03 晴れ

 「アシエル、何処に行くつもり?」

 先刻、きいたばかりの彼の名前を口にする。他人の名前を呼ぶことが、普段人との関わりが希薄な私には新鮮だった。

 「こういうときは自由に、心が赴くままに行くんだ」

 「要するに、まだ決めてないのね」

 彼は誤魔化すように、微笑んだ。

 「アメリアは鋭いな」

 「それはどうも」

 アシエルは困ったように頭を抱えて、路地の端に座りこんだ。私も彼の隣に腰を下ろす。ぼんやりと人波を眺めていると、アシエルが愚痴を零した。

 「実は、この国には初めて入国したんだ。だから右も左もさっぱり分からなくてね」

 「………貴方、旅人ワンダラーなの?」

 彼は"この国には初めて"と言った。他の国にも、行ったことがあるのだろう。

 「そうだよ。探しものをしていてね。気ままに、色んな土地を回っている」

 「……素晴らしいことだと思うわ」


 本当に、素晴らしいと思った。そして同時に、胃が焦燥感で焼け付くようだった。


 "羨ましい"


 そう言ってしまうと、私は自分を憐れんでいることになる。だから言葉を呑み込んだ。

 今まで、組織の人形として生きてきた。これからもそうだろう。なのに、私には変な意地があった。

 自分で自分を憐れむことは、自分に絶望するのに等しい。

 それだけは御免だった。

 汚れた私を愛せるのは私だけだ。


 「話を……ききたい。貴方の旅の話を」

 でも時には、甘い非現実的な話をきくのもいいだろう。

 夢に溺れなくとも、見るぐらいなら、誰もそれを咎めはしない。

 「わかった、話をしよう。その代わり、今日の宿を紹介してくれないか?」

 「全然、構わないわ」

 「実は1番最初に入った宿がそれは酷くて、朝食にレタス入りのサンドイッチを出してきたんだ。俺はレタスが大嫌いだから、困ったよ」

 レタス?

 思わず開いた口が塞がらなかった。

 「レタスが嫌いなの?」

 「世界で1番嫌いだ」

 アシエルは眉根に皺を寄せた。どうやら、本当に心底レタスが嫌いらしい。

 ふふ、と笑いが溢れる。

 「貴方はやっぱり、少しヘンだわ。急に人を連れ出すし、レタスは嫌いだし。」

 自分の笑い声に驚いた。

 私はまだ、"笑えた"のだ。

 「だから、レタス入りのサンドイッチを出さない宿をちゃんと紹介してあげる」

 「それはありがたいね。神に感謝するよ」

 肩をすくめて、わざとらしく言う彼も満足気に笑った。


✽✽✽✽✽


 だいぶ、日が傾いてきた。

 この時間帯は昼でも、夜でもない。曖昧な時間帯だ。

 ここまで話し込むとは、想定外だ。気付ば貴重な休みを1日消費してしまった。


 「それで、その湖は美しかった?」

 「美しかったよ。とても。夜になると、湖に星が映るんだ」

 アシエルが話をしているのは私達の国、クエートの隣国であるアウトラでの話だ。

 私は彼の話から、美しい湖を脳内で描いた。でも、幾ら想像しても実際見たものには劣るだろう。

 彼からきいた雪国のオーロラというものや、美しい緑の森、そこで生きる動物や人々のこと。それは私の胸を焦がせるのには充分過ぎた。

 アシエルは、私の知らないことを沢山教えてくれた。

 「__今日は、楽しかった。ありがとう。この街で評判の宿を紹介するわ」

 名残惜しさを感じながらも、私は彼を宿に案内した。

 点々と灯りが付き始めた夕方の街は、夜を迎える準備を始めていた。何処からか美味しそうな匂いが漂ってくる。

 歩くとき、地面に伸びる2人分の影。それを見ると寂しさが滲み出て来る。もうすぐ、また1人になるのだと、ぼんやり考えた。

 アシエルとの時間は私にとって"毒"なのかもしれない。

 いつも私は孤独と共にあった。飼い慣らしていたはずの孤独を、今はどうしょうもない程寄りつけたくない。

 宿にはすぐに着いた。

 立派なレンガ造りの建物を私は指差す。

 「素敵な宿でしょ?宿の主人は親切で、ご飯は美味しいって評判なの」

 「俺はレタスが出てこなきゃ何でもいいよ。当分レタスの顔は見たくないからね」

 軽口を言う彼の手を、私は握った。

 「じゃあ、もうサヨナラの時間だから。またいつか会えたら、話そう」

 ふいにアシエルの顔から笑顔が消えた。どうしたのかと、私は彼を見つめる。

 _____嗚呼、真紅の瞳が綺麗。まるで夕日を映したようだ。

 私は赤が嫌い。血を思い出すからだ。でも、彼の瞳は好きだと思った。目の中に優しい光が感じられるから___。

 「また"いつか"じゃないだろう。こういう時は、また"明日"って言うんだよ」

 アシエルは凛とした表情で言った。これ以上にないぐらい、真剣な声色。

 「また、明日___そうね、その方がずっと嬉しいわ」

 アシエルの手を、気付けば強く握っていた。

 「じゃあ、アメリア。また"明日"な」

 するりと解かれる手。

 でも、もう寂しいとは思わなかった。

 「また"明日"ね、アシエル」

 私は、孤独を恐れすぎていたのかもしれない。孤独は私を閉じ込める檻ではなかった。

 目の前で笑う彼が、それを証明してくれる。そんな気がした。

 

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