9人目 ラヴ・エステート

「ラブ・エステート?」


PCの画面にいくつも表示された物件情報とにらめっこをしながら目の前で優雅にコーヒーを啜る友人の言葉を復唱した。


「違う違う、ラブじゃなくてラヴ」

「発音の違いなんてどうでもいいんだよ、何それ、恋愛不動産ってこと?」


こっちは真面目に引っ越し先を探してるというのに、ふざけた話を持ち込む野郎だ、コイツはいつもそうだ。


「大通りのパン屋のとこからさ、裏道に入れるじゃん、そこの一番奥にあるんだけどさ、あそこ結構窓にビッシリと不動産情報貼り出してたし、ああいった穴場に意外といいやつあるんじゃないの?」

「おお、見直したよ、今度行ってみるわ」

「そうか、見直す前がどうだったのかは聞かないでおこう」


時計を見ると、次のバスまでの時間が残り僅かになっている、俺は急いで荷物を纏め、友人を残してテラス席を後にした。


* * * * *


煤けた看板に、無機質なゴシック体で『ラヴ・エステート』と書かれている。

ひと昔前のような感じに褪せたその文字と店の風貌からは、不安の二文字しか浮かんで来なかった。


「あの野郎、少し信用すればすぐコレだ」


俺はボソリと呟いてその店に入らずに立ち去ろうと、クルリと踵を返した。


「お探しは」


振り向いた先に居た老人が突然声をあげ、俺は驚いて思わず声を上げて飛び上がる。


「愛か、物件か、どちらですかな」


後ずさった俺に対して、コツコツと音を立てて俺に歩み寄る老人、距離が近すぎる、老眼鏡の奥の瞳までよく見えるほどの距離だ。


「残念ながら、ここには探してるものは無さそうですので、失礼します」


そう言って俺は老人のすぐ隣をすり抜けて道へと戻る、だが老人は大声を挙げて俺を呼び止めた。


「佐倉 栄一23歳、大学卒業後、デザイン会社に就職、しかし身に覚えのない痴情のもつれに巻き込まれ、退職にまで追い込まれる、当時交際していた女性にもその騒動によりあらぬ誤解を受け破局、退職の際に当然ながら社宅を出なければいけない事が決定し、月末までに次の住まいを見つけなければならない」


老人はまるで台本が存在するかのように俺の近況をスラスラと言ってみせる、得体の知れない恐怖を感じた俺は、思わず振り向いた。


「誰に聞いた、そうか分かったぞアイツだろ、人が真面目に家を探してる時に手の込んだ嫌がらせしやがって」


俺は怒りのあまりその場でスマートフォンを取り出し、友人に電話をかけようとした。


「貴方もうちの不動産の1つだから知っていて当然、ご友人は関係ないのですよ」


老人は再び歩み寄り、スマートフォンが握られた俺の手をそっと下げさせた。


「駅から徒歩3分、日当たり良好、家具付き、部屋は最上階、駐輪場広め、小動物までなら可、敷金礼金0円」

「そんな上手い話が──」


老人の背後で、古びた店舗のドアがひとりでに開く、老人はニヤリと笑い「ありますよ」と答えた。


* * * * *


「入居後3ヶ月と11日で運命の出会い……か……」


ラヴ・エステートの店主を名乗る老人がこの部屋を契約した後に言った言葉である、今日がその3ヶ月と11日なのだ。


「出会いねぇ」


部屋の布団に寝っ転がり天井を見つめる。

このまま今日を寝っ転がったまま過ごしたら、あの老人の言う事は全部嘘になる、あの老人はこういった事を想定していたのだろうか。


ピーンポーン


玄関からチャイムの音が響く、あの老人の差し金だろうか、なるほど、そうやって恋愛不動産を演出するわけか。

居留守を決め込む、1分ほど待って再びチャイムが鳴った時、玄関の方から聴き覚えのある声がした。


「あのぉ……」


女性の声だ、大学生の頃同じサークルだった後輩の声によく似て居る。


「すみません……誰かいませんか……」


消え入りそうな声だ、放置するのに罪悪感を感じる。


「何か?」

「わっ、サクラ先輩!?」


ドアを開けて顔を見せた俺を見て後輩は驚いた。


「君もサクラだろう、なんだこんな休日に」

「あの、私隣に住んでるんですけど、玄関の鍵が壊れたというか、差した鍵が折れてですね……」


スッとその折れたという鍵を見せる、本来鍵穴に差し込むべき部分が根元からポッキリと折れて無くなってしまっている。


「ちょっとコンビニ行くだけのつもりだったんで、ケータイも家に置きっ放しで、管理人さんも今日は居ないし、周りの部屋も皆留守で……」


今にも泣きそうな顔をしている、こいつは大学でも結構な泣き虫だったなとふと思い出した。


「わかった、電話貸すから鍵屋に連絡しろ、管理人には俺から連絡しとくから」


大学時代の後輩が偶然隣に住んでるだけでも驚きだが、そんなミラクルな不運に見舞われていたのも驚きだ、大学でも偶然ひっくり返ったバケツの水を被ったり偶然隣の席の人にホットコーヒーを膝にブチ撒けられたりと散々な目に逢っていた記憶がある。

ん? なんだ、サークル以外でそんなに関わっていないつもりだったが、何故俺はこんなにコイツのことを覚えてるんだ?


「ありがとうございます、助かりました……」


目に涙を浮かべながらホッとした顔で笑う後輩が貸したケータイを俺に返した。


「あの、お礼に今度──」


* * * * *


「「佐倉 桜」だとあんまりだよなぁ」


ブライダル雑誌を眺める彼女に俺は言う、あれから、何者かが手引きしているかのようにスムーズに俺たちは交際を始め、俺には新たな仕事が見つかり生活は順調そのものだ。


「私は構いませんよ、でも確かに名乗りにくいかもしれないですね」


幸せそうな顔で笑う彼女を眺めていると、こちらも幸せになってくる。


「結婚したら新しい部屋も探さなきゃな」

「あ、私いいとこ知ってます、駅の近くなんですけど──」


驚いた、どうやら彼女もあの不動産屋を知っていたらしい。

まぁでも、俺たちの名前とは違って、用意されていた出会いはサクラなんかじゃなかったのは事実だ。

今はこの幸せを、噛み締めていこう。


* * * * *


「回りくどいんですよ、あなたは」


老人の頭上から声がする、大きな羽根の生えた若い男性がビルの非常階段の手すりに座っている。


「そういう事は、私より業績を伸ばしてから言ってみてはいかがかな、君は副業ばかり優秀なようだが、私のように副業を交えた手法でも使わないと、この現代では通用しないさ」

「まったく、本来人と人を結ぶ我々天使がこうして地上で働かなくてはならないなんて、嫌な時代ですね」

「副業も楽しいものだよ、君も不動産屋なんてどうだい」


そう言って老人は煤けた看板の店へと帰って行った。


「食えねえジジイだ」


羽根を生やした男は手すりから飛び、地面に着地した、羽根はスゥっと空間に溶けるように消えて、ごく普通のスーツ姿の男になった彼は、そのまま老人の不動産屋に背を向けて歩き出した。

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