第19話 天災のような天才
内臓の関係各所が悲鳴を上げてるというか絶叫している。
本日2度目の全力疾走。死ぬ。マジで。
単純な運動不足の問題だと取り沙汰されるとしても、デスクワーク中心の人間には寿命をも削りかねない蛮行だよこれは。
そして今現在、最寄りのコインランドリーに潜伏中。
普通に逃げてたら容易く追い付かれそうだったから、少し危ないのを覚悟の上で人通りの中を思いっ切り駆け抜けた。
さすがの姫心愛ちゃんも人を躱しながらだと苦戦したみたいで、どうにかこうにか撒いてここに緊急避難した。
ただ、撒けたとはいえさっき気配で俺を見つけてきた姫心愛ちゃん相手に全然安心も出来ないんだけど。
取りあえず精神的・肉体的の2重の意味で一息つきたい。
……つきたいんだけど、それは許されずに俺はコインランドリーの隅に追いやられ直立不動させられている。
それはもう絵に描いたようなしかめっ面でお姉様が俺の前に立ち塞がっておられる。
「一体全体これは何?」
「そ、そうですよねぇ~。意味分かりませんよね~……?」
「だから何って聞いてるんでしょ?」
「いやーそのー、ご納得頂ける説明をする自信がないと言いますか何と言うか」
「何?私は意味も分かんないのに急に引きずり回されてこんなトコに連れて来られたの?セクハラ?セクハラなの?」
「いやいや違います!セクハラなんて滅相もない!ただ、やんごとなき事情があった訳でして……」
「やんごとなきって、あの狭いトコでイチャついてたあれ?」
「イチャついてないです……あの子ファンですし」
「は?ファン?誰の?」
「一応自分の」
「あんたの?いやいや。なんで?」
「僭越ながらこれでも作家をしておりまして。なんかデビュー当時からファンとしていてくれてたみたいで……」
「は?じゃああんたはファンに手を出したの?うわー引くわー」
「いや、誤解ですって!!俺の方が連れ込まれたっていうか」
「世の中の犯罪者は皆揃ってそう言うんだよ」
信じてくれない!?っていうか信じようとするお心がこれっぽちも窺えない!!
いやそりゃお互いの心象はあの一件から見ても良いものじゃ無いとは思うけど、この人は徹底的に俺のアンチでいる気が満々だ。
「勝手に巻き込まれたのも癪だし、百歩譲ってあんたの言ってる通りの事だとしても私には一切関係がない。っていうか私を出しに使った姑息なやり方も気に食わないし、ましてや私があんたの連れだって?ないわー。どうしてあんたと私が一緒に時間を共有出来るってわけ?私はそんなとこに割ける時間はないの。1分1秒もコンマの値まであり得ないわ」
「ぐ、ぐおぉ……」
なんちゅう罵詈雑言ですたい……こんなの屈強な九州男児も裸足で逃げ出しますぞ?
巻き込んだのは俺だし身勝手なデフォルメしたのも重々承知で恐縮してるけど、さすがにこの言われようはなぁ……。
心折れるとかの前にちょっとムムムと思っちゃったぞ?ハイテンションスポーツキャスターばりにムムムってなっちゃってるぞ?
「そういう事だから。筋を通して誠心誠意の謝罪を受けてからお暇させてもらおうかしら」
「なるほど……確かに巻き込んだこっちが悪いのは否定出来ませんし正直に申し訳ないと思ってますよ。ただ」
「ただ?何よ?」
「果たして俺を100%断罪出来る程の立場にあなたがいるのかっていう疑念もねぇ?そんなのがあるんですよね?」
「は!?何言ってんの?全面的にそっちが悪いじゃない!」
「俺の非だけで片付けるにはお姉さんは清廉潔白でおられるのかって点に些か引っ掛かっておりましてね。えぇ」
「ど、どういうことよ?」
「今日は何用があってあそこにいたんですか?」
「な、何用ってそれはちょっとした買い物よ」
「ほほう。買い物。その割には手ぶらみたいですけど」
「これから買いに行くとこだったのよ!」
卑しい。嫌らしい。ねっちこっい。
流石にその自負はある。
でも後には引けない。もう儘よ。
「俺さっき、大家さん見かけてるんですよ」
「へ、へぇーそうだったんだ。奇遇ねぇー」
「いや。大家さんをまた追いかけてましたよね絶対?」
「そ、そんなことないわよ!?たまたま偶然でスーパーに行くっていうのが重なっただけよ!」
「ほほーう。なんで大家さんがスーパーに行ってたって知ってんですか?俺はただ見かけたって事しか言ってないのに」
「え?あっ……」
「墓穴ですね。ほら。完璧にクロでしょ」
「ひ、卑怯よ……!!」
「この際何とでも言われましょう」
まさかこうもあっさりと掛かってくれるとは。
っていうか卑怯って。確かに男の価値を暴落させるような低レベルの手法を使ってるけど、元を正せばお姉さんも後ろめたい事やってるわけで。
第三者から見たら完全にイタチごっこだよね。
それでもまぁ、主導権を握れたんだから今は活かせるだけ活かそうじゃないか。
「私はあんたのようなヤツに屈しないわよ!」
「じゃあ大家さんに一部始終報告しろって事ですね?」
「うっ……な、何が望みよ?」
「取引しませんか?」
「……取引?って何よ?」
「俺は本当にあの子に何もしてないし、むしろ何かしら仕掛けて来てるのはあの子の方なんです」
「だから何よ」
「ファンからエスケープしたいって何様かもしれないけど、今はそうしたいのが本音なんです。なので大家さんを追尾してた事に今回は口を紡ぐのでお姉さんは俺に協力をしてください」
「……具体的にどうしろと言うのよ?」
「それは」
次の言葉を飲み込んでしまった。
別に不用意な言葉だからとかじゃなくて、お姉さん越しにガラス張りの入口からこっちをロックオンしてる姫心愛ちゃんが視界に入ったから。
この何十分かで驚くほどの検挙率を挙げてるから、頭の中からは「見つからない」という希望的観測はすでに削ったよ?
けど、こうも悉く見つかると猟奇的な臭いさえ感じざるを得ないというかさ。
スプラッタームービーの主人公とかはこんな気持ちなんだろうかって思うね……。
「なに急に黙ってんの?」
「取りあえず逃げながら考えますか……?」
「はぁ?何言ってんの?」
「って、後ろ!後ろ!!」
「は?うわっ!?」
扉を開くや否や、姫心愛ちゃんが常人離れの速さで距離を詰めて来た。
間一髪で気付いたお姉さんが反応して二人で何故かレスラーの力比べみたいに両手を絡めて対峙している。
「きゅ、急に、何よあんた……!!」
「わたしには分かります。この人は先生を誑かせている女ですね?」
「はあぁ!?な、に、言ってんのよ、あんた……てか、ち、力、強過ぎない……!?」
「絶対的なファンの力です。ね?先生?」
「えっとゴメン。そんな力は聞いた事ない……」
「こっちの方が……聞いてないってっ!!!」
えぇーーー!!!
お姉さんが体勢を入れ替えて姫心愛ちゃんを背負い投げしちゃったーーー!?
こんな狭いとこで女の子相手に繰り出す技かな!?ちょっとやり過ぎじゃないかな!?
……って思ったけど、なんか動物的反射のように空中で翻って見事に着地したよ姫心愛ちゃん……。
「武道とかじゃないみたいだけどその身のこなし……中々やるわね」
「人を投げ飛ばすなんて……野蛮も野蛮ですね」
え?何このバトル漫画みたいなノリと展開。
女の子同士だよ?ここコインランドリーだよ?渦中にいるのヒロインじゃなくてただの三十路男だよ?
少年誌を飾る要素がひとっつもないですやん!
こっちは心打たれる熱いバトルなんてこれっぽちも望んじゃいないから、出来れば平和的かつ穏便に事態を収拾したいのですよ?
ってオイ!そう思ってるそばからまたレスラースタイルの組手を再開してるし!
まるでリプレイのようにお姉さんが体勢を入れ替えて投げに入る。
けど、同じ轍は踏むまいとお姉さんの動きに合わせるように姫心愛ちゃんが半歩下がってそれを回避。すぐさまお姉さんの胴を持ってまさかのスープレックスの体勢へ。
しかししかし。お姉さんはすぐさまそれを察知して、投げられないよう腰が折れた状態からそのまま姫心愛ちゃんの両足首を掴んでホールドする。
技を阻止したお姉さんは体を捻ってホールドを解き、すかさず姫心愛ちゃんの腕関節を取りにいく。
それにも姫心愛ちゃんは反応し、まさかの柔軟さでしなやかに体を入れ替えてお姉さんの手を振り解き一旦間合いを取る。
改めてもう一度言うけど、ここコインランドリーだからね?コインランドリーで実況してるからね俺?
つーか、このままだと絶対何かしらの被害が起きるのは言うまでもないだろうさ。
「ちょ、ちょっと二人とも。もうその辺で……」
意を決してのレフェリーストップを試みる。
「フッーーーーーーーーー」
「ブツブツブツブツブツブツ……」
あ。ダメだこれ。
二人とも何かもう入ってて、迂闊に手出したら狩られるわ絶対……。
というか今のこの二人にかかったら、普通に洗濯へ来た無関係な人さえ襲われ兼ねない。
もうこのコインランドリーは虎の穴と化してしまった……。
心なしか震えてきたし足が震えて来て恐怖に慄いている……って違う。
足の震えじゃなくてポケットにある携帯のバイブだこれ。
「はい……もしもし」
『狼谷です。確認し忘れてた事があって電話したんですが今どこにいますか?』
「今ですか……?今はコインランドリーにいますね」
『コインランドリー?洗濯中ですか?』
「いや洗濯中というか戦闘中というか……」
『え?どういうことですか?ていうか、さっきからなんで小声なんですか?』
「なんというか、実は変な事に巻き込まれてて……」
『変な事?なんですかそれ!?面白そうなヤツですか!?』
「安定の食いつきですね。全く面白くないですよこっちは。変なファンに襲われるわコインランドリー大戦に巻き込まれるわでもう許容オーバーですよ……」
『ん?変なファン?それって幼顔の女の子ですか?』
「え?あぁそうです。え?知ってんですか?」
『先生。そのコインランドリーの場所どこですか?』
「慌てて飛び込んだから正確には分からんけど、たぶん2丁目辺りのかな?」
『2丁目。ってことは……』
「ここかーーー!!」
「!?」
え!?早っ!?場所言ってものの数秒だよ?
イリュージョンなの?ドッキリなの?どういう事なの!?
「早くないっすか!?」
「丁度外回りでこの辺にいたので」
「あーそういうこと」
「それよりも。そこの暴走モード全開の南条 姫心愛!!」
「ブツブツブツ……ん?はっ!美琴ちゃん!?」
「下の名前で呼ばない」
「え?お知り合いですか……?」
「お知り合いも何もウチのお抱えですよ」
「ん?お抱え……?」
「"南条 姫心愛"。先生と同業者ですよこの子は」
「えぇーーー!!!」
「いや、ちょっと待って。今"南条 姫心愛"って言った?私に猛威を振るってきたこの子ってあの"南条 姫心愛"なの!?」
「え?お姉さんも知ってんすか?」
「知ってるも何も"南条 姫心愛"って言ったら、泣く子も黙る今をときめく超売れっ子作家じゃない!!あんた知らないの!?」
「え……?」
頭の中でクエスチョンマークがぐーるぐるしてんだけど……え?なに?姫心愛ちゃん俺と同業者なの?
え?しかもお姉さんも知ってるくらいの売れっ子さんなの?
全く知らない……。
今の自分の立ち位置的に上を見てしまうと心が折れそうになるかなって思ってたから、名立たる著名人の作品はもちろん情報すら極力遮って生活してた今日この頃。
こんだけインパクトのある名前をシャットダウンしてんだから、俺の普段からの徹底ぶりが見て取れるだろう。
「え……?じゃあファンっていうのは嘘?もしかして俺、遊ばれてた!?」
「違います先生。この子正真正銘の先生の熱狂的なファンなんです」
「え?そ、そうなんですか?え?超売れっ子作家なのに?」
「んー。超売れっ子作家っていうのは後付けになりますかね。この子は先生に物理的に近づきたいが為に作家になったんで」
「え?えぇ~?」
「うん。予想通りのリアクションですね。まぁお気持ちは分かります。奇抜なファン心理が理解出来ないのと、本職として作家になった訳じゃないのに売れっ子になってる現実があるのとで複雑な心境でしょう先生」
「見事に読み切ってきますね……」
「担当なんで。でも実際、色々と飛び抜けてて振り抜けてるこの子とは会わせないようにしてきてたんですけどね。まさか嗅ぎ付けて隙を突いてくるとは私も想定外でした」
「俺と会わせないようにしてたんですか?」
「とにかく妄信的で熱狂的なんですよ先生に対して。何仕出かすか分かったもんじゃなかったですし、実際そうなってますでしょ?」
「そうですね……」
「あとは単純に、今上にいる者と先生を引き合わせたくなかったっていうのが担当としての本音です」
「どうしてですか……?」
「こうならないようにする為です」
「……」
「取りあえずこの子回収していきます」
「い~~~~や~~~~~!!三淵先生と一緒にいる~~~~~!!」
「ダメです。大人しくゴーホームですよ。じゃあ大変お騒がせしました」
「……」
「……」
「行っちゃったけど」
「……そうですね」
「なんていうか、嵐というか天災じみた子だったわね」
「……そうですね」
「私の役目も終わりって事でいいの?」
「……そうですね」
「……」
「……」
「俺、どうしたらいいですかね?」
「聞かないでよ。そんな事」
嵐以上の天災が通り過ぎての余韻。いや余波なのか。
分かり切った言葉を一蹴されての沈黙がやけに重く感じた。
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