第2話 SNS一記事分の理由

あたしは三日前まで、父と二人で暮らす普通の女子大生だった。そこそこの大学にそこそこの成績でそこそこに友達がいる、特に形容することがないほど平々凡々な大学生だった。

それが一変したのが三日前。


父が借金とりに追われ、逃げたのだ。


なんの借金だったのかはヤのつく方々が何かわめきながら説明していた気がするが、そんなの聞いてる余裕など一つもなかった。あたしの父親はあたしと同じくそこそこの会社にそこそこの実績でそこそこに普通の父親だったのだ。そんな父親がまさかの借金を作って、しかも愛娘をおいてのトンズラである。

平々凡々を二乗したいほど普通の一家が一気に壊れた。

とりあえずヤのつくひとたちの怒鳴り声をスルーしながらお帰りいただいてから、真剣に考えた。

とりあえず、これでもう大学は通えないというとこ。

貯金は私の通帳諸共なくなっていて、資金はあたしの財布の中にあった6520円だけ。

あたしは思った。これは終わった、と。

バイトをしまくって食いつなぐ、借金とりから逃げる、というかクソ親父をとっつかまえる。様々な考えが浮かんでは消えた。そしてどれも非現実的かまたはあまりにも辛すぎる、と判断した。

つまりは華の20歳にしてあたしこと根津葵は、ここで人生が一度詰んだのだ。

これはもういいことが起こる気もしない。これはムリだ。これはどうにもできない。そしてヤケになって川へ飛び込むしかないかと思ったその時。

テレビのCMを見たのである。


「誰もが憧れる。誰もが一度は人生で一度は行きたいと言われる。世界でも筆頭のリゾート区画の第9区”楽園島”、−−−その中でも最高のホテル、アガサホテルのCMを見たんです」


ちょうど自分の住んでいた場所はトーキョーだった。第9区そのものであるその島へは電車と船でいける。だいたい片道で6千円ほど。

財布には6520円があった。


「ずっと、ずっと夢だったんです。いつかこのアガサホテルにきたいって」


第9区画とあるように、楽園島はトーキョー23区の区画のうちのひとつだ。他にある官僚区や社会区のように仕事や生活をするための場所ではない。

そこはまさにリゾートの要素を全て詰め込んだ夢のような島。


エメラルドグリーンの海に頂き高くも美しい山。広がる砂浜は天上にしきつめられたダイヤモンドのよう。見える景色がすべて絶景。それなのにカジノもギャンブルも楽しめる、人間による人間のための人工の楽園島。

だからこそ、1年を通してバカンスに訪れる人々を迎えるためにホテルは多々あった。その中でもアガサホテルは人生で一度は泊まりたいといわれるほどの有名なホテルである。

外装はまるで北欧のおもちゃ箱をひっくり返したかのようなパステルカラーの西欧風の建物。背は高すぎることはなく10階まで。それだと他のホテルのように高さのある景色をサービスできないように思えるが、アガサホテルの周り一帯には背の高い建物はなく、どこの部屋からも絶景を楽しめる。とある部屋は朝日が昇る山頂を、とある部屋は夕焼けが沈む海を。

サービスももちろん最上ランク。外装のパステルカラーと同じく、内装はプレゼントにかけるリボンのようなパステルな水色とピンクをあしらって。さらに面白いのは各部屋がそれぞれ内装のコンセプトが違うというところ。ひとつは壁に本ばかりの部屋があれば、ハンモックがある部屋があったり、クッションだらけの部屋があったり。

そして丁寧なおもてなしはもちろん、料理は一度食べたら他のものを食べられなくなるほどという噂。ホテル内にはプールやエステももちろんついており、簡易ながらもカジノもある。ホテルから出ずにバカンスを終える客も少なくないという。

「一度は行きたいホテル。だけど行ったら他のホテルに二度といけなくなるホテル」というのがアガサホテルにいわれる評価だ。


足に当たる砂は本当に砂というものなのか、裸足でその白い砂浜に入れたらさぞや気持ちかろうというほどの細やかさ。広がるオーシャンビュー。緑深き島にあるたったひとつの山。

ここは本当にトーキョーなのかと、疑ってしまうほどに。

楽園島は広すぎることはない。島を一周するなら半日もあれば充分。ぱっと見ではわからないが、山の麓には1日中365日なにかのスポーツに試合を展開するアリーナや、どこかの国からミニチュア版を持ってきたかのようなカジノや、全てのハイブランドが揃ってるというショップを展開している娯楽街がある。

踏み入れた娯楽街は煌びやかという言葉そのままで、どこを向いても全てがキラキラと輝き、整理された区画だというのに人があまりにも多すぎてどこになにがあるかわからないほどの活気に満ち溢れていた。

最初は迷子になりそうな娯楽街を抜け、ホテル街へと、そしてホテル街の最奥を目指した。ホテル街の区画は比較的穏やかで、立ち並ぶ様々なホテル−−−高層ビルのような美しい四角いホテルから民宿じみた和風の旅館まで−−−それらを横目にピンク色の石で舗装された道を歩いて行き、たどり着いたのだ。そこに。


北陽のおもちゃ箱をひっくり返したような、美しい彩りの城に。

アガサホテルに。


何も考えていなかった。荷物も私服一つと家族写真をいれただけで。そもそも残金が5百円もない自分がアガサホテルに泊まれるわけない。

我武者羅な使命感で進んだ先に現実をつきつけられた時、その人を見つけた。

とても美しい人だった。

滑らかなブロンドの髪は絵画の天使として描かれてる色のようだった。そのブロンドを綺麗に8対2の割合でわけ、8の方の前髪を爽やかに横に流している。翡翠の瞳は優しく、神がつくったのかと思うほど完璧な唇は聖母のように弧を描いている。

服装はスリーピースのスーツだった。だがそれはアガサホテルの制服だとすぐわかる。紺地に大人しめの金色の刺繍がはいり、胸元には鮮やかな桃色で「AGS」のロゴマーク。

ちょうど帰るところの利用者を送り出しているところのようだった。胸元に右手を置き、ほんの少しかがんで礼をしながら和やかにお客さんと話している。その姿はホテル従業員というよりも神父のようなおおらかさと優しさを感じさせるものだった。その姿からこのホテルでもベテランであると簡単に予想できるほど。

そして最後に綺麗に礼をして、送り出したお客さんが乗ったタクシーが見えなくなるまでずっとホテルの玄関口に立ちずっと見送っている。そして見えなくなったところで彼は踵を返しホテルないへ戻ろうとした。

とっさの判断だった。ここで逃してはいけない、と頭のどこかで、多分本能とかそんな風に呼ばれるものが働いた気がした。

あたしはダッシュして、その美しい神父のごときベテラン従業員を捕まえた。従業員はいきなり掴まれたことに驚いたようだったが、さすがベテラン、すぐに笑顔を浮かべて対応しようとした。


「ご予約のお客様でしょうか?いらっしゃ…」


でもあたしはその素晴らしいベテラン対応を遮ってあたしは叫んだ。


「ここで働かせてください!」

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