第5話 ラブでもないけどストーリーは突然に
朝だ……。
鳥が囀ってる……。
一睡も出来なかった。寝れるわけないよねこれ。緊張状態っていうのもあるだろうけど俺にとっては未知の体験そのものよ?
異性が自分のパーソナルスペース限界点を越えて来るなんてのは生まれてこの方無いし当然隣で添い寝ってるなんてことも無い。
そんな中で寝たら何が起きるか分かったもんじゃないでしょ。
自分の寝相とかも知らんし、もしかしたら夢遊的なものを発動してオートセクハラなんて起こすやもしれない。
杞憂だって?いやいや。知らないってめっちゃ怖いんだよ。ナメちゃいけない。知らない分からない領域のものには徹底して用心するのが間違いないんだよ。
「ん?おっ」
ようやく雪音ちゃんのホールドが解けた。まさかここまでずっと背中の肉ごと服を掴んでいるとは……うっ血してるかなこれ?
取りあえず動けるようになったしちょっと一服でも……って切れてるじゃねーの。
「はぁ……自販に行きますか」
上着羽織って雪音ちゃん起こさないように静かーに家を出る。
それにしてもずっと同じ体勢だったからか体がバッキバキになってて一動作一動作がぎこちないな。このバキバキ加減は連日の執筆でも味わった事ないかもしれん。
「んんーーーっ!!」
まだ薄明りの朝に伸びをしてみる。大丈夫かな?ってぐらい骨が鳴ったけどそれはまぁ心地いい。
早寝早起きの健康ライフでこれなら素晴らしいんだろうけどただの完徹だからね。ライフスタイル的に完徹なんて珍しくはないし朝方に外出るなんてのも茶飯事だけども、ここまで気持ちも考えもまとまらない朝は無かったんじゃないかなー。まぁ取りあえず1本吸って落ち着こう。
「えっとタスポはどこだっけなー」
「三淵和生さん……でしょうか?」
「はい?」
急に名前を呼ばれて振り向くとスーツ姿の気品あるご婦人がこれまた気品ある佇まいで立っていた。
薄明りとは言え自販の明かりもあるから顔ははっきりと見えるけど見覚えのない人だ。俺の貧相な記憶に間違いが無ければだけど。
「三淵和生さんでいらっしゃいますか?」
「あ、はい。そうですけど、どちら様でしょうか?」
「そうですか。突然の訪問ごめんなさい。私、『ほしの家』の施設長をしています長倉と申します」
親切丁寧にお辞儀をされて思わず俺も深々とお辞儀を返してしまったけどこれは一体何なんだろう?こんな朝方に訪問販売とかじゃないだろうし補導っていう歳じゃないしね俺。悲しいかな若くは見えないだろうし。
それに『ほしの家』の施設長ってどういう……ん?『ほしの家?』なんかそれは聞き覚えのあるワードだな。『ほしの家』……『ほしの家』……
「あっ!『ほしの家』!?」
「はい」
「『ほしの家』って大学近くにある児童養護施設のあの『ほしの家』ですか!?」
「思い出して頂けましたか」
「あーいやーその節はどうも」
思い出した。『ほしの家』って俺がボランティアサークルで行った施設じゃねぇか。目の前にいる長倉さんも当時色々案内とか説明してくれてた人じゃん。
何が見覚えのない人だ。完全に貧相な記憶じゃねぇか!
「ふふふ。いいんですよ無理はなさらなくて。もう10年くらいになりますか。10年の中じゃほんの数時間の事でしかないのですから忘れていて当然ですよ」
「今思い出したのはホントです……」
「いえ。三淵さんにお話があって突然訪ねたのはこちらなのですから恐縮なさらないで下さい」
「俺に話ですか?」
「えぇ。もう分かってるとは思うのですけれど」
え?何その意味深な問いかけは。もう分かってるとはって何も分かってないですよ?ちょっとやそっとの事で「ははーん。なるほどね」などと察する事が出来る頭脳は持ち合わせてないです。
俺が知らない所で不手際不祥事があったのか?いやいや。それは無いと思う。そう信じてる。そもそも10年前のボランティア先で何かやらかしてたとしても今頃になって尋ねてくるか?いや、尋ねまい。
「えっとすいません。皆目見当もついてないんですが」
「何も聞いてませんか?」
「え?誰にですか?」
「雪音にです」
「雪音ちゃん?……雪音ちゃん!?」
「そのご様子だと本当に何も知らないのですね」
「え?え?雪音ちゃんとどういったご関係で?もしかしてお母様ですか!?」
「ある意味では親みたいなものですね。あの子はウチの施設の子ですから」
「ウチの施設って『ほしの家』の?」
「えぇ。そうです」
まさかのまさかですか。いやそうだよね。冷静に考えればこの人が俺の所に来た理由なんてそうだとしかないよね。何テンパってお母様とか言ってんの俺?学校の先生をお母さんって呼ぶぐらい恥ずかしいわ。
「そうですか。いや今雪音ちゃんはウチにいますけど……って違いますよ!?決して連れ込んだとかそういうんじゃなくてですね!?」
「ふふ。そんなに慌てなくてもちゃんと分かっていますよ」
「あ。そうですか。記憶に新しいところで大家さんに思いっ切り誤解されたばかりなので助かります」
「色々とご迷惑かけているようでごめんなさい。雪音は今どうしてますか?」
「今は寝てますよ。あの、雪音ちゃんはどうして俺なんかの所に?」
「……あの子が自分からまだ何も言っていないのなら私からお伝えすることは難しいです。今はまだあの子を尊重したいと思っていますので」
それとなく引っ張ってきて何も教えてくれないの?まさかのお預けですか?
それは無いですよー。もう答え合わせでもいいんじゃないですか?どっぷりと巻き込まれてるんだから教えてもらえてもバチは当たらないと思うんだけどなー。
まぁ。ゴネても仕方ないんだよねこれ?釈然とはしないけど尊重するだのなんだのって何かやんごとない事情もありそうだし。巻き込まれているとは言えずけずけとそこに入り込んでいく度量も度胸もないしね。
「そうですか……いや、あーうん。しゃーないですよね」
「ごめんなさい。関係者なのに何もしない形になってしまって。でも三淵さん……今のあの子にはあなたが一番重要な人なんです。身勝手なお願いなんですが、もう少しだけお願いします」
「え?いや!そんな頭なんて下げないで下さい!全く何も飲み込めてないけど頭下げられるほど気に病んではいないですから」
「まだ何もお話しはできませんけど、代わりにこれを」
「なんですかこれ?封筒?」
「あの子から預かっていたものですが、これは三淵さんに渡しておきます」
「これはどうすれば……?」
「お任せします。ごめんなさい。私はこれで失礼しますね」
行っちゃった……。
何だったんだろうか。謎しか残ってない。なんか落ち着いて一服っていう気分じゃなくなってしまったし……取りあえず戻るか。
さっきまではバッキバキで体が重かったけど今はなんだか気が重い。何もわからなかったとはいえあんな含みを持たせた問答されちゃ本件の事案は暗礁に乗り上げてるんでしょうよ。
あー……もう。このドア開けるのも気が重いなー。自分の部屋戻るのってこんなに一苦労だったっけ?参っちゃうなホント。
「ただいま~っと」
小声で言ってはみたけど応答はなし。さっきと変わらない薄暗さの部屋でまだ小さな寝息が聞こえる。雪音ちゃんはまだ寝てるみたいだ。
まぁ物の数分の事だからそりゃそうか。
取りあえず起こさぬよう抜き足差し足で落ち着けるいつもの座椅子へ。タバコは断念した分コーヒーでも淹れてブレイクしたいとこだけど作業音が出るからダメだな。大人しく腰を据えるだけにしとこう。
「……」
とは思ったものの逆に落ち着かないなこれ。静寂の中で物思いに耽れるタイプの人間じゃなかったわ俺。
でも整理はしなきゃいけないよな。さすがにこのままのらりくらりと流れのままにはしておけない。
そもそも、雪音ちゃんがあそこの施設の出身だということに普通に驚いてるんだけど、だからこそ尚更分からない。
さっきの一件で自分の記憶力に信憑性が無いことは実証されてしまいましたけれども、雪音ちゃんのような子と面識があるその記憶がない。
でも確実に雪音ちゃんは俺だと認識して来ているわけだからやっぱりどこかで会っているのだろうか。
それに施設長さんのあの言葉。『今はまだ尊重したい』って事はその今が過ぎるともうダメになる期間的なものがあるって事か?ニュアンス的にそれはそんな遠くない先の話のような気もする。まぁたぶんなんだけど。
うら若き乙女のなんか大事な人生選択をこんな中途半端な物書きに一任しちゃダメだと思うな。
とにかく。俺と雪音ちゃんの関連性を紐解くのが答えへの最善の道のような気がするんだけど情けない話もうお手上げ状態なんだよなー。
「……答えへのピースってか?」
受け取ったこの封筒。手掛かりというかもう突破口はこれしか無い気がする。ただ、持ってる感じペラペラなこれに過度な期待が出来ないのもまた事実。
うーん、まぁ四の五も言ってられんか。見て大損ってことはないだろうし中身確認してからまた考えようじゃありませんか。
「んーっと?中身は……まぁ紙だよね」
触感通りの代物。四つ折りにされてるけどこれキャンパスノートだね。ちゃんと罫線がありますがな。
この時点でそんなに重要感のあるものには見えないんだけど何か書かれているのかな?
「ふーむ」
四つ折りを開いて中を見る。
そこには見覚えのある字でこんなのが書かれてる。
【誓約書
何でもやりましょう。何でにもなりましょう。 私はどんな約束も守ります
三淵和生】
きったない字。見覚えあるはずですわい。なんたって自分の字ですからね。殴り書きに近いけど間違いなくそうです。
これは『ほしの家』に行った時どうしてもほっとけなかった子のためにしたためた物だ。しっかりと覚えてる。なんたって俺の小説にしたエピソードだし。
それを
「あの時のあの子が雪音ちゃんってことっすか……」
『ほしの家』には色んな年代の子がいた。当然それぞれがやむにやまれない事情を抱えていて目に見えて傷を負っている子、表には出さないように繕おうとしてる子とか、人生経験なんて言えるもの無い若者丸出しの俺らが迂闊に触れちゃいけないんじゃないかっていう子たちがたくさんいた。
ただ、その中でも一際異色な空気を纏ってる子がいた。
その子は俺らが来てる時もたぶん他の違う誰かが来てる時でもそこに根を張ったかのように同じ所でずっと座っていた。小さな膝を抱えてより小さく見えるその子はどこか一線も二線も周りと距離を引かされてるようにも感じた。
詳しい事情はプライバシーの点から職員さんからもあまり教えて貰えなかったしこっちからも委縮して聞く事は出来やしなかったんだけど、その子の乖離感が妙に俺の意識に引っ掛かって思わず近づいて行っちゃったんだよな。
ボランティアでの2時間ほとんどをその子に費やしたのはもう直感だったんだとも思う。
あの手この手で接触を図ったけど悉く空振りに終わってた。まぁそりゃそうだわな。見知らぬ男に心開くなんて世のどんな女性でもそう簡単には無いわな。
何も手応え無いまま時間も差し迫ってどうにか一矢報いたいと思って苦肉の策で
よくよく思ってみるとこれの効力って子供の肩たたき券レベルみたいなもんだよな。浅はかも浅はかだよ。
でも、その浅はかな愚策になぜだか反応を示してくれて最初で最後の言葉を交わせたんだよ。確か……
「本当に約束守ってくれるの?」
「そうそう。それそれ。って……ん!?」
「ふふ。思い出したパパ?」
「……お目覚めですか。えーえー思い出しましたよ」
布団の上で悪戯っぽく微笑む姿は日差しに照らされてなのか迂闊にも見惚れてしまう情景に見えてしまった。
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