時の若者にしては珍しく、全身を伝統的な民族衣装に包んでいた。

 頭には、たしかテュベなんとかと言う帽子を被り、黒く長い髪は全て、何本もの三つ編みに結われている。下半身を覆うのはゆったりとしたズボンと、脛まで覆う、伝統的な革製のブーツ。そして上半身は黒地に赤と金の糸で細かな刺繍が施された、呼び名は忘れたが、これまた伝統的な民族衣装のワンピースを羽織っており、更にその下にももう一着、白いワンピースを羽織っているらしい。一見すると全身を布で覆うその姿は、ひどく暑苦しそうに見える。だが降り注ぐ直射日光を遮りながら空気の通り道は確保されているので、実際に着込んでみれば、意外にも涼しいらしい。

 それにしても、ここまで完璧な民族衣装に身を包んだ人物を直接見る機会は、西欧化が進んだ首都のアスタナに暮らすタツキにとっては滅多に無い事だった。観光客目当ての飲食店や土産物屋の店員が客を呼ぶためのコスチュームとして民族衣装を着ているのを見かけた事は何度かあったが、日常的にこのような格好で生活している人は、よほどの田舎にでも行かない限りは眼にする機会は無い。

 タツキがそんな事を考えている間も、少女は歩行戦車のメインカメラを、物珍しげにまじまじと見つめ続けていた。

 するとそんな彼女の耳に、感情を伴わない合成音声が届く。

「そうです。今のは歩行戦車のAIである、私が喋りました。私は新自由主義国家連合軍所属の歩行戦車、MA-88です」

 自己紹介した歩行戦車の声に、少女は少しばかり驚いたような表情を浮かべた。その上で、彼女は改めて、タツキに向けて懇願する。

「お願いします! お父様も兄様達も失って、今のあたしには、頼れる人が誰も居ないんです! どうか近くの街まででも構いませんから、一緒に連れて行ってください!」

 祈るように手を胸の前で組んで、必死に懇願する少女。

「参ったな……。ホントにどうしよう……」

 タツキもまた、改めて頭を抱える。そしてそんなタツキを見かねた訳でもないのだろうが、歩行戦車のAIが、少女に問う。

「そこのあなたに質問させていただきます。仮にあなたが新自由主義国家連合の国家構成員である事か、もしくは公式に認定された難民である事が証明されれば、私にはあなたを保護すべき義務が発生いたします。ですので、あなたの身分を証明する物をお持ちであれば、それをここで提示していただけないでしょうか?」

 歩行戦車の提案に暫し逡巡した少女は、無言のまま、燃え盛るトラックを指差した。どうやら全ての証明書は、トラックと一緒に燃えてしまったと言う事らしい。

「なるほど。それでは口頭でも結構ですので、あなたの経歴と、ここに至るまでの経緯をお教えください。場合によっては、保護の必要性が検討される可能性もありますので」

 AIの要請に、少女は口を開く。

「あたしの名前は、アリョーナ。アリョーナ・エルタエフ。生まれはウズベキスタンでしたが、四歳の時に母が亡くなったのを機に国境を越え、その後はカザフスタンの小さな村で暮らしていました。お父様と伯母様、それに兄様達と一緒に村で靴屋を営んでいましたが、生活は決して楽ではありませんでした」

 ここまで言い終えたところで、アリョーナと名乗った少女は、言葉を切る。やはりその身なりが示す通りに、国境近くの田舎の村の出身らしい。

「それが二週間前に、村が戦争に巻き込まれて、営んでいた靴屋が家屋ごと全焼してしまいました。生活の糧も住む場所も失ったあたし達は、お父様と兄様達が話し合った末に、難民としてウクライナかロシアに逃げようと言う結論に至ったのです。それで店のトラックに全財産を詰め込んで、親族全員で国境を目指していました。ですがその途中で、突然あの男達に襲われて……」

 感極まったのか口篭り、再びその両の瞳から、ぽろぽろと涙を零し始めるアリョーナ。しかしそんな彼女に対しても、歩行戦車のAIは冷淡に語る。

「なるほど。あなたの経歴と現状は、了解いたしました、アリョーナ。また、あなたが経済難民であると同時に、戦災孤児である事実も、私が有する権限内で暫定的に認定いたしましょう。ですが残念ながら、保護の即時性が要求される政治難民とは、認定する事は出来ません。また同時に、新自由主義国家連合の国家構成員ではない事が、改めて確認されました。そのため、我々にはあなたを保護する義務は、一切発生いたしません。どうか、ご了承ください」

 死刑宣告にも等しい残酷な決定を下した、歩行戦車のAI。どうやらAIなりに、悩み続けるタツキに対して、彼にはアリョーナを保護する義務は生じていない事を改めて提示したつもりらしい。だがむしろタツキの苦悩は増し、その思考は、理想と現実との袋小路に追い込まれるばかりだった。

「そんな、お願いします! 本当に、近くの街までで構わないんです! どうか、助けてください!」

 尚も懇願するアリョーナ。対してタツキは、再びパーカーのフードを頭からすっぽりと被って眼と耳を塞ぐと、呪文の様に現実逃避と責任回避の言葉を唱える。

「僕は何も見ていない、何も聞いていない。僕は何も見ていない、何も聞いていない。僕は何も見ていない、何も聞いていない……」

 男らしさの欠片も無いその姿を眼にしたアリョーナは、一息嘆息すると、意を決して最後の手段に出る。

「分かりました」

 そう言うと、踵を返してスタスタと歩き出し、タツキ達から離れて行くアリョーナ。彼女の方から保護を諦めてくれたのかと、みっともなくもホッとするタツキ。しかし彼の予想に反して、アリョーナはそこかしこに転がっている民兵の死体の一つを漁り、その所持品の中から一丁の自動拳銃を見つけ出すと、それを持ったまま再びタツキ達の眼前へと歩み寄って来た。そしてその自動拳銃の銃口を自分のこめかみに当てると、タツキの眼を見据えながら宣言する。

「あなたが助けてくれないのなら、あたしはここで、自分の頭を撃ち抜いて死にます。どうせこんな砂漠の真ん中に置き去りにされたら、死ぬしか無いんです。だから、命を落とすのが早いか遅いか、それだけの違いでしかありません。覚悟は出来ています。だからその上で改めて、あたしの命を賭けてお願いします。あたしを、助けてください」

 呆然としながら、うろたえるタツキ。狼狽する彼の瞳を、自身の頭を吹き飛ばさんとするアリョーナの無垢な瞳が、ジッと見つめる。果たしてあの自動拳銃が火を噴けば、彼女の頭はどうなってしまうのか。そんな事は考えるまでも無く、明々白々としている。

 頭の上半分が吹き飛ばされて地面に転がる、無残なアリョーナの死体を想像するタツキ。彼はそんな彼女の姿に、輸送機の墜落現場で上顎から上を失って死んだ父の姿を重ねた。

「やめろ!」

 タツキが叫んだ。

「お願いだ、やめてくれ……」

 歩行戦車の上で立ち上がり、頭を抱えながら、そう呟くタツキ。今度は彼の方が、懇願する立場だった。

「それじゃあ、あたしを助けてくれますか? あたしをその戦車に乗せて、一緒に安全な場所まで連れて行ってくれますか?」

「分かった! 分かったから! だから、その銃を下ろしてくれ! お願いだから……」

「ありがとうございます! 本当に、助かりました!」

 半ば恫喝にも近い方法で保護を強制させながらも、アリョーナはタツキに礼を言ってから、歩行戦車の横腹へと近付く。そしてその本体上へと登るタラップに、複雑なカービング模様が彫られたブーツに覆われた足を掛けた。

「本当に良いのですか、タツキ?」

 頭を抱えるタツキに、歩行戦車のAIは問うた。

「仕方無いだろう、助けるって言っちゃったんだからさ。今更、アレは嘘でしたとか言って断るなんて事、出来やしないよ。それこそ本当に頭を吹っ飛ばしかねないし、最悪の場合は、こっちの頭が吹っ飛ばされる」

「分かりました、タツキ。あなたがアリョーナの保護を了承し、私に命令すると言うのであれば、私はそれに従うまでです。どうか改めて、ご命令ください」

「命令するよ。彼女を、アリョーナを保護してやってくれよ」

「了解しました。当機はイダ・タツキの命令によって、全力でアリョーナ・エルタエフを保護する事を、ここに保障いたします。どうぞ、ご安心ください」

 相も変わらずの平滑で機械的な、感情の欠片も見出せない合成音声で命令を了承したAIに、タツキは只々嘆息するのみだった。だがそんな彼に、タラップを登り切って歩行戦車の上に乗ったアリョーナは、素朴な疑問を投げかける。

「ところで、このスカラヴァールカはあなたの戦車なの? だとしたら、あなたは軍人さんなの? とてもそうは見えないけれど」

圧力鍋スカラヴァールカ?」

「そう、圧力鍋スカラヴァールカ。この戦車のここの部分が、あたしのうちで使っていた圧力鍋の蓋にそっくりだから」

 そう言いながら、アリョーナは歩行戦車本体の上部に存在する、センサー類が収められた探査ユニットの蓋を指差した。確かにそれは、厚さ二十㎝ばかりの装甲版で出来ていると言う点を除けば、大きさと言い形状と言い、圧力鍋の蓋によく似ている。

「スカラヴァールカ。それは、私の事でしょうか、アリョーナ?」

 歩行戦車のAIが問い、アリョーナが答える。

「そう、あなたの事よ、スカラヴァールカ。あなたは喋れるんだから、やっぱり名前が無いと、呼び難いでしょ?」

「そんな、歩行戦車に名前を付けるなんて、おかしくないかな? 人間や、ましてやペットの犬猫じゃないんだからさ」

 まるで当然の事の様に命名を提案するアリョーナに、タツキは異を唱えた。だが意外にも、AIはそれを否定する。

「いいえ、タツキ。古来より現在に至るまで、兵士が自分の所持する武器や車輌に名前を付けて特別扱いする事は、特に珍しくもありません。その証拠に、前例は数限り無くあります。今となっては確認する方法はありませんが、記録を失う以前の私にも、以前のパイロットが付けていた名前が存在した可能性も高いでしょう。それにしても、スカラヴァールカですか。なかなか、悪くない名前ですね」

 歩行戦車のAI改めスカラヴァールカは、自分の新しい名前に、まんざらでもないらしい反応を示した。とは言え、勿論機械に感情がある訳は無いので、形式的な社交辞令を述べているだけの可能性が高い。

「それじゃあ、これからはお前の事を、スカラヴァールカと呼べばいいのかな?」

「そのようですね。それにいつまでも「お前」呼ばわりでは、今後はアリョーナも同行するとなると、私を呼んでいるのか彼女を呼んでいるのかが紛らわしくなります。ですので、その方が賢明と言えるでしょう」

 タツキの問いに、スカラヴァールカは答えた。旅の同行者が増える以上、明確に個人を区別する名称が存在した方が何かと便利なのは確かなので、タツキも無言で同意する。

「それで、あなたのお名前は何かしら? それと、軍人さんなの?」

 改めて、アリョーナがタツキに問うた。

「僕の名前? ああ、僕は、イダ・タツキ。それと僕は軍人じゃないし、これは僕の歩行戦車でもない。本来は、新自連の軍の所有物だ。……まあ今のところは暫定的に、僕が命令を下す立場になってはいるんだけどさ」

「そうなの、あなたの名前は、イダって言うのね」

「あ、いや、イダは名字ファミリーネームだよ。名前ファーストネームは、タツキの方。僕は日本人だから、名字の方が先に来るんだ」

「そうなのね、タツキ。あたしの名前は、アリョーナ。アリョーナ・エルタエフ。改めて、助けてくれてありがとう。それ程長い付き合いにはならないと思うけれど、これから暫くの間、よろしくね、タツキ」

「まあ、そうは言われても、僕はキミを連れて行く事は本意じゃないんだけどさ。それでもとりあえずは、よろしく、アリョーナ」

 歩行戦車の本体上で、改めて互いに自己紹介し合った二人は、同時に小さく頭を下げて、礼儀正しく会釈し合った。そして、アリョーナは嘆願する。

「助けてもらっておいて厚かましいとは思うのだけれど、もう一つだけ、お願いを聞いてもらえるかしら? お父様達の亡骸を埋葬したいのだけれど、手を貸してほしいの」

「埋葬?」

 言われてみれば確かに、民兵達はともかくとしても、アリョーナの家族の死体を野晒しにしておくのは不憫に過ぎるとタツキも思う。

「それは、火葬かな? それとも土葬?」

「そんなの、土葬に決まっています! あたし達ムスリムにとっては、遺体を火葬されるのは、最大の侮辱ですよ? そんな事をされたら、復活の日に神の国へと招かれなくなるじゃありませんか!」

「あ、ああ、そうなんだ。ごめん」

 不意に本気で怒りを露にしたアリョーナの姿に、気圧されるタツキ。そして彼は眼前の小さな戦火の残滓を見渡しながら、スカラヴァールカに問う。

「なあ、スカラヴァールカ。遺体を集めて穴を掘って埋葬するのに、どれくらいの時間がかかると思う?」

「残念ながらタツキ、そしてアリョーナ、私はその行為そのものに、賛同いたしかねます。現在の私には土木作業用の追加ユニットが装備されておらず、またこの付近の地表は、見かけ以上に硬い岩盤で覆われております。そのためこの条件下で十数名分の墓穴を人力だけで掘る時間は、我々には残されておりません」

「時間が残されていない、と言うと?」

「要となるのは、先程逃亡を許した敗残兵達です。彼らが仲間を呼んで報復行動に移行する可能性が高い以上は、この場に長期間留まるのは非常に危険であり、また同時に、愚かな行為だと言う事です。ですので私は、意見具申いたします。アリョーナの無念は察するに余りありますが、遺体はこの場に放置して、我々は早急に、予測される敵対勢力の感知圏外へと退避いたしましょう。それが現状における最良の策であると考えますが、いかがでしょうか、タツキ?」

 スカラヴァールカの、残酷ではあるが理に適った提案。しかしそれを聞いたアリョーナは、異を唱えずにはいられない。

「そんな! それじゃあお父様や兄様達の亡骸を、このままこんな場所で、風雨に晒されるままにしろと言うの? そんな事をしたら、すぐにでも獣や鳥の餌にされてしまうじゃない!」

「そうです。残念ながらそれが、現状で我々が取り得る最も効率的かつ安全で、損耗が少ない選択肢です」

「そんな……」

 歩行戦車本体の装甲上で、泣き崩れるアリョーナ。そんな彼女を気にかける様子も無い平滑な合成音声で、スカラヴァールカはタツキに問う。

「それではタツキ、如何いたしましょうか? 私の意見具申を、採択していただけますでしょうか?」

「また決定権は、僕にあるって訳か」

「そうです、タツキ。アリョーナが我々の一行に加わりましたが、依然として私に命令を下せる立場に居るのは、現状では唯一あなただけです」

 小さく一息嘆息したタツキは、泣き崩れているアリョーナを励ますために、その肩に手を置こうとした。だが寸前で思い留まり、その手を取り下げる。先程の発言からすると彼女はムスリムらしく、ムスリムの女性に迂闊に手を触れる事が礼儀に反する事を、彼も知らない訳ではなかった。

 タツキが住んでいた首都のアスタナは西欧化が進んでいたために、同じムスリムであっても、戒律に対する解釈が緩い。そのためよほど過激でなければ、女性も平気で肌や頭髪を露出させた服装で戸外を歩き、多少のスキンシップは許容されていた。しかしアリョーナは、古式ゆかしい民族衣装に身を包んだ田舎の出身だ。戒律に必要以上に厳しい、敬虔なムスリムの女性である可能性は高い。

「分かったよ。それじゃあスカラヴァールカ、急いでこの場を離れよう。それとアリョーナ、残念だけれど僕達の身の安全を考えたら、ここに留まってキミの家族を埋葬している時間は残されてはいないんだ。すぐにでも逃げ出さなくちゃ、さっきの民兵の連中が、仲間を大量に引き連れてやって来るかもしれない。だから急いでそっちのハッチから、コクピットに乗り込んでくれないか?」

 歩行戦車のコ・パイロット用の搭乗ハッチを指差しながら、タツキはアリョーナに、説得と要請の言葉を投げかけた。アリョーナは泣きながらも、タツキの説明通りにハッチの手動式開閉ハンドルを回してロックを解除すると、コクピット内へと潜り込む。そしてタツキもまた、搭乗ハッチからコクピットへと乗り込んだ。

 進行方向前方のメインパイロットシートにはタツキが。後方のコ・パイロットシートにはアリョーナが、それぞれ腰を下ろす。

 元々複座式に設計されているとは言え、さすがに二人の人間が乗り込むと、只でさえ狭いコクピットがより一層狭く感じられた。そんな閉塞感に苛まれながらも、ペットボトルの水を一口飲み下して喉を潤したタツキは、スカラヴァールカに要請する。

「よし、それじゃあ早速だけど、出発しようか。未だ最終的な目的地は決め切れていないけれど、とにかく発進してくれるかな?」

「了解しました、タツキ。それではとりあえず北に進んで、仮にこの場に先程の民兵達が報復行動のために帰還したとしても、センサーでも光学でも感知されない距離にまで退避したいと考えます。北に進めば、最終的な目的地が街道であっても国境線であっても、無駄足にはならないでしょう。この選択肢でよろしいでしょうか、タツキ?」

「いいよ、分かった。北に向かってくれ」

「了解しました。それでは移動を再開いたしますので、お二人とも、シートベルトをお締めください」

 そう言い終えた後に、タツキとアリョーナの二人がシートベルトを締め終えたのを確認してから、スカラヴァールカは移動を再開する。岩と砂ばかりの荒野を進む、一輌の歩行戦車。その移動速度は人間の小走り程度、概算で時速六㎞から八㎞程度だが、灼熱の陽射しの下では実際以上に軽快に見える。

「お父様……。兄様……。どうして死んでしまったの……。どうしてあたし達が、こんな眼に遭わなければならないの……」

 コ・パイロットシートでは、とりあえずの身の安全が確保された事で少しだけ心に余裕が生まれたのか、アリョーナが再び我が身に降りかかった不運を振り返りながら涙を零して嘆き続けていた。その泣き声は次第に声量を増し、やがては慟哭と言ってもいい程の嗚咽となって、コクピット内に響き渡る。

「それに伯母様もザーラも……。ニサなんて、未だほんの十二歳だって言うのに……」

 背後から止む事の無い嗚咽と悲嘆の言葉を聞かされ続けて、メインパイロットシートに座るタツキは、苛立ちを隠せない。

「うるさいなあ、そんなにいつまでも泣かないでくれよ。僕だって……僕だってつい昨日、実の父親が目の前で殺されたばかりなんだぞ! それを、僕の気も知らないで自分ばっかり泣き続けて……。そんなの……ずるいじゃないか……」

 気付けばポロポロと、タツキの両の瞳からも涙が溢れていた。

「父さん……」

 遂に堪え切れなくなったタツキもまた、嗚咽を漏らす。彼は外した眼鏡を操作パネルの上へと投げ出すと、パイロットシートの上で体育座りをするように身体を丸めながら、涙でパーカーの袖を濡らした。

 極限状態から唯一生き残った者同士である、少年タツキと少女アリョーナ。二人は歩行戦車の複座式のコクピット内で、その顔を涙と鼻水でぐしょぐしょに濡らしながら、まるで幼い子供の様にわあわあと声を上げて泣き続けた。

 そしてスカラヴァールカと名付けられた歩行戦車のAIは、只ひたすらに無言のまま、進路を北へと取って歩き続ける。

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