第4話 山

 山があった。

 俺は山に正対していた。

 山にう木々を分け入るように、一筋の道が山中へと走っていた。平らかな石が飛び飛びに敷かれている。


 俺は目の前にある敷石を踏んでみる。なんとなく、落ち着く。山に来た感じだ。

 俺は、次の敷石に移る。そして、次、次…

 そうして山を登って行った。


 道の両脇では草木が茂っていた。踏み入ると、すぐにでも迷子になりそうだ。

 実際、いつ猪やら熊やらが出てくるかわかったものではない。

 足を止めて耳をすます。風の音。そよぐ木。静寂。


 10分ほど進み、少し息が上がり始めたころ、段々と道が太くなりはじめた。

 敷石の道が、砂利道になる。

 そして、その道の先に鳥居があった。

 石造りで、ゆうに10メートルはあろうかと見上げるほどの鳥居だ。


 ここはどこなのだろう、と初めて思った。こんな立派な石鳥居があれば、観光地として、旅行雑誌やらで見たことがあってもいいはずだが、見覚えはなかった。そもそも、山に入る段階で、何の看板もなかった。

 もしかしたら、通常とは違うルートで山に入ってしまったのかも知れない。そして、途中から正規の参道と合流したということだ。


 鳥居を見上げて少し休む。鼠色の鳥居の向こうで、青さが空に抜けていた。所々、綿雲がかすれながら浮かんでいる。

 首を戻すと、ふと、今は何時なのだろうと気にかかった。気づくと、俺は携帯もカバンも持っていなかった。時計もない。服は着ているが、いつ着たのか、どこでどう選んだのか記憶がない。


 …

 何が…

 どうなって…


 夢かうつつか、ふらふらと足だけが進み、鳥居を越えようとしたとき、側面の草が揺れた。

 目の前に、白蛇が躍り出た。大きい。俺と同じほどの体格である。


「いらっしゃいませ」落ち着いた、低い声だった。

「…お邪魔…しております」俺は蛇と話した経験がないので、またもや会話例の無さに困らされることとなった。日々、もっとあらゆる事態を想定して生きておくべきだった、と思う。

「いえいえ。お邪魔かどうかはこれから確認します」

「…はあ」

「礼儀というものがございますから」

「はあ」

「まずは、丁寧にご挨拶をさせていただいております」

「ありがとうございます」

 白蛇はペロリと舌を出した。紅い色が白躯に合う。彼なりの“You’re welcome”だろうか。


「ご用件は」

「用件?」

「こちらの城にいらっしゃったのは、どういうご用件でしょう?」

「城? ここは神社では?」

「城です」

「いや、神社に見えますが」

「城です」

「…鳥居がありますが」

「ありますね」

「……神社でしょう?」

「城です」

 早速ながら、もうダメかもしれない、と思った。俺には爬虫類との会話の才がないと悟った。帰ったら、才能が無かったことリストを更新しよう。

「鳥居があるなら、神社では…?」

「鳥居は魔除けのために設置しているだけです。ここは、茂手木様の城です」

「茂手木!」俺は思わず声に出していた。

「何でしょう?」

「そう、俺は茂手木を探しに…いや、待ち合わせで…気づいたら…ここに…」

「茂手木様を探しに…?」

 白蛇がとぐろを解いて顔を近づけてくる。自分でも不明瞭な説明だと思う。

 心なしか、白蛇の舌の出し入れ頻度が増えている気がする。


 しかし、疑われたら逆に開き直るほかない。バイクが倒れかけたらスロットルを開ける要領と同じだ。

「俺は茂手木の友人です。板持みのるという者です。茂手木の指示でここに来たんです。茂手木が呼んでいるんです。彼に会わせてもらえますか?」

 広い文脈で捉えれば、嘘は言っていない。

「友人…? 指示でここへ…? 不思議なことをおっしゃいますねえ…」

 しゅるしゅると足元に近づいて来たかと思うと、白蛇は俺の身体に巻きつき始めた。足から脛、脛から腰、腰から胴へとせり上がってくる。

「茂手木様にご友人はいないはずですよ…? それに、茂手木様からは、誰も入れてくれるな、と厳しく仰せつかっているのですよ…」

 肩まで這い上り、白蛇は俺の左耳にそう囁いた。

 本格的にダメかも知れない。

「いや、いる。いるはずだ。彼は俺と一緒に旅行をした中だ。九州に行ったし、温泉に一緒に入った。神社に行ったし、そばを食って、好みの女の話もした。大学時代から、もう、何百時間も会話している。それは友人じゃなくて、何なんだ? 俺は彼の友人だ。彼に会わせてくれ!」

 体内の恐怖を払うように、知らず、俺は大きな声を出していた。


 白蛇は、品定めをするかのように俺を見つめた。俺もその赤い眼を覗き返す。ジャムに入っているベリーのようだった。そのベリーのような眼に、俺がどう映っているのか、まるで想像がつかなかった。人間と話すときは、相手に好印象を与えるべく、自分の振る舞いを考えるものだ。相手の視点から、想像するのだ。しかし、今回、蛇の思考の想像がつかない以上、彼の印象を良くしようも、悪くしようにも、戦略が立つ余地がなかった。想像なくして、戦略はないのだ。これまでの受け答えの全てが間違っていたような気持ちがしてくる。正解の知りようもなかった。ここでもし、茂手木に会えなかったとして、それは俺の責任なのだろうか? あの女は泣くだろうか? 蛇とうまく会話できなかったばかりに?


 しばらくして、蛇はくるりと向きを変え、山頂の方を見て静止した。

 そもそもこの蛇は「彼」なのだろうか…? 確か蛇は雌雄両性あったと思うが、低い声だからと言って雄だと決めていいものか、まるで知らない。しかし、見知らぬ山中にあって、俺には、決めつけと割り切りしか武器がなかった。


 1、2分ほど、妙な沈黙に耐えた。俺は彼の頭を後ろから見つめるばかりだった。

 白蛇が言う。

「どうやら、おっしゃったことは真実のようですね。では、道中お気をつけて」

 彼はしゅるしゅると森に帰って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る