第5話 自室にて

 哀來を指導して一週間が経った。


 人に物事を教えるのは初めてだが哀來は優秀な方だと俺は思う。


 ピアノを弾かせたら、こいつ才能あるんじゃないか? と思ってしまった。


 すべて俺が教えた通りに弾くのだ。冗談抜きで。


 歌もうまい方だった。


 とても綺麗な歌声で歌っていたので思わず聞き入ってしまった。声に惚れるってこういう事なんだな。


 全く、仇の娘がここまで俺の好みとは。


 俺はピアノが弾けて歌もうまい女が好みだ。


 そんな美女が俺の生徒。こんなにも嬉しい事はない。


 しかし、仇の娘だという現実から恋心は生まれない。


 それに恋心が生まれてしまったら地獄へ落とされるかもな。


 そんな事を夜十時、燕家の俺専用の部屋で思い返していた。


 実家の部屋より広く五、六人くらい人を呼んでも狭いと感じないほどだ。


部屋には俺が住むためにわざわざ燕家で用意してくれた家具が一式揃っている。


 デスクワークをする机の上には燕家から借りたノートパソコンを置いた。


 俺は普段着に着替えて机の前にある黒のオフィスチェアに座って作業をしていた。


 ピアノ用の楽譜と声楽用の楽譜を見ながら次はどんな曲を練習させようか、と考えていた。


 ちなみに選曲の基準は全て俺の好みだ


 これがいい。いや、こっちも外せない。こっちも捨てがたい。


 思えばここ一週間で『先生』というものが楽しくなってきた気がする。


 復讐のためになったので最初は仕方なくやっているようなものだったが、最近は『先生になって教えるのも悪くはない』と思うようになった。


 俺意外に先生向いているかもな、なんて思ったこともある。


 コンコンコン


 ドアの向こうからノックが聞えた。


「お茶をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」


 女の声だった。おそらくメイドだろう。


 屋敷内でも十人以上見た事がある。


「どうぞ」


 ドアに向かって返事を済ませ、楽譜に目を通した。


 ドアが開くと足音が部屋の中に入ってきた。


「お仕事大変ですね」


「はい。まぁ一週間で慣れましたが」


「お嬢様と接せられてどう思いましたか?」


 コトッという机に置いた音を立てながら聞いてきた。


 俺のデスクワークではなく後ろにあるミニテーブルに置いたのだろう。

 

 あれは向かいにあるテレビを見ながら飲み物を飲んだりする休憩用のテーブルにしている。


「とてもいい人です。性格もいいですし、何より私が教えた事をすぐに理解してくれます。このままいくと素晴らしい保育士になれますよ」


 少し大袈裟だったかもしれない。


 だが屋敷の主の娘だ。褒めまくったほうがいいだろう。


「……本当にそう思っていらっしゃいますか?」


「は、はい」


 やはり大袈裟に聞えたのだろう。聞き返してきた。


 ……何だか聞き慣れた声だな。


「嬉しいです。こんなにもわたくしのことを褒めてくださるなんて」


 俺はすぐ後ろを振り向くと、思わず立ち上がってしまった。


 なんとそこにはメイド姿の哀來がいたのだ!

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