花冠の王国の花嫌い姫

長月遥/ビーズログ文庫

ためし読み

 空に昇る太陽が、地上を最も強く照りつける夏季の訪れ。それは人類が住み得る最北の地、ラハ・ラドマの王都スノウフラウにも平等に訪れる。

 ただし、気温が二桁近くになれば「今日は暖かいねえ」で、夏感が皆無なので、西大陸では夏季であっても、ラハ・ラドマにおけるこの季節を夏とは呼ばない。暖季と言う。

 寒さが抜けない春を越え、涼しいというより寒い秋に移りゆくまでの短い夏を多くのラハ・ラドマ国民が歓迎する中、調理場でげんなりとする少女の姿があった。

「いよいよ……来るわ。魔の季節が」

 春先の淡い陽の輝きを持つ金髪に、瑞々しい青葉の緑の瞳。生命息づく季節にこそ、より相応しく明るい色彩を持ち、色合いにさらなる説得力を与える可憐な顔立ちをしているその少女――フローレンスは、現在表情をどんよりと曇らせている。

 窓から燦々と降り注ぐ太陽光へ、そして光に向かって目一杯枝葉を伸ばし、ここぞとばかりに花を咲かせる植物たちへと疎ましげな目線を向けてから、フローレンスはため息をついて視線を逸らす。

 大陸屈指の権威を持つエスカ・トロネアの第二王女に生まれたフローレンス・テア・エスカトロネアは、大国の王女として歩むべき当然の人生を、体質一つで失った。

 ――原因となった『体質』とは、重度の花アレルギーであること。

 穏やかな気候と豊かな大地に恵まれ、一年中色とりどりの花を咲かせる華やかな王 国、エスカ・トロネア。どの季節にあっても美しい景観を失わないその国は、大陸の人々から花冠の王国、現世の楽園と褒め称えられている。

 よりにもよって自国の名産品に過剰に反応し、くしゃみ鼻水鼻づまり、目の充血、目のかゆみが、一年中絶えることなく襲いくる日々。

 身分が足を引っ張り、国外脱出もままならないフローレンスが取れた手段は、病弱と偽って部屋に引きこもり、淑女として致命的な醜態を隠し通すことだけ。

 そんな折、人生十六年目にしてついに光明が差し込んだ。

 西大陸北端に位置する、辺境弱小国ラハ・ラドマ、イスカ王子との婚約話である。

 ゴリゴリ押し続けてやっと婚約にこぎつけラハ・ラドマに移り住み、実に快適な日々を過ごしていたのだ。……数日前までは。

「姫にとって……この国での暖かな日々は、やはり魔となってしまいますのね」

「ええ、そうよ。予兆を感じるもの」

 神妙な様子で応じてくれたミリアに、フローレンスも重々しくうなずく。

 ミリアはフローレンスよりももう少し濃い色合いの金髪と緑の瞳を持った、幼少期からずっと親しくしている四つ年上の侍女である。貧乏小国に嫁ぐ何の利もない王女に、即断でついてきてくれるぐらいに仲が良い。

「わたしには分かる。体が、訴えてくるから……っ」

 暖季に入ったあたりから、兆候はあった。しかし気のせいにしたかった。

 だが、もう認めなくてはならない段階にきてしまっている。

「ラハ・ラドマならもしかしてと願っていたけれど、夏は、やっぱり駄目なのね……!」

 おそらく数日のうちに、部屋に引きこもる日々を送ることになるだろう。

 婚約者であるイスカ・ヴァル・ラハラドマは優しい人で、アレルギーで起こる症状の諸々を気にしないと言ってくれている。本当だとも思っている。

 一生隠し通すつもりだった体質が、症状を引き起こした瞬間を見られる、という最悪の状況でバレたときも、彼は嘲ったりしなかったから。

 だが――むしろフローレンスの方が無理だ。

 一体誰が、好ましく思っている異性に無様な姿を晒したいと思うものか。

 ただ、やはり空気中の花粉の量がエスカ・トロネアとは段違いらしく、部屋を閉め切っていればほぼ感じない。案外楽に乗り切れるのではないか、とまだ希望を持っていたい。

「わたしこれから、季節が変わるまで換気しないから」

「それはさすがに無理かと……。体にも良くありませんわ。別の病気になりそうです」

 今日を限りに滅多なことでは部屋の外へは出ないと決めているフローレンスだが、完全な閉め切り状態はミリアに許してもらえなそうだった。心から残念だ。

 王女として不甲斐ないとは思うのだが、笑い者になるよりは誰にとっても被害は少ないはず。元々病弱設定が周辺諸国に行き渡っているので、長期間引きこもっても怪しまれることはないだろう。

 そんな貴重な表に出られる最後の一日を使ってフローレンスが今やっているのは、お菓子作りだったりする。イスカへの挨拶兼、贈り物である。選んだレシピはティー・ケーキ。ドライフルーツの自然な甘みと紅茶の風味が大概の人に好まれる、ティータイムの定番だ。

「そろそろよろしいかと思いますわ。姫、お気を付けてくださいましね」

「大丈夫よ。ちょっとは慣れてきたし」

「そういう油断が一番危ないのですわ」

「……よく言われるわね。気を付けるわ」

 ミリアの忠告に、先人たちの多くが同じ言葉を残しているのを思い出し、フローレンスは素直にうなずいた。そして慎重に、オーブンから焼き上がったケーキを取り出す。

「うん。まあまあかな」

 フローレンスの自己評価における『まあまあ』とは、『自分にしては上出来』ということだ。笑みに綻ぶ表情が満足そうなのが、仕上がりを如実に物語っている。

「短期間でよく上達なさいましたわ。頑張りましたわね」

「そうね。楽しかったし」

 一通り、淑女のこなすべき教養と、周囲と話を合わせるための趣味を嗜んできたフローレンスだったが、自室でできないものには手を出せなかった。料理もそのうちの一つだ。

 ラハ・ラドマに来て、アレルギー症状に悩まされることなく厨房に入れるようになった。新しい生活に馴染んだ頃合いを見計らい、手を付け始めたのが少し前。

(やっぱり、ほら。こういうのって一回ぐらいは食べてほしいわよね)

 贈る相手のことを想像して、フローレンスが少し頬を染めると。

「お相手がいると、やりがいがありますものね」

「そっ、そうね。やりがいも加わるわね」

「まあ。ふふ」

 それだけじゃない、純粋に楽しくもあるし――というフローレンスの抵抗は、動転がそのまま声に出てしまったために、効果を発揮することなくミリアに受け流された。

(それはね、イスカ相手に贈るのでなければ、ここまで楽しく作れたのかって訊かれると……何とも言えないんだけど)

 フローレンスが自覚して認めていればミリア的には満足だったようで、隣の部屋でバスケットの準備をしているジゼルのもとへと移動していった。ジゼルはこの国に来てからの侍女で、フローレンスより一つ年上である。薄い茶色の髪と紅茶色の瞳をした、隙のない容貌の女性だ。……あくまで容貌と雰囲気の話だが。

 今日は暖かく(あくまでもラハ・ラドマ比で)天気もいいので、外でお茶を楽しむ予定だ。イスカにも誘いをかけて了承されており、北の庭園で待ち合わせている。

(時間も丁度よさそうね)

 自作のケーキを見やり、期待と不安とで少し鼓動を速くしている心臓をなだめるために、何度か意識して深い呼吸をする。

(多分イスカは、明らかな悪意以外なら、出来が多少アレでも長所を探して褒めてくれるんだろうけど)

 でもせっかくならお世辞じゃなくて、心から美味しかったと言ってもらえるといいな、と思う。

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