3.勇者の結末
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『この影は、仲良しこよし
協力こそ、この影の本能。遊ぶのも獲物を採るのも、いつでもいっしょ。淋しい気持ちは花を枯らしてしまうので、この影は孤独を憎み、仲間同士で輪を作って踊るのが、肥やし作りの次にお気に入り。
一人で泣くのはもうやめた。どうせできない首吊りごっこも。自分の代わりに他が死ねばいい。狂った影は沢山の見返りは求めないが、墓場まで手を繋いでくれる一人はどうしても欲しい。たとえ子供や高慢ちきでも。
一人ぼっちは淋しいけれど、取り残されては仕様がない。けれど、もう一人じゃない。この影は一人であって一人ではない。朝も夜も、永久に二人きり』
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まるで、首の骨が折れたかのようだった。がっくりと、マーサの頭が地を向く。
ジャンが心配の声をかけようとした、その寸前に。あまりに呆気なく、マーサは動かなくなった。かろうじて立たせていた足から力が抜け、体重の全てが支えているジャンに伸し掛ってくる。
女性の体重とはいえ、纏っている装備までが女性にふさわしい重量ではない。ジャンは共に地面に倒れこむ事になり、這い出るようにマーサの胴から出てきて、唐突な状態に錯乱しながらもマーサの身を揺すった。
毒、やはり毒なのか? 一刻を争うのか? 全く訳が分からなかった。先程までは本当に元気だったのだ。今は苦しい表情すら浮かべていない。どころか、落とした目蓋に生気は感じられない。
これは、これは……!?。
「マ……マーサさんっ? マーサさんっ!!」
嫌な予感を徹底的に振り払って、ジャンは叫びながら揺すり続ける。横たわるマーサの体はされるがままにゆさゆさ揺れている。息はあるのか。いつか本で見たうろ覚えの知識で、胸元にそっと耳をあてがおうとする。
そこまでに差し掛かって、ジャンの目の前が闇に呑まれた。布幕が降ろされたかのような視界の暗転は、ジャンの意思ではない。
「離れてろ」
冷たい声色。黒い羽。
いつの間にか、すぐ傍らに《彼》がいた。
「マ、マオウさん……」
「お前を殴り回すのは、後回しだ」
ジャンの胴を抱え込み、マーサから引き離して後退。やや離れた場所に下ろす。
ジャンは地面に座り込みながら、瞳だけを《彼》に転がし、位置の定まらない瞳孔のままで再びマーサを見た。唐突な《彼》の登場だったがジャンは欠片も驚けなかった。それどころではない。ジャンの頭は目の前の状況に追いつくのが精一杯で、別の事に驚愕している余裕はなかった。
死んだようになっていたマーサの腕が、動いたのだ。しかしジャンはそれに安堵する事はなかった。無事に危険を逃れた様子ではない。動くというより、痙攣しているのだ。首から上は何の反応もしていないのに、腕がばたつくように動き出し、立たせた爪が地面を少しえぐっている。
その震えは、やがて全身に至り、強くなっていく。
「マオウさん、マーサさんがっ……何か、変でっ……」
「…………」
震える声で訴えようとするジャンを一目見て、《彼》は唾を飲み、押し黙った。
足の痙攣が強くなっていき、引き上げた魚のようにばたばたとのた打ち回り始める。だがやがて、腕を助けに、首はだらりと垂らしたままでマーサは不気味な動作で立ち上がった。見る側にとって、命があるかないかでは比べられない光景だった。あの様子はどう楽観視しようが異常であり、一命を取り留めたなどと喜ぶことはできない。
もしも、亡者が自ずと動き回ったなら、あんな風に蠢くのではないだろうか?
「さっきっ、花の魔物と戦ってて、それでっ……っ?」
心配ではある。だが、今の彼女に近づくなんて、ジャンにはできなかった。
遠めに眺めるばかりの自分にできることはなにもない。だが、不気味さで足がすくんでしまって動けない。ジャンはすがるように《彼》のコートの裾を握り締め、毒がどうたらと告げようとした。
その時。
「え……っ?」
マーサの顔面が、弾け飛んだ。
「あ……っ?」
血しぶきも何もない、あたかも風船が割れるように、マーサの頭がパン、と炸裂した。
訳がわからない。それでも異常は立て続く。
風船が割れ、その中身とばかりにマーサの首から上に残っていた、それは。
「あ……、あぁっ……?」
腕を垂らし、悲鳴を途切れ途切れに漏らす。
なんで? 何が起こったのか? 毒のせい? あんな風になる毒があるのか? では一体なに? あの姿は……、あの姿はだって、見るからに……。
首の上には、赤い血しぶき模様の白い花。
見るからに、あれは魔物の姿だ。
「……よりによって、『頭』かよ。もう意識もねぇか?」
何やら呟いた《彼》が、そんな状態のマーサめがけて地を蹴った。横を通り過ぎる黒い翼を見送ることもできなかった。見開かれた目はひたすらにマーサを映す。
それからの光景は、あたかも本をぱらぱらめくり読みするかのように……、区切りを置いて事態を把握するのが精一杯だった。
花の頭から伸びた蔦が《彼》を迎え撃ち、《彼》はそれを身を翻して避ける。
差し迫った《彼》が、マーサの体の襟首を掴んで地面に突き倒した。
馬乗りになった《彼》が、颯爽と花の頭を鷲掴みにする。
《彼》がマーサの頭に成り代わっていた花を引きちぎったところで、再びジャンの時間は動き出した。ぶちぶちと、嫌な感触の音にはっとして、ジャンは脱力しきった体を震える腕で支えた。
《彼》は冷めた顔つきのままで、ちぎった不気味な模様の花弁を地面に投げ捨てる。
首のなくなった人体だが、なんとそれでも動こうとする体に、《彼》は何度も何度も殴打を繰り出した。何度も、何度も。鈍い音が響くたびにマーサの腕や足は跳ね上がり、首の淵に残った蔦がしなった。
服も剣もそのままの、マーサの体が暴行を受けている。その光景を目の当たりにしても、ジャンは《彼》に対する怒りなどは些末も抱けなかった。強いて言うなら遠慮のない暴力への畏怖のみ。首のない体が打ち壊されていく様を映す瞳には、あれがもう優しく強かなマーサには見えなかった。頭の中には、淡々と死体に暴行を続ける《彼》への恐怖が一混じり、他は全て、混沌だった。あらゆる謎や残酷さや理不尽さがこんがらがって猥雑に入り混じり、どこから解こうとしても納得のできる解釈には辿り着ける気がしない。
なんで? なんで? なんで?
混乱の境地にあった幼い心とは裏腹に、ジャンの浮かべる表情は存外に静かだった。
開かれた目は呆然と。唇は震えていて、冷たい涙が絶えず頬を伝っている。
魂が抜けてしまったような青い顔で、ついには動かなくなったマーサの死体と、こちらに戻ってくる《彼》を眺める。
息を荒し、少し顔を上げる。
「はーっ、はーっ……」
「おい、……クソガキ」
どこか気まずさを思わせる口調で呼ばれた。
いつもより、少しばかり険しい顔をして、《彼》が帰ってくる。
そして、その向こうには、腕や足を神妙な角度に曲げて動かなくなっているマーサがいた。
そんな彼女には、もう首はない。
「これ……」
「……あん?」
それを見て、ずっと半開きだったジャンの口元が不意に緩んだ。
「これっ、夢だよね……マオウさん? こんなの……現実なわけないよね?」
現実であるはずがない。ジャンは唾を飲み、夢の中の住人である《彼》に確認する。
逆に、どのような現実なら、人の頭に花が咲き、魔物に成り代わるというのか。
ならばこの、おぞましくも鮮明な光景も、マーサの体をゆすった生々しい感触も、全ては夢に違いないのだ。
「……夢なら、お前は耐えられんのか?」
《彼》が訝しげに尋ねてきたが、ジャンは呆然と首を傾げるしかなかった。
細い目蓋の中の冷たい瞳が、揺らいでいる。
「なら、これは全部、夢だ」
《彼》の手が、眼前に迫ってくる。
そこで、ジャンの見た光景は全て夢と化した。
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「うわぁぁぁぁっっ!!! ギャッ!!」
跳ね上がるように上体を起こす。と、同時に脳天に衝撃。
目を開けば、宿の部屋の床。自分の身がベッドから転げ落ちているのに気がついた。
「……朝っぱらからやかましい。鶏気取りかクソガキ」
「あ、あり?」
床でひっくり返りながら、ジャンはぱっちり刮目する。
自分のベッドで寝ていた《彼》が、寝ぼけたジャンの叫びに不機嫌そうにして目をくすっていた。
と、いう事は……。
(じゃ、やっぱり……、夢?)
「いいか、俺は好きな時に起きる。つまり起こすと殺す。わかったら、表の鶏も黙らせてこい」
「うえ?」
胸の中でそっと安堵して、ジャンは頭をさすりつつ立ち上がる。
すると、《彼》にきつく睨まれて硬直、そして脱力。鬱陶しそうにして窓に親指をやる《彼》に、ジャンは戸惑いつつも窓に歩み寄った。
「ヤッホーーッ! おっはよーう、ジャン!」
その声に、ジャンは血相を変えて窓を開く。
窓の下に、昨日、そして夢の中で目にした活発な笑みが向けられていた。
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「マーサさん!」
ジャンは寝巻き姿のまま、宿の戸を飛び出していた。部屋の中を駆けて飛び出す最中、《彼》の舌打ちが聞こえた気がしたが、今それを気に留めている暇はない。
玄関を抜ければ、マーサがいた。こちらに笑みを向けて手を振っている。
(元気そう……嫌な夢だったな)
ジャンは呼吸を整えつつ、昨夜の夢を思い返してそっと嘆息をついた。おぼろげだが、内容は思い出せる。
全く、意味のわからない夢だった。この人が魔物になってしまう、てんで面白おかしい冗談みたいな夢。
「あのね。今日はジャンにお別れを言いに来たんだ……」
「えっ!」
かと思われたその時。
マーサの突然の発言に、ジャンは肩をびくつかせた。
「突然の仕事が入ってね。サボっちゃうと、大きな国が一つ潰れかねない、大事な仕事。その為に、私今すぐ行かないといけないの」
「え、あ……、そうなんだ」
「ごめんね。約束してたのに。でもさ、ジャンも勇者だったらさ、きっとまた会えるよ。その時は、ジャンと一緒、二人で戦えたら嬉しいな?」
そういうことかと納得しかけて、ジャンは首を振って目を見開いた。つまりこれは別れの挨拶。旅立つ前に寄ってくれたのだろう。
唐突な別れにジャンは少し呻いたが、顔を上げ、上目遣いに口を開いた。
「また、会えるよね? ……あの、死んじゃったり、しないよね?」
「もちろん」
「う、うん!」
縦に首を振るはずはないとは思っていたが、あの悪夢を、マーサは微笑んで否定してくれる。ジャンは途端に表情をほころばせ、マーサの手を取った。
その手は温かく、きちんと健康な血潮が通っていることが伺える。
「オレ! 絶対勇者になるから、その時はよろしくお願いします!」
多少大げさながらジャンはお辞儀をした。勇者として貴重な戦いを見学させてくれたことを感謝して。
マーサは出会ったときと同様、子供であるジャンを振り回さん勢いで握手を交わす。
手が解け、そして「またね」と笑った後、マーサは背を向けた。ジャンは先輩勇者への羨望と、しばしの別れに対する寂しさを胸に、その背が路地を曲がって見えなくなるまで見送った。
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宿屋の道を外れた、路地の影。
壁の影に入り込んだマーサの笑み、その全身は儚く崩れ、全てが黒い羽の群れと化し、やがて宙に消え失せた。
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