第6話 燕哀來という女

「な、何ですかその格好!?」


「おかしいですか?」


「貴方メイドじゃないでしょ!」


「こうでもしないと先生のお部屋に入れないと思ったのです。誰かに見られてしまうと教師と生徒の間で別の関係が生まれている、なんて思われてしまいます。そうなってしまったら先生にご迷惑を掛けてしまいます」


 なるほど。


 芸術室という密室で二人きりで指導しているのだ。


 夜に俺の部屋に入るのを誰かに見られたら深い関係になっていると思われてもおかしくはない。


 哀來は「どこか座ってもよろしいですか?」と俺に聞いてきたので俺は後ろにあるベッドに座らせた。


「別に俺の部屋に入るのはいいですよ。ただ、どうしてこんな夜に?」


「他の習い事をしていたのです。体育と美術も習っていますので」


「なるほど。保育士には欠かせませんね」


「はい。終わって少し時間があったのですが、そこで柏野と新しい習い事の相談をしていたのです」


 まだやるつもりなのか?


 俺だったらせいぜい2つくらいで限界だな。


「新しい習い事ですか?」


「はい。社交ダンスを習わないかと、お父様からお電話が掛かってきて」


 社交ダンス?


「体育のダンスではなく?」


「はい。これからパーティなどでダンスをする機会もあるから習っていて損は無いですよ、と柏野も言っていて」


「大変ですね」


 お金持ちに産まれなくて良かった、と初めて思った。


「大変ですよ! なのに皆わたくしが天才少女だから多く習わせても大丈夫だろう、と思っていて!」


 哀來は涙目になって怒っていた。


 こんな姿もあるのか。


「天才少女って言われているんですか?」


 ピアノと歌には才能があると思っていたが、他にもあるみたいだ。


「幼い頃からわたくしは情報の吸収能力が高いと言われているのです。勉強も普通の人より理解力が高いそうです」


「私も授業中に感じていました」


 この女は他の分野でも天才だったのか。


「それからというもの、わたくしは様々な習い事を強いられてきました。幼稚園のお受験から先月まで全国トップレベルの塾に通わされ、受験はすべて合格しました」


「すごいですね」


 俺も幼稚園からお受験をしたが、それ以上に難しいお受験に合格したのはすごい。


 敵ながら天晴れ。


「合格した後も大変でした。毎日塾に通わないと授業についていけないので」


 あー、進学校だとそういう事があるんだよな。


「お父様は常に学年トップクラスの成績を残さないといけない、とおっしゃっていたのでとても大変でした」


「下がったら怒られるんですか?」


「いえ、『さらに塾を増やす』と」


「さらにですか!?」


 地獄だな。


「他の塾で見てもらったら上がるのでは、という考えからだそうです


「五教科っていうことは週五回ですか?」


「はい。通っていたのはその塾だけでしたがとても大変でした」


 当たり前だ。週の半分以上が塾なんて。


「わたくし本当は学校のお友達と毎日ゆっくり帰ったり、遊んだりするのにずっと憧れていたのです。しかしお父様が『それはお前のような天才がやる事ではない』とおっしゃられていたのでできませんでした」


 哀來は話している途中、本当に泣きそうになっていた。


 話からして燕社長は俺達のような一般市民を見下しているようだ。


 それなら親父を殺して何も思わなくてもおかしくはない。


 アイツにとっては邪魔な虫を殺したようなものだろう。


「……最低な奴」


「え?」


 しまった!


 親父が殺された事を考えていたら本心が出てきてしまった。


 な、何と言われるか?


「そうですよ。『最低』は言い過ぎかもしれませんがお父様は自分より下の方々を見下しすぎです!」


「す、すみません。『最低』なんて言ってしまって」


「いいえ。むしろ嬉しいです」


 嬉しい?


 親の悪口を言われたんだぞ。


「お父様の愚痴を使用人に言っても全く共感してくれないのです。まぁ、無理もありませんが」


 そりゃそうだろう。言ったらクビになってしまうからな。


 という事は俺も……。


「哀來さん! どうかこの事は秘密に」


「もちろんです。それにわたくしも日々思っていますから」


 娘も思っているんだから相当だな。


「お父様は自分より下の方々を見下しています。ですから周りからたくさん恨みを買っていらっしゃるのです」


 だろうな。現に俺もその一人だ。


 ロクな奴じゃないな。さすが人殺しだ。


「先生。また遊びに来てもよろしいですか?」


「はい。授業以外でのお話もしたいですから」


 そうする事で燕家の情報を手に入れる事ができるかもしれないからな。


「では、また遊びに来ますね」


 哀來はドアを開けて帰って行った。


 今度来るときはメイド服じゃない普通の服で来て欲しい。


 いきなりあんなコスプレみたいな服を着ていたら驚くからな。


 ……そういえばアイツ何持ってきたんだ?


 俺はすっかり忘れていたミニテーブルの上にある白いマグカップを持って中を見た。


 コレは色的に……ココアか?


 コーヒーがまだ飲めないのでココアだといいが、試しに飲んでみた。


 ……うまい。ココアだ。


 丁度良い温かさだ。


 持ってきてからだいぶ経っているので、入れたての熱湯から丁度良い温かさになったのだろう。


 全部飲み干してマグカップをミニテーブルに置いた。


 再びデスクに向かって楽譜を見比べる。


 早く決めないと、寝る時間が遅くなってしまう。

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