第4話 夜戦
何かの物音でハッと目覚める。
それと同時に顎に響く鈍痛。そうだ。常人ならば絶命していたであろう大家さんの一撃を喰らったんだった。
あんなにおっとりしているけど実家が結構有名な空手の道場らしく、その英才教育をきっちりと受けた遊びなしの武道が叩き込まれてるらしい。以前このアパートに空き巣が入った時もその空き巣が出合い頭に瞬殺されてたのを今思い出した。
「まさか空き巣の気持ちが分かる事になるとは……」
「空き巣?」
振り返ると雪音ちゃんが本棚の前で一冊読みながら俺にキョトンと首を傾げている。
「えっと、うわ言みたいなもんだから大した意味はないよ」
「そうなんだ」
「……大家さんは?」
「帰ったよ?さすがに2時間も居座る訳にはいかないだろうし」
「2時間!?え?俺2時間も倒れてたの?」
「うん。凄いね大家さん。パパは強そうではないにしても男の人を一撃って目を丸くしちゃったよ」
「強そうじゃないってのは余計だけどまぁ驚愕なのは事実だよね。……大家さん怒ってた?」
「気になる?」
「そうね。主に賃貸問題で」
「現実的だなー。まぁでも大丈夫だよ。ちゃんと事情は説明したから。大家さんも早とちりだったって謝ってたよ」
「マ、マジすか?」
「パパ追い出されるのはさすがに私も困るからここで嘘はつかないよ」
「そうか~。危うく家も社会的地位も失うとこだったよ……」
ちゃんと俺から説明出来ればなお良いが、大家さんは咄嗟だと言葉より先に技が出る人だから致し方ない。明日にでも再度事情の説明と詫びを入れに行こう。菓子折りはないけど。
「そういえば何読んでるの?」
「棚にあったやつ。なかなかパパ起きないから時間つぶしに読んでた」
「よく失神してる奴を2時間も待てたね。しかもヒマのお供は奇しくも俺の書いたのだし」
「へー。そうなんだ」
「一応それデビュー作。今や下降線気味作家の名をほしいままにしてるけど、それは世間的にも結構盛り上がったのよ?」
「ハハ。自虐的だね。下降線でもこれ割と好きだよ私」
「あ、ホント?ティーンに引っ掛かるならまだ捨てたもんじゃないのかね」
当時は入選しそうな線狙って色々書いてたけどどれも掠りもせず、お試し的に大学のボランティアサークルで行った先の事を話に盛り込んで作ったらまさかの大賞だったんだもんな。あれは自分でもビックリした。
そこからその道に入りここまでやってきてるけど大当たりはその一回だけだもんなー。そりゃ自虐的にもなりますって。それでも間近で読者に読んでもらえるってのは有り難いことなのかもね。時間つぶしではあるけれども。
「この主人公とヒロインの小さな約束のシーンなんかはいいなって思う」
「時間つぶしなのにちゃんと読み込んでるね。雪音ちゃん意外に文学少女なの?」
「そうでもないよ。大体の本はかじる程度に読むぐらいだし。でも好きなのはきちんと読む方だよ」
「それは好きな部類に入ってくれたって事?そりゃ本も俺も冥利に尽きるね」
「共感できるからね、これ」
「そうなんだ。なんか経験談があるの?」
「ふふ。ヒミツ。もう眠いし今度気が向いたら教えてあげる」
はは。今度ね。……って今度っていつ!?
そう言えばナチュラルに雑談してたけど、その俺が失神してヒマな時間が出来た原因って雪音ちゃんじゃん!?根本的な問題解決してないじゃん!?
そう何度も大家さんの制裁は受けれない。だって死んじゃうから。仮にそれがそういうプレイの一環として昇華出来ればエンジョイライフになるやもしれんけど生憎俺にはそっちの趣味はない。自分で言うのもなんですが健全なムッツリです。
どうする……?さすがにもう夜分遅いし説得に再チャレンジするにしても明日に仕切り直すか?
「さて。パパ寝ようか!」
「え?あ、うん。おやすみ」
「?」
「ん?首傾げてどしたの?」
「パパはどこで寝る気なの?」
「今日は壁を背に座位で寝るつもりだけど?」
「どうして?」
「どうしてって……布団は一つしかないし、こんな夜中に女の子を放り出してっていうのはさすがに出来んよ。今日のところは雪音ちゃんにそこに寝てもらってと思ってるんだけど」
「座位なんかしなくても一緒に寝ればいいじゃない」
「……ん!?」
「元々パパのだし独り占めしたいなんて我が儘は言わないよ私。半々で狭いけど我慢するよ」
「んん!?」
「はい。遠慮せずにどうぞ」
「……雪音ちゃん?あの大家さんの一撃を忘れちゃったのかな?」
「ん?覚えてるよ?鮮明に」
「そう。ならば今のご提案はどうかなー?一緒の布団に男女二人って危ないんじゃないかなー?」
「ふふ。心配性だねパパは。こんな時間まで大家さんが押し掛ける事ないと思うし、それに一緒にって言ったってただ寝るだけだよ?おかしい事ないと思うけど?」
この子の倫理観はなんでこんなにストロングスタイルなの?真っ当な思春期の娘さんならお父さん属性には漏れなく反抗して然るべきでしょ。
この子はただ寝るだけなんて言ってるけど、人間の三大欲求である睡眠を満たすにあたってその三大の中には性欲もいますからね?一緒にだのなんだのって絶対嫌な予感しかしないからね。
「いや、いいよ。使って使って布団。元々大きくないのに無理して二人はそりゃダメだ。うん。雪音ちゃんは女の子なんだしやっぱレディファーストしなきゃね。俺は当初の予定通り座位寝でOKOK」
「ふーん。でも体痛くなりそうだよ?」
「もう玄人だから大丈夫。小説家はみんな座位寝を習得してるの」
「へー。でも夜はさすがに冷えるんじゃない?」
「いやもう全然?ほら俺暑がりだからむしろ適正かな」
「そっか。でもなんかやっぱり私一人使うのも気が引けるし大家さんから寝具借りてくるね」
「え?」
「何か困ったことがあればって言ってたしちゃんと事情を説明して助けてもらおう」
「えーっと雪音ちゃん?ちなみにどう事情を説明する気なのかな?」
「ん?パパが一緒に寝てくれないって」
「あーーー!急に疲れが出て来たぞ?これは座位じゃ厳しいかー?うん、よし!今日は横になって寝よう!」
「大家さんの所行かなくていいの?」
「うん大丈夫。むしろ行かないでください」
「そっか。じゃあ一緒に寝よっか♪」
……確信犯だ。大家さんチラつかせてネゴシエートしてくるとはカードの切り方がえげつないよこの子。最近の女の子ってみんなこうなの?そうじゃないって三十路男は祈りたい。
「どうしてこんな地味男と寝たがるかな」
「それはなんてったってパパだから」
「それ、ずっと理由になってないと思うんだけど」
「いいからいいから。じゃ、おやすみなさい♪」
「あ、はーい。おやすみー……」
電気を消し目を瞑る。狭い室内に小さく吐息が聞こえている。本当に寒がりとかじゃないんだけど横から伝わる温もりが少し熱いくらいに思える。
……寝れるかい!!!無理無理。こんな状況で健やかに上質な睡眠など不可能!YESの選択肢しかなかったとはいえこれは平常心を根こそぎ刈り取られてもおかしくない状況だよ。吐息が聴覚を、ジャンプーの香りが嗅覚を、温もりが体感を襲ってきている。しかも次第に夜目に慣れて来て薄っすらと雪音ちゃんの横顔が見え……ダメだ!!隣に異性のシチュエーションが視界に入ったらもう五感の知覚レベルがカンストされる!これは背中を向けて回避しなければ!
「パパ」
「おぅう!?」
背中に接触を感じる。感覚的に手の平だということは分かるがそこだけが異様に熱いように感じる。たぶん今サーモグラフィーで見たら真っ赤なんじゃないか?
「寝れない」
「さ、左様ですか……」
いや、俺も寝れないけど……。これどうしたらいいの?全部の事柄がお初にお目にかかるものなんですが誰かご教授下さい。
一つ分かっている事は絶対暴発させてはいけないということ。何度もせめぎ合ってきたけどここまでまんじりと接近戦となると並みの精神状態じゃ煩悩の108連打を喰らう事になる。かの首相のように鉄の意志にならねば。
「ねぇパパ……して」
「ん?んん!?」
して!?してって何を!?それは有らぬことですか!?そうなんですか!?この場合の需要と供給はどうしたらいいのですか!?
あーもう頭がこんがらがる。男としてなのか大人としてなのかどうするのが正解なんだ?
「寝れないしなんか話してよパパ」
「んー……ん?話?」
「うん。話」
「……話をしてほしいの?」
「うん?そうだけど?」
「あー……」
さて。この場合、主語が無かった雪音ちゃんとスケベ無双に入りかけた俺とじゃどっちが悪いのかな?……うん。紛らわしいとはいえ一時でも邪な感情に流された俺が悪いね。
鉄の意志なんてほざいたけどナトリウム以下の練度しかなかったんだね俺には。
「どうかしたの?」
「え?いやなんでもないよー。話、あー話ね。どんなのがご要望かな?」
「そうだなぁ。恋バナとか?」
「え?俺の?」
「うんパパの」
「それって普通女の子同士がキャッキャキャッキャとしながらするもんじゃないの?」
「気にしない気にしない」
「気にしないったってそこの経験値0なんだけど」
「誰かと付き合った事とかないの?」
「……ないっす」
「へー。そうなんだ」
DTにだって色々いる。初心でプラトニックなお付き合いしていてというパターンだってあるかもしれない。しかし残念ながらそのパターンではない。I am チキン。単純に臆病で片思い歴だけを蓄積したチキンなのです。
告白など出来ず遠巻きにその相手を見ながら想いを馳せてる……あれ?ストーカーじゃね?いや違う。予備軍。そう予備軍なのだ。付きまとってはいないし危害も及ぼしてない。大丈夫。予備軍だ。
……事実とは言え自分のフォローってなんか悲しいな。
「意外だね。さっき読んだあの小説じゃリアルっぽい恋愛の描写があったから経験談なのかと思ってた」
「え?あーあれ。確かに実体験を元に書いてるから描写はしっくり来てるかな。まー恋愛の描写は妄想……いや想像力ですけど」
「実体験なんだ」
「そう。大学の時のボランティアで行った先でそんな事あってね。なんか引っ掛かるものがあったから書いてみたら思いの外世に受けたって感じかな」
「何に引っ掛かったの?」
「うーん。なんて言うのかなぁ。その時に俺が行ってたボランティア先は大学近くの児童養護施設でね。そこで関わり合った子たちがさホント色んな境遇だったのよ。たぶんいち大学生が踏み込んでいいものじゃ無かったと思うし当時の俺もそれは若いながら実感してたしね」
「その子たちの境遇に同情とかしちゃったり?」
「いや。同情なんて感情は若気でも持てなかったよ。一緒に行ってた他の奴らはどうだったか分からないけど俺はそれはダメな気がしてならなかったんだ。辛いとか苦しいとか想像は出来てもその感情に意味を見出すのは誰でもない当人でしょ?子どもだからって外の俺らが勝手に決め付けていいもんじゃないって青臭い青年だった俺でも思ったんだよな」
「へー。じゃあパパはそこでどうしたの?」
「そんな風に思ってはいても自分の考えをちゃんと具現化する力量は無かったよ。だから当時は手段なんてなく不器用な気持ちで子どもたちに向かって行ってたよね」
「それでどうだったの?」
「まぁ玉砕も玉砕だったね。物凄く嫌われたりとか敵意持たれたりとかは無かったと思うけどほとんど心開いてはくれなかったよ。あの小説はその中の一人の子との話でさ。自分の無力さに打ちひしがれながらも言葉を交わして時間を共有したあの子とのやり取りがなんか胸に引っ掛かったんだよ」
「……」
「雪音ちゃん?」
「……」
「あれ?おーい」
「すー……すー……」
あ、寝てる。
お話希望があったから赤裸々に学生時代の1ページを話したんだけど気付けば子守歌になってましたかい?いやこの密着に心中穏やかじゃない状態だったから寝てもらって全然構わないんだけどさ、独り言ってそれはそれで恥ずかしいものなのよ?
「あの頃はね」みたいな思い馳せるモードは後々になって羞恥心が手加減なく襲ってくるんだよ?恥ずか死出来るよ?マジで。
「んん……忘れないで……あげる……せっかくの……んん……約束だから……」
おー、長い寝言ですな。しかも俺の小説の一文じゃないの。
そこまで読み込んでくれたのは小説家として有り難いけど、完全に睡眠の機を逸した俺はここから悶々とした時間を消化しないといけないと思うと素直に喜べない。
せめて服を掴むその手を緩めてくれればって思うけど背中の肉まで巻き込んで掴んでるそれを振りほどけないですよ……痛みでも眠れないなこりゃ。
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