第二幕


 第二幕



 果たしてどれ程の時間、歩き続けたのだろうか。もう何時間も経過しているような気もするが、多分実際には、せいぜい一時間から二時間と言ったところだろう。万能の携帯端末であるPウェアを失った今のタツキには正確な現時刻を知る術が無かったし、また同時に、正確な方角を知る術も無い。墜落現場からの逃走を助言して死んだ軍人は北を目指せば街道に辿り着けると言っていたが、今現在自分が目指している方角が本当に北なのかも、タツキには判然としていなかった。とにかく今が正午に近い時刻であり、太陽の出ている方角がほぼ真南である事を信じて、それを背にする格好で只々真っ直ぐ歩き続けているだけなのである。

 見渡す限りの周囲一帯は、岩と砂ばかりの荒野。カザフスタンに移り住んでから五年が経過したとは言え、開発が進んだ都会である首都のアスタナからは、殆ど一歩も出た事が無いタツキ。彼にとってはこれが初体験だったが、これが中央アジアの本来の自然環境なのだろう。

 分類上は、砂漠。

 日本人が砂漠と聞いてまず連想するのは、アフリカのサハラ砂漠の様な白いサラサラの砂が堆積して出来た、地平線まで続く平坦な不毛の大地に違いない。しかしここ中央アジアにおける砂漠は、まるでその様相が異なる。砂はあくまでも地表に薄く堆積しているだけであり、基本的には永い年月をかけて風雨に浸食された、起伏に富んだ岩山で構成されている。またその岩も砂も、含有されている酸化鉄が多いためか、全体的に赤茶けた色をしていた。それに僅かだが雨も降るために、背の低い植物による植生も確認される。

「喉が……。渇いた……」

 背中にデイパックを背負い、素肌の上からパーカーを羽織ったタツキは、カラカラに渇いた自身の唇を舐めて湿らせながら、うわ言の様に呟いた。

 季節は初夏であり、刺すように強烈な太陽からの紫外線が、否応無しにタツキの身体をじりじりと焼く。だが幸いにも気温の高さの割りには湿度が低いために、パーカーのフードをすっぽりと頭から被って直射日光さえ遮ってしまえば、それほど深刻な暑さは感じずに済む。しかしその湿度の低さが、タツキの身体から見る見るうちに水分を奪い取って行くのだけは、止めようが無い自然現象だった。

「せめて水くらいは、持って来るんだった……」

 そう言うと、再度デイパックの中身を漁ってみたタツキだったが、やはり水分が補給出来るような物は何一つとして入っていない。まだ耐えられないと言う程の段階ではないが、このままではそれ程遠くない未来に、脱水症状を起こして立っていられなくなる事は確実だった。

 じわじわと忍び寄る、野垂れ死にの予感。こんな事ならば、輸送機を撃墜した民兵達に拉致されていた方がまだ生き永らえる可能性が高かったのではないかとタツキは後悔し、彼に逃走を助言した軍人を少しばかり恨んだ。だがとにかく今は、脱水症状で倒れる前に街道に辿り着ける事だけを祈って、前に進み続ける他に道は無い。そんな僅かな希望を胸に抱きながら、タツキはややもすればふらついてしまう不安定な足取りで、岩と砂ばかりの砂漠を歩き続けた。


   ●


「谷か……」

 暫し砂漠を歩き続けたタツキの眼前に姿を現したのは、深い谷と、その谷を左右から挟み込む切り立った崖だった。それは一見した限りでは、そこそこ小高い丘の中央部が地殻変動か何かで地割れを起こし、その裂け目が永い年月をかけた侵食によって谷を形成したように見受けられる。

「崖崩れとか、勘弁だからね……」

 誰に対して言うでもなくそう呟きながら、タツキは谷底を進む道を選んだ。理由は単純に、谷底の方が崖の陰になっている分だけ涼しそうだったのと、丘の上まで登るのが面倒だったからに過ぎない。だが谷の中央部まで歩んだタツキは、その岩陰に転がっている、明らかな人工物を発見した。

「何だ、これ? なんでこんな物が、こんな所に?」

 それは最も高い箇所で全高三m程度、全長は十mに達するかどうかと言った大きさの、鋼鉄の塊。色は付近一帯の岩とよく似た赤味がかった茶色であり、周囲に多少なりとも気を配っていなければ、岩の一部と誤認して見逃してしまうところだった。そしてそのシルエットは、戦闘車輌の様な厳つい本体から装甲に覆われた六本の脚が生えており、一見するとまるで巨大な蜘蛛か蟹の様にも見える。

 つまりそれは間違い無く、軍用機動兵器の、歩行戦車そのものであった。

「まさか、さっきの民兵じゃ……」

 タツキは周囲を警戒し、眼と耳に意識を集中させる。だが幸いにも、眼前の歩行戦車一輌以外には、戦闘車輌はおろか人影一つ見当たらない。どうやら理由は分からないが、こんな辺鄙な崖下の谷底に、この歩行戦車は打ち捨てられているらしかった。

「見た感じ、比較的新しいみたいだけど……。もしかしたら、中に水とか食料とか残ってないかな」

 一縷の望みを胸に、やや斜めに傾いだ状態で岩陰に佇む歩行戦車の脚によじ登ったタツキは、その鋼鉄の本体の上へと達する。そして改めて、まずはその装甲をコンコンと叩いてみて、暫し反応を待った。だが返答は無く、どうやら内部は無人らしい。それに壊れているのか電源が落とされているのか、その理由は分からないが、歩行戦車自体も活動を停止していると思われた。

「どこか中に入れる場所は……。あ、これかな?」

 歩行戦車の本体を探っていたタツキは、その上部に、人が出入りするための搭乗ハッチと思しき箇所を発見した。そしてその搭乗ハッチ上に手動で開くためのレバーを見出すと、それを掴んで、横に九十度回転させる。するとバクンと言う音と共に、予想通り搭乗ハッチのロックが解除された。

 歩行戦車の搭乗ハッチを開けたタツキをまず襲ったのは、何とも言えない異臭。酸っぱさと苦さが混ざり合ったかのような強烈なすえた匂いが、鼻腔の奥深くにまでも侵食して来て、タツキはゲホゲホと激しくむせた。次いで押し寄せて来た強烈な吐き気にえずきはしたものの、なんとかそこは我慢して、吐瀉だけは免れる。

「勘弁してくれよ……。また死体かよ……」

 搭乗ハッチの真下は歩行戦車のコクピットになっていたのだが、そこには既に、軍服に身を包んだパイロットが搭乗していた。しかしその皮膚が黒く変色してしぼみ、深い皺だらけになっている事から、彼が息絶えて久しい事は想像に難くない。

「よいしょっと」

 タツキはパイロットの死体の上着を掴むと、それを有らん限りの力で引き上げて、搭乗ハッチの外へと無理矢理引きずり出す。想像以上にパイロットの死体が軽かったのでタツキの貧困な腕力でも引きずり出す事に成功したが、それはパイロットが小柄だった事と同時に、全身の水分が抜けて半ばミイラ化していたからであった。これが湿度の高い日本であったならば、パイロットは凄惨な腐乱死体になっていたのであろう。だがここカザフスタンの気候では、放置された死体は、カラカラに渇いたミイラになってしまうらしい。

 タツキは少しばかり逡巡した後に、そのパイロットの死体に合掌してから小さく「南無阿弥陀仏」と唱えると、歩行戦車の本体上から突き落とした。赤茶けた岩の地面に、ドサリと落下するミイラ化した死体。残念ながら物言わぬ死体に同情している余裕は、今のタツキに残されてはいない。

 そして搭乗ハッチから歩行戦車のコクピットへと、タツキはその身を潜り込ませる。想像はしていたが、内部にはあのすえた異臭が充満していた。これが死臭と言うヤツなのかとウンザリしながらも、彼はコクピットの内部を観察する。

 自由に動き回れると言う程ではないが、それでもコクピットは、予想以上に広い。またどうやらこの歩行戦車は複座式らしく、タツキが腰を下ろした座席の後ろにももう一つ別の座席が存在し、そこにはパイロットの死体は無く無人だった。

 しかしやはり主電源が落ちているらしく、外界を直接覗くためのペリスコープから差し込んで来る太陽光以外の光源は無い状態で、ひどく暗い。そして今現在はタツキが座る、先程まではミイラ化したパイロットの死体が座っていた、座席のシートカバー。そこには既に乾いているとは言え、死体の脂肪が溶け出して出来た気味の悪い染みが広がっていた。だがそれに関しては、あまり深くは考えないようにタツキは努める。

「ええと、電源は……これかな? そもそもまず、これまだ動くのかな?」

 コクピット内に並ぶ各種のレバーやパネルやモニタ、そしてスイッチや計器の山。それらの中から、電源を意味する記号アイコンが描かれた開閉式のカバーが付いたボタンを発見したタツキは、そのカバーを開いてからボタンを押し込んだ。するとブオンと言う小さな音と震動の後に、コクピット内各所のモニタやランプが、点灯を開始する。そして中央の液晶モニタに表示されたのは新自連の記章と、「NOW REBOOTING」の文字。どうやらパイロットと違って、この歩行戦車自体は、完全には死んでいなかったらしい。

 やがて十数秒後、再起動を終えたらしい歩行戦車のシステムは、その本来の動作を再開する。

「システムの再起動が完了しました。ですが残念ながら、外部ネットワークとの接続に不備が生じています。更なる再起動を実施しますか?」

 歩行戦車のコクピット内部にアナウンスされる、機械による合成音声。その声色はやや低めで落ち着いた、若い男性のものに近い。

「え? あれ? えーと、これはもう一度、再起動し直した方が良いのかな? それと、入力用のデバイスはどこに有るんだろう」

 突然の合成音声によるアナウンスに若干戸惑いながらも、コクピット内にキーボード等の入力デバイスが存在しないかどうかを確認するタツキ。だがそんな彼に向けて、合成音声は更に続ける。

「残念ながら、あなたが当機の正規のパイロットである事が確認出来ません。所属と階級が証明出来る物を提示してください。もしくは緊急事態で搭乗した民間人の場合は、身分が証明出来る物を提示してください」

「え? ああ、これはもしかして、音声入力なのかな? と言う事は、今喋っているこれは、この歩行戦車のAIそのもの?」

 驚くタツキに、合成音声は返答する。

「そうです。私は新自由主義国家連合軍所属の歩行戦車、MA-88。通称「リンボⅡ型」の制御AIです。繰り返します。あなたが新自由主義国家連合軍の軍人である場合は、所属と階級を。民間人である場合は、身分を証明出来る物を提示してください」

「身分か……」

 タツキは背負っていたデイパックの中からパスポートを取り出し、自身のプロフィールが記載されたページを開く。ついでに首から下げっ放しになっていた輸送機の搭乗許可証も手に取ると、それらを正面の液晶画面の少し上に設置された、カメラのレンズと思しき機械に向けて提示した。

 暫しの間の後、歩行戦車のAIは応える。

「スキャンの結果、あなたが日本国籍を有する民間人の、イダ・タツキである事が証明されました。しかし残念ながら、現在当機は外部ネットワークとの接続に不備が生じているために、最終的なネットワーク認証が完了出来ません。ですが八十二%の確率で、提示されたパスポートが本物であり、あなたがイダ・タツキ本人であると認められました。そのため、暫定的にあなたを当機のシステム使用者として登録いたします」

「それってつまり、僕がこの歩行戦車を自由に使えるって事?」

「そうです。ただし、民間人の行使出来る権限には制限が設けられているために、残念ながら全ての命令に応える事は出来ません。ご了承ください」

 AIの返答に、少しばかりウキウキとした興奮を覚えるタツキ。彼の軍事関連への興味は乏しいが、それでも一介の男子として、本物の戦車に命令を下せる立場になった事への喜びは何物にも変え難い。

「それじゃあ、まず初めに聞きたいんだけどさ。どうしてこの歩行戦車は、こんな場所に転がっていたのさ? それにパイロットが死んでから時間も経っていたようだし、一体ここで何があって、これからどうするつもりなのかな?」

 現状に対する、タツキの素朴な疑問。だがAIからの返答は、彼の期待していたものとは大きく乖離する。

「残念ながら、その質問に対して明確な返答を返す事が、私には出来ません。私のシステムは、つい先程、初期起動を終えたばかりです。これは推測ですが、どうやら不測の事態により、当機のOSは初期化されたものと考えられます。また同時に、HDDの中身の九十四%が失われ、基礎機能の十八%にも損傷が認められます。外部ネットワークとの接続に不備が生じているのも、これが原因でしょう」

「それってつまり……何も分からないって事?」

「そうです。残念ながら。またGPS機能にも損傷が認められるために、当機の現在地を確認する事も出来ません。もしよろしければ、ここがどこなのか教えていただけないでしょうか? また同時に、あなたが当機に搭乗している理由も、お教えください」

 半ば遭難者同然である自分が、逆に現在地を尋ねられた事に、タツキは頭を抱える。結局は彼が知りたかった事の多くが、この歩行戦車のAIもまた知り得ていない事実が判明しただけだった。

「ここは、カザフスタンの砂漠の、どこかの谷底だよ。僕は戦火から逃れるためにウクライナに向かう途中で、乗っていた輸送機が撃墜されたんだ。それで奇跡的に無傷で生き延びて、なんとか保護してくれる公的機関を見つけるために北の街道を目指して歩いていたら、この歩行戦車をたまたま見付けて乗り込んだんだよ。ちなみに最初から乗っていたパイロットは既に死んでいて、今はこの戦車の足元に転がっているから」

 半ばヤケクソ気味に、ざっくりと事のあらましを伝え終えたタツキは、深く嘆息した。そして暫しの間を置いてから、歩行戦車のAIは応える。

「現状の推測が終了いたしました。現在地はカザフスタン共和国の、おそらくは中部辺り。そして当機は一ヶ月から二週間程度以前に、この地で戦闘か、もしくは事故により、この谷底に落下したものと考えられます。またその際にシステムが損傷し、記録の大半と、機能の一部を失ったのでしょう。同時に正規のパイロットも死亡したものと推測されますが、スキャンの結果、パイロットの死体の頚椎に損傷が確認されましたので、これが死因と考えられます。しかし当機は複座式ですので、もう一名コ・パイロットが搭乗していた筈ですが、この人物がどうなったのかについては不明です。あるいは落下時に、たまたまメインパイロットしか搭乗していなかった可能性も考慮されますが、明言は出来かねます」

「つまり、本来はこの崖の上を歩いていた筈なのが、戦闘か事故でここまで転げ落ちたと。その結果、記録と機能を失ったって事?」

「そうです。それでは早速、推測の検証を行なうために、これより当機は崖の上へと移動を開始いたします。安全のため、シートベルトを着用ください」

 AIがそう返答し、タツキがシートベルトを締め終えると同時に、歩行戦車がガクンと揺れた。するとガシャガシャと言う動作音を響かせながら、本体から生えていた六本の脚を伸縮させて、岩陰で斜めに傾いでいた歩行戦車はその姿勢を正す。そして滑らかな動きで、崖の上を目指して歩行を開始した。

「すごい、本当に歩いてる」

 興奮するタツキを他所に、歩行戦車は谷底を抜けると、そのまま反転して丘を登り始めた。その歩行速度は小走りの人間と同じ程度だが、姿勢制御能力はタツキの予想以上に高いらしく、歩行中もコクピットに揺れは殆ど感じない。更に傾斜地である丘を登攀中も、本体部分だけは常に水平状態を保ち続ける安定性の高さには、驚きを隠せなかった。

 やがて歩行戦車は、崖を見下ろす丘の頂上部へと到達する。

「これは……」

 コクピット内の全周囲モニタに投影された周辺一帯の光景に、タツキは輸送機の墜落現場を思い出して、声を漏らした。果たしてそこに残されていたのは、生々しい戦禍の痕跡。既に充分な時間が経過しているために炎や煙は立ち昇っていないが、真っ黒に焼け焦げた各種の車輌や機動兵器、そして干からびた人間の死体が、そこかしこに転がっている。また地面の各所にも砲弾等によって岩が大きく抉り取られた痕跡や、爆発物が使用された痕跡が数多く認められ、激戦が展開された事は想像に難くない。そしてそれら戦闘遺留物の間を縫うように歩き回った後に、ちょうど自分自身が落下していた谷底の直上の崖を入念に探索してから、歩行戦車のAIは改めて告げる。

「現状の推測を更新いたしました。やはり一ヶ月から二週間程度以前に、この丘の上で、中規模な戦闘が展開されたものと考えられます。また遺留物の分析から推測するに、戦闘は新自由主義国家連合と新生ソヴィエト連邦の正規軍同士で行なわれたものと見て、まず間違い無いでしょう。しかし地表に残された戦闘の痕跡に対して遺留物が少なく、また遺留物のほぼ全てが再利用の価値が低い資材である事から、本来戦場に残されていた筈の残骸の多くは既に回収されたものと考えられます。同時に、正規軍であれば率先して回収する筈の兵士の死体が放置されている事から鑑みて、回収したのは現地の回収業者と推測するに至りました。勿論、正規のではなく、違法な回収業者です」

「それはつまり、ここで戦闘が行われて、残っていた使えそうな残骸は火事場泥棒に持って行かれちゃったって事?」

「そうです。残念ながら」

 タツキの問いに、AIは本心から残念がっているとは思えない、文字通り機械的な抑揚の無い合成音声で答えた。

「それで、崖下に落っこちていたこの歩行戦車だけは見つからなかったんで、運良く回収されなかったって事なのかな?」

 タツキは、自分の座るコクピットのシートをパンパンと叩きながら言った。

「そうです。また同時に、当機が落下していた地点の直上部をスキャンしたところ、高確率で高出力EMP弾頭が使用されたと思われる痕跡を発見いたしました。しかし当機の外装に相応の損傷が見受けられない事から、幸運にも直撃は免れたものと推測されます。ですがおそらくは、至近距離で爆発したその弾頭の影響を受けて、当機は機能を停止。そして運悪く、崖から谷底へと落下したのでしょう。そしてその際にパイロットが頚椎を損傷して死亡し、当機のシステムが初期化されたのと同時に、HDDの中身の大半を失ったものと推測を改めます」

「EMP弾頭?」

 聞き慣れない言葉に、タツキは問うた。

「そうです。EMP弾頭。つまりは電磁パルス《electromagnetic pulse》弾頭の略称です。強力な電磁パルスには精密機器の電子回路を物理的に焼き切る性質があるために、機動兵器を無力化させる目的で、この弾頭が使用されています。ですが勿論、この弾頭への対抗策として、現行の軍用機動兵器の電子回路は基本的に全て特殊な素材によって保護シールされています。ですので、通常のEMP弾頭で当機を無力化する事は出来ません」

「それじゃあどうして、この歩行戦車は崖から落ちたのさ」

「それは使用されたのが、「高出力」EMP弾頭だったからでしょう。これは通常のEMP弾頭の改良型で、電子回路に施された保護シールを貫通して、精密機器を完全に無力化いたします。しかしその出力の高さに反比例して効果範囲が極めて狭いために、直撃を受けなかった当機は、現状の損耗程度で済んだものと推測されます。もし仮に直撃を受けていたとすれば、当機は全ての電子回路を焼き切られて、只の鉄屑へと成り果てていた事でしょう」

 妙に人間臭い言い回しを使うAIの説明を受けて、タツキはこの歩行戦車が置かれた現状にようやく得心すると、問う。

「それでさ、これからこの歩行戦車は、一体どうするの? それと僕は、一体どうすればいいのかな?」

「本来であれば、当機は軍務に即時復帰するために、ネットワークを介して本部からの指示を仰がなくてはなりません。ですが残念ながら、当機は現在、外部ネットワークに接続するための機能が高出力EMP弾頭による攻撃の影響によって完全に失われている状態です。そのため当機に設定された軍規に則り、以下の二つの作戦ミッションを遂行する事が、最優先事項として再設定されました。一つは早急に最寄の新自由主義国家連合軍の基地へと帰投し、修理と補給を受けた後に、軍務に復帰する事。もう一つは、イダ・タツキ、新自由主義国家連合の国家構成員であるあなたを、無事に自国の勢力圏まで保護、及び輸送する事。以上の二点となります」

「えーと、それはつまり、具体的にはどう言う事なの?」

「つまりはですね、タツキ。あなたの身の安全を確保しながら、最寄の基地まで無事に帰投する事が、今の私に課せられた最優先の使命と言う事です。またその途上で、あなたを保護してくれる新自由主義国家連合の施設や組織を発見した場合には、そこにあなたを引き渡して、私は軍務に復帰いたします」

 要約されたAIの返答を受けて、タツキはその顔を僅かに綻ばせた。そして彼は、歓喜の声を上げる。

「それじゃあつまり、この歩行戦車で、僕を安全な場所まで運んでくれるって事だよね? だから、それまではずっと乗っていてもいいって事でしょ?」

「そうです。途中で最優先事項の更新が行なわれない限りは、あなたの身の安全が確保される場所まで責任を持って護送する事を、私は保障いたします」

「やった!」

 期せずして身の安全と移動の手段が確保された事に安堵して、思わずガッツポーズを取るタツキ。すると急に全身の力が抜けると同時に、これまでの疲労がドッと押し寄せて来た彼は、コクピットの座席に浅く腰掛けて体重を預けると、深く嘆息した。そしてついでに、ちょっとばかりの贅沢を望んでみる。

「ところでさ、このコクピットの中も、外と同じかそれ以上に暑いんだけどさ。これ、どうにかなんないのかな?」

「了解いたしました。それではエアコンを起動させますので、最適な温度になりましたら、お教えください」

 AIがそう言うと同時に、コクピット内の各所から、冷風が優しく噴き出す。するとすぐに歩行戦車のコクピット内は、人が活動するのに適した温度となった。また同時に、空気を清浄化させるエアフィルターも標準装備されているのか、充満していたあの苦いような酸っぱいような異臭も瞬く間に失われて行く。そして気が付けば、戸外の苛烈な環境が嘘の様な快適な空間が誕生していた。

「なんだよ、こんな便利な機能が搭載されているのなら、もっと早くから稼動させてくれればいいのに」

「申し訳ありません。残念ながら、これらの環境調整機能はデフォルトではオフに設定されているために、OSを初期化されたばかりの私では気が回りませんでした。他にも何かご要望があれば、可能な範囲でお応え致しますので、お気軽にお申し付けください」

 そこでタツキは、この歩行戦車を探索した当初の目的を思い出す。

「そうだ、水だよ、水。ここには、水は置いてないのかな? それと出来れば、食べ物なんかも有ったりすると助かるんだけどさ?」

「水と戦闘糧食MREでしたら、当機はおよそ一週間分が、コクピット内に常備されております。タツキ、あなたが今現在座っているパイロットシートの下に入っておりますので、ご自由にご利用ください」

 AIの返答を受けたタツキは、急いでシートベルトを外すと座席から腰を浮かせ、その座面を持ち上げた。果たしてその下の収納スペースに収められていたのは、ペットボトルに入った新鮮な水と、一食分毎に小分けされた戦闘糧食MREの紙パック。残念ながら既に死んでいた正規のパイロットが幾分消費した後らしく、常備されていると言われた一週間分からは若干減っていたが、それでも当面は脱水症状と餓死を免れ得るだけの量が、そこには存在していた。

「――! 水だ!」

 言葉にならない歓喜の声と共にペットボトルの一本を手に取ったタツキは、急いでボトルのキャップを開けると、渇き切っていた喉にゴクゴクとその中身を流し込む。口から、喉から、食道から、そして胃袋から全身へと、水分が補給されて行くのを実感する。そして何とも言えない満たされた笑顔を浮かべたタツキは、更にチビチビと数口分の水を飲み下してから、改めて座席に腰を下ろして人心地付いた。

「タツキ。シートの下には救急箱メディキットも用意されておりますので、怪我の治療も併せて行う事を推奨いたします」

「怪我? 怪我なんて、してないけど? ……ああ、この血の事? これは全部他人の血で、僕自身は怪我なんてしてないよ」

 着ていたTシャツをタオル代わりにして拭ったとは言え、それでも未だタツキの顔や手には、乾いた血痕が幾筋にも渡ってこびり付いていた。それに着替えられなかったデニムのジーパンは、既に乾いてドス黒く変色しているとは言っても、相変わらずべっとりと血にまみれたままである。

「そうですか。それは安心いたしました。それでは当機は最優先事項の履行のために移動を開始いたしますので、再度シートベルトをお締めください」

 相変わらずの抑揚の無い声で機械的にそう言うと、ぐるりと方向転換してから、歩行戦車は移動を開始する。タツキはパイロットシートに腰を下ろしてシートベルトを締め直し、水をもう一口飲んでから、自分の血まみれになったジーンズをジッと見つめた。すると水分を補給したせいでもないのであろうが、彼の両の瞳からは、ポロポロと涙が零れ落ち始める。

「皆……死んじゃったんだよな」

 隣の席に座っていた実の父親も、あの優しかった黒人の軍人も、そして輸送機に同乗していた、おそらく自分以外の全ての避難民達。その全員が、あの僅かな時間でその命を落とした。そして何故か自分一人だけは、全くの無傷で生き延びている。その残酷な事実に、ようやく心に少しだけ余裕が持てたタツキは思いを巡らせて、改めて涙する。同情、悲哀、悔恨、恐怖、憎悪、そして僅かな歓喜。様々な思いがごちゃ混ぜになってタツキの心を押し潰し、彼は只々静かに泣き続けた。

「どうしたのですか、タツキ? やはりどこか、怪我をされているのでしょうか?」

 歩行戦車のAIの無機質な問いにタツキは答えず、涙を零し続ける。

 そして一人の日本人少年と一輌の歩行戦車は、北を目指して前進を開始した。

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