第2話 連絡

 外に出た瞬間、サウナのような湿気と蝉の鳴き声が一斉に襲ってきた。

 ひとまず近くのオフォスビルに逃げ込み、涼みながら携帯を取り出した。

 メッセンジャーを立ち上げ、茂手木のアカウントを探す。少し埋もれたところで名前を発見する。


 さて。

 こういう場合、なんと送るのがいいのだろう。

 思えば、失踪した友人にメッセージを送ったことなど、人生でこれまで一度もなかった。前例がないので、文面がぱっと思いつかない。普通の人間はそういうものだろう、と自己正当化する。

 しかし、今回の倍は、連絡を取ることに意義があり、悩むことにあまり意味はない。美文を送って彼がいきなり出社するわけでもない。和歌をしたためる必要もない。そもそも既読がつくかどうかだけでも試した方がいい。

 作業のように指を動かし、俺は送った。


 久しぶり、元気してるか?


 画面に現れた文面に俺は苦笑いをする。あまりに凡庸で、無個性だった。これでいて仕事がフリーランスのライターだというのだから、どうしようもない。文章を生業する男が、親友を案じて送ったメッセージ。それがこんな陳腐な1行でいいのだろうか。自分の凡才を嘆じ、将来を案じた。

 落ち込みそうになる気持ちを切り上げ、この後の取材の資料に目を通そうとしたとき、携帯が震えた。


 よう


 茂手木からの返信だった。川に流されるサッカーボールと同じくらい緊張感を欠いた返信だった。どこから送ってきているのだろうか。すぐ隣にいるようでもあり、深淵の底からの返信であるようでもあった。

 手元に現れた2文字の解釈に頭を悩ませていると、続けて彼が送ってきた。


 お前からメッセージが来ると言うことは、話がそこまでいったということなんだろう?


 どうやら彼はこの状況を読んでいた。

 続けて着信する。


 直接話そう。夜7時に新宿のスタバで

 コーヒーを飲んで待っていてくれ


 その後しばらく眺めたが、画面に変化はなかった。彼は言いたいことだけ言って、さっさと会話を打ち切ってしまった。

 新宿のスタバ、なんていうのはよほど道案内の下手な人間しか使わない用語だが、彼の場合は東口の駅ビル2階にある店舗を指している。大学時代に、新宿に本を買いに来たり、映画を見に来た帰りに何度か寄ったことがあった。また、待ち合わせに使ったこともある。決まって彼は先に到着し、何がしかの読書に勤しんでいた。

 だから今回、「コーヒーを飲んで待っていてくれ」というのが妙に引っかかった。いつも飲んで待っていたのはお前だろうよ。

 しかし、行方不明の男と連絡がとれた、ということだけでも、一歩前進ではなかろうか。会社の人間が幾度も試みては果たせなかったコミュニケーション。俺とは門戸が開いた、ということだ。

 もっとも、やりとりは文面だけで、ハッキングやら盗難やらで、背後に別人がいる可能性は否定できない。しかし、このフランクで、飾り気のない感じはいかにも茂手木を思い起こさせた。いずれにせよ、今晩には明らかになるのだから、これ以上いま推測しても仕方がない。


 俺は了解の旨返信し、ひとまず連絡が付いた旨を商事に連絡する。

「ええ? 本当ですか?」

 先刻山本と名乗った当の女は、非常に意外そうな声を出した。

「ええ。すぐに返信が来ました。どこにいるのかわかりませんが、夜に新宿ということは、まあ東京付近にいるということなんでしょう」

「これまでは全く音信不通だったのに…。でも、よかったです。本当にありがとうございます。板持さん…。本当、何か事件に巻き込まれたんじゃないかと…」

 そう思うのも無理はない。もっとも、そうじゃないとは言い切れないのだけど。結局今夜「500万貸してくれ! でなければ殺される」みたいな話が出れば、まるで事件に巻き込まれているわけで、今安心できる素材はそんなにない。しかし、せっかく安堵した女を過度に心配させるのも悪いなと思った。

「早速、上司に…」

「あ、ちょと待ってもらえます?」俺は制した。

「周りの社員さんに伝えるのはちょっと待ってもらえませんか?」

「それは…」

「どういう状況かわかりませんが、まずは本人の話を先に聞きましょう。もしかしたら、会社に対して何か言いたいことがあるのかもしれません。いずれにせよ、会社には伝えず、私には連絡を寄越したわけですから、何か、会社にはまだ知らせたくない事情があるのでしょう」

 彼が無事かわからない中、ぬか喜びしても仕方ないしな。

「そうですね…そうかも、知れません」

「何か不満がある様子はなかったですか? 仕事が多すぎるとか、逆に希望の仕事をさえてもらえていないとか…」

「どうでしょう…見ている限り、明るく仕事をされていたと思います」

 ここに至って、失踪の理由が未だ推察できないのは、気味が悪い。

「あの…」女がおずおずと聞く。

「私も行っていいでしょうか?」

 だから、会社の人間は…と即座に反論しかけたが、少し考える。どうだろうか。俺はこの山本という女と茂手木の関係の近さを知らない。話している感じは、柔和で、心を開きやすそうな女の子なので、いてくれたら話が潤滑になるかも知れない。

「その…私の勘違いでなければ、会社の中ではそれなりに親しくさせてもらっていたので、大丈夫だと思っているんです。その、もし席を外してくれということであれば、すぐ帰ります。ただ、茂手木さんが元気かどうか、ちゃんと確認したいなと…」

 女の粘りを断ち切れず、俺は承諾することとした。

 午後6時45分に店で直接待ち合わせることとした。取材を1件終えて、記事でも書いていれば時間になりそうだ。

 色付きのシャツを着てくればよかった、と少し思った。

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